第16話 影衆メイド 心☆眼


 私はアアウィオルを裏から支える隠密『影衆』の1人。

 ある時はメイドをし、ある時は行商人、またある時は冒険者にも扮します。


 近頃の私は隠密メイドが主な任務です。

 というのも、女王陛下がキャサグメ男爵領リゾート村へ頻繁に行くので、その護衛兼メイドが必要だからです。


 この任務は最高です。

 基本的にリゾート村内では、キャサグメ男爵の手勢が陛下の身辺警護をしっかりしてくれるので、気を張るのは王都からリゾート村までの間だけ。


 それなのに食事は美味いは、お風呂はあるは、ベッドはふかふかだは、なんならメイドなのにホテルの人にお世話してもらえちゃいます!

 調査が進んだ昨今では、さすがに陛下と同じ体験はできなくなりましたが、それでも通常のメイド仕事から離れて刺激的な常夏の光景に身を置いているだけでも楽しいです。


 あと数日でリゾート村が正式に開村しますので、その際にはまた大忙しでしょう。うまうまです!


 そんなこんなで、開村が迫ったある日のことでした。

 私たち隠密メイドたちは、執事長に招集されました。


 薄暗い部屋の中で整列する私たちに、執事長が言いました。


「新たな任務を与える」


 全員がキリリとしながら沈黙し続けますが、全員が心の中で泣いているはずです。

 うまうまな隠密メイド任務から離されてしまうからです。


 そんな私たちの気持ちを知ってか知らずか、執事長は続けます。


「お前らにはリゾート村で行なわれている技術指導を受けてもらう。先日活躍した白騎士レイン・オルタス殿と同じ一番厳しいコースだ。レイン殿は騎士としての訓練を受けたが、お前らは隠密としての技術を磨いてもらうつもりだ」


 ひゃっふーい!

 リゾート村に行けるならなんでもいいですぅ!

 これはうまうまですわー!


 下げてから上げる!

 もう、執事長はいけずなんですからぁ!




 そんなふうに思っていた時期もありました。


 それは常夏の楽園にある地獄でした。


「ごはぁ!」


 壁に叩きつけられて、致命的な何かが折れた感触を感じながら血反吐を吐き、超回復。

 休むことが許されない死と再生のループ。


 私たちも隠密なので、ある程度の拷問に耐えるための疑似拷問の訓練を受けたことがあります。ですが、実際にここまでギリギリな死の淵には立ったことがありませんでした。


 影衆は人に紛れなくてはなりませんから、女も男も拷問傷など残せません。ですから、疑似拷問の訓練の際には最終的に上級ポーションを使います。

 しかし、上級ポーションはとても高いので、疑似拷問の訓練の回数はそこまで多くはないのです。


 それなのに、ここでは死の淵をガンガン覗き込みます。異常事態です。


 しかも、私たちのこの涙ぐましい努力は、騎士たちのように表に知られることはありません。修行場所ですら騎士とは違って誰も知らない場所です。


 唯一の救いは、執事長もまた私たちと同じように血反吐をまき散らしていることでしょうか。あのジジイが半死にする光景なんて相当にレアです。それだけは超楽しいです。


 ジジイがごはぁする姿をもっと見たい。

 その一心で全員がこの辛い訓練を耐え抜きました。


「みなさん、今日までよく耐えました」


 12日間の基礎訓練を終えた私たちに教官である大師範が言いました。


 それは英雄『殺陣領域さつじんりょういきセツナ』の大師範、シキ様でした。

 迎賓館襲撃のメンバーであり、女王陛下の案内にもたびたび顔を見せる犬耳メイドです。


 シキ様が手をひらりと振ると、私たちの手から忌々しい呪いの腕輪が取れました。

 その光景に思わず涙腺が熱くなりますが、執事長がいるので我慢です。執事長がいなかったら泣いてましたね。


「すでに前例があるので疑いようはないかと思いますが、これまでの訓練の成果をお楽しみください。では、そこのあなた、あそこまで全力で走ってみてください」


 シキ様に指名されたのは私でした。


 どうやらこの訓練を受けると凄まじい力が手に入るようですが……。

 よ、よーし。


 一瞬でした!

 一瞬で50mほど先にある壁に到着しました!


 あまりのことに壁に激突しそうになり、慌てて壁を蹴ってジャンプ!

 ふわっ、ジャンプ力もヤバいです! 5mは軽々飛べちゃいます!


 シュタリと着地した私は、わなわなする自分の手のひらを見つめました。


 こ、この力があれば執事長も殺れちゃいますよ!?


 そんなことを思う私の隣に、執事長が立っていました。


「ほう、これはこれは。この老体がここまで成長しますか」


 そういえば、執事長も同じ訓練を受けていました。

 私は喜びの表情を消し、楚々としました。影衆に喜怒哀楽は不要なのです。特に執事長の前では。


 修行の前半の成果を確認した私たちは再整列して、シキ様の話を聞きます。


「さて、みなさんはこれから後半の修行に入ります。しかし、残念ながらこの村にはスパイ活動で名を馳せた人物の英雄結晶は存在しません」


 30個も英雄結晶がある村でも、ないものはないようです。


「ですが、武術系の全ての英雄結晶で気配の操作を学べますし、そこにさらに複数の英雄信仰を組み合わせることで、隠密としての技術を格段に上げられるでしょう。こちらで隠密の特別メニューを作ってきましたので、あなた方にはそれに参加していただきます。もちろん、異論は認めます。この村はなりたい自分になるための村でもありますから」


 シキ様は異論を認めてくれますが、ジジイは認めてくれません。

 それが影衆。隠密コース一択です。


 それにしても、複数の英雄ですか。

 パッと思いつくのは、キャサグメ様が大師範をする『涙雨 ロミオ』でしょうか。演技と歌を司っているそうですから、隠密活動に便利そうです。


 まあなんにしても、私たちは粛々と修行を受けるだけです。




 後半の初めの頃は隠密に便利な魔法の習得などをして、まあそこまで大変には思いませんでした。

 覚えた魔法を駆使してゴブリンやオークの集落を襲撃することもあり、自分がメキメキ強くなっていくのはなかなかに楽しいものです。


 キャサグメ様の演技のレッスンは心のオアシスでした。

 あの人はイケメンですし、演技のレッスンなのでさすがに殺伐とはしていません。キャサグメ様が奏でるピアノという楽器に合わせて歌った時なんて超楽しかったです。


 アニメという動く絵に声を入れるレッスンはなかなかに恥ずかしかったですが、おかげでわたくし、高飛車系巨乳お嬢様にも変装できるようになりましてよ~っ!


 そんなある日、本日はきついサイドの修練の日です。

 シキ様が整列する私たちに言いました。


「これから森の探索をしてもらいます」


 その背後にはなかなか深そうな森があります。


 とはいえ、すでに後半の修行で魔物の集落をいくつか殲滅している私たちです。恐れるに足らずといったところでしょう。

 新たにたくさんの魔法を覚えて自信満々だった私たちは、どんと来いと言った感じです。


「ではみなさん、これを装着してください」


 シキ様の前にあるテーブルには、『心☆眼』とアアウィオルの文字で書かれた目隠しが。

 あーいたたた、頭おかしい修行来ちゃいましたかー、とキリリ顔で嘆きます。


「それでは、執事長様で見本を見せましょう。ご協力をお願いします」


「よろしくお願いします」


 執事長の内心は分からないですが、平常運転で進み出るのはさすがです。


「まずは地図を覚えてください」


 執事長はシキ様から渡された地図を一瞬だけ見て、返しました。

 一瞬で物を覚えるのも隠密の嗜みなのです。


「では、目隠しを」


 そうしてから、執事長は『心☆眼』で目を隠しました。

 目がある部分と鼻梁に『心☆眼』とそれぞれ配置されるので、滑稽なその姿を見た同僚が指を差して笑います。もちろん声は出していません。

 私も腹を抱えて笑いたい気分ですが、この村でレベルアップした執事長の前でそんなことはできません。たぶん、アホな同僚はあとでお仕置きされるでしょう。


「これは……一切の光が失われるのですか」


「はい。これから皆さんにはこの状態で森に入っていただき、中心部まで向かってもらいます」


「ほう、面白いですな。条件は?」


 全然面白くないわー。

 キャサグメ様とレッスンしたいです。


「時間制限はありません。到着した方から順番に本日の訓練は終了となります。武器や魔法の使用も許可します。ただ、全員が目隠しをしたあとに、それぞれを別々の場所に転移させます。つまりスタート地点が別々になります。あとはこの目隠しはゴールに到着するまで外れません」


「承知しました」


 執事長は頷きます。

 私たちもそれだけで全て理解しました。つまり、これまでに覚えたことで全部どうにかしろというわけですね。


 それから私たちも地図を見てから、クソダサの目隠しをしていきます。


「では私が手を叩いた1分後から行動を開始してください。それまでは魔法なども使わないようにお願いします」


 そう言ったシキ様が手を叩きます。




 1分。

 リゾート村が持ち込んだ新しい時間の概念ですが、私たちはすでにその時間感覚を正確に叩き込まれています。


 その1分間で周囲の気配を探ります。


 死の気配はありませんね。

 職業柄か、もともと死の気配には敏感な方でしたが、前半の修行で背中から壁に叩きつけられまくったせいで、死の気配への感度が格段に上がっています。

 たぶん、血反吐をまき散らすあの訓練は、その目的もあったのでしょう。


 1分経つと、私はさっそく『ソナー』を使いました。


 これは新しく覚えた魔法で、周囲の地形を術者に教えてくれます。

 普通の人なら何の役に立つのかと思うでしょうが、物陰に隠れたり、暗い場所に潜みがちな影衆には大変に便利な魔法です。


 さて、森の入り口に立っていた私たちですが、どうやらたしかに私一人で森の中にいるようです。


「……超心細いですわ~」


 私は弱気を冗談に混ぜ込んで気を紛らわせます。

 めっちゃ心細いです! なにこれ!?


 と、とりあえず、こんなイカれた訓練なんて早いところ終わらせましょう。


 私は五感に意識を集中します。

 ふむふむ、川があっちで、この匂いは花畑ですか。


 私の脳裏に、最初に見せてもらった地図が鮮明に蘇ります。

 それらの情報から、現在位置をはじき出します。


「最初に向いている方向が正解じゃないのが嫌らしいですね」


 あの犬耳メイドめ、進むべき方向に対して右向きに転移させやがってます。


 私はそれを修正しつつ、森の中を歩き始めました。




「っ!」


 現在、私は何者かに狙われています。

 いえ、何者というか、たぶん謎のゴーレムでしょう。


 ゴブリンやオークの集落を殲滅すると、毎回謎のゴーレムが乱入してくるのです。これは一緒に修行する同僚たちも遭遇しているみたいなので、おそらくはシキ様の手勢でしょう。


 私の実力のギリギリを狙ってくるあたり、今狙ってきている相手も絶対に謎のゴーレムです。


「っ!」


 投擲物の気配に私は木の陰から飛び出して、別の木の陰に転がり込みます。

 その際にはこちらからもナイフを数本投げつけます。


 元いた木に相手からの投擲物が当たり、強い生木の匂いを出します。おそらく木が抉れているのでしょう。

 一方、私が投げたナイフも相手が隠れている木に当たった様子です。いまの私の投擲は木を貫通するほどの威力ですが、どうやら仕留めてはいないようですね。


 しかたありませんね。


「……」


『私』は木から飛び出して、中央とは別の方角へ逃げました。

 謎のゴーレムもそれを追跡します。


 私は息を殺して、その気配を見送りました。


 魔法『影分身』。

 これも新しく覚えた魔法の一つです。


 術者と同じ姿の分身を作り出し、操作する魔法です。

 分身の能力は作り出した際に込めた魔力に依存し、術者本人よりも強くなることは絶対にない特徴があります。


 使用方法も運用方法もなかなか難しい魔法ですが、使いこなせれば強力な魔法でしょう。

 この魔法を覚えた日には、アホな同僚がさっそくセルフなエロをしていたようですが、私は絶対にそんな情けない真似はしません……っ!




 目隠しをしながら中央を目指していると、五感がどんどん研ぎ澄まされていきます。


 ソナーを打ち込む回数は減り、1回打ち込めばまるで地図のように脳内に残ります。

 自分以外の出す音を聞き逃さず、鼻は小さな環境の変化も嗅ぎ分けます。舌を通る空気の味から周りの木々の位置すらもわかってきました。

 最初の内はビクビクしていた歩行にも自信が宿ったように思えます。


 げに恐ろしきは、古の英雄『殺陣領域セツナ』様。

 本日の私が訓練するにあたり信仰している英雄です。


 古の英雄は、今の我々が把握していないような魔物と戦っていたようで、彼らの技術力は尋常なものではありません。

 その中の必須技術には、いま私がやっているような隠遁しながらの森歩きもあるのです。


 だからでしょう、私の隠遁の技術力は凄まじい速さで上がっていきます。


「っ!」


 背後から迫ってきた投擲物に反応して、ナイフを投げつけました。

 タンッと音を奏で、空中で相手の投擲物をナイフが撃ち抜きます。


「もう無駄ですよ。お帰りください」


 内心でめっちゃ嬉しい私ですが、それを押し殺してカッコつけます。

 すると、投擲物の激しさが増しました。


「なんでぇ!?」


 私は慌てて木の陰に飛び込みました。

 ヤバいです! あいつ、今まで手加減してたんですぅ!




「お、終わった……!」


 結局もう1段階レベルアップした謎のゴーレムの追跡を巻きつつ、私はようやく森の中央に到着しました。


 その領域に入ると、私の目から自然と目隠しが取れました。


 地図でどういう場所なのかはすでに知っていましたが、そこは木々が切り開かれた小さな草原でした。

 すでに日は傾き、ご飯に間に合いそうなことにホッと一安心です。


 その場所には目を瞑った執事長が立っていました。


「お前が1番だ」


「はい」


 まあ執事長が1番ですが、わざわざ指摘して冗談を言い合う仲でもないので、素直に返事をしておきました。


「どうだった?」


「隠遁術を真に理解できたかと思います。そして、これもまた入門なのだとも」


「それがわかるのならば良い」


 迎賓館襲撃事件の日、多くの人が悔しい想いをしました。

 その中でも、騎士団長のラインハルト様と、影衆の頭領である執事長の無念さは別格だったでしょう。


 だからこそ、してやられた相手に頭を下げ、その技術をものにしようとしています。

 超真面目です。

 もうちょっとウェイウェイして生きていいと思いますが、それを言ったら殺されそうなので黙っておきます。

 そんなことよりも、ご飯を食べたいんですが。


 こんなふうに、私たちの訓練は続きました。


 そして、この訓練を終えた時、私たち全員が数か月前の執事長を遥かに超えるほどの隠密集団になったのです。まあ、その頭領である執事長はさらにヤバい化け物に変わっていましたが。


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