リモート番組が懐かしい
テレビ録画用のレコーダーが壊れた。録画はできるのだが、ノイズが入る。
というわけで、録画をしない生活が1週間ほど続いている。ないならばないで特に問題がなかった。「どうしても見たい番組」は少ないし、どうしても見たいならばその時間に生で見ればいい。
予備校生の時、一年間テレビのない暮らしをした。最初は違和感があったが、慣れてしまえばどうってことはなかった。
そういう経験があるからか、「新しいの買わなくちゃ!」という気分にはならないのである。
テレビが「ものすごくおもしろい」と感じた時期がある。新型コロナが流行し始めたころ、テレビはいかに密にならないかの工夫を凝らして番組を作っていた。明らかに苦戦していたが、「製作者たちが新しいものを作ろうとする」という、画期的な時期だったのではないか。
それまでのような番組がなくなったのに、何が面白いのか。それを考えていると、あることに気が付いた。リモート番組に演者が集まるとき、皆の窓が並んでいるのだ。普通の番組では、時間ごとに映し方が変わる。当然メインとなるタレントが多く映るし、ワイプによって一人が抜かれることも多い。それに対してリモート番組は、全員が映るかメインの人が映るかの違いぐらいしかなく、「演者の切り抜き」がしにくい。
普通の番組ではいかに多くの個所が切り捨てられていたのか、ということが感じられた。そして切り捨てにくくなったことで、それまでにない形の番組が見られ、より多くのタレントが「並行的に」見られるようになったのである。もちろん出ている側はそれだけに緊張感が求められ、つらかっただろう。また、「一人で真正面から移る」以外の映り方が難しく、様々な演出が封じられていた。作り手側は「こんなのいつまでも続けられるか」と思っていたことだろう。
しかしだからこそ、マンネリ化しがちなテレビが「作ろうとする」努力が見て取れた。スタジオの端や後ろで「なんとなく」映っていた演者が、常に何者かでなくてはならなくなった。ただでさえ仕事が少なくなった時期に、「常に何者かでなくてはならない」のは大変だったろう。しかしそれが、演者の本気につながってもいたのではないか。
そしてほぼ昔と同じテレビに戻ったこの時期に、私は録画を見ないことになった。新しいものがないならば、録画してまで見たい番組はないということを実感しているのである。
感染症の流行で多くの変化があったが、最近は元の形に戻ってきたものも多い。いくつかのジャンルでは、未来から振り返ったとき、「新しい形にするチャンスを逃した」ととらえられるかもしれない。テレビが今後どう変わっていくのかはわからないが、「すっかり元の形に戻った」は、それだけではなんかつまらない気がするのだ。
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