第3話 海原へ

「家の者はおるか?扉を開けんか!」


 警吏の犬彦の血も凍るような声が長久の胸に刺さった。


「もうやって来たのか!裏口から外へ逃げよう!皆来い!」


 長久が裏口の扉をそっと開けたとたん、鹿の毛皮を纏い剣を突き出していた兵士たちとばったり鉢合わせになった。


「おっ!いたぞ、捕まえろ!」


 中へ押し戻されると、表の扉を蹴破ってずかずかと土間に踏み込んできた犬彦がいて挟み撃ちにあった。


 なめされていない革が張り付いたような粗い顔皮をした犬彦は、一層険しい顔をして赤い口から言葉を吐いた。 


「変わった服装をしている奴らだ。交易の品を身に付けているのだな!」 


「こいつらは違う!俺たちの仲間じゃない!縁もゆかりもない旅の者だ!」


 熊井は目を吊り上げて弁護する。


「嘘をつくな!密かに唐や新羅と交易をすることは死罪だ!都に連れ帰って、即刻、俺が首を刎ねてやる!」


「死罪?ろくに調べもしないで、いくらなんでもやり過ぎだ……」


 いきなり死刑を耳にした快斗は一気に頭に血が昇り我を忘れた。


「きさま!都のやることに歯向かうとは、この場で死にたいか!」


 犬彦が太い腕で剣を振り上げたとたん、俊介は傍にあった棒きれを拾うと、目にも止まらぬ速さで、犬彦の剣を叩き落とし犬彦の脳天に一撃を食らわせた。


 さらに、犬彦の獣臭い剣を拾うとたじろぐ兵士たちを刀背打ちで倒すと、長久や熊井も俊介に負けじと兵士に掴みかかって投げ倒し、あっという間に追っ手全員が土間に五体を投げ出している。


「ぐずぐずしてると目を覚ますぞ!さっさと縄で縛れ!」


 泡を吹いて気絶している犬彦と脳震盪を起こしている五人の兵士を、庭の栗の木に縄が皮膚に食い込むほどきつく縛り付けた。


「俊介の剣道の腕前を知らないわね!警察の剣道大会じゃ抜群よ!」


 都真子が我事のように俊介の剣さばきを褒める。


「この五人が戻らなければ他の追っ手が捜しに来る!母上!悪いが疑われないように縛らせてもらいます……」


 長久は、千草の身体を緩く縛って、文字どおり、長久たちを庇ったりしていないように見せかけた。


「俺たちはこの地を捨てて逃げるが、お前たちも逃げ道はわずかだ。坂東へは山越えしかないが……道も知らぬものが山に入れば迷い込んで餓死するだけだ」


「困ったことになったな……さっきの森に戻ることは無理ですか?」


「森へ戻るなど以ての外だ。おそらく……俺たちが隠した交易品を血眼になって捜しているはずだ!無暗に戻れば見つかるな……いくらお前ほどの腕があっても、よもや大勢の兵士に矢で射かけられては避け切ることは難しい……」


 その時傑の頭脳にふとある考えが閃き俊介に耳打ちした。


「俊介……そもそも、ここの杉でなくとも、将来、神木になりそうな樹木さえあれば、その木を見つけてTS1を使うというのはどうかな……そうした樹木はまぎれもなく現代への時間軸を秘めているはず……」


 俊介の脳内の回路が眼奥をきらりと輝かせた。


「ずばり……お前の理論は悪くない!樹木の中に流れる時間の世界で此処に来たのだから、現代に戻るのも樹木の中の時間のエネルギーを使えばいい!そうなると、まさしく、こうした樹木を探さねばならないな……楽観的かもしれないが、崖から飛びおりる覚悟でやってみるしかないな……」

 

「おいおい、何をこそこそ言っているんだよ。俺たちにも教えてくれよ」


 単純回路の快斗がしびれを切らして問いかけると俊介は長久に向かった。


「九州方面に向かうのですよね!我々も連れて行って下さい!そして太宰府の近くで降ろして貰いたい。あそこで旅の許可札を貰い受け坂東に帰れます!」


「いい考えかもしれぬな……よし、すぐ出発しよう!母上!くれぐれもお身体に気を付けなさって……必ず約束を守って帰ってきます!さあ、外は黒い油の闇で真っ暗になったな……これで動き易くなる!」


「黒い油?昔の人は夜の暗闇を指してそういう言い方をするのね……」


「漆黒というじゃないか……漆だって黒い油だって真っ黒には違いないさ」


 都真子の素朴な疑いに傑が返した。


 七人は、闇夜に競り上がる生駒山の手前で仲間の六人を加えた後、峠を越えて黒竜の如き大和川に出ると、全員が心臓を打ち鳴らしながら、川沿いを走りに走って船が待つ難波の津に到着した。


 その頃、無様な姿で括り付けられた栗の木から解放された犬彦は、俊介に打たれた頭頂から流れ落ちた乾いた血塊を拭き取ると、烈火の如く激怒して逃げた者たちの追跡を命じた。


「くそっ!してやられた……どのみち、とうに捕まえた男が奴らが難波の津に向かうと口を割ってるからな!今度首っ玉を捕まえたら生かしちゃおかん!」 


 俊介は、頑丈な板材が肋骨のように規則正しく張られ、頭上に尖ったマストが大黒柱の如くそびえる古代の高麗船をしげしげと眺めた。


 傍にいる傑もことのほか褒めちぎる。


「船の名前は疾風だとさ。この時代としては立派な船だ……遣唐使船が東シナ海を横切って唐まで行ったくらいだから、さぞかし、造船技術が向上していたわけだ!」


「そうかな……俺には小さく見えて頼りないんだけどな……これじゃホームランは打てないな」


 慎太が不安そうに呟くと快斗が笑う。


「お前の身体が大きいからそう見えるだけだぞ。要は性能が大事だ。速く走れるとか衝撃に強いとかじゃないとな。身体が小さくたってホームラン王はいるぞ!」


「快斗もいいこと言うわね。私もただ馬鹿でかい船より小回りのきくすばしっこい船の方が安心だわ。別に慎太が木偶の坊って言ってるわけじゃないけどさ」


 都真子は慎太と船を見比べながら毒舌を吐く。 


「朴!朴は起きてるか?役人に追われてる!今すぐ疾風を動かせるか?」


 長久は疾風の甲板に長い手足でよじ上り、仲間の新羅人で、ぐっすり寝ているだろう朴を叩き起こすと、操り人形のように細身でひょろっと背の高い朴が薄皮餅のような顔を出したした。


「……ばれたってこと!そりゃ、一大事なことよ!とりあえず、新羅まで逃げきれば大丈夫なこと……私も捕まりたくないことよ!」


「いいか!逃げ道は、のっけから目につく瀬戸内海を通るのは駄目だ!淡路島の脇を抜けて、岸に沿って土佐まで回ろう!その後は、伊予から筑紫を突き抜け玄界灘を渡って新羅に向かう!一番、危険なのは、筑紫海峡だ!見張りが厳しいからな!」


 早速朴は、水夫を叩き起こし持ち場に付けた。


「おやっ!何だ?……灯かりが灯ったぞ!まずい、追っ手だ!すぐ其処にいる!」


 見張っていた熊井が大声で知らせた。


「真っ暗のまま傍まで近寄っていたに違いない!すぐに疾風を出せ!」


「矢を放て!逃がすんじゃないぞ!」


 頭に白布を巻いた犬彦が、恐ろしい剣幕で部下に命ずると疾風に矢の雨が降り注いだが、長久、熊井、さらに三牛や他の仲間が加わって負けずに弓矢で応戦を始めた。


「朴!早く疾風を岸から離せ!船に登られると面倒だ!」


 せっつかれた漕ぎ手の水夫たちは目を剥いて猛然と水を搔くと船はゆっくりと海へと滑り出す。


「いいぞ!行け行け!今日は風が強いから、沖へ漕ぎ出たら上手く風に乗るんだ!」


 俊介たちは屋形に入って矢を避けたが、疾風が動き出したのが分かると傑が言う。

 

「当然のことだが、船というのは、追い風であれ向かい風であれ、風さえあれば帆の向きと風の力によって進む原理は昔であろうが現代であろうが同じだ!」


「追跡用の船が無いだと!おのれ!またしても逃げられたか……無法者め!八つ裂きにしてもあきたらん!」


 犬彦は、眼前に矢の届かないところに進み暗闇に消えて行く船を見て、舌打ちして悔しがり地団太踏んで罵ったがよもや後の祭りである。


「帆を張ってどんどん速度を上げろ!追跡船が追って来るかもしれない……」


 長久と熊井は、荒ぶる波飛沫の音だけがうるさいほど鼓膜を震わす中、水平線が朝焼けで赤く染まるまで警戒を続けたが、とうとう追っ手の追跡船を見ることは無かった。


「とりあえず……逃げ切ったな!」


 長久が熊井に話しかけると、二人とも一晩中走りずめだった疲れから眼は腫れ顔骨の表面には皮一枚がぴったり食い込んでいる。


「見張りは朴に任せて、少し休むか……」


 睡魔に襲われた二人は屋形に転がり込むと、すでに先客の俊介たちが生きた岩石と化してぐーぐー眠っている。 


 疾風は、どんなもんだと自らの性能を自慢するように、魚のような泳ぎでずんずんと阿波を通り過ぎて西進し、天然の良港である土佐の浦戸に着港した。


「船に積んである食器や布と、漁に使うための一本釣や曳き釣用の竿や釣針と交換するんだ!」


 疾風はけろりと漁船に化けた。


「今日から俺たちは漁師だ!漁船に見せかけて、海峡の役人を騙して通過だ!鰹でも烏賊でも蛸でも、どんな魚でもがっぽり、釣りまくれ!」


 こうして疾風は、土佐から伊予へと海岸線にそって右旋回し、そのまま、北上を続けて突き出た細長い半島に顔を出した。


「この佐田岬の先端を通り抜ければ、あとは筑紫海峡に向けて、まっしぐらに進むだけだ!見ろ!岬の奥の海からは、海峡に向かう船がちらほら出て来るのが見えるだろう!瀬戸から来る船だ!」


 長久は甲板に足を投げ出し潮香のする心地よい風を頬に受けながらも、眉を深く寄せて思案を繰り返しては芋をかじり海藻の汁を飲み、それを終えると仲間や俊介たちを呼び寄せた。


「いよいよ海峡だ!肝心なのは、この先をどうやって通り抜けるか……ここで捕まったら元も子もないからな……あくまで那の津に魚を降ろすための漁船だと言い張るつもりだ。だが、万が一ばれた場合は、海の幅も狭く取り締まりも厳しいから逃げ道はない。かりに嵐でも来てくれれば雨風に紛れて、脇目も降らず駆け抜けるのだが……」


 俊介の目にも、目と鼻の先の両岸に武器をたずさえて海峡を睨みつけている兵士や追跡船が何艘も岸辺に停泊しているのが不気味に映る。


 みなが眉をよせて考えている中、傑がふいに立ち上がった。


「源平の壇ノ浦の戦いでもそうだったが、船首を相手の船に体当たりさせて敵の船を沈めるという戦術を取った。よりによって、この船は大きい船だから、もしも、海峡の兵士と戦うことになって、船と船がぶつかったたら、まぎれもなく、相手の船の方が沈むのは間違いない!それに海流、いや、潮の流れが速いから、潮の上流から下流に向かう勢いで突っ込めば威力は何倍にもなる!」


「げんぺい?だんのうら?何のことだ……だが、そのように船を操ることが上手くできるのか……」


 熊井は顔から煙を立ち昇らせるように問い返した。


 そこへ、ちょうど見張りをしていた多治馬の警告が轟いた。


「船がこっちに向かって来る!弓をもった兵士も乗ってる!」


 長久の額にぴんと緊張が走った。





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