第15話 別れ
「とうとう、この日が来ちゃったわね……」
「そうだな。いま思うと、不思議な十年を体験したものだ」
父さんと母さんが、朝食後のコーヒーを飲みながら感慨深げに語りあっている。
ナズナがこの家に来た時は真っ黒だった二人の髪も、少しだけ白髪が混ざり、顔にはしわが刻まれ始めている。
今日はナズナと妹が元通りになるだけでなく、成人となる日だ。
「不思議なものじゃのう。成人となる日は特別な日だと思っておったのじゃが……。微塵もそのような感覚が芽生えてこんぞ」
「この十年の日々の方が、お前にとっては貴重な体験だったってことだろ。まあ、俺も人のことは言えないがな」
俺もナズナと一緒で、二十歳の誕生日に特別な想いを感じることはなかった。
妹と入れ替わった王女様が、十年間共に同じ家で暮らすという、ほぼ確実に体験できない日々を過ごしてきたからなのだろう。
「わらわも大学に行ってみたかったのう。サークルとやらに参加して、様々な活動をする場なのじゃろう?」
「ばーか。勉学が優先に決まってんだろ。高い金を出してもらったんだからな」
とは言ったものの、ナズナの件が無ければ俺もサークル活動にのめり込んでいた可能性はある。
大学生活の四年間、研究に精を尽くせたのはコイツのおかげだ。
「お前は向こうの世界に帰ったらどうするつもりなんだ?」
「そうじゃのう……。まず確実に他国の王子と結婚をすることになるであろうな。その後は跡継ぎをつくることになるじゃろう。後は……なんじゃろうな? 市井の人々として暮らしたようなものじゃから、よくわからんわい」
国を預かる立場の者がそういう態度で良いのかとも思うが、魂の入れ替えを行うタイミングで妹と様々なことを共有し、王族としての自覚がつくのかもしれない。
一瞬でお互いの知識を共有できるのは羨ましくも思うが、お互いがこれまでに得た異世界の知識のほとんどを、有効活用できないと考えると寂しくも思える。
「お主は大学卒業後も研究室に入り、いま行っている研究を続けるんじゃったな? どうじゃ、研究は実を結びそうか?」
「さーてな。いままで誰も達成してないし、観測すらできていない謎の領域だ。途中で資金が足りなくなり、頓挫する可能性の方がでかいだろうな」
誰だって、実を結ぶか分からない研究に資金を出せるほど余裕があるわけではない。
笑い話に伏され、研究すらやらせてもらえない可能性もある。
「はっはっは。まあ、頑張るのじゃぞ。さて、そろそろ時間のようじゃな。少しばかり意識が遠のいてきた……」
「……ああ、わかった。部屋に戻るか?」
俺の質問に、ナズナはゆっくりと首を横に振る。
そのままペタリと床に腰を下ろし、順番に俺たち家族の顔を見つめていった。
「そなたら家族の下に来ることができて本当に良かった……。同時に、そなたらの妹を人質のようにしてしまい、すまなかった。わらわも、このような家族を作れると良いのう……」
彼女の言葉を聞いた父さんと母さんが、涙を流し崩れていく。
俺は涙を流さない、流したくない。
だから代わりに言葉を伝える。ナズナが笑顔でこの世界を去れるように。
「ナズナ。わがままで、俺をあごで使おうとするお前のことなんて嫌いだ。居なくなればいいと思ったことは幾度としてある。だけどな……」
大きく深呼吸をし、強く歯をかみしめてから続きの言葉を紡ぐ。
「それでも、お前との日々は楽しかった。お前は大嫌いな奴であると同時に、大切なもう一人の妹だ。絶対に、忘れるんじゃないぞ……!」
俺の言葉に、ナズナは驚いたような表情を浮かべていた。
その表情も次第に変わり、柔らかい笑顔を浮かべ、瞳のふちからは涙がこぼれだす。
「ありがとう……ダイチ……! そなたにそう言ってもらえて、わらわは嬉しいぞ……! いままで、たくさんのことを教えてくれて、本当に、ありがとうの……!」
少しずつ、少しずつナズナのまぶたが落ちていく。
「元気でな……。わらわの……大切な……お兄ちゃん……!」
ナズナの体が、床へゆっくりと倒れこんでいく。
素早くその体を抱き止め、膝の上に彼女の頭を乗せる。
寝顔にも思えるほどに、穏やかな表情だ。
そのまましばらく待っていると、彼女の左手がピクリと動き出す。
動きは少しずつ四肢に伝わっていき、ゆっくりとまぶたが開いていく。
「よう、起きたか?」
「うん、起きたよ……。久しぶり、お兄ちゃん。パパも、ママも……。フフッ。みんな酷い顔してる。向こうのみんなと同じだね……」
彼女はゆっくりと起き上がると体を大きく伸ばしだし、自身の肉体の感触を馴染ませ始めた。
その行動が終わるのを見届け、俺は優しく声をかける。
「お帰り、菜瑞奈。よく頑張ってきたな」
「ただいま。ヘヘッ。いっぱい、思い出話させてもらうからね!」
帰ってきた菜瑞奈と、去っていったナズナ。
今日この日、俺は一人の妹と再会し、一人の妹と別れを告げた。
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