第8話 ニャル 猫姉妹の旅路


「ごめんね」


 ミャムムを背負うギール君に、ニャルは謝った。


「いいよ。いつもやってるポーターに比べれば軽いもんさ」


 ギール君はとっても優しいの。

 ニャルが小さい頃にいたゾルバ帝国だと、ニャル達みたいな獣人を虐める男の子は多かったのに。あの国の男の子とは同じ生き物とは思えない。


 もちろんギール君だけに背負わせるのはダメなので、ニャルも代わりばんこでミャムムをおんぶして頑張って歩いた。


 道が途中まで一緒の農家さんの荷馬車に乗せてもらえる幸運もあったりして、旅は順調に進み、あっという間に3日が過ぎた。


 天気はとてもよく、夜の寒さも考えていたよりずっと穏やかだった。

 というか、ニャル達が暮らすボロ小屋は隙間風が酷いから、雨や雪さえ降らなければ外もあまり変わらないの。


「ホントに盗賊とか魔物って出ないんだね」


「ああ。そんなの王都圏じゃ出ないよ。でも、やっぱり森に入ると魔物は出るみたいだけどな」


 だからからか、歩いて旅をする人もニャル達のほかに結構いるみたい。大人ばっかりだけどね。


「ろくでもない貴族が治めてる領だと大変みたいだぜ。たとえば北西の方にあるゲロス伯爵ってのが治める領地はマジでヤバいって先輩たちが言ってた。お前も冒険者を続けるなら、領地を越える時はちゃんと情報を仕入れた方がいいぞ」


「ふーん」


 領地を越えるなんて考えられない。

 ギール君はいろいろな場所に行きたいタイプの冒険者なのかな?


 そんなふうにギール君とお話したりして、旅は順調に進んだ。

 ミャムムの体調も悪化せず、いつもより元気なくらいだった。

 小屋の埃っぽい空気じゃなくて、綺麗な空気を吸ってるからかな。私やギール君がずっと背負っているから、そのおかげもあると思う。




 パチパチと焚火が燃える。


 街道は計画的に進むとお宿や休憩所で夜を過ごせるけど、ニャル達の歩く速さだと上手い具合にたどり着けない。ああいう場所は馬車や大人用なんだと思う。だから中途半端な場所で3人だけの野宿なの。


 お夕飯は硬いパンと干し肉、荷馬車のおじさんにもらったリンゴ。リンゴは6つも貰えたから、1日1つずつ食べるの。


「ケホケホ」


「ミャムム、お薬飲もうね」


「うん」


 ミャムムにお薬を飲ませて、そのあとにリンゴを食べさせてあげた。

 いつも苦いと言うミャムムがニコパと笑ってくれた。


 ニャルは寝息を立てるミャムムを抱っこしながら毛布にくるまった。


「ねえ、ギール君。どうしてこんなによくしてくれるの?」


 焚火を見てくれているギール君に尋ねた。

 ギール君は枯れ枝で焚火をつつきながら、ポツリと言った。


「俺にも妹がいたんだよ。4年前、冬の寒い日に死んじまった」


「……ごめん」


「いいよ」


 それはきっと、この世界のどこにでもあるありきたりな話。

 でも、ギール君にとってたった一つの命だった。

 もちろん、ニャルにとってもミャムムは同じ。


 途中でギール君と交代して、火の番をする。

 それがこの旅でのニャルとギール君の決め事。

 ニャルは眠い目を擦って、頑張った。




 天気は相変わらず良く、冬が終わってもう春になったみたいな暖かい日が続いた。

 このまま無事につけるかもって思ってた。


 7日目。

 予定では今日中に目的の村に到着できるはず。


 でも、その朝は急激に冷え込み、ミャムムの容体が悪化した。


「凄い熱!」


 ミャムムの頭が怖いほど熱い。

 それなのにカタカタと寒がっている。


「ニャル、残りのポーションを全部飲ませろ」


「う、うん!」


 ポーションを飲ませると、ミャムムは顔を歪めて涙を流した。

 ニャルはすぐにリンゴを齧って口の中で柔らかくして、ミャムムの口に入れた。


「お姉ちゃ、おいちい……」


 ミャムムが目を薄く開いて、弱弱しく笑った。


「ニャル。これをミャムムに着せろ」


 ギール君が自分の毛布を広げて見せた。

 それには破いて空けた小さな穴が3つあった。

 見習い冒険者にとって大切な毛布なのに、ミャムムのために作ってくれたんだ。


「ありがとう」


 ギール君の優しさに感謝しながら、ニャルはミャムムに毛布を着させた。

 そうして、ギール君はミャムムをおぶり、落ちないように紐で体を結びつける。


「これも」


 ニャルは自分の分の毛布もミャムムの頭からかぶせて、ギール君の首元で端を結んだ。


「ニャル、お前は寒くないのか?」


「大丈夫!」


「そうか。ゴホッ……ゴホゴホッ」


 ギール君が咳をした。


「ぎ、ギール君……?」


 ニャルは、思わずギール君が背負うミャムムの横顔を見た。

 この旅でギール君にうつしちゃったんだ……っ!


「大丈夫だ。急ぐぞ」


「う、うん! でも、無理そうなら代わるからね」


「お前じゃ遅すぎるよ。大丈夫だ」


 ギール君はそう言って力強く笑った。


 きっと今日中につくはず。

 そう信じて、ニャル達はまだ陽が明けきらないうちから歩き出した。


 王都の近くの街道だというのに、驚くほど人がいない。

 空は分厚い雲に覆われて、とっくの昔に日は昇っているはずなのに怖いくらいに暗かった。


 嫌な予感がした。


 大人は天気を予想するのが上手いの。

 長く生きていれば、なんとなくわかるんだって。

 全員がそうではないけど、村なら村人同士でそんな話になるし、町なら門兵さんが声をかけてくれたりする。


 だから、人の姿がないのはそういうことなんだろう。

 きっと、この冬で最後の、そして一番の寒さがやってくるんだ。


 嫌な予感は当たっちゃった。

 昼が近づく頃に、天気が崩れたの。


「ゴホッ。くそ、雪か」


 曇り空からハラハラと雪が降り始めた。


「そんな、きっともう少しで着くはずなのに!」


「立ち止まるな。雪の中で野宿なんてしたら俺たちだって死んじまう。急ごう!」


 ニャル達は街道を急いだ。

 雪は次第に大粒のものに変わり、街道の外の枯草を白く染めていく。


 雪と曇り空のせいで遠くの物の姿が見えなくなった。

 遠くに見えていた王都も姿を消し、ニャル達は街道を信じて歩くことしかできなかった。


 しばらく行くと、分かれ道にぶつかった。

 雪を載せた看板がある。


「たぶん、ここが話に聞いた分かれ道のはずだ。ニャル、字は読めるか?」


「わ、わかんない。でも見て、片方に女王様の紋章が描いてあるよ」


「じゃあそっちが王都か。一旦そっちに行くのも手か」


「でも王都に行ってもお宿に泊まるお金ないよ」


「ギルドに泊めさせてもらえばいい。1日くらいは大丈夫さ」


「そっか。じゃあ……」


 どちらが正しいかわからないけど、あとどれくらいかかるかわからない村へ行くよりも確実だ。


 そう決まりかけて心配しながらミャムムを見つめた時、ミャムムの頭に被せた毛布からお母さんの形見の髪飾りがするりと落ちた。

 髪飾りはギール君の足元の石に当たり、王都ではない方の道へ転がった。


 ニャルは髪飾りを拾い上げて、そちらの方へ目を向けた。


「お母さん……?」


 流行り病で死んじゃったお母さんは、ニャルやミャムムを連れてゾルバ帝国から逃げ出した。

 ゾルバ帝国では獣人の国境越えは重罪だから、国境の関所は通れない。

 だから、ニャル達は深い森の中を彷徨ったんだ。


 ニャルはまだ小さかったからあまり覚えていないけれど、流れる川や火の灯を見つけても、お母さんは自分の勘を信じて森を進んだ。


 それが正解だったのか、それとも回りくどい道だったのかは今となってはわからないけれど、お母さんは魔物がいる森を越えて、確かにニャル達をアアウィオルへ届けてくれた。


 猫のお耳と尻尾がぞわぞわする。

 きっと、これがお母さんの言っていた勘というやつなのだろう。


「ギール君、こっちへ行こう」


「……わかった。だけど、どうして?」


「猫獣人の勘だよ」


「それは冒険者にとって重要らしいぜ。行こう」


 ギール君はニャルの言葉を信じて、ためらわずに村への道に入っていった。ニャルも慌ててそのあとを追った。


 それは不思議な道だった。


 王都圏の街道はどこも平らにされているけど、雨のせいでどうしても凸凹ができる。でも、この道は土なのにとても固く均されていて、凸凹は一切なく歩きやすかった。

 それに雪がたくさん降っているのに、その道には積もっていない。溶けているのかと思うけど、凍っている様子もない。

 そして、道の両側にはよくわからない物が並んで設置されているの。

 とても変な道だった。


「ケホケホ……はぁーはぁー……ケホ……」


「あとちょっとだ、ミャムム。頑張れっ! ゴホゴホッ」


 ギール君がミャムムを元気づけてくれる。

 雪が音を消し、ニャル達の息遣いばかりが灰色の世界に流れていた。


 村の姿は未だに見えない中、雪がどんどん強くなっていく。

 ニャルは涙なのか雪なのかわからない雫を拭って、必死に歩き続けた。


「ゴホ……エリー。あとちょっとだ、頑張れ、エリー……っ」


 その時、ギール君がそう言って膝をついてしまった。


「ギール君!」


 慌てて駆け寄ってギール君の頭に手を当てると、凄く熱かった。


「みゃぅ……ごめん、ごめんね、ギール君……」


「ニャ、ニャル……エリーを……」


 意識が朦朧としているのか、ギール君はそう呟く。

 それはきっと、ギール君の死んじゃった妹の名前。


 ニャルは涙を拭い、ギール君を肩に担いだ。

 ミャムムとギール君、2人分の重さがずしりと背中にのしかかる。


「ひぅぐぅ……」


 震える足で、一歩ずつ歩く。


「うっく……」


 どうして心優しいギール君が死んじゃうのだろう。


「みゃー……みゃー……」


 どうしてまだ幼いミャムムが死んじゃうのだろう。


 2人の重さに、ニャルは膝をついた。


「お母さん……!」


 こっちの道は間違いだったの?

 お母さんみたいに上手に勘を読めなかった?


 後悔しても、もうどうにもならない。

 白い世界でニャルは叫んだ。


「神様……神様ぁ……っ!」


 どうか、ミャムムとギール君を助けてください……っ!


 ニャルは心の底からお母さんと神様にお祈りし続けた。


 その時、不思議なことが起こったの。

 街道の横にふわりと光が灯ったんだ。

 その光はニャル達が進む道を照らすように続き、あっという間に雪の中に一本の光の道が現れた。


 あまりの美しさにニャルは茫然とした。

 そんなニャル達の前に、1人の女の人が現れたんだ。


 神官様の服を着たとても綺麗な女の人。

 光の道に現れたその人は、ああ、きっと神様に違いない。


「ここまでよく頑張りましたね」


 その言葉にニャルは泣きながらお願いしたの。


「か、神様。ミャムムとギール君を助けて……っ」


 すると神様は言った。


「わたくしは創造神様の|僕(しもべ)にすぎませんが、その願いを叶えましょう」


 神様は持っている杖でトンと地面を突いた。

 すると、ニャル達の体が温かな光に包まれたの。


 ニャルの体から、この旅で溜まった疲れがふわりと消えていく。冷たくて鈍い痛みがあった足の指もぽかぽかしてなんだか気持ちいい。


「う、く……あ、ああ?」


 ニャルの背中でぐったりしているギール君の腕にも力が宿った。


「エリー……っ!」


 ギール君はニャルの耳元で涙ぐんだ声でそう呟くと、ニャルの肩口の服を一度ギュッと握ってから起き上がった。


 ギール君はへたり込みながら涙を拭い、自分の手のひらを見つめた。きっと、ニャルと同じで疲れが吹き飛んだんだ。


 そして、そんなギール君が背負うミャムムは、呼吸が落ち着き、真っ青だった顔に赤みが戻ったの!  最近ずっとへんにょりしていたお耳も、元気にピンとしてるんだ!


「みゃ、ミャムム……っ!」


 ギール君が降ろしてくれたミャムムを、ニャルはギュッと抱きしめた。


「うにゅ……みゃう……お姉ちゃ?」


 猫っ気を漏らしながら、ミャムムが目を覚ました。


「お姉ちゃ、苦ちいよ」


 ミャムムが腕の中でもぞもぞするので、ニャルは慌てて腕の力を弱めた。


 ミャムムは自分の足で立てるまでに元気になっていた。

 ギール君の毛布で作った服を引きずりながらも立つその姿を見て、ニャルの目からまた涙が出てきたよ。


「にゃぐぅ……あぃがとうです、神様……っ!」


 ニャルは地面に額をつけてお礼を言った。


 ニャルは、なんで偉い人に対してこうやって頭を下げるのか今までわからなかった。

 だけど、いまならわかる。

 心から溢れるほどの感謝は、体を震わせて震わせて、力を抜いちゃうんだ。だから、こうやってお礼を言うしかなくなっちゃうんだ。


 神様はそんなニャルの頭を撫でて顔を上げさせた。


「お礼は不要ですよ。運命を切り開いたのはあなたたち自身なのですから」


 神様はそう言うと、隣で心配そうにニャルを見ていたミャムムを軽々と抱きかかえた。


「さあ、立ちなさい。ここまで来たのですから、最後までその足で進むのです」


 そう言って神様が歩き出すので、ニャルとギール君は慌ててそのあとを追った。


 周りは大雪なのに、ニャル達にはもう一粒の雪も降り注がなかったんだ。

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