第4話 大宰府への道

「都から来た人間であることを毛筋ほども見せるなよ!あくまで、土佐の漁師って顔で芝居を打てばいいからな!おまけに疾風には船室のあちこちに新羅や唐で売りさばくための密輸品がわんさと詰め込んである。万が一、それが発見されるとどえらい騒ぎになるが……まあ、見つかるはずはないから大丈夫だ!」


 熊井は心の奥を引き締めながらも顔の皮を緩めて仲間を安心させた。


 俊介たちも、とっくにダウンコートとジーンズ、スニーカーを脱ぎ捨て、土佐の港で物々交換した貫頭衣に着替えを済ませている。


 快斗は、とりわけ貫頭衣が気に入って、まるで歴史上の人物みたいだとはしゃぐので慎太が釘を刺した。


「お前って本当に単純だな……ばれて捕まったらどうしようって考えないのか?」 


「熊井が言ったように芝居をすればいいんだよ、役者になってな!」


 警備船の水夫は、狭い海にたっぷり塩が溶け込んで重量を増した潮流を操って、手慣れた動作で疾風の真横に並んだ。


 兵士の一人が梯子を掛けるつ、そこをごつごつした手足と尖った頬骨が突き出した男が、飛び出しそうな眼球を爛々と輝かせて真っ先に乗り込んで来た。


 男は黒衣と毛皮を身に付け首の内側まで赤銅色に日焼けしている。


 背後には弓矢と刀を具し小柄だが肩肉の盛り上がった三人の兵士を並べて甲板に立つ長久や熊井を睨みつけた。


「俺は海峡警備の宇良麻呂だ!やけに立派な船じゃないか……お前たちは何処から来た?」


 長久はふいに漁師の血が身体中を駆け巡っているかのように口を開いた。


「へい!土佐から参りました漁師でございます!この船の御主人が鰹で財を成した土佐の豪力者で何処へも大振りな船を走らせております!」


「鰹はそんなに儲かるのか……獲れた魚を見せろ!」


 熊井と三牛は、すかさず干した鰹や鯖、鯵や鰯、烏賊などの入った籠を並べる。


「ろくに獲れていないではないか……」


「へい!沿岸を回って来たので雑魚しか獲れませんでしたが、これから玄海まで行って大物の鮪や鱶を狙おうと考えておりますので……」


「ひとつ、改めて聞くが見慣れない船を見かけなかったか?この船のように大型だがな……」


 宇良麻呂はわざわざ三牛の方に顔を向けて問いかけたので、熊井は若い三牛が迂闊なことを口走って化けの皮が剥がれはしないかと胸をどきつかせた。


「そのような隆とした船は影も形も見ておりません!」


 三牛は眉一つ動かすことなく落ち着き澄まして白を切る。


「りゅうとした……漁師にしては言葉が丁寧だの?」


「お役人様の前ですので、何か失礼があってはならないと気を張っておりますので……」


 熊井は三牛を見直した。


「荒々しい漁師には見えん者が多いが、土佐の者たちは、このようにおとなしく陰気くさいのか?」


 長久の身には漁師の血だけでなく、加えて神々の血まで舞い降りる。


「わしらの村は神社村と申しまして、ご先祖様が巫女のため漁師には似ても似つかぬ顔つきだと言われます」


「ふん!もういいだろう!さて決まりだから船内を検分する!火皿を持って来い!」


 宇良麻呂は、真っ暗な船の胃袋を火皿の灯りで隈なく照らして、筵を捲ったり床板を叩いて空洞を探したが、長久や熊井が工夫を凝らして船内のあちらこちらに分散して隠した密輸品に辿り着くことは不可能だった。


「もうよい……」

 

 宇良麻呂は、頬骨を上下させて尋ねても、ああ言えばこう言って一歩も引かぬ長久たちの対応を、遂には七面倒くさく思ったのかさっさと疾風から引き上げた。


 ほっとしたのも束の間、長久は宇良麻呂の黒光りした額や頬骨がいつまでも頭に残って、やがて不吉な予感に襲われる。


「宇良麻呂と言ったな……やけに仕切り板を叩いて音の跳ね返りを見ていた。あれは隠し場所を探っていたのだ……俺たちが漁師ではないことに薄々気づいたかもしれない……それに、あっさり、引き下がったのも気にかかる……ことによると、油断させておいて、人数を増やしてもう一度やって来ることもあり得るな……」


 長久の疑いが魚の小骨のように喉に突き刺さった傑は、風呂敷を広げて熱っぽく持論をぶった。


「もし、警備船が再び戻ってきたら、逃げる振りをして潮流の目をよく見て上手に出るんです!その位置から下手の船に向かって、滝の水が落ちるように横っ腹に体当たりをすれば、疾風の方が頑丈だから、間違いなく奴らの脇腹に穴が開きます!」


「もう……傑の自信過剰は雷が落ちても変わらないわね!机上の理論だから裏目に出ないことだけを祈りたいわ!」


 呆れた都真子は口をひん曲げて俊介に向かってぼやく。


「長久!どうする?運を天に任してその策を取るか……それほど甘くはないと思うがな……こうなったら、捕まる前にさっさとずらかろう!」


 熊井には、海の潮は前進を阻む敵であって味方になるなど信じ難い。


「大変です!大型の警備船が一隻!こっちへ向かってやって来ます!兵士がわんさか乗ってます!」


 潮風と恐怖で多治馬の髪はそそり立った。


「やっぱり魂胆を隠していたな……こうなると、一か八か傑の策を振り回すしかない!舵取りは俺がやる!疾風を大暴れさせてみせる!」


 熊井は長久に流れる海神の血を信じた。


 警備船はまるで海上にある鉄のレールに乗って滑るように疾風の尻に迫って来たが、長久は眦の淵を錐のように尖らせて、ぎりぎりまで追い付かせた挙句の一発大逆転を狙っている。


「力いっぱい漕げ!今か今か……よし、舵を切るぞ!皆何かにしがみつけ!」


 長久は、縦に流れる潮を横切り、疾風が真横になるほど傾けると、力任せに海水の分厚い絨毯を切り裂いて大きく回転させ、再び縦の潮流を駆け登った。


「いきなり向きを変えたぞ!追いかけろ!」


 宇良麻呂はそこに仕掛けがあるとは夢にも思わず、疾風の尻尾を狼のように追えと命じると船はまさしく突いてくれと言わんばかりに横向きになった。


「船の腹と臍が真正面だ!今なら突進して突き破れる!」


 長久は、大胆にも、疾風を最初の位置から円を描いて回転させ、警備船を上手から襲える位置に来ていたから、あとは疾風がまっしぐらに突進すればいいだけだ。


「ガシャーンッ!」


 長久は、疾風の舳先が警備船の横っ腹を粉々に突き破り、両船とも飛沫を上げて横滑りしたのを目にした。


「しまった!右舷に穴を開けられた!」


 頬骨が砕けて引っ込んだように見える宇良麻呂は、唖然となった。


 ぽっかりと開いた穴からは、みるみるどろどろした塩水が流れ込み甲板が傾いて兵士たちが泥水のように海へ滑り落ちるのを見ると、大声で怒鳴り散らした。


「何をやっている!早く小舟を降ろせ!」


 全身の血が引いて真っ白い顔をした宇良麻呂は、海面に投げ降ろされた小舟の傍へ飛び込むと塩辛い海水を飲んでは喉を焼きながら小舟の縁を掴んで這い乗った。


「奇跡だ!傑の言う通りになった!」


 すっかり鼻を高くしている傑の顔を見た快斗が声を弾ませる。


「今のうちに逃げないと……次の船が追いかけて来る!」


 長久は追い風を掴んで一気に疾風の速度を上げると、後方を見張っていた熊井たちは、複雑骨折を起こした警備船が渦を巻いて海中に引き込まれ海の藻屑となる哀れな姿を目の当たりにしていた。


「俊介たちを那の津に降ろさねば……壱岐、対馬、加羅半島の釜山へ進むのはそれからだ!」


 よほど混乱を極めたのか、玄界灘に入っても追っ手は見えなかった。


 長久は舵取りを朴に任せて、疾風の進路を左よりに変えて那の津の浜に着けた。


「お主らがいてくれれば、この先も心強いのだが……引き留める理由は何処にも無い……」


 俊介は、タイムスリップを解決して未来の日本に帰らねばならないと言いたいところだが、奈良時代の彼らにこうした信じ難い出来事を理解させるのはくれぐれも不可能なこととは百も承知している。


「元はと言えば、一度でいいから都を見たいと旅したところ、縁あって、貴方たちとは此処まで来てしまった。此処で去るのは胸の詰まる思いだが、坂東には待っている家族もいるので……」


「さぞ家族は、首を長くして待っているだろう!ちょっと、待ってくれ……」


 熊井が、甲板の下の部屋から茶色の革袋を抱えて上がって来ると、恭しい眼差しで俊介に差し出した。


「お前たちに弓を向けるなど失礼なことをして済まなかった。俺たちも世話になった印に、これは短剣と香炉だ。旅の無事を守ってくれるはずだ!」


「これは嬉しいが、私たちには差し上げるものは何も無い!」


「いいんだ!お主らのことは胸の内に収めて決して忘れぬ!また、何処かで会うやもしれぬ!達者に暮らせ!」


 俊介たちは重い足取りで疾風を降りると、海風が包む砂浜で双方で手を振り別れを惜しんだが、逃亡の真っ最中の疾風の面々には感傷に浸る余裕はない。


 沖まで漕ぎ出すと、すぐさま、風に乗って水平線の彼方に消え去った。


「さて、大宰府はどっちだ?」


 俊介たちは目立つ表通りを避けて、那の津の裏道に入ると、草叢の中に建ち並ぶ掘っ立て小屋と中で作業する男女、群れて遊ぶ子供たちの姿しか見えない。


「此処って、現代の福岡のことだろ?町の名前にも那の津ってあったか……俺も試合でよく福岡ドームには来たな。ついでに、大宰府天満宮も何度も行ったよ。樹齢の古い木がたくさんあったな。あそこなら、神木……いや、神木の子供がいっぱい生えていそうだな……」


「那の津ってのは、古代から交易や軍事などで重要な役割を果たし、大陸の玄関口とも呼ばれたが……まあ、ここは、福岡というより博多だな。大宰府へは俺も高校の修学旅行で来たな。車で三十分くらいだったから、歩くと三時間くらいだろ。遠の朝廷、つまり、西日本の天皇の都って言われたくらいだから、しっかりした道が造られたはずだ」


 傑は、多分、川沿いの街道が大宰府に続くと主張する。


「大宰府って、菅原道真かな……ここに左遷された人だろ?梅がどうとか聞いたことがあるな……」


 退屈した快斗が断片的な知識をふと漏らす。


「飛梅って言うのよ。道真が左遷されたとき、京都から主人を追って飛んできたって有名な梅の木があるわよ。私も見たことがあるわ。受験の時に来たから牛の頭も撫でたわね。千年を過ぎる楠もあったわね。それって、現代の大宰府でしょうけど、太宰府史跡って少し場所がずれてた気がするわね……」


 都真子はこれで現代に帰ることができそうだと意気揚々と歩き続けると、やがてこんもりした森が目に入る。


「あれって……大宰府かしら?」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る