第34話 レナ 人生が変わった日 2


 あたしの名前はレナ。

 見習い冒険者だよ!


 今日はあたしたちの人生がすんごく変わった日。


 ことの発端は剣聖教会とキャサグメ様との決闘だったんだけど、あたしたちは運良くその戦いの観戦チケットを貰えたんだ。しかも無料!


 あたしはそのチケットを手に入れた瞬間に、『これは銀貨3枚になる!』ってピンと来て売ろうと思ったんだけど、友達のミリーが悲しいことを言い始めたんだ。


 もう毛布の中で泣きながら寝たくないってさ。


 このチケットが本当に人生を変えるかもしれないって言うから、あたしはその話に乗ったんだ。

 だって、そんなのあたしだって一緒だったから。


 そうしたらね、本当に変わったの!


 闘技場に行ったあたしたちは、驚きの連続だった。

 1か月くらい行方不明だったロビン君があの超怖いカマセーヌをボッコボコにしたり、超カッコイイ男爵のキャサグメ様が不思議な魔道具を見せてくれたり、ロビン君と白騎士のレイン様がスタンピードを鎮圧したり。

 それでロビン君は女王陛下にとっても褒められたの!


 でもね、それで話は終わらなかったんだ。


 全部が終わった後、あたしたちは闘技場にしばらく残ってたんだ。

 あたしたち見習い冒険者の女の子はみんな小さいし、興奮しながら帰る大人の男の人と一緒に外へ行くと、ぶつかってケガしちゃうからね。


 そんなあたしたちの前に、犬耳メイドのシキさんが来たんだ。


 リゾート村っていうところに行けばロビン君みたいになれるって言うから、あたしたちはその村に向かったんだ。


 そしていま、あたしたちは楽園の入り口に立っているの!


 


 あたしたちが暮らすアアウィオル王国は、いま冬だった。


 だけど、不思議な門を潜ると、そこはポカポカの太陽で汗が噴き出すような暖かい場所だったの。


「ようこそ、リゾート村へ」


 シキさんの歓迎の言葉を、みんなはどれだけ聞いていたか。


 あたしたちは展望台の手すりに手をかけて、この世のものとも思えない綺麗な風景を見つめ続けていた。

 すると、しゅんとする子が現れた。


「……タータ、死んじゃったの?」


 普通よりも少し早い10歳で家を追い出されてしまったタータが、そんなことを言った。


「どういうこと?」


「だって、天国みたいなの」


 それを聞いて、あたしたちは違うよって言えなかった。

 実は昨晩が凄く寒い日で、みんな一緒に死んじゃったのかもしれないじゃない?

 この光景を前にすると、タータの言葉は凄く説得力があったんだ。


 シキさんはそんなタータを抱っこして、言った。


「いいえ。ここは楽園・リゾート村です。これからあなたたちが過ごし、学ぶ場所。あなたが本当の天国へ行くのは、まだまだずっと先のことですよ」


 タータはシキさんの微笑みを受けて、わかっているのかわかっていないのか、鼻水を垂らした顔でコクンと頷いた。

 シキさんはそんなタータの鼻を、白いハンカチで拭ってあげた。


 目をギュッと瞑って鼻を拭かれたタータが、にこぱと笑ったのがとても印象的だった。


 あたしたちは、シキさんに案内されて村へ降りた。

 王都よりも立派な都市なのに、村なんだって。変なの。


 村の人たちはとっても綺麗な服を着ていて、あたしたちはちょっと浮いていた。

 この暑い中、あたしたちは女王陛下がくれた毛布をマントみたいに羽織っているからね。


 何もかもが見たことないものばかり。

 並んでいるのは普通のお店なのに、貴族様用のお店よりも綺麗なの。


「シキ様! その子たちは生徒かい?」


 通り沿いにあるお店のおじさんが、シキさんに声をかけた。


「はい。本当の第1期生ですね」


「そうですかい。それじゃあみんなに配ってやってください。アアウィオルと違ってここは暑いですからね」


「ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきます」


 店主はそう言うと、お店のカウンターにコップを並べていった。

 飲み物みたい。

 シキさんはそれを受け取り、あたしたち一人一人に配ってくれた。


「この村に来たのならもう大丈夫だぞ。頑張ったな」


 おじさんはコップを手渡しながら、そんなことを列に並ぶひとつ前の子に言った。

 その子はじわりと涙を目に浮かべていたのが印象的だった。


 木のコップの中に入っているのは、緑色の液体と氷。

 雪や氷を食べるとお腹を壊すって、昔、お父さんに引っ叩かれたけど、大丈夫なのかな?


「その細長い筒に口をつけて、ゆっくり吸い込むんですよ」


 タータが恐る恐る細長い筒をチューとした。

 すると、タータは目をパッと見開いて、体をシュピピと震わせた。


「美味しいですか?」


「冷たくて甘くてシュピピってして美味しいの!」


 タータはそう言うと、またチューとした。

 またシュピピと体を震わせて、ニコパと笑う。


「ゆっくり飲むんですよ。いきなりたくさん飲むと、お腹が冷えますからね」


 シキさんの言葉を聞きつつ、あたしたちも恐る恐る飲んでみた。


 すると、口の中に爽やかな甘みが広がって、同時に舌から喉にかけて刺激が走り、体がシュピピとした。


「「「美味しい!」」」


「それは良かったですね。では、店主さんにお礼を言いましょう」


 ハッ、そうだった!


「おじちゃん、ありがとう!」


 あたしが言うと、他の子も続々とお礼を言った。


「いいってことよ。頑張って勉強するんだぞ」


 この飲み物はメロンソーダって言うんだって。

 こんな美味しい飲み物、いったいどのくらいするんだろう。


 メロンソーダを飲み終えたあたしたちは、おじさんにもう一度お礼を言って、また村を歩いた。


 そうして大きな橋を渡ってたどり着いたのは、大きな建物がいっぱい建っている島だった。

 貴族様が住んでる島なのかな?


 違った。


 ここにあるでっかい建物が、あたしたちがこれから過ごすお家なんだって!

 しかも無料!


 寮……寮っていうのか。

 そういえば、騎士様がたくさん暮らす建物も寮って名前だったかも。騎士様の寮は一回だけ見たことがあるけど、これもそういうものなのかな?


 それにしても、これって大丈夫なのかな?

 もしかしたら、奴隷にされて売られちゃうんじゃないかな。

 だって、こんなに美味しい話ないよ?


 あたしの脳裏にそんな心配が過ったけど、ミリーやタータたちはシキさんと一緒に寮の中へ入っちゃった。


「ま、待ってよー!」


 あたしも覚悟を決めて、そのあとを追った。


 中はあたしがこれまで見てきたどんな建物よりも綺麗だった。それに外の暑さが和らいで、とっても過ごしやすい。

 寮の中を一つ一つ説明してもらうけど、あたしたちは壁に触るのも怖くて固まって移動した。


 おトイレもピカピカで、それに椅子みたいに座るの。なにこれ!

 食堂もすごく大きくて、どれだけの子がここで食べるんだろう。


 そして、そのあとに行ったのがお風呂!

 すんごい広いの!


 あたしたちは裸にされて、シキさんと一緒にお風呂に入った。


 シキさんは、あたしたちみたいにノミやダニに食べられたような跡のない、とっても綺麗な体だった。

タータはそんなシキさんにすっかり甘えてしまっている。いいなぁ。


 体や頭の洗い方を教わって、あたしたちは頑張って洗った。

 最初の1回はシキさんが見せてくれたみたいに泡が全然でなかったけど、3回目になると髪の毛からモコモコの白い泡が出た。


 あれ?


「ミリー、髪が緑色になってる!」


「ふぇ……ほ、ホントだ! え、レナも髪がピンク色になってるよ!」


「え。ホントだ!」


 見れば、他の子たちも茶色だった髪が金色になっていたり、マダラだったのが銀色になっていたりする。


「それがあなたたちの本当の髪の色なんですよ。油や汚れが落ちて、本来の色が戻ったんです」


「本当の髪の色。これが……」


 あたしは体を洗う場所にある綺麗な鏡に映った自分の姿を見て、茫然とした。別人みたいに可愛い……。


「え? あれ?」


 鏡に映った二の腕に違和感。

 綺麗な鏡だから実物よりも綺麗に映っているのかもしれないと思って、実際に二の腕に目を向けてみると、ダニに食われて赤い跡がいくつもあったのに、なんとそれが全部なくなってるの! 全然かゆくない!


「ここの石鹸は回復や解毒の効果もありますから、小さな虫などから受けた傷や毒ならすぐに治してくれます。でも、大きな傷は治らないので、きちんとしたところで治しましょうね」


 そ、そんなことが!?


 あたしはお肌が綺麗になったのがとても嬉しくて、自分も女の子だったんだって実感した。


 すっかり綺麗になってお風呂に入ると、ポカポカのお湯が体を包み込んだ。


 そうしたら、ミリーが大粒の涙を流して、泣き始めた。

 あたしもその気持ちがわかって、鼻がぐずぐずしてきた。


 ミリーは涙でお湯を汚してしまうのが怖かったようで、すぐにお湯の外に出ようとした。

 でも、一緒に入っているシキさんがミリーの腕を掴んで止めた。


「お風呂は涙を流す子を追い出しませんよ。顔にお湯をかけてみなさい。お風呂はあなたの涙を全て受け止めてくれますから」


 ミリーは震える手で顔にお湯をかけた。

 それはミリーだけじゃなく、他の子も同じ。

 そうすると、ミリーたちの涙はもうお風呂に溶けてわからなくなった。


 タータや数人の子はシキさんに抱き着いて泣いていた。

 あたしもミリーの肩を抱っこして、一緒に泣いた。


 鼻を拭いてもらったタータの笑顔や、メロンソーダをくれたおじさんの前で涙ぐんでいた子たちの姿が甦った。

 あたしも遅れてやっと、あの子たちと同じ気持ちになったんだ。


 過去を怖がり、明日が不安で、将来が見えず。

 どうしていいかわからなかった暗い人生が、このお湯のような温かな光に包まれていくような気がしたんだ。




 お風呂から出るとそこは脱衣所という場所なんだけど、入った時にはなかった机が置かれていた。その上には綺麗な服が折りたたんで置いてあった。


「これはあなたたちの服です。着方を教えますから、よく見ておいてください」


「ふ、服を貰えるの?」


 あたしがびっくりして尋ねると、シキさんは頷いた。


「で、でも、お、お金は……?」


「お金のことなら大丈夫ですよ。でも、心配というのなら、そうですね……」


 シキさんは少し考えると、続きを話した。


「例えば、ロビン君ですが。あの子も無料で技術指導を受けましたが、修行のためにこの村にあるダンジョンでたくさんの魔物を倒しました。その素材の何割かはこの村に引き取られます。この寮や学校の運営資金というのは、つまりそういうところから出てくるわけです」


「じゃあ、あたしたちも同じってこと?」


「戦闘系の技術指導を受けるならばそうですね。それ以外の技術指導を希望したとしても、様々な形でこの村に得となるので、心配せずに服を受け取ってください」


 そういうことか。

 職人さんに弟子入りして、その修行期間に何かを作って工房に貢献するのとほとんど同じだ。


 それにしても、すごくいい服。新品の服は触ったことないけど、きっとこれがそうなんだ。


 シキさんは、なおも心配するあたしを前に出して、お着替えの見本にした。


 バスタオルっていうふかふかな布でお風呂の水を拭いてもらうのは、恥ずかしかったけどとても気持ち良かった。


 下着はとても履き心地がよく、服もたぶん糸を出す魔物の素材だ。袖を通したそばから、とってもいい服なのが分かる。

 スカートはふわりとしていて、まるでお姫様になった気分だった。


「でも、それは普段着ですので、修練を行う際にはこっちの修練着を着てください」


 修練用の服も!?

 しかも、修練用の服は2着、下着も2着貰えちゃった!


 タータが言っていたように、やっぱりあたしたちはもう死んじゃってるのかも。

 だって、こんな素敵な体験、夢でもしたことないもの。




 お風呂から出てすっごく美味しいご飯を食べ終わって感動していると、ロビン君がやってきた。


「あっ、みんな!」


 戦っていた時とは全然違う人懐っこい笑顔を見せて現れたロビン君に、数人が顔を真っ赤にして立ち上がった。もちろん、その中にはミリーもいる。


 そんな中で一番に動いたのはタータだった。


「ロビン兄ちゃん!」


 だきゅっ、とロビン君に抱き着く。


「タータも来たんだね。良かった。これから寒くなるから、タータのことは心配してたんだ」


 それはあたしも心配だった。

 あまり稼げていないタータは、この冬に死んでしまうのかもしれないと思っていたんだ。

 もしもの時はあたしが貯めていたお金を分けてあげようと思っていたけど、もうその心配は無くなったんだ。


「ここあったかいね?」


「うん。わっ、タータ、凄く可愛くなったね。お風呂に入ったの?」


「うん!」


 可愛いと言ってもらえたタータを、ミリーが凄く羨ましそうに見ている。


「ちょっと待っててね。僕、お腹ペコペコなんだ」


 ロビン君はそう言うと、慣れた様子でカウンターに向かった。


 あたしはレイン様の姿を探すけど、いないみたい。

 レイン様は貴族みたいだし一緒に食べないのかな? それか、スタンピードのあとだし忙しいのかも。


 タータはロビン君の隣についていって、各料理の感想を言ってる。全部美味しいだってさ。


 タータの無邪気さが凄い。

 他の子はロビン君のカッコ良さを前にして、もじもじして動けない。


 戻ってきたロビン君は、あたしの前に座った。

 ロビン君の交流関係は知らないけど、同じ宿の同じ雑魚寝部屋にいたあたしたちに仲間意識があるみたい。


 ここのご飯はプレート料理っていうお盆にお料理がたくさん乗ってるものなの。すっごく豪勢。

 あたしたちなんて緊張しながら運んだけど、ロビン君は慣れた様子だった。それが凄く頼もしく見えて、カッコイイ。


「レナちゃんとミリーちゃんも来られて良かった。さっきは泣いてたから心配してたんだ」


「心配したのはあたしたちだよ! ミリーなんて一か月もずっと探してたんだよ」


 あたしが呆れながら言うと、ロビン君は申し訳なさそうにした。


「え、本当? ミリーちゃん、ごめんね」


「う、ううん!」


「ロビン兄ちゃん、これねぇ、とっても美味しかったの。プルプルなの」


 ミリーの出番が、タータのマイペースな言葉で終了した。


「これはゼリーっていうんだよ。今日のはブドウ味だね」


 ロビン君は備え付けの小さなスプーンでゼリーを掬うと、手皿を添えながらタータに食べさせてあげた。


 またもミリーがすんごく羨ましそうに見ている。

 あたしは年下の子に優しいロビン君と結婚したいと思い始めた。

 元から可愛くて優しい子だったけど、そこに強さが加わって、こんな最高な男の子はいないよ?

 あーあ、ミリーとセットであたしたちを奥さんにしてくれないかな?


「あ、あの、ロビン君!」


 ガタリと席を立ったミリーが上擦った声で言った。

 ロビン君はニコッとしながら首を傾げた。


「と、と、闘技場で、すっごくカッコ良かった!」


 お、おー、内気なミリーにしてはよくやったな。

 でも、ボンと顔を真っ赤にしている。


 言われたロビン君もはにかんで、テレテレした。


「ミリーちゃんの声、聞こえたよ。心配してくれてありがとうね」


 そうお礼を言われたミリーは、腰砕けになったようにへなへなと椅子に座り、手で顔を覆った。


「強くなったところをミリーちゃんたちにちゃんと見せられて良かった。でもね、全部、この村のおかげなんだ」


 それからロビン君は、この1カ月のことを語ってくれた。

 それは壮絶だったけれど、ロビン君が一生懸命頑張って、自分の人生を変えた話だった。




 あたしたちが寝起きするのは4人1組のお部屋で、二段ベッドが2つと、机が4つあった。

 お風呂に入って、綺麗な服を貰った後に案内されたんだけど、それは正解だと思う。だって、床も壁もベッドも凄く綺麗なんだもの。ボロボロの服のままじゃ、怖くてあたしたちは近寄れなかったよ。


「起きたら夢だったなんてことないかな」


 二段ベッドの上であたしがそう言うと、下のベッドにいるミリーが怒った。


「やめてよ。怖くて眠れなくなっちゃう」


「ごめんね。でもこんなにふかふかのベッドだし、そう思っちゃうよ」


「そうかも。あたしはおねしょしちゃわないか心配。追い出されちゃうかも」


「大丈夫だよ。今日のあたしたちは疲れてないし。それにシキさんは、きっとそんなことじゃ怒らないよ」


 5歳やそこらでおねしょなんて終わるけど、見習い冒険者のあたしたちにとっては違うんだ。

 でも、それはあくまで疲れすぎている時で、今日はきっと平気。

 だって、こんなに幸せなんだもの。


「ミリー。ロビン君が生きてて良かったね」


「うん」


「あの時、闘技場に行こうって誘ってくれてありがとう」


「うん」


「これから頑張ろうね」


「……うん」


「おやすみ、ミリー。ぐしゅっ」


「……おやすみ、レナちゃん。ぐすぅ」


 この日が、あたしたちにとって泣きながら眠る最後の夜になったんだ。


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