第9話 ガイア マッスゥ
俺はガイア。
憧れの魔術師になるために学園島という施設でお世話になることになったわけだが、現在、俺よりも早くに修行を始めていた大隊長に付き合って、英雄教会に来ていた。
英雄の名前は『白銀大樹ゴンザレオ』
ムッキムキの英雄にして、俺にとって全然興味がない存在だ。
大隊長曰く、本日は週に一度ある特別なイベントの日らしい。
英雄教会はどこも日に一度は説法を説き、年間を通して何回かイベントをする。週一というのは多く思うが、そこまでおかしいことでもない。
イベント事は変わらない日常に刺激を与えてくれる。こんな場所なのですでに刺激は十分ではあるが、そういうことならと俺も前向きにイベントに参加することにした。
大隊長に連れられて、俺とリーアは英雄教会の敷地内にある道場のような建物へと入った。
この都市の建物は全部見た目も中身もとても綺麗だが、この道場も白い石で作られたとても綺麗なものだった。
入り口からすぐは大勢の人が運動できそうな広いスペースになっており、その一番奥は1mくらい高くなっていて、いまは赤い幕で隠されていた。大隊長いわく、体育館や講堂というタイプの施設なのだとか。
「おや、ディトリスさん。新しい人ですか?」
受付と思しき男が話しかけてきた。例にもれずムッキムキだ。
もはやムッキムキなのが普通であり、そうでない者の方が目立つ。つまり俺たちである。
ちなみに、ディトリスは大隊長の名前らしい。初めて知った。
「ええ、こいつらは見学者です。昨日来たばかりなので、ちょっと案内してやろうと思いましてな。よろしいですかな?」
「もちろんですとも。それでしたらどうぞ前の方で見てください」
「そんな勿体ない。隅っこの方で大丈夫ですよ」
「いえいえ。最前列はやはり迫力が違いますからね。遠慮なさらずにどうぞ」
などと言われて、最前列で見ることになった。
入るわけでもない英雄教会のイベントを特等席で見るのは忍びないのだが、まだあまり人がいないということもあって、俺たちは最前列で見ることになった。
凄いんだ、これが。
周りのみんなムッキムキ。自分の筋肉を誇示するかのように、上半身は半袖のピッチリした服を着ている。半袖から出ている腕や首はまるで小麦色の鋼だ。勝てる気がしねえ。
俺たちの後にもガヤガヤと人が入ってきて、室内の筋肉密度がどんどん上がっていく。
「ねえガイア。なにか変な音が聞こえない?」
「変な音? いや別に……」
俺の恋人でありパーティメンバーのリーアが、俺の服をチョイチョイと摘んでそう尋ねてきた。
チ……ム……チ……。
よく耳を澄ますと、たしかに聞こえる。
「いや、たしかになにか音がするな」
すると、大隊長がニヤリと笑った。
「お前らも聞こえるか。さすがに大魔境の冒険者だ」
大魔境の冒険者は耳がいいからな。
「はい、これ何の音ですか?」
「肉鳴りという現象だ。筋肉の音が集まって共鳴しているのさ」
「へ、へえ!」
意味が分からねえことを言い始めたぞ、このオッサン!
驚いてみせた俺の社交性を褒めてやりたい。
しかし、その音は人が増えていくにつれてどんどん大きくなっていく。
ムチムチ、ムチムチ、とまるで動物の腱を束にして思い切り捻じったような奇妙な音がはっきりと聞こえ始めた。
「天井を見てみろ」
言われて高い天井を見てみると、そこには薄っすらと霧のようなものが出ていた。
「マッスゥクラウドだ」
「なんて!?」
「マッスゥクラウド。筋肉が作り出す雲さ」
「え、えぇええ?」
「えーっ! まさかお空の雲は世界中の筋肉が作り出していたんですか?」
リーアが天然なことを言い始めた。
「はっはっはっ、俺も最初はそう疑ったものだ。しかし、さすがにそんなことはない。あれは上昇気流で空気が空に上がって冷やされるから発生するんだ。このマッスゥクラウドも原理は似ているが、人の筋肉から発せられた熱と魔力が作り出した特殊な雲だな」
ボアの半生の肉を食って腹を下すような大隊長がなんか賢いこと言い始めた。この都市はアホも賢くなるのか?
建物内に発生した空気は、ほどなくして空気穴に吸い込まれて消えていった。あれも普通の空気穴じゃないのかもしれないな。
そんな会話をしていると、部屋の明かりが徐々に暗くなり始めた。それに伴って、ガヤガヤとした建物内も徐々に静かになっていく。
そういえば、今日のイベントってなんなんだろう。
肝心なことを聞くのを忘れていると、どこからともなく聞こえてきた声がその疑問に答えてくれた。
『みなさま、本日はようこそお集まりいただきました。これから語られるのは後に白銀大樹と呼ばれる男の物語。この物語を通じ、彼の教義を知り、己の肉体を育んでいただきたい』
なるほど、他の教会で言うところの大説法みたいなもんか。
大説法とは、その教会で崇めている英雄の物語を読み聞かせたり、演劇をしたりするイベントだ。
「劇をやるんですか?」
俺がコソッと大隊長に尋ねる。
「言ってなかった、それはすまんことをしたな。今日はダイダスという師範が主役で劇みたいなことをやる。この方がまた凄い。よく見ておくといい」
へえ、これはなんだかんだラッキーだったかもな。劇を無料で見られるんだし。
俺はワクワクしながら壇上へ視線を戻した。
隣にいるリーアの顔がなんとか見えるくらいの暗さになると、檀上の赤い幕がゆっくりと開いていった。
そこには何者かがいるようだった。
『始まりはぁ、つぃさな筋肉だったぁ……』
……つぃさな?
つぃさな……小さな?
渋い声で巻き舌調の独特な語りと共に、何者かに光がパッと当たる。
その光がどういう技術によるものかさっぱりわからないが、とりあえず言いたい。
でけぇでけぇ!
全然小さくねえよ!
いや、そもそも『つぃさな』は『小さな』じゃない可能性もある。だって、小さくねえもん!
檀上で片膝をついている男だが、その体勢でも男が巨漢であることがわかる。教会内にゴンザレオの石像があったが、あれに引けを取らないくらいにムッキムキだ。
「っ!」
男が立ち上がると、俺は変な声が出そうになった。
男はブーメランみたいな形のパンツ一丁なのだが、それが気にならないくらいに筋肉がすげぇ。
酒場で絡まれたら死を覚悟するレベルの筋肉に、リーアもひぅっと小さく息を呑む。
しかし、俺もリーアもそれ以上のリアクションは起こさない。身内でもない英雄教会で騒ごうものなら、門下生にぶっ飛ばされても文句は言えないからな。
『つぃさな筋肉は、だれにも負けなかったぁ』
それはそう。むしろ連続不戦敗でもおかしくない。少なくとも俺なら逃げる。投擲系の武器を持って100m離れた位置から戦っても勝てるビジョンが浮かばねえ。
数人の男が壇上に現れると、つぃさな筋肉は立ち上がってグッと筋肉を膨張させてポージング。それだけで男たちは吹っ飛ばされた。
劇の演出ではあろうけど、本当に筋肉の波動だけで吹っ飛ばされてもおかしくないと思わせる肉体である。
やはり、つぃさな筋肉は、小さな筋肉という意味ではないのだろう。なにか俺の知らない特別な筋肉のことなのだ。だって、そうじゃなかったらおかしいもん。
俺は大隊長をチラッと見た。
壇上の明かりで照らされた大隊長の顔は真剣そのもの。その奥の人たちも同様に。
ふいにリーアが俺の手を握ってきた。
怖いよな、俺も怖い。俺はリーアの手をギュッと握り返した。柔らかい手の感触がこの筋肉の祭典の中で唯一の癒しに思えた。
物語は続く。
この劇は、巻き舌気味な語り手とマッスルなポージングをする演者によって物語が進んでいくようだった。
筋肉をめちゃくちゃ推す構成だが、話の内容自体は非常にまともだった。
生まれた村から旅立ったつぃさな筋肉の男は、多くの出会いと別れを繰り返し、喜びと悲しみを体験して成長していく。
その過程を追う物語の中で、ひとつの山場が訪れた。
パーティがつぃさな筋肉の男を残して全滅したのだ。
倒れる演者の前で、つぃさな筋肉の男の筋肉が震える。
それに伴い、最前列に雨が降り注いだ。
「マッスゥクライ……っ!」
大隊長が涙声でよくわからないことを呟く。
それは多くの信者たちも同じで、小さな呟きなのに合唱となってはっきり聞こえた。
しかし、最前列で見ている俺はそれどころじゃない。
ビーチャビチャビチャ!
マッスゥクライ——つまり汗だ。
男の汗なんて浴びたかない俺である。さらに、リーアにも他の男の汗なんざ浴びせたくない。しかし、こんな筋肉の巣窟で騒ぎ立てるのは自殺行為である。
俺はゴシッと乱暴に顔を拭い、リーアを見た。
「マッスゥクライ……っ!」
他の男の汗で髪や顔を濡らすリーアが、ふんすぅふんすぅとしていた。
ちょっとリーアさん?
他の男の筋肉と汗に興奮するとか止めてもらえますか?
仲間たちの死は、つぃさな筋肉の男に大きな影響を与えた。
そこで俺は妙なことに気づいた。ダイダスの筋肉が最初よりも大きくなっているような気がするのだ。
しかし、それは俺の気のせいではないと語り手が言う。
『つぃさな筋肉は、仲間たちの死を乗り越えてうぉきな筋肉へと成長していく』
語り口調が特殊過ぎてわからねえよ!
でも、悔しいことにここまで聞いた俺にはわかってしまう。
つぃさな筋肉とは、やはり小さな筋肉なのだ。最初の予想で合っていた。
ゴンザレオという男は、最初から滅法強かった。
しかし、心はその力を扱うには未熟で、軟弱な者を見下す傲慢さを持っていたのだ。まさに小さな筋肉だったのである。
多くの経験の末にその傲慢さはなくなり、大きな男に変わっていく。そう、大きな筋肉になっていったのだ。
クライマックスが近づいた雰囲気。
ゴンザレオが白銀大樹と呼ばれるようになる事件が起きたのだ。
それはエルダードラゴンの強襲。
ゴンザレオは死した仲間たちが愛していた町の人を守るため、多くの冒険者たちと共にエルダードラゴンへと勝負を挑む。
「「「シールド・オブ・マッスゥ!」」」
「マッスゥフォース! マッスゥフォース!」
観客の興奮も最高潮。
ゴンザレオを演じるダイダスを応援するかのように、ポージングの技名を合唱する。パラパラと聞こえるマッスゥフォースについてはよくわからん。たぶんそれも応援だろう。
「「「タワー・オブ……マッスゥ!」」」
「「「マッスゥフォース! マッスゥフォース!」」」
その中に聞き覚えのある声があることに気づいて隣を見れば、リーアもマッスゥフォースと叫んでいた。大隊長は技名を叫ぶ系の応援だ。
会場は一致団結。取り残されているのは俺一人。凄い疎外感。
よ、よーし、俺も応援しよう。楽しまなければ損だからな!
ところが次の瞬間、俺に軽い衝撃が襲った。
「「「マッスゥ……インパクト!」」」
「「「マッスゥフォース! マッスゥフォース!」」」
そのポージングは筋肉の波動をリアルに生み出し、俺を背後へと押した。
つぃさな筋肉の時に見た演技の波動なんかじゃない。ガチの技だ。
俺は後ろにいたムッキムキのオッサンに抱き留められて、真っ白な歯をのぞかせた良い笑顔を向けられた。
「す、すみません」
俺はムッキムキのその肉体に妙な安心感を覚えながらペコリと頭を下げた。
隣にいるリーアはなぜか元気にマッスゥフォースと叫んでいる。コイツには効かんのか!?
いくつものポージングを繰り出し、その度に応援が飛ぶ。
『盾を失い、防具を壊れ、それでもうぉきな筋肉は共に戦う仲間たちを守り続ける』
その語りと共に、ダイダスは今日一番のマッスゥフォースを見せた。
ダイダスの最後のポージングは、俺たちに背中を向け、足を揃え、両腕を左右に広げただけの自然体だった。しかし、俺にはその背中の筋肉が今まで見てきたどの筋肉よりも大きく見えた。
『つぃさな筋肉は、うぉきな筋肉へ。うぉきな筋肉は、全てを守る究極の筋肉へと進化していく』
小麦色の筋肉が纏う汗に光が反射して銀色に輝いた。
「は、白銀大樹……っ!」
俺の口から畏敬の声が零れた。
この背中に守られた冒険者たちがなぜ彼をそう呼んだのかわかった気がしたのだ。
彼の前にはきっと巨大なエルダードラゴンがいたことだろう。
全ての武具を失っても仲間たちを守り続けるその背中は、いったいどれほど頼もしかったことか。
『筋肉は己の心を映す鏡である。怠惰な者は真の筋肉を身に着けることはできない。傲慢さを持つ者は筋肉を使う喜びに辿り着くことはできない。君の筋肉は輝いているか?』
白銀の大樹を見せるダイダスと共に、今までとは違う男の声でそう語りかけられた。
俺は心臓をドキリと跳ねさせた。
俺の筋肉は輝いているのだろうか?
仲間たちを、リーアを守れる筋肉なのだろうか?
なあ、どうなんだ、筋肉よ。
………………
…………
……い、いやいやいやいや!
違うだろうが! あっぶねぇ!
俺は魔術師になるの!
長年の夢を上書きされそうになって、俺はゾッとした。
英雄教会というのはこういうところがある。
英雄になったような人間の物語を聞かせるわけで、誰だってカッコイイと思うのだ。
今回のイベントは特にそういう吸引力が強かったように思える。筋肉が白銀の大樹を作ったところとかマジでカッコ良かったもん。
劇は終わり、俺たちはムチムチ空間から解放された。
しかし、なんだかんだ楽しかったな。
この都市には30も英雄教会があるみたいだし、イベントもたくさんやっていることだろう。機会があれば他の英雄教会のイベントにも参加するのもいいかもしれない。
「どうだった。楽しかったか?」
大隊長が尋ねてきた。
「はい、凄く楽しめました。誘ってくれてありがとうございます。な、リーア?」
「はい、凄く楽しかったですぅ!」
ふんすぅふんすぅとリーアは興奮気味だ。
「そうかそうか。それでどうだ、入信してみるか?」
うっ、来たか。
だけど、俺は曲げねえぞ。
「すみません、俺は魔術師になるのが夢だったんで、ルナス様の英雄教会に入信するつもりです」
「そうか。まあそれも良かろう。だが、ゴンザレオ様のように、得た力で多くの者を守れるようになるんだぞ」
「はい!」
英雄教会の教義は、入信しなければ役に立たないということはない。
教義とは英雄の生き様なわけで、そこには神も認めた正しさがある。冒険者として活動するのなら、ゴンザレオの生き様は見習う点が多いだろう。
「リーアと言ったな、お前はどうだ?」
大隊長がそう問うてきた。
いやいやいや、俺の彼女をマッチョに誘うな。
「いやぁ、コイツは——」
俺が代わりに答えようとした瞬間、リーアが決意を秘めた目で言った。
「あたし、究極の筋肉になりゅ!」
「おーっ、そうか! じゃあ、一緒に白銀大樹を目指そう!」
「ちょちょちょちょちょっと、ちょっと待ってください! 大隊長、ちょっと待ってください! リーア、ちょっと来い」
「なによ、あたし、究極の筋肉になるんだから!」
ヤバいぞ、コイツ、影響されやすいタイプだったらしい。全然知らなかった。
いやね、筋肉女子は良いと思うよ。とても健康的だし、野性的で魅力的でもある。リーアも腹筋が薄っすら割れているし、それを指で押す感触とか最高だ。だが、バッキバキは勘弁してほしい。指で腹筋を押したら突き指したとか笑い話にもならねえ。
それにゴンザレオってモロに盾職じゃねえか。彼女を盾にして戦わせられるか!
「と、とりあえず、いろいろ見てから決めようぜ」
「えー、ゼットとバーンもすぐに決めたじゃん!」
「待て待て。アイツらは何も考えてねえアホだからいいんだ。でも、グラッドは悩んだ末にコロミアを信仰したいって言い出しただろ? お前もまずはよく考えてみよう。2日もあるんだからさ」
ゴンザレオは嫌だとこの場で言えないので、俺はなんとかそれらしいことを並べて言いくるめた。
大隊長がニヤニヤしながら俺たちのやり取りを見ていた。
あの野郎、俺の性癖がわかってやがる!
ああそうだよ。リーアはこのくらいの筋肉が丁度いいんだ。
昔の姿を懐かしみながらエロイことするとか絶対に嫌だ。
と、ここで大隊長がリーアの肩をポンと叩いた。
「コイツの言うことも尤もだ。この学園島にある英雄教会をよく見て回ってくるといい。それでもやっぱりゴンザレオ様を信仰したいというのなら、その時は教会を尋ねるといい」
「大隊長!」
そこまで親しくないけど、案外まともな人だった!
目上の人に窘められたからか、リーアは渋々といった様子だが言うことを聞いた。
俺はホッとしつつ、リーアの気が変わらないうちに大隊長と別れた。
リーアは本当に影響されやすいようで、弓の英雄教会で説法を聞かせてもらうと、普通に迷い始めた。
「もし詳しく知りたいようでしたら、図書館でマンガ本を読んでみるといいですよ」
と教えられ、俺はリーアを弓の英雄教会に入信させるために、図書館でマンガ本を借りて、リーアに読んで聞かせた。
これがクッソ面白い。文字が読めないリーアに読み聞かせているつもりが、俺も夢中になっていた。
「あたし、一撃必殺すりゅ!」
全てを読み終えた頃には、マンガ本を胸に抱いて目を輝かせる女が完成した。
俺はドッと息を吐き、自分自身の英雄信仰をまだしていないことに気づくのだった。
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