第3話 百花の少女達 3
「サクラ、また同じ所で間違えてる」
「ぁぅ」
「公式は同じだよ。もう一度やってみて」
翌日朝にアヤメと教室で会った時には少しぎくしゃくした感じだったけど、私から笑顔で話しかけるとすぐにいつも通りに話せるようになった。そして今日も今日とて放課後のアヤメ補習だ。あんまり頭の出来がよろしくないサクラのために、アヤメは毎日のように授業の復習をしてくれている。
一応一通りの教育を受けて社会人になっている私が中身とはいえ、数学なんてきれいさっぱり頭から抜け落ちている。いきなり優等生になって怪しまれる展開が起きることは無さそうだ。
久しぶりに脳の普段使わない部分を使っている感じがして疲れる。社会人になってからは学生に戻りたいなんて思うことがあったけど、学生は学生で大変だったのを忘れているだけだったか。
昨日一晩かけてゲームのストーリーを思い出してみた。本家のストーリーと二次創作がごっちゃになって分離できていない感は否定できないが、メインストーリーは基本的に一本線だ。
エクストラの出現とアクセプタントの少女たちが集合する第一章。6月スタートで明確な時間経過は描写されていないが、せいぜい1週間くらいの話のはずだ。
戦いながら経験を蓄積し、エクストラの謎に迫る第二章。時間経過としてたぶん1〜2ヶ月。夏服を着ている描写がある。最後は8月くらいだろうか。
戦いの中で葛藤が生まれ、新たな人間関係が形成されていく第三章。今まで学年毎に纏まりがちだった少女たちが、戦術的な繋がりから学年の垣根を越えて交流していく。中間服、冬服描写があるから秋から冬にかけての出来事のはず。今がここで、次のハーフアニバ新章に繋がるはずだ。
イベントストーリーや個別のストーリーを合わせるともう少し複雑になるが、大きくは変わらないだろう。引っ込み思案なサクラはアヤメにべったりだが、第三章からは後衛を担当する遠距離攻撃の先輩たちとの絡みも多くなる。新章のサクラの成長に繋がる布石となる時期だ。
数学の問題をうんうん唸りながら解いていると、アヤメがルーズリーフに解法のポイントと例題をまとめたものを渡してくれた。アヤメが優秀すぎる。社会人になり新人を教える立場になって気付く優等生キャラの有能っぷりよ。普通にお金取れるレベルだ。
「ありがとう」
「何、急に」
「すっごく分かりやすい。いつもありがと」
「別に、私も復習になるし」
プイッと横を向く姿もかわいい。真面目で頼れるけど、先輩達と関わる中で子供っぽくて独占欲の強い側面が描かれ始めるのも第三章くらいからだ。にこにこしながら横顔を見ていると、「早く問題を解きなさい」と叱られた。
アヤメの作ってくれた例題を解き終えると、私達は『部室』に向かった。アクセプタントが集合する時に使っている部屋で、別に部活ではないが部室棟にあるので便宜上部室と呼ばれている。今日は昨日の戦闘──サクラが意識を失ったやつ──の反省会をする予定である。
部室棟の暗い階段を上り、2階の奥に進む。本来部活名が書かれるドア横のプレートには『EIEB対策室』と書いてある。エクストラの名付け親?の3年生が考えた略称でイーブと読むらしいが、定着せずに今に至る。
ドアをノックすると「ど〜ぞ〜」という気の抜けた声が返ってきた。アヤメがドアを開け先に入る。後ろに続いて私も入ると、壁に据えられた黒板の前に2人の少女が立っていた。
「あ〜、サクラ大丈夫だった?もう元気になった?」
声をかけてきたのはオレンジに近い赤髪を後ろで括った、朱色の瞳が輝く少女だ。2年生で名前はカンナ。近接攻撃担当で武器は己の拳という元気っ娘だ。
「昨日はお疲れ様。適当に座ってね」
ふんわり微笑む翡翠の瞳が優しげな少女はマユミ。同じく2年生の弓使い。三つ編みにした深緑の髪を肩から流している。
ゲームではもう1人の2年生を加えた3人組がメイン扱いでストーリーが回る。最初にエクストラとの遭遇シーンが描写されるのも、アクセプタントになるのも、チュートリアル戦闘に出るのも2年生である。キービジュアルもカンナが中心だし、主人公という扱いなのだろう。
促されるままアヤメと並んで椅子に座る。この4人が昨日出撃したメンバーだ。
「では、振り返りを始めま〜す」
カンナが黒板にチョークで丸を4つ書く。これが私達の配置を表す。そして左側に大きな四角。こっちがエクストラの集団だ。
今までの経験から、エクストラはアカメデイア周辺の森から出現し、校内を目指して進むパターンが見えてきている。私達アクセプタントはエクストラ出現の気配を察知できるので、迎撃に向かうという形だ。
「昨日は〜、あたしが前に突っ込んで撹乱、アヤメが前線を支えてマユミが取りこぼしを掃討、という戦略でした〜」
丸2つから矢印が伸び、エクストラの四角の中に突入していく。もう1つの丸からは扇状の線が引かれ、弓の射程を表す。
サクラを示している丸からは何も出てこない。そういう扱いなのは分かっているが、ちょっと凹む。
「で、『ネズミ』相手の時は良かったんだけど〜、『ニワトリ』が集団で来た時に前線を突破された、と」
エクストラを表す四角からびゅーんと矢印がサクラの丸に伸びる。『ネズミ』や『ニワトリ』はエクストラの見た目や大きさ、動き方から付いた名称だ。まあネズミと言っても仔牛みたいなサイズだし体の半分は口だしで似ても似つかないのだが、相対的に小さくてチョロチョロ動くのでそう名付けられている。ニワトリは軽自動車くらいのサイズで飛ぶように突っ込んでくるタイプ。どちらもゲーム的には雑魚である。他にも『ウマ』だの『イヌ』だの、動物モチーフの名前が付けられている。
「後はまあわりとグダグダの乱戦だったね〜。撃退はしたけど〜」
カンナがぐちゃぐちゃっと線を引いてチョークを置いた。アヤメがきゅっと手を握りしめる。
「すみませんでした、カンナ先輩。私が前線を維持できなかったから…」
「アヤメのせいじゃないよ。突破された時の対応は私の役目だったし」
マユミが優しく声をかけるが、アヤメの表情は険しいままだ。
「どっちかっていうと、前に出すぎな誰かさんのせいじゃないかな?」
「いや〜、はは…」
マユミがじとっと睨むと、カンナはすいっと目を逸らせた。拳が武器のカンナは敵に接近しがちになる。敵陣に切り込んで蹴散らす姿は勇ましいが、周囲が見えなくなりがちで連携という点では問題が出るのだ。
アヤメは薙刀なのである程度の範囲の敵には対応できるが、カンナとの間隔が開いたところを突破された。マユミは後方から弓で援護するが、連射がきかないので数には対応できない。そしてサクラは為す術もなくやられた、と。
「…えーと、いいですかカンナ先輩」
「お〜、どうぞどうぞ」
私が小さく手を挙げると、カンナが渡りに船と乗ってきた。
「あの、誰が駄目だったとかじゃなくて次はどうするか、ですよね?誰が駄目だって言ったら私が一番役に立ってないし」
「サクラは駄目なんかじゃ…」
「だから、私の動き方を変えればいいんじゃないかと思うんです」
アヤメがすぐさまフォローしようとするのを遮り話を続ける。ゲームのサクラは強く出られなくてすぐ黙ってしまっていたけど、私ならもう一押しできる。
「動きを変える?」
マユミが首を傾げる。後方で全体を見ながら矢を放つマユミは、状況分析能力に優れている。基本的におっとりしているけど、冷静な判断ができる人だ。
「はい。具体的には──」
立ち上がり、黒板に向かう。チョークでサクラを示す丸から左方向に矢印を引き、先端にもう一個丸を書く。
「ここまで私が前に出ます」
「へぇ〜」
「何言ってるの!?」
面白そうに見ているカンナと、はっきり反対の表情のアヤメ。マユミは何も言わずに図を見ている。
「私の攻撃力があてにならないのはよく分かってるよ、大丈夫」
「そういうことを言いたい訳じゃ…」
「だから、ここなの」
前線の一歩後ろ。
アヤメに微笑みかける。サクラを大切に思ってくれて、守りたいと思ってくれているアヤメ。できる限り安全な後方に居てほしいという気持ちはよく分かるが、一番安全なのはここなのだ。
「ここなら、アヤメが守ってくれるでしょ?」
「…」
「ほぉ〜」
何か言おうとして言葉にならないアヤメを、カンナがニヤニヤしながら眺めている。アヤメの斜め後ろ。この位置なら、サクラがエクストラを少しでも足止めできれば、次の瞬間にはアヤメが倒してくれる。
実際のところ、ゲームでもある程度攻撃範囲の広いキャラの斜め後ろがベストだった。サクラのところまでエクストラが迫るのは前衛が突破された時なので、後衛の位置にいようがどうしようもない。むしろサクラを助けるために前衛を後ろに下げなければいけないので、余計に前線が崩壊する。サクラにはほとんど攻撃力がないとはいえ一応打撃は通るので、足止め程度のつもりで前に出しておけば前衛キャラは移動せずにエクストラを狩ることができるのだ。
…伊達に2年間サクラを使い続けてきたわけではない。サクラの活用法ならおそらくトップランカーだ。そんな奇特な人間があの過疎ゲーにどれだけ居たのかは知らないが。
「よろしくね、アヤメ」
「…はっ、…」
「まあ、悪くはなさそうね」
マユミが翡翠の瞳を細めて黒板を見ている。アヤメは色々思うところがあるのか、首から耳まで真っ赤だ。
「あ、ごめん。嫌なら…」
「嫌じゃない!」
アヤメの考えもあるだろうと口を開くと、食い気味でアヤメが叫んだ。
「嫌じゃ、ない。やる。私が、守る」
アヤメの紫の瞳に、ぐっと光が宿る。
昨日も「私が守る」と言われたけれど。昨日と今日じゃ意味が全然違う。
ただ守らなきゃいけない弱い存在ではなくて、お互いに信頼しているからこそ守るのだ。
「ありがとう。よろしくね、アヤメ」
「うん。よろしく、サクラ」
長い黒髪がさらりと揺れ、少し上気した頬が優しくほころぶ。こうして笑うと、アヤメは本当に正統派美少女だ。思わずどきっとしてしまう。
横でニヤついていたカンナの頭をマユミが半目で引っ叩くのが見えた。「次の戦闘で『ウマ』に蹴られるよ」とはどういう意味だろう。
結局私の提案は3年生にも相談してみるということで、いったん保留となった。でも頭脳担当のマユミが悪くないと言っているのだから、たぶん通るだろう。
「変わったね、サクラ」
マユミが呟くように言う。え?と聞き返すと、翡翠の瞳が真っ直ぐにこちらを覗き込んできた。
「前はこんなこと考えるような感じじゃなかったと思うんだけどな。ううん、考えていたのかも知れないけど、言えずにいたと思う。なんだろうね、別人みたい」
──実際別人です。鋭いなこの人。思わず頬が引きつりそうになる。ゲームでも唯一アクセプタントになる前からエクストラの存在を感じてた描写があったり、巫女っぽい素質を暗示されてるキャラだった。
「私も変わりたいんですよ、マユミ先輩」
「ふぅん…」
にっこり笑顔を作って言うと、マユミはふっと目の力を抜いた。
「そう。悩んでいることがあったら私にも相談してね」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、アヤメと一緒に部室を出る。アヤメとは今回の提案が通る前提で、連携の訓練をすることになっている。これから食堂に行って、夕ご飯を食べながら作戦会議だ。
「…どう思う?」
「ん〜、お似合いじゃない?」
「そういうことじゃなくて」
部室に残った2人。マユミが丁寧に黒板消しをかけていく。カンナは足を投げ出して椅子に座り、まだ明るい窓の外を見ていた。
「サクラは…」
「サクラはサクラだよ」
疑問を含んだマユミの声を、きっぱりとカンナが遮る。黒板消しの手を止めて、マユミがカンナを見た。
「間違いなく、あれはサクラだよ。他の誰でもない。それでいいでしょ」
「そう、だね。カンナがそう言うなら、そうなんだろうね」
昨日の戦闘で、サクラが意識を失った時。
マユミはサクラの中に何かが『入った』のを感じた。
エクストラのように、この世界の理から外れたもの。
でも、エクストラとはまた異なるもの。
エクストラが出現する前に感じていたような、ざわつく嫌な感じではないけれど。長くは続かなかったその感覚は、マユミを少なからず不安にさせていた。共に戦闘に参加していたカンナにだけは伝えていた違和感。
カンナが見つめる先には空しかない。マユミも同じ空を見上げる。
秋の近付く空は、ただただ晴れ渡っていた。
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