第15話 ニャル お勉強の日々
「「「ろくは、しじゅうはち! ろっく、ごじゅうし!」」」
ニャルの名前はニャル。
いま、掛け算をお勉強中なの。
ウォーミングアップの九九の合唱が教室に響く。
ニャルとミャムムも教科書を指で追いながら、九九を唱えていった。
これは算数っていう学問の教科書で、これを全部終えるとお買い物でお釣りをちょろまかされたりしないんだって。
こんなふうに毎日いろいろなことをお勉強しているんだ。
今やっている『算数』、たくさん時間割がある『国語』、魔法を使うための準備である『魔力操作』、体力をつける『体育』。今のところこの4つ。
先輩のレナちゃんの話だと、ちょっとずつ授業が増えていくみたい。その代わりに『国語』と『魔力操作』の割合が減っていくんだって。文字と魔力操作を覚えて、本格的な学習の準備ができたからなんだってさ。
ニャルとミャムムは、今のところ全部ちゃんとできてるよ。
もうニャルもミャムムも、3桁の足し算引き算だってできるんだから。
少し前まで鉛筆の握り方すら知らなかったのに凄い成長だよ。
それもこれも『百科の錬金術師 コロミア』様を信仰してるから。
英雄結晶は万能じゃないけど、結晶になった英雄が生前に学んだことは凄く早く覚えられるんだ。もちろん難しいことは覚えるのも難しいけど、ニャル達が学んでいるような入門なら簡単に覚えられるみたい。
そんなわけで、コロミア様への信仰は無学なニャル達にぴったりなの。
「はい、よくできました。それではドリルの問題を解いていきましょう。今日は45ページから48ページです」
九九の合唱が終わると、算数のドリルをやるよ。
ニャルとミャムムが貰ったドリルは、まだ貰ったばかりなのにクセがついてよれよれ。
2人で夜の寝る前に復習してるからね。答えを隠してもう一度やってるんだ。
45ページは1桁同士の掛け算。
九九みたいに順番じゃないけど、すいすいできちゃう。
その次は2桁と1桁を合わせた掛け算。
計算方法はもう教わっているから、空いてるところに式を書いて、答えを出すよ。
「うんと、これはこうなって……42!」
ミャムムも小さな手で鉛筆を握って頑張ってる。
14×3か。うんうん、ちゃんとできてるな。
でも、声に出しちゃダメだよ。
キーンコーンカーンコーンと授業が終わった鐘が鳴る。
みんな集中してたから、どっと息を吐いた。
これはいつものこと。
ニャルは息を吐いてから、もう一度ドリルを眺めるのが好き。自分がいっぱいお勉強している証拠が残ってて嬉しくなる。
「それでは今日の授業はここまでです。では、今日はニャルさん、お願いします」
ハッ、ニャルだ!
ミャムムが凄い人を見るような目でニャルを見てきた。
うむ、お姉ちゃんに任せておけ!
ニャルは初めての任務にドキドキしながら、声を張り上げた。
「きりーつ! きょーつけー! れい!」
ニャルの号令に、2年8組の子たちが揃って頭を下げた。
70人もいるから凄い迫力。
これが始まりと終わりの合図なの。
号令をかける子は毎時間変わるんだけど、ニャルは初めてだったから名前を呼ばれてビックリしちゃった。
「いいなー、ミャムムもやりたい」
「きっとそのうちやるよ。待ってようね」
「うん!」
ミャムムが羨ましそうにする。
そうは言ったけど、ミャムムの番は来るかな? 舌足らずはまだ直ってないし、先生に気を使われているかも。
「ニャル、ミャムム。アーサーたちとプールに行くんだけど、お前らも行くか?」
そう言ってきたのはギール君だった。
アーサー君は、王都にあるスラムの子供たちのリーダーだ。前髪で片目が隠れた子だよ。
「ミャムム、どうする?」
「行きたい!」
「じゃあ行く」
「よし、それじゃあ道具を置いたら寮の前に集合な」
よーし、遊ぶぞー!
この村に来てから、ニャル達の生活はすんごく変わった。
お仕事の代わりにお勉強をして、寝るところとご飯も用意してもらえる。
授業が終わったら遊ぶ時間もあるんだ。すんごく贅沢!
「お前ら、もう進路は決めたか?」
プールに向かう途中で、アーサー君がギール君やニャル達にそう質問してきた。
「いまのところ俺は冒険者だな。いろいろなところを見て回りたい」
「ニャルはまだわかんない」
専門的なことを学び始めるのはまだ2か月以上先だから、ニャルはまだ決められていない。
ミャムムみたいな子がもう出ないように、ティア様みたいな回復魔法使いにもなりたいし、お勉強をいっぱいして学者さんにもなってみたい。
冒険者は……うーん、そこまでなりたくはないかな?
アーサー君の質問にそんなふうに答えていると、ミャムムが手を上げた。
「ミャムムは算数屋さん!」
「ははっ、算数屋さんなんてあるのか?」
「うん、算数をやるの!」
そんなふうにニコニコして言うミャムムを見て、ニャルは少し驚いた。
毎晩熱心に算数のドリルに向かっているところを見てたけど、ミャムムは算数が好きなんだ。ニャルはお姉ちゃんなのに、初めて知った。
まあまだミャムムは6歳と小さいし、この村での修行が終わったらニャルが面倒を見てあげるつもりだから、進路とかはあまり深く考えさせなくてもいいのかな。
算数を専門に学べるコースがあるのなら、そこを選ばせてあげてもいいかも。
「そういうアーサーはどうなんだ?」
「俺はできれば回復魔法使いになりたい。スラムのガキはどいつもこいつもいつ死んでもおかしくないからな」
「り、リーダー……」
ニャルと同室のフィーナちゃんが感激している。
フィーナちゃんはアニメを描く人になりたいらしいよ。よく図書館に行って、マンガ本の絵だけを見ている。まだ文字は読めないからね。
とまあ、そんなふうにブラッディウルフ団のリーダーはとてもいい奴だった。
それに一生懸命お勉強してる真面目さもある。
ううん、アーサー君だけじゃなく、子供はみんな一生懸命お勉強してるかな。
このチャンスはきっと一生に一度のものだから。
プールに着くと、ニャル達は水着を貸してもらった。
ニャル達は生徒証明書を持ってるんだけど、それを見せるといくつかの施設が無料で使えるんだ。プールもその一つなの。
ただ、凄くお客さんが入っている時は断られることもあるみたい。普通のお客さんが優先だから、それは仕方ないよね。まあ、今のところはまだ断られたことはないよ。
ニャル達は男女に分かれてお着替えした。
「お姉ちゃ、シッポっ、シッポ出して」
「はいはい」
獣人用のスクール水着のお尻をこんもりさせたミャムムの尻尾を、水着についている穴から出してあげる。
すると、ミャムムは体をふりふりした。
「か、可愛い! なにそれ!?」
ニャルのベッドの上の子が、驚きとデレデレを合わせたような顔をした。この子はミャムムが大好きなんだ。
「獣人の子供は体に違和感があるとこうするの」
「へえ!」
濡れた犬や猫が水滴を飛ばすみたいな行動だ。なんでやるのかはよくわかってないけど、大人になるとやらなくなる。ニャルはもちろんやらないよ。
着替えて外に出ると、男の子たちが待っていた。
もうウォータースライダーに乗りたくてたまらないといった感じだ。
ニャルが初めてプールに来た時はそこまでじゃなかったけど、最近は凄い賑わいだ。王都が近いから、きっと王都中の人が来ちゃってるんだ。
きっと近いうち、例のプールお断りもあるかもしれないね。そうしたら海に行こう。
「きゃっふーい!」
「きゃーっ!」
というわけで、みんなでウォータースライダーを楽しんだ。
「お姉ちゃ、楽しいね?」
「うん、楽しいね」
ミャムムが笑うので、ニャルは心がポカポカした。
少し前では考えられない生活だった。
それから何回かウォータースライダーを楽しんでからテーブル席で小休憩をしていると、アーサー君が言った。
「あいつら……」
アーサー君が向ける視線の先には、3人の大人の男の人が遊んでいた。
「あいつらがどうしたんだ?」
ギール君が問うた。
「ああ、いや、噂で聞いたんだ。あいつら、学園島に入学だけして、毎日朝から晩まで遊んでるんだって」
「はあ? なんでそんな……あー、そうか。宿泊費がタダになるのか」
「そういうこと。あとは飯代だな」
「でも、あそこは男爵様の学校だぜ? 気分を損ねたら追放どころか斬首でもおかしくないぞ。死にたがりなのか?」
「アホはどこにでもいるってことだろ。お前ら、ああいうのは見習うなよ。もしズル休みなんてしたら、ぶん殴るからな」
アーサー君は、配下のスラムの子たちにそう言った。
ぶん殴ると脅すあたり、スラムっぽい。
それにしても、そんな人もいるんだな。
大人になると、自分が運良く大人になれたって忘れちゃうのかな?
その先も運良くお爺ちゃんになるまで生きられるって思ってるのかな?
ニャル達子供はそんなふうに思えない。
実際に、明日村から追い出されたら、きっと死んじゃうギリギリの生活に戻るだろう。
だから、見習い冒険者だった子もスラムの子も必死に勉強してるし、追い出されそうなことは絶対にしない。喧嘩っ早い子ですら拳を握って我慢する姿を見る。
世の中の不思議、人の人生の不思議を思いながら、ニャルはその人たちの笑う姿を見つめた。
と、そこでミャムムが知らない人にウザ絡みし始めた。
「ねえねえ、おっちゃん!」
それは男女3人ずつの、おそらくは冒険者だった。
「え、俺!? お、おっちゃん!? 俺はまだ24だ!」
「ぷーっ! リーダー、おっちゃんだって!」
「いや、リーダーはお前の彼氏だろ? おっちゃんって呼ばれていいのかよ」
ミャムムに絡まれて騒ぐ人たちを見て、アーサー君が前髪に隠れていない目を見開いて言う。
「た、太陽の風だ……」
「知り合いか?」
「まさか。王都のS級冒険者パーティだ」
それを聞いて、ニャルは慌ててミャムムを回収しに行った。
しかし、少し遅く、ミャムムがウザ絡みを本格的に始めた。
「問題です。リンゴが3個ずつ入ってりゅ箱が7個あると、リンゴは全部でにゃんこ?」
「あっはっはっ、リンゴがニャンコに変わっちまってるが、まあ、そんなの簡単だよ。ほら、エミリア答えてやれ」
「はんっ、大人を舐めちゃダメよ、子猫ちゃん。……じゅ……に、21でしょ?」
「ふぉおおおお、正解!」
ミャムムはお耳をピコピコさせて喜んだ。
いろいろな知識を覚えたミャムムは、それをひけらかしたくて仕方ない様子。
「ミャムム、ダメでしょ。ごめんなさい」
ニャルはミャムムを叱って、S級冒険者の人たちに頭を下げた。
「あー、いいよ。それより、お前ら学校の生徒か?」
ニャルがその質問に「はい」と答えた。
「そうか。学校じゃ、そんな小さな子も計算ができるようになるのか?」
「はい。ニャル達は最近掛け算を覚えました。ほかにも3桁の足し算引き算もできます」
あとは敬語も覚えたよ。
ですますました、くらいだけどね。使い分けはばっちり。
「さ、3桁も? ほーん、やるじゃねえか」
お兄さんは少し羨ましそうにした。
冒険者だと計算できない人は多いからね、この人も苦手なのかも。
「もしお勉強をしたいなら、大人の部もあるみたいですよ」
「いや、俺たちはもう武術のドラゴンコースっていう頭がおかしい修行をしてるから、これ以上は無理だ」
「わっ、ドラゴンコース! ロビン君が受けたやつ!」
レナちゃんやミリーちゃんから何度も何度も聞かされたから、思わずニャルの口からそんな言葉が出た。
「それ。想像を遥かに超えて頭がおかしかった……手足が飛ばない日がないって……」
「ひうぐすぅ、修行終わりのこのキャッキャの時間がなければもう魂が死んでるわよ……」
そう言ったお兄さんとお姉さんを含め、その場の全員が手で顔を覆ってどんよりとした。
そんなお兄さんを慰めるように、ミャムムがポンと太ももに手を置いた。
お兄さんが苦笑いして顔を上げると、ミャムムはこう言った。
「じゃあねじゃあね、リンゴが17個ずつ入ってる箱が3個あると、リンゴは全部でにゃんこ?」
ミャムムはむにぃとほっぺを引っ張られた。
空気が読めないミャムムを回収して、ニャルは休憩を終えて遊び始めたお兄さんたちを見つめた。
ああいうふうに凄い修行をする人もいる。
一方で、ズルをする人もいる。
大人ってなんだろう?
ニャル達が暮らす寮には、毎日、ロビン馬車で10人以上の子供が運ばれてくる。多い日だと40人くらい。国中から来てるみたいだから、馬車の都合で人数はバラバラみたいだね。
もうそろそろ寮がいっぱいになっちゃいそうで心配だったけど、他にもたくさん寮があるから平気なんだって。
親子で来る子もいた。
そういう子は、前のニャル達みたいに片親が多く、どこかの町のスラムから来たっていう場合がほとんどだった。
ある程度の歳の子は、親と1日だけ一緒に過ごして、しばらくは分かれて暮らすことになるみたい。
父娘、母息子みたいなパターンだと、男女どちらの寮でも過ごしづらいだろうしね。
ニャルの8組にもそんな子が2人いて、朝と晩のご飯はお母さんがいる食堂で食べてるよ。いいなぁ。
ニャルはすっかり先輩になったから、新しい子が来たらお世話してるよ。
ここに来た女の子はみんな、初めてお風呂に入ると泣いちゃうんだ。ううん、女の子だけじゃなく、お母さんだってみんな泣いちゃう。
ニャルとミャムムも最初はそうだったっけ。
温かなお湯に入って自分が救われたんだって実感するんだ。
そうして温かいご飯を食べて泣いて、ふわふわなお布団に入って泣いて、朝目覚めて夢じゃないんだって思ってまた泣くの。その朝に涙とはお別れして、今度は鉛筆と出会うんだ。
そんなふうに、ニャルはいろいろな人生に触れたよ。
みんな一生懸命で、この村で良い未来を掴もうと頑張ってる。
それはとても素敵なことに思えたんだ。
そんなある日、大事件が起きたの。
あの日、プールで見たズルをしていた3人が村から追放されちゃったんだ。
初めて村から追放された人が現れたから、みんな大騒ぎだった。
とっても優しくて温かな村だったから、追放みたいな苛烈なことをしてびっくりしたんだ。
「あいつら、追放されてもほとぼりが冷めたらまた来るかもな。そんな雰囲気だった」
朝の教室でアーサー君がそう言った。
「そんなことできるの?」
ニャルが尋ねるとアーサー君は頷いた。
「これだけの都市だ。半年もすれば、みんな顔なんて忘れちまうだろうからな。もともとそういう狙いだったんだろう」
「そういう感じかぁ」
そんなことを話していると、ちょうど教室にミュゼ先生が入ってきた。
今日のニャル達は入口に近い席に座っていたから、慌てて立ち上がって挨拶した。
「「「ミュゼ先生、おはようございます!」」」
「はい、おはようございます。今日も元気ですね」
そう微笑むミュゼ先生は、教卓へ向かう足を止めて、ニャル達に言った。
「先ほどの話ですが、この村の追放は甘くはありません。アアウィオルにあるキャサグメ男爵領は入場禁止に指定した者を阻みますから、追放された者はこの村に来ることが二度とできません」
「マジですか」
「はい。認証結界というものですね。あなたたちも後半の結界魔法の専門コースでこの技術を学ぶことができます。ふふっ、結界魔法技師は食いっぱぐれないですよ」
ふむふむ、そんな専門コースもあるんだなぁ。
たくさんあって迷っちゃう。
「さっ、それよりも朝のホームルームを始めましょう」
ミュゼ先生はそう言って、朝のホームルームを始めた。
それにしても、追放かぁ。
あの人たちの人生はどうなるのだろう。
恩を仇で返したのだから仕方ないと言えば仕方ないけど、これからのアアウィオル、特に王都圏で暮らすなら、それは大変なことなんじゃないのかな?
ニャルはああはならないように、しっかり勉強しよう。
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