ロープブレイクがあるということ
しばしば悪い意味で「プロレス」という言葉が使われて、好きな人はなんか嫌な感じになりますよね。プロレスを見ない人にとっては、不思議なスポーツであることは確かです。
私がプロレスを見始めたのは大人になってから。様々な団体を一気に見始めたわけですが、決定打となったのは北斗晶対里村明衣子の試合でした。両者ノックダウンから、若手の里村が何とか立ち上がって勝利します。壮絶な試合でした。
見始めた頃には、私にも疑問がありました。相手を倒してからコーナーに上がる選手がいるのですが、相手が起き上がるまでしばらく待っています。そして起き上がると、ふらふらとコーナーに寄って行き、対峙するのです。そこへ飛びながらキック。どう考えても協力しています。
納得いかなかったのですが、見ているうちにわかってきます。プロレスとは技を受けてなお立ち上がる様を見せる競技なのだと。
その最たるものが「ロープブレイク」というルールです。多くのプロレスでは、攻撃されている側がロープに触れると攻撃側は技を解かなくてはなりません。不思議なルールですが、これも慣れてくるとわかります。ロープに体が届くかどうか、それが見どころの一つになっているのです。もしロープブレイクがなければ、多くの技は決定打となります。ですから、勝利のためには技にかからないようにしないといけません。ロープブレイクがあることにより、技にかかってからの攻防がある、と言えるでしょう。
このことがわかってから、プロレスを存分に楽しめるようになりました。プロレスは攻防があるうえで勝敗があるのです。そして攻防を見せるためには、絶え間ないトレーニングが必要なのです。観客は、最短の勝利、圧倒的な勝利を見に行っているのではありません。レスラーがどれほど強靭なのか、試合を組み立てるセンスがあるのか、技を美しく見せるのか、生き様をどのように描くのか。万が一何かが決まっているとしても、それを魅せられるだけのものを備えているのは常人ではないのです。
デビューしたての若手が先輩に技をかけられて、必死の形相でロープに手を伸ばす。その姿が好きです。そしてロープに手が届かない人間はおそらく、デビューできません。その若手は負けるでしょう。そちらの方を「プロレス的」と言う人は、プロレスを見た人の中にどれほどいるのでしょうか。印象に残るのは若手の頑張った姿、先輩のうまさ、会場の雰囲気などではないでしょうか。
というわけで、プロレスファンとそれ以外の人との間で「プロレス」に対するイメージは大きく異なり、そのためにしばしばファンやレスラーにとっては腹の立つ「プロレスという言葉」の使い方がされるのでしょう。これはいつまでも続くと思うのですが、嫌な思いがいるというのも広く知られて欲しいところですよね。
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