第2話 百花の少女達 2
アヤメはドアのところで立ち止まった。何を言ったらいいのか分からない様子で、手に持った紙袋をもてあそんでいる。
「もしかして、夕ご飯を持ってきてくれた?」
なるべく無邪気に明るく声を掛けると、アヤメは少しほっとした様子で中に入ってきた。
「うん。お昼も見かけなかったから心配になって」
「ありがと。ちょうどお腹が空いてたんだ」
アヤメはベッドの私に紙袋を渡すと、椅子に腰掛けた。紙袋の中にはラッピングされたサンドイッチと水筒が入っている。ごそごそと水筒を取り出し、蓋を開けるとふんわり紅茶の香りがした。少し温いそれを一口含む。喉を流れ落ちる感覚と一緒に、私の中の混乱も流れていくようだ。ふうっと息を吐き出す。
アヤメは落ち着かない様子で手を組んだり開いたりしている。一度口を開いて、閉じる。伏せられた睫毛が震えている。
「…ごめん」
アヤメが深く頭を下げる。夕暮れの室内では表情は見えないが、声色から深刻さが伝わってきて思わず背筋が伸びた。
「サクラの怪我は私のせいだ。私がエクストラを取りこぼしたから──」
「違うよ!アヤメのせいじゃない」
思わず遮るように声を上げてしまってから、なんとなく引っかかる。この会話、知ってる?
「私が下がっているように言ったのに、守りきれなかった。私のせいだよ」
「それは──私だってアクセプタントとして…」
「サクラは戦闘向きじゃない。分かってるでしょ」
顔を上げたアヤメと目が合う。睨みつけるような、強い意思を秘めた目。
ああこれ、ストーリーであった流れだな。
リリース時に提供されたメインストーリーの、中盤くらいだったか。エクストラとの戦闘が激化していく中で、こんな会話があった。
バラバラの場所、バラバラの状況でアクセプタントになった7人の少女。アヤメとサクラは1年生で、教室にいる時にエクストラが現れた。弾き飛ばされ傷ついた2人に同時に聞こえた『受け入れよ』の声に、サクラはすぐに応じ、アヤメは躊躇する。出現した杖を振り回してもエクストラを倒しきれないと悟ったサクラは、回復魔法をアヤメにかけると倒れてしまう。ここにきてアヤメも声を受け入れ、現れた薙刀でエクストラを一掃するのだ。
真面目な委員長タイプのアヤメは躊躇った自分を責め、これからはサクラを守ると誓う。アヤメの過保護な接し方に仲間として認められていないと落ち込むサクラ。2人のすれ違う関係性が1年生組ストーリーのフレーバーだ。
改めてアヤメを見る。ぎゅっと力の入った目にある感情は、守りきれなかった自分に対する苛立ちだ。ゲームのサクラはただ役立たずだから下がっているように言われたと思い込み、こうして言い合いになると口を閉ざし、静かに俯いてしまう。それを見たアヤメは、傷つけたくないのに強い言い方になってしまった自分をまた責め、部屋から出ていくのだ。
私はゲームを通してアヤメの決意も、サクラを大切に思っていることも知っている。ストーリーのままにいくなら「でも…」と続くところだけど。
「ありがとう」
「え?」
「いつも守ってくれて。大事に思ってくれて、ありがとう」
素直に感謝を伝えると、アヤメはえ、とかうん、とか、返事にならないようなことをモゴモゴ口にして目をキョロキョロさせ始めた。キリッとした印象のアヤメがこういう表情をするのも珍しい。
「私もね、アヤメのことが大事。だからね?私にも守らせてほしい。私にできることをしたい。ただ守られるだけじゃなくて」
サクラだって何の覚悟もなくアクセプタントになった訳じゃない。敵を倒したいじゃなくて友達を助けたいと思ったからこそ、この能力を手に入れたんだと思う。
「…ほしくない」
「え?」
「サクラに傷付いてほしくない。ぐったりしてるサクラを見るのは…嫌だ。絶対に嫌」
夕日に照らされてアヤメの耳が真っ赤だ。いつも大人びた印象の彼女がこういう駄々っ子みたいな言い方をするのは珍しい。
「私だって嫌だよ。やられたら痛いし、授業も休んで遅れちゃうし」
「だから私が守る。サクラを傷つけさせない。あんな奴ら、全部薙ぎ払ってやる」
アヤメは頑なにサクラを守ると繰り返す。ゲームで2人の関係を2年も見ていた私としては、その気持ちはよく分かる。アヤメがサクラのことをただ守るべき存在としてではなく、共に闘う仲間として認めるのは…リリース半年後のハーフアニバイベントだったか。固くて状態異常を撒き散らすボスを倒すのにサクラの回復魔法が役に立つ、という流れだった。2年目からは運営は変わるしキャラを卒業させられないから○○○さん時空になるしでちょっと時系列が怪しくなるが、1年目はそれなりに現実とゲーム内の時間経過が一致していた。
ゲームリリースが6月で、今が…たぶん9月か10月?ハーフアニバはまだ先か。アヤメの自責の念は取り除いてあげたいけど、どうしたらいいいだろう。
「サクラ?」
少し考え込んでいたら、アヤメはまたサクラが落ち込んで黙ってしまったと思ったようだ。気遣わしげにこちらを見ている。アヤメってこんなに感情を露わにする子だったんだな。精神年齢ダブルスコアの私からすると、可愛らしくて庇護欲をくすぐられる。
「…何笑ってるの」
表情に出てしまっていたようだ。ちょっとむっとした顔も可愛い。私の推しはサクラだけど、そのサクラを気遣い大切に思うアヤメのことも好きだった。
「ううん、アヤメは私のことが大好きなんだな、って」
「は」
「ありがとう。うれしい」
鳩が豆鉄砲を食らったような、ってこんな顔だろうか。何か言いたくても言葉にならないようで、顔を真っ赤にしてぱくぱく口を動かしている。
「私も…」
「ば…ばば馬鹿なこと言ってないで早くそれ食べてしっかり休みなさい明日も学校がその授業があるし今日はごめんまた明日!」
ガタタッと椅子を鳴らしてアヤメが立ち上がった。そのまま早足でドアに向かって歩き出す。
「また明日ね。サンドイッチありがとう」
アヤメは小さく頷くとドアを開けて出ていった。部屋が一気に静かになる。夕暮れに染まる部屋で、私はサンドイッチの包みを開いた。トマトとチーズ、それとタマゴ。サクラが好きな組み合わせだ。ちゃんと好みのものを選んできてくれるアヤメのことを思うと、また頬が緩む。
ベッドの上で夕食を摂りながら、これからのことを考えてみる。
とりあえずどういう事情か分からないが、ここは『百花乱舞』の世界で、私はサクラ。季節は夏の終わり、9月か10月くらい。エクストラが現れてから3ヶ月は経っていて、7人が集合し戦闘もそこそこ経験した頃だ。ハーフアニバの新章ストーリーが追加される前だから、サクラは皆から妹キャラ──悪く言えば戦力外──扱いされている。
サクラ推しの私としては、サクラの魅力をもっと発信していきたいところだ。サクラはただ可愛いだけじゃない。7人の背景もこれから先のストーリーも知っているんだし、きっとうまくやれる。
もぐもぐサンドイッチを齧る私は、まだ気付いていなかった。
私が既に、アヤメとのストーリーに介入し展開を変えてしまっていること。そして、私が行動すれば行動するほど、これから先のストーリーも変化していき、私の知るゲームとは違うものになっていくことを。
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