第4話 ステリーナ・ザライ お嬢様の悩み


 わたくしはステリーナ・ザライ。

 お父様はアアウィオル王国の侯爵をしておりますの。


 最近のわたくしには悩みがありましたの。

 いえ、今もあるのですが、悩みが変化したと申しましょうか。

 全ては一人の殿方を中心に、わたくしの心は乱れていますの。




 ことの起こりは昨年の年末、そう、祝福の月のことでした。

 あの日、晩餐会から帰ってきたお父様は眠っていたわたくしたち家族を起こして、食堂に集めました。他にも、上級使用人たちも同席しましたわね。


 そして、お父様は迎賓館で起こった恐るべき出来事を語ったのです。


 たった8人に王国が敗北した……ですの?

 ふぇええ、なにを言っているのでしょう、この酔っ払いは。

 と、正直、そんなありえない話、わたくしは信じませんでしたわ。

 お母様もそう。


「あなた、晩餐会を楽しみになられたとは言え、いささかお酒を飲みすぎではありませんか?」


 わたくしと違って、お母様は実際にそう口にしましたわ。

 お父様は大きなため息を吐きました。


「よいか。これからのアアウィオル王国はその認識では生き残れぬ。キャサグメ男爵。この名前を絶対に忘れるな。そして、絶対に敵対するな。見かけても睨みつけるなどのつまらぬことをするな。もし、知らぬうちに奴らの尾を踏んでしまったなら、こちらから謝罪することを許す。とにかく、絶対に火を大きくするな」


 お父様は続けます。


「今宵のことは緘口令が出ている。白黒騎士団が完敗したからな、表には出せん。だから、この話はこの場限りとせよ。もし末端の使用人が無礼を働きそうになったなら、お前らが必ず止めるように。いいな?」


 お父様は上級使用人たちへ厳命しましたわ。

 みんな困惑していますが、お父様の本気の顔を見て、頷いていますわ。


 お父様の様子から、どうやら本当のことのようです。

 弟はまだ小さいのであまり理解していないようですが、わたくしはそれを聞いて震えあがりましたわ。

 なんて恐ろしい男が王国貴族になってしまったのでしょうと。


 わたくしは侯爵家の娘です。

 通常ならわたくしが次のザライ家当主ですが、長男長女が婿入りや嫁入りすることもありますので、もしかしたら、そのような恐ろしい男の下へ嫁がされてしまうかもしれません。


 わたくしはその日の夜、恐ろしくて眠れませんでしたわ。




 それからの王都では、キャサグメ一味の話でもちきりでしたわ。

 平民の方々の間では存じ上げませんが、お友達のお茶会に行けば必ず話に上がりますの。


 お父様の話はああいうものでしたが、わたくしのお友達の中には、『彼らと騒動を起こしたなら勘当する』なんて苛烈な命令があった子もいらしたの。


 その子はとても震えて、可哀そうでしたわ。

 自分の方から何かをするタイプの子ではありませんでしたが、向こうが何かをしてきたなら、きっと泣き寝入りすることになるのですから。


 お茶会ではキャサグメの容姿についての話もたくさんありましたわ。


 曰く、異国の変わった服を着た中年剣士だとか。

 曰く、仮面をかぶった男だとか。

 曰く、貴族に見える胡散臭い男だとか。

 曰く、身の丈2mを越えるオークのような醜い男だとか。

 曰く、見たこともない魔法を使う石の手を持つ男だとか。

 ほかにもたくさんの噂話がありましたわ。


 どれが本当のキャサグメかはわかりませんが、ろくでもない男なのは間違いなさそうですわ。

 でも、武力だけはお持ちになっているので、きっと上級貴族の娘を妻にするだろうと囁かれていますの。

 わたくしは上級貴族。……うふふ、まさかですわよね?


 ある日、お父様がキャサグメ一味の村へ旅行に行ってきましたわ。


 そうしたら、なんとキャサグメは案外いいやつだったって言いますのよ!

 さらに、侯爵家はこれからキャサグメ男爵と深く付き合うと宣言したんですの!


 わたくしが生贄にされてしまう未来がどんどん現実味を増してきて、この時期のわたくしは、いつもしゅんとしていましたわ。


 あ、でも、お土産に買ってきた髪用液体石鹸のシャンプーなどは大変に素晴らしかったですわ。

 でもでも、きっとこれで磨き上げた美しさは、ゴブリンのように粗野な男爵に捧げられてしまうんですのね。無常な話ですわ……。


 その時まではそんなふうに思っていましたの。




 この件が動き出したのは、迎賓館襲撃事件から約1か月後のことでした。

 なんと剣聖教会の大師範トバチリ様がキャサグメ一味を成敗するという話になりましたの。

 わたくしの人生に一筋の光明が照らした瞬間に思えましたわ。

 トバチリ様はとてもお強いらしいですので、これで一安心ですわね。


 でも、人間、怖いもの見たさというのはありませんこと?

 わたくしもトバチリ様が成敗するキャサグメという男を見に行くことにしましたの。将来、わたくしの夫になるはずだった男の姿を。


 そうしてお父様とともに闘技場に行ったのですが――


 これがもう、びっくりですのよーっ!


 なんとキャサグメ様は、めちゃくちゃ素敵な貴公子でしたの!

 それにわたくしにウインクまでしてくださいましたわ!

 ステリーナ、もうドッキドキですわーっ!


 でも、このままではトバチリに殺されてしまうという事実に気づき、わたくしはお父様に決闘を止めてもらおうとしましたわ。

 けれど、お父様はわたくしに怪訝な顔を見せるばかり。


 ええーい、お父様の馬鹿! グズ!

 将来、わたくしの夫になる方かもしれないのですのよ!?


 全っ然いらない心配でしたわ!


 弟子というロビン君が可愛いのに凄く強いんですの!


 それからも伝説的な戦いが繰り広げられていたそうですが、わたくしは舞台の上のキャサグメ様ばかり見ていましたわ。

 なんて堂々とした姿でしょうか。

 あの方がわたくしの将来の夫……。




 それから数日後に、正式にキャサグメ様の村がオープンしましたの。


 わたくしはお父様に連れられて、朝も早くから出発しましたわ。

 なんと王家の方々や、ほかの四侯爵家もご一緒なんですの!

 さすがわたくしの夫になる方。アアウィオルに名立たる方々も一目置いていらっしゃるのですのね。


 それにしても、クロウリー閣下のご息女のアリーシャ様は、なぜスライムさんをモチモチしていたのでしょう? 人見知りが激しい子と聞いたことがありますが、スライムさんを友達にしているんでしょうか? 変わっていますわね。

 あっ、わたくしに見られているのに気付いて、シュッと隠れてしまいましたわ。


 王都から鐘1つ分の時間で着く場所なので、あっという間に到着しました。


 はわー、ここがわたくしの暮らすことになる村……。

 わたくしは、村なのにずいぶん立派な外壁を見上げて、そう思いましたわ。


 どんな素敵なお屋敷が建っているのかしらと想像を膨らませて待つこと1刻(※30分)ほどでしょうか。いよいよキャサグメ様の村に入りましたわ。


 ……びっくりですのーっ!

 なんと、キャサグメ様の村は海洋の大都市でしたのよ!


 自分でも何を言っているのかわかりませんが、ありのままを説明するとそうなってしまいますの!


 歓迎の花びらが舞う中、キャサグメ様は陛下から順番にご挨拶なさっていますわ。


 この世のものとは思えないほど素敵な風景への感動もそこそこに、わたくしはキャサグメ様がご挨拶に来てくださるのをドキドキして待ちましたわ。


 そうして、ついにお父様にお声をかけましたの!


「ザライ閣下。ようこそおいでくださいました。村開き早々にご訪問いただき、感謝の言葉もございません」


「はっはっはっ、この村の噂が広まったらのびのびと過ごせんかもしれないからな。最後のチャンスと思い、早めに来た」


「高く評価していただけて光栄にございます」


「おっとそうだ。こちらは私の妻のセリナだ」


「奥方様、ようこそおいでくださいました。村人一同、誠心誠意をもっておもてなし致しますので、どうぞごゆるりとご滞在ください」


「は、はい。よろしくお願いしますね」


「はははっ、妻は少し驚いているようだ。すまんな」


「あ、あなたがちゃんと説明しないからですよ!」


 などとお父様とお母様がやりあっていますが、早くわたくしを紹介してくださいまし!


「これは長女のステリーナだ」


 そうして、やっとキャサグメ様はわたくしを見てくださいましたわ。

 にこりと微笑んでくださいます。


「ステリーナ様。ようこそおいでくださいました。この村にはステリーナ様に気に入っていただけそうな遊びの場や癒しの場を多数ご用意しております。どうぞ楽しんでいってください」


「は、はいぃ……」


 この方がわたくしの夫になる方!


 カッコよすぎます。

 もじもじが止まりませんわ!


 キャサグメ様はまだ幼い弟にも、貴族の一員としてしっかりと接してくださいましたわ。

 弟は頑張ってご挨拶しています。頑張りましたね?


「少々この地は暑いので、もしよろしければこちらをお使いください」


 キャサグメ様はそう言うと、何もないところに馬車を出しましたわ。


 側仕えの者がその馬車の壁面を少し弄ると、なんと一瞬で屋台のようになってしまいましたの!


 それも普通の屋台ではありませんわ。帽子やアクセサリーが売っているオシャレな屋台なんですの!


 そして、わたくしに白い麦わら帽子を勧めてくださいましわ。

 とっても素敵なデザインなんですの!


「あわっ。あ、ありがとうございましゅわ」


 それを受け取ったわたくしは、火照った顔を隠すために麦わら帽子を深く被りました。

 するとどうでしょう。ふわりと体に風が駆け抜けていきましたのよ?


「まあ涼しい!」


 同じく麦わら帽子を頂いたお母様が言いました。

 わたくしもコクコクと頷きます。


「この麦わら帽子は、耐熱、耐日焼けの魔法が付与されております。宿に着きましたら、日焼け防止の良い薬がございますので、ひとまずはそちらで日除けをしていただければと存じます」


 なんてお気遣いでしょう。

 素敵すぎますわーっ!

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