第6話 エメロード 国際会議 前編


 妾はエメロード・アアウィオル。

 近隣諸国の王侯貴族に大注目されている女王だ。


 現在、妾は国際会議の会場で壇上に上がっていた。

 神々がこの会議を見ていると思うと、ドッキドキである。


 いや、我々以上に、神の気配を始めて身近に感じた参加者のほうが緊張しているかもしれないな。


 開催の宣言が終わると、議題はさっそく次に移った。


「さて。諸君が最も気になっていることは、神々のご意思と、先の神威裁判において教皇や他1名の身に起こった悍ましい現象だろう」


 なお、他1名とはゲロスのことだが、ヤツの知名度は国内だけで通じるものなので名は出さない。


「神々のご意思を伝える前に、まずは神威裁判での件を説明しなければならない。統治者として、いや、神の子としてこれは必ず知っておかなければならない事柄だ」


 妾が目で合図を送ると、魔導映写機が起動した。

 すでに知っているはずだが、念のために妾は軽くこの魔道具の説明をして、上映を始めた。


 それから始まったのは人の起源となる神話。

 シーンごとに切り替わっていく絵画と、それに音声をあてた解説動画だ。

 絵画のタッチは無駄に古めかしさを演出し、なかなかに見ごたえがある。




 遥か太古の昔。

 この大地には人などおらず、魔物が跋扈する野生の世界だった。


 その頃の世界では、全ての獣が自然や獣の神を奉じていた。

 そんな中で1匹のゴブリンが、全ての神の親である創造神の存在に気づき、これを奉じ始める。


 創造神はこのゴブリンを面白がり、自身の加護を与える。

 するとゴブリンから醜いしわが無くなり、人の女へと姿を変えた。


 それが始まりの人間にして、始まりの英雄。


 女は死後、特別な英雄結晶を残し、これがゴブリンたちを続々と人へ進化させていく。そうして人へと至ったゴブリンたちは創造神の加護を得て、やがて人や獣人、エルフ、ドワーフなど、住んでいた環境に適応するように進化して、繁栄していくことになる。


 しかして、人の祖先がゴブリンであることは未だ変わらず。

 心が悪に飲まれた者は、誰もが持って生まれる創造神の加護を失い、人の皮を被ったゴブリンへと退化する。


 これをゴブリン返りという。


 ゴブリン返りに陥った者は、自分の欲望を抑えられなくなり、他者が傷つく姿がこの上なく楽しむようになる。

 そして、その邪悪な心根のせいで英雄信仰ができなくなり、その時点からの成長が見込めなくなってしまう。




「にわかに信じがたいが……」


 フォルメリアの王が眉間にしわを寄せる。

 その言葉の先は「神が見ている場で嘘を吐くだろうか?」や「教皇は実際にゴブリンになった」といったところか。

 そういった裏付けがなければ、王として、いや、人としてこんな話は受け入れがたいだろう。


「諸君の中にはこの現実に深く傷ついた者もいるかもしれないが、よく考えてみてほしい。我々の祖先は正しくありたいと切に願ったゴブリンだったと。そして、いまこの世にひしめくゴブリンたちは、己の欲望に負けてしまった存在なのだと。諸君らの体には、父祖が大切に守ってきた創造神様に祝福された血が流れていることを忘れてはならない」


 妾がそう告げると、会場の重苦しい空気が軽くなったように思えた。


「教皇がゴブリンへと姿を変えたが、ゴブリン返りとはあそこまで酷いことになるのだろうか? 俺は人がゴブリンになるなど聞いたことがない」


 ガーラルの王が質問する。


「いいや、識者が言うには、あの現象はまず起こらないという話だ。通常は人の皮をかぶったゴブリンで止まる。教皇は神の御前で神の存在を否定したことにより、人としての存在を保てなくなったのだろう。神の御前に身を置くこと自体が極めて稀なことであり、その席で神を否定する愚行に走る者が現れるのもまた稀なことだ。あそこまで酷いことになる者には、今後の諸君らの人生で遭遇することはないだろう」


「ゴブリン返りを予防をすることはできんのか?」


「できる。そもそも英雄結晶がそういう役割を担い、神から与えられたものなのだ」


「英雄結晶が? ……そうか、英雄の教義か」


 ガーラル王はすぐに納得した様子。

 ほかの者も理解しただろうが、妾は一応解説しておいた。


「英雄結晶とは、己の成長の方向性を英雄の生前の能力に近づける効果がある。しかし、十全にその効果を引き出すには、英雄の思想をよく理解し実践する必要がある。この思想の実践こそがゴブリン返りを防ぐ効果がある」


 ゆえに、英雄信仰は基本的に曲解してはならない。

 曲解すると、以前、ロビン少年にボッコボコにされた剣聖教会の師範代カマセーヌのような者が現れるからだ。


 時代に合わない思想もあるが、そういう際には思想の一部を取り込んだ新たな英雄が誕生することで、曲解せずに人々に受け入れられる英雄結晶がまた現れるものだ。


「諸君らは侵略戦争を仕掛けて国土を広げた将軍が、その功績にもかかわらず、英雄結晶を残さない事例を聞いたことはないだろうか? その反対に、ただの主婦が英雄結晶を残す事例を国内で何度も目撃していないだろうか?」


 昔からこれらはよく聞く話だ。

 いくつもの国を飲みこんで大国を築いた皇帝やその右腕の大将軍が英雄結晶を残さなかったのに、そこらの主婦が英雄結晶を残すのである。

 我が王都にもそういう主婦はおり、『肝っ玉お母さん』という英雄結晶を残している。


「戦争というものはゴブリン返りを爆発的に増やす。ゆえに侵略戦争を行なう国側の軍人には英雄結晶を残す者が少なくなり、防衛側には増えることになる」


「つまり、神の御意志は侵略戦争をするなということなのかえ?」


 ジュスタルク巫女王が期待に目をキラキラさせて問う。

 気弱な彼女は戦争なんてしたくないのだろう。


「間接的にはそうなるであろうな」


「待て待て。話は理解したが、痩せた大地が大半を占める国もある。座して死を待てというのは酷というものだろう」


 そう言ったのはラーファの老王だった。

 彼の国は、その国土のほとんどが砂漠であり、肥沃な土地が喉から手が出るほど欲しいのだ。


 なんでそんなきつい土地をわざわざ選んだのかとツッコミたくなるが、彼らの祖先にもその土地を選ばざるを得ない辛い事情があったのだろうから、妾がその点に関してとやかく言うわけにはいかない。


「ラーファ王よ。貴殿の国にもダンジョンはたくさんあるはずだ。現在も度々ポコリと生えてきているであろう?」


 ダンジョンは世界中に存在する。

 我が王都の周辺にも4つある。


 ダンジョンとの付き合い方は国それぞれで、狩場にする国もあれば、存在を許さない国もある。


 ラーファ国のダンジョンの扱いは討伐と共存の半々だ。

 水辺の近くのダンジョンは狩場にして共存するが、砂漠のど真ん中にできたようなダンジョンは討伐する。これは砂漠での長距離移動が困難だから、スタンピードを起こす前に討伐してしまうのだ。


「もちろんあるが……まさか」


「そのまさかだ。ダンジョンとは神が地上の生き物のために与えたオアシスなのだ。まあ中には人の試練のために存在する高難易度ダンジョンもあるがな」


 それを聞いたラーファの陣営は愕然とした。


「無茶を言う……っ」


「ラーファの王家には必要以上にダンジョンを討伐するべからず、と言い伝えられていないか?」


「それは言い伝えられているし、王家に留まらず民にまで周知もしている。ゆえに、オアシスの近くにあるダンジョンは決して討伐しないように徹底してきた。国の食料庫になるからだ」


「それは順序が逆なのだ。オアシスの近くにダンジョンがあるのではなく、ダンジョンがオアシスを作っている。できて2、3か月経ったダンジョンの近くに井戸を掘ってみよ。水が出る深さや水量に差はあれ、必ず水を得られるようになるはずだ」


 ざわつくラーファの陣営はそれに思い当たる節があるようだった。

 全ての町村にオアシスがあるわけではなく、井戸だけで生活している場所もある。その町村の起源を辿ると、いくつかはダンジョンが近くにあったはずだ。


 水だけあれば農地を作れるわけではないが、ダンジョンの近くに水が出るとわかれば、国家戦略の幅は広がろう。重要な情報を与えてやったんだから、精々頑張ってもらいたいところである。




「さて、話を戻すが、次に神の御意志に関してだ。先ほど戦争を反対しているのかと質問が出たが、それはあくまで間接的な話であり、正確ではない。ゴブリン返りを増やすな、これが正確である」


 これは事実だった。

 少なくともキャサグメたちは、ゴブリン返りを増やさないようにしろと命を受けていた。戦争をなくせとは命を受けていないのだ。


「実際にどうすればいいのだ? 英雄信仰を推奨するのはすでに全ての国で行なっていることだ。これ以上にあるのか?」


 フォルメリア王が問うた。


「まず初めに言っておきたいのは、これは各国がそれぞれ頭を悩ませる問題である。妾が国境を越えてああしろこうしろと命ずるものではなく、我々はあくまで得た情報を開示するだけのものと考えてもらいたい」


 妾が命じて実践させれば、アアウィオルに併合されたのと大して変わらないからな。


「資料の10ページ目を見てほしい。そこにはゴブリンを使った実験方法が書かれている。今から流すのはその実験を行なった映像である。見ていて気持ちのいい映像ではないが、諸君は統治者として目をそらしてはならない。途中で気分が悪くなった者は、係の者が回復魔法をかけるので遠慮なく手を上げよ」


 妾が目配せすると、またひとつの映像が流れ始めた。




 それはゴブリンを用いたいくつかの実験。

 実験期間は1か月にわたるため、映像は要所要所を追っていく形となる。


 まず、隔離された空間に巨大な平屋を作り、この平屋にベッドやトイレなど人が使っているような家具を置く。あとは水汲みや木の実の採集など簡単な仕事ができる環境も作っておく。


 次に、ゴブリンを群れごと捕獲して、この施設に放逐する。

 この時、捕獲するのは地上にいるゴブリンでなければならない。ダンジョンのゴブリンは迷宮ゴブリンといい、見た目は同じだが別種なのだ。


 さて、このゴブリンたちへ定期的に食事を与えることで、彼らは縦社会を構成していく。驚くべきことに、ベッドやトイレ、水瓶などを汚いながらも人と同じように使い始める。


 この実験には1つの仕掛けがしてある。

 ほんの100mほど離れた施設で、別のゴブリンの群れがまったく同じ生活をしているのだ。


 この2つを出会わせると、ゴブリンの本性が表面化し始める。


 まず、変わらずに同量の食事が与えられているにもかかわらず、ゴブリンたちは途端に争いだす。そして、勝った方は負けた方のゴブリンを奴隷にするのである。


 負けたゴブリンは性奴隷にされたり、水汲み、木の実の採集に従事させられたり、意味もなく死ぬまで殴られたりする。一方、勝った方のゴブリンは食事が出てくる場所を独占し、奴隷に恐怖を与える以外には一切働かなくなる。


 次に、まったく同じ実験をしたゴブリンと出会わせると、今度はどちらも奴隷を真っ先に戦わせて、自分たちは奴隷が戦うのを見て、怒ったり笑ったりするのである。

 奴隷がすべて死ぬとやっと本陣のゴブリンが戦い始め、また勝者と敗者にわかれていく。


 これを何回か繰り返すと、ひとつの事実に気づく。

 常に生き残るゴブリンは、最初とまったく能力が変わらないのである。

 一時的に戦うことはあるが、奴隷を得るたびに楽をするので、その間に戦闘や生活に関わる技能を失うのである。


 そして、全ての奴隷が戦争や飢餓で全て死んでしまうと、今度は勝利して繁栄していたはずのゴブリンの中から奴隷が誕生する。

 弱者を虐めることを覚えたゴブリンたちは、もう通常の縦社会では物足りなくなり、いじめる相手を欲するのだ。

 この段階になると、ゴブリンのコロニーは内部抗争を起こして消滅する。


 これはワンセットの実験で終わったが、他の魔物がいない状態において、ゴブリンはこの破滅のシナリオを必ず辿ると言う。




「お、面白い……っ!」


 映像を見て興奮したのは、フォルメリアの貴族だった。

 貴族は頭が良い者が多いだけあって、研究者肌の者が度々現れる。見れば、どこの国にも非常に興味深そうに見ている貴族が数人ずつはいた。


 それ以外の貴族たちは真っ青な顔だ。

 途中で妾が手を上げて係の者に回復してもらったことで、多くの貴族がぞくぞくと手を上げていた。こいつらはプライドの塊なので、非常に世話が焼ける。


「このように、ゴブリンの観察はゴブリン返りを知るうえでひとつの研究手段になる。あー、回復魔法が必要な者は手を上げるのだぞ」


 映像は綺麗な花畑に変わり、箸休め。

 なお、綺麗な女性のダンスでも映そうかという案もあったが、綺麗な女性を見るたびに今の実験を思い出すようになったらたまらないので廃案となった。下手をすれば世継ぎが生まれなくなる可能性もあるからな。


「この資料から諸君がなにを感じたかはわからないが、アアウィオルでは犯罪奴隷以外の全ての奴隷を今後も作らない方針で改めて固まった」


 元からそういう制度なので、とくに反対意見もなくすんなりとこれは決まった。


「諸君の国には借金奴隷や捕虜奴隷などの制度があるかもしれないが、妾はそれに対してやめろとは言わん。しかし、いま一度奴隷への扱いを改めることをお勧めする」


 基本的に、この場に来ている国は、奴隷に対してそこまで苛烈な扱いをしていない。この会議は同盟や国交を結ぶ目的があるため、そういう国を選んでいるのである。


「ゴブリンが奴隷を作るのはわかったのじゃ。しかし、なぜ人が奴隷への扱いを改めたほうがいいのかえ? 人にはそこまでゴブリンとしての記憶が残っているのかえ? 妾たち獣人は奴隷になる者が多いゆえ、理由を聞かせてほしいのじゃ」


 ジュスタルクの巫女王が、獣人たちの未来のために問うた。

 その顔は青いが、たぶん、ゴブリンの実験映像をまだ引きずっているのだろう。


「苛烈な奴隷制の先に繁栄がないからだ。先ほどの神話でも少し説明されたが、ゴブリン返りになったものは成長が著しく鈍化する。この最大の原因は、その不道徳さから英雄信仰ができなくなるからだ。彼らは無信仰の状態で欲望に負けながら成長することになる。普通の人間に比べれば、この差は非常に大きくなる」


 ジュスタルクの巫女王は一生懸命理解しようと耳を傾けてくれる。


「奴隷を家族や組織などで所持すると、高い確率でゴブリン返りに陥る者やその芽を育ててしまう者が現れる。するとどうなるか。我々統治者が最も成長してもらいたいと考えている自国民の中から無能者が急速に増えだす。それを補うために、彼らは奴隷を欲するようになる」


「昨月、ゾルバ帝国が我が国に喧嘩を売ってきたが、あれは奴隷を欲したからだ。ゾルバ帝国は多くの無能者を抱え、奴隷がいなければもう立ち行かない国にまで堕ちていたわけだ」


「アクラもそうなのかえ?」


 ジュスタルクの巫女王が言うアクラとは、東の方にあるアクラ大帝国のことだ。周りの国を侵略しまくっており、奪われた領土の民は等級を割り振られた奴隷に堕とされる。ジュスタルクに被害をもたらす一番の国でもある。


「喩え話になるが、アクラから奴隷兵をなくして本来の兵士だけと戦ってみればわかる。同じ兵士の数ならば、ジュスタルクは圧勝するだろう。ゴブリン返りを多く抱えた国の兵士とは基本的に弱兵なのだよ。そして、弱兵というコンプレックスと奴隷制が組み合わさると、さらにゴブリン返りを増殖させる」


 ゾルバ帝国も実のところ同じであった。

 あの国は魔境が少ないため、他国よりも男が弱いのだ。そのコンプレックスの捌け口が女性や下級民、奴隷に向かい、その光景を見た子供もまた同じように成長してループさせていく。


 妾の話を聞いて、ジュスタルクの族長たちは思い当たることがあるのか大きく頷いている。


 一方、他のいくつかの国は難しい顔だ。

 奴隷は優秀な労働力になるため、彼らとしては無くすのは論外なのだろう。

 妾の話を無視するのは簡単だが、問題は神がこの会議を見ていることである。おそらくは新たに法整備をして、奴隷の待遇を改善するくらいに考えているのではないだろうか。


 妾はいくつかの質問に答え、次の議題へ移った。


「神の御意志とゴブリン返りについては、これで説明を終えたいと思う。さらに詳しく知りたい者は、後日、人を送るのでその者と対話してもらいたい」


 これはあくまで前置きなのだ。

 アアウィオルに危機意識を持つ彼らにとって、次の議題も神の御意志と同様に重大な案件であった。


「それでは次の議題に入りたいと思う。14ページ目を開いてほしい。これもまた諸君が気にしているであろう、アアウィオルとの同盟についてである」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る