第5話 悪夢

「ここはどこ……?」

 気が付くと、そこは上下左右どの方向も真っ暗闇の世界だった。


 なぜ俺はこんなところに? 何をしていたんだっけ?


「あ、お兄ちゃんだ! おーい!」

 背後からやかましい声が聞こえてくる。


 毎日聞いているはずなのに、なぜか懐かしく感じる俺の妹の声。


 振り返ると、そこにはランドセルを背負った妹の姿があった。

 いつの間にか周囲の暗闇も晴れている。ここは家の玄関前のようだ。


「うるさいぞ。近所迷惑だろ」

「えー。いーじゃん。学校では会ってくれないんだしさー」

 休み時間になると、コイツはなぜか俺のところにやってくる。


 友達がいないわけではなく、むしろ休日に共に遊ぶほどの人物が居るようなのだが。


「じゃあ今度、お兄ちゃんが私のクラスに来てよ。な~んて、そんなことお兄ちゃんにできるわけがないよね~」

 俺の心情を見透かしたかのように、妹は意地の悪い笑みを浮かべる。


 コイツの言う通り、二人でいる所を誰かに見られたくないため、学校ではわざと遠ざかっているのだ。


「さて、いつまでも話してないで、修学旅行の準備を始めよっと。着替えにカメラに、カードゲーム。忘れ物が無いようにしないと!」

 会話を止め、家の玄関に手をかける。


 すると、背後からどこか寂しげな声が聞こえてきた。


「ねえ、私もお兄ちゃんの修学旅行に連れて行ってよ」

「何言ってんのさ。お前もあと二年経てば修学旅行に行けるだろ? お前だけ旅行の回数が増えるのはずるいぞ」

 いつもの我儘と判断し、ため息を吐きながら振り返る。


 すると――


「行けないよ。もう、修学旅行なんて」

 そこには、見たこともないほどに落ち込む妹の姿があった。


 あり得ない姿に驚き、慌てて駆け寄るも全く顔をあげてくれない。


「――チ、おき――」

「ど、どうしたのさ。行きたくないの?」

「行きたいに決まってるでしょ? でも、行けないの。だって、だって……」

 妹はゆっくりと顔をあげてくれる。


「だって、私、もう死んでいるんだもの」

 朽ち果てた虚ろな瞳が、俺のことを見つめていた。



「起きよ! ダイチ!」

「へ!? あ!?」

 ナズナの声に驚いて跳ね起きると、そこは川だった。


 服が湿っており、髪もぼさぼさになっている。

 何かにぶつけたのか、体の各部が痛みを発している。


 どうして、こんなことになっているのだろうか。


「やっと起きたか。その様子では大事はないようじゃな?」

「ナズ……ナ……? 俺は……?」

 茫然とした俺の様子に、ナズナは小さくため息を吐きながら説明を始める。


「お主は石に足をとられ、川に落ちたのじゃ。もう少しでさらに下流へと流されるところじゃった。お主を助けたわらわに感謝するが良い」

 得意げに話す彼女の姿を見て、俺は何をしようとしていたのかを思い出した。


 同時に、目論見が失敗したことへの怒りが浮かび上がってくる。


「なんで、なんで助けたんだよ……! 俺は、お前のことを嫌っているのに……! お前を川に落とそうとしたのに……!」

 その怒りを、俺はナズナにぶつけてしまう。


 誰にもぶつけてはいけない怒り、飲み込むべき怒りをぶつけてしまったのだ。


「そうか、お主はわらわのことを嫌ってくれるのか……」

「ああ、そうだよ。お前なんて、俺の妹なんかじゃない!」

 俺の言葉を聞いた彼女はくるりと背を向け、川に近寄りながらこう言った。


「嬉しいぞ。そうやって、言葉にしてくれたことが」

「はあ? どういう意味だよ」

 嫌うという言葉が嬉しいとはどういうことだろうか。


 嫌悪感を抱くのならばわかるが、なぜナズナは喜んだ?


「お主の両親は良い人たちじゃの。わらわのことを、何も言わずに受け入れてくれたのじゃから。しかし、わらわは本来異物じゃ。気味が悪いとでも言ってくれた方がこちらとしては受け入れやすいのじゃ」

「そんなの二人が言うはずないだろ! じゃないとアイツは――」

 ナズナが無事に成長しなければ、妹は帰ってこれない。そう言われたことを思い出した俺は、自身の過ちに気付く。


 呼吸が乱れ、視界が定まらない。

 俺は、ナズナだけでなく、妹の命まで危険に――!


「落ち着け、ダイチ。元はといえばわらわたちが悪いのじゃ。そなたたちを数奇な運命に巻き込み、挙句の果てにそなたの妹を人質にしているようなものじゃからな。お主が気に病むことはないのじゃ」

「そんな……。でも、俺……せいで――!」

 さっきみた夢は、俺を恨む妹の怨念だったのだろう。


 アイツが帰ってこれないようにしかけてしまった、俺への恨みの言葉。


「両親の元へ戻るとしよう。お主も、休まなければならぬからな」

「……」

 上流へと先導を始めたナズナを、無言で追いかけることしか俺にはできなかった。

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