第31話 ジラート辺境伯 / ゴン
俺はこのアアウィオル東部の守護を任されている辺境伯カルロス・ジラート。
現在、俺の領地は存亡の危機に瀕していた。
砦より眺める大魔境で、先ほどから地鳴りと魔物たちの叫び声が上がり続けていた。
凄まじい規模のスタンピードが迫ってきているのだ。
「なんであの時、素直に援軍を要請しなかったのか……」
それは年末の晩餐会のことだった。
陛下がせっかくご提案くださったのに、俺はそれを断っちまったんだ。
いや、あの時点では大丈夫だと思ったんだよ。
だが、俺が領地に戻って数日後に、全然大丈夫じゃない規模になっちまったんだ。
大魔境のスタンピードは様々な原因で起こり、その原因ごとに性質が変わってくる。
今回は、2つの地域のボスが変わったことで、それらのボスの庇護下にいない魔物が、追い立てられて魔境の外に出てくるタイプだと予測できた。
こういうタイプは、逃げる魔物が深層から浅層へ向かってくる過程でそれぞれの区画の魔物を順番に追い立ててしまい、魔境の外に到達する時にはまるで雪崩のような群れとなってしまう。
それでもこの規模なら大丈夫だと踏んだのだが、運の悪いことに、このタイミングで大魔境の中にあるダンジョンからも魔物があふれ出てしまったのだ。
そのダンジョンから魔物が溢れることは今までにも何度もあったが、普通は大魔境の四方八方に広がるため人間の領域に来る魔物はそこまで多いものでもないんだ。
しかし、すでにスタンピードが起こっている状況だったため、出来上がった魔物の流れに誘導されて、その進路が全て魔境の外、つまり人間の領域へ向かってしまう最悪の事態になったわけである。
なんにせよ、なっちまったんだから腹を括るしかない。
俺はいつものスタンピードと同じように、大魔境の砦町ゼリアに来ていた。
いつもと違うのは、ここが俺の死地になることだろう。
だからといって逃げられん。
貴族は陣頭指揮を取らにゃならん。だからこそ特権があるのだから。
他の貴族の考えは知らんが、辺境伯家は魔物たちと闘争を繰り返してきた家なので、この気風は極めて強い。
ちなみに、妻と次男や次女以下の子供たちは王都方面に逃がし、領都は騎士団長とともに長男と長女が守っている。だから、俺や長男長女が死んでも家はどうにかなるだろう。
「閣下。会敵まであと2刻(※1時間)ほどです」
砦の外壁の上に立つ俺に、副騎士団長が言う。
「そうか。南北の平原の陣は整っているか」
大魔境の中にある誘導路により、魔物はこのゼリアに導かれる。だが、全部が誘導できるわけではないので、南北の平原へ広範囲に亘って陣が展開されるのが常だ。
もちろん今回もそれは変わらないのだが……おそらく、生き残れる者はいないだろう。
「はい。しかし、多くの魔物に抜かれるでしょう」
「だろうなぁ。逃げきれればいいが」
領地に点在する村々には、数日前には連絡が行ったはずだ。
予てより大規模なスタンピードの気配があると村々には伝えているが、村では荷馬車の数も限られているし、果たしてどこまで逃げられるか。
俺たちの戦いは、正直、そんな村人たちを逃がすための時間稼ぎでしかない。
「……」
俺は青い空を見上げた。
あの晩餐会の日、俺は圧倒的な強者を見た。
本当は、俺がキャサグメたちを欲しかった。
あの戦力が近くに置けるのなら、領地を多少失うくらい気にするものか。
だが、陛下も同じ考えだった。
それが果たして、アアウィオルにとって吉と出るか凶と出るかはわからないが。
「……援軍か」
ふと思い出す。
他国や魔物からの侵略を受けた際に、キャサグメたちは自分の村から援軍を出すと言っていた。
おそらくそれは今回の件でも履行されるだろう。
堂々と迎賓館にやってきたあの男が、わずかひと月で約束を破るとは思えない。
通常なら王都からここまで馬車で15日かかるが、やつらなら半分の7日程度で到着するかもしれない。いや、もしかしたら1日で来るかもしれんな。
ただ問題は、すでに送っている早馬が王都に到着するのが、やはり数日はかかることだ。スタンピードが起きた情報がなければ援軍も何もないわけで、早馬があちらに到着する頃には我が領は蹂躙されたあとだろう。
「閣下。そろそろ中央指揮台へお移りください」
「ああ」
副団長に言われて、俺は外壁の中央にある指揮台へ向かおうとした。
その時だった。
「な、何者だ!?」
近くで見張りをしていた兵士が、何者かに誰何したのだ。
そちらに目を向けると、どうやら外壁の下らしい。
隣の領から使者かと思った俺が外壁の下を見ると、そこには見覚えのある集団の姿があった。
犬耳のメイドに、仮面の男、異国の衣装をまとった剣士、扇情的な格好の魔術師の女、神官の女。迎賓館を襲ったこの5人のほかに、知らない顔もある。
「お、お、おぉ! おぉおお!」
彼らの姿を見て、思わず声が震えた。
見間違うはずがない、やつらはキャサグメの配下だ!
その中から犬耳メイドが、ふわりとジャンプして外壁に上がってきた。
スタンピードで殺気立っていた兵士たちが槍を突きつけ、副騎士団長が剣を抜く。
部下たちの行動に、俺の心臓がドキンと跳ねた。
「やめろ、味方だ!」
俺が言うと、部下たちはすぐさま矛を収めた。
犬耳メイドは特に気にした素振りもなく、優雅にお辞儀をして言った。
「エメロード女王陛下の命により、リゾート村軍、ならびに剣聖教会、援軍として馳せ参じました」
俺はこの時ほど創造神様に感謝したことはなかった。
そして、俺は、俺たちは神話のような戦いを見ることになる。
一番の激戦区となるゼリア外壁前をたったの4人で守ると言われた時は、防衛に携わる多くの者から凄い殺気が放たれたものだが、いまその全員が意見を翻して大興奮の中にあった。
「ティア殿! あの少年は本当の本当にひと月前まで見習い冒険者だったのか!?」
やつらの強さをある程度理解していた俺ですら興奮し、そばに控えている女神官のティア殿に尋ねる。
「はい。ゴブリンにすら負ける程度の実力だったそうです」
少し人を寄せ付けない印象の真面目な声で、ティア殿はそう言った。
その真偽はわからないが、事実として、ロビンという少年と白騎士レイン殿は、サイクロプスやイビルボアなどの強敵を瞬殺していた。
S級や上級下級騎士など我々の定義する枠組みではもう語れない、とんでもない強さだ。
2人は戦場を縦横無尽に駆け巡り、Bランク以上の強い魔物を倒していく。中にはSランクの魔物すらいる。
ロビンが通った道には必ず血の雨が降り、レイン殿の振るった剣の先で死んでいない魔物はいなかった。
それを『ゼリア外壁前』という非常に広い範囲で行われているのだ。信じられるか!?
「それよりも指示を出した方がよろしいのでは?」
ハッ!?
俺はティア殿の忠告を聞いて、近場の戦場に視線を戻した。
この戦場はゼリアと大魔境の間にあるわずか1km程度の平原。
2人が戦っているのは大魔境に最も近い最前線の中の最前線で、俺たちの仕事は2人が討ち漏らした魔物たちを砦の背後へ行かせないことだった。
あの2人のおかげで、兵士1人でもどうにかなるレベルの魔物たちだけが流れてくる。
「戦線を上げすぎるな! ゴルビック! 貴様の部隊だ、上がりすぎるなー! 剣聖教会、上がりすぎだ、下がれぇ! いや、下がれよ! なんで上がるんだよ!」
俺は力の限り叫び、指示を飛ばす。
外壁の北と南でも同じように副団長と冒険者ギルドの長が指示を出している。
戦線をあげてはならない。
2人が討ち漏らした敵は、ゼリアと大魔境の中間で外壁から放たれる魔法や矢の餌食となり、それでもなお抜けてきた敵が俺の足元の最終防衛ラインで討伐されていく。そういう流れなのだ。
だから、最終防衛ラインを守る者は、ロビン少年やレイン殿の英雄のごとき戦いに興奮しようが、あの場所へ行ってはならないのだ。
そんな最終防衛ラインでの戦いだって決して楽なものではない。死者がどんどん出てもおかしくない戦場だった。
しかし、まだ1名たりとも死んでおらず、戦いをやめる者すらいなかった。
それを支えているのは、俺の隣にいるティア殿だ。
彼女は、腕を食いちぎられようが、目玉が飛び出るほど頭を殴られようが、一瞬にして回復してしまう神のごとき回復魔法の使い手だった。
しかも、それを超遠距離で行なっているのだから、本当になんらかの神なのではないかとすら思えてくる。
そう、まさに神の祝福を受けているとしか思えない戦い。
この戦場の指揮を取っていることに、俺は震えるほど感動していた。
そんな時、そいつは現れた。
「れ、レッドオーガ……だと!」
たった1匹でも我が騎士団の総力をあげてやっと倒せるかという深層の化け物が、森の木々をなぎ倒して5匹も現れたのだ。
おそらく血の匂いを嗅ぎつけて、深層から出てきたのだろう。オーガ類は戦場を好むからな。
この外壁を軽々飛び越えられそうな巨体の魔物たちが、歓喜の咆哮をあげた。
その咆哮にゼリア前の平原にいた全ての魔物がすくみ上り、それに対峙する我が軍の猛者たちも戦いをやめて立ちすくむ。
だが、次の瞬間、1匹が顔面をパンチされて爆散した。
さらに、もう1匹がキョトンとしている間に爆散する。
ロビン少年だ!
慌てて反撃に入ったレッドオーガだが、なぜか振り上げた拳がおかしな場所で弾かれる。ロビン少年はまるでそれがわかっていたかのように、レッドオーガの腹に飛び込みパンチした。
パンチされた部分に巨大な風穴が開き、背中側に向かって臓物が赤い花のように飛び散った。
ハッとしてもう2匹を見れば、レイン殿に真っ二つにされているところだった。
や、やつらにはレッドオーガですら関係ないのか!?
あまりに強すぎる!
「う、うぉおおおおお! 怯むなぁ! 魔物が動きを止めた今がチャンスだぞ!」
俺は頑張って声を張り上げた。
そうして、戦闘開始から鐘1つ分(※3時間)と少しほど。
俺たちは過去最大級のスタンピードを完全勝利した。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
俺の名前は……まあ名前なんてどうでもいいか。
俺は今日死ぬのだから。
俺は、大魔境の砦町ゼリアで兵士をしている。
この町の兵士なら、スタンピードが起これば戦わなければならない。
この町の周辺が戦場となるように魔物を誘導し、そのために堅牢な外壁を持つ砦町が作られたのだから。
しかし、それでも万全ではない。魔物は森から広がって出てくるからな。
ゼリアから外れた場所に現れる魔物は魔境内の誘導路のおかげでそこまで多くはないのだが、放っておけば街道や人里を襲ってしまう。
だから、毎回、ゼリア南北の平地にも多少の兵を配置して、討ち漏らさないようしているわけだ。
ゼリアの外壁前で戦う場合は運がいい。外壁の上からの援護や人員の交代が行われるため、死ぬ確率はあまり高くない。
だが、ゼリアから外れた平原に配備された兵士は、簡易的な防壁しかないため、そこが死地となりやすい。
俺は兵士になってから5回のスタンピードを経験した。
そこそこの規模の時もあったし、恒例行事のような小規模な時もあった。
でまあ、運よく今日まで生きてこられたわけさ。
でも今回はダメだと思っていた。
20年に1度とも、50年に1度とも噂されるような大規模なスタンピードが起こる予兆があったのさ。
その予兆は最悪な形で外れてしまい、50年に1度どころではなく、過去最大級のスタンピードが起こった。
しかも、俺は北の平原に陣を敷く兵士の1人になっちまったんだ。
ついてねぇけど……まあ、どこの配属でも、たぶん一般兵の俺は死ぬだろうな。
ん? 他の領からの援軍?
はは、喜べ。王都から援軍が来たぞ!
なんと!
犬耳のメイド様が1人駆けつけてくれたのさ!
エメロード女王陛下は子供に優しい素晴らしいお方だと思っていたが、くそったれだった。
俺が辺境伯様の立場だったら、この戦いでもし生き残ったなら必ず謀反を起こすだろう。実際に、この場にいる辺境伯様の家臣団は今まで見たことがないほど殺気立っている。
メイド1人だと?
バカにしやがって!
「あなた方は簡易防壁の向こう側まで下がっていてください。もし討ち漏らしがありましたら、お手数ですがよろしくお願いします」
さらにメイドはそんなことを宣った。
気が荒い家臣団の貴族の息子が剣を抜いてしまったが、それをほかの家臣が止めた。
なんであれ、本当に王家が寄越したのなら斬るのはまずい。
俺たちは貴族も平民もなくここで死ぬだろうが、万が一メイドの死が味方によるものだとバレたら、避難した家族の首が飛ぶかもしれない。
「くそっ!」
平原のど真ん中へ歩いていくメイドの後ろ姿を、俺たちはやるせない気持ちで見つめるしかなかった。
………………
…………
……あ、うん。
勘違いだったわ。
あのメイド、いや、メイド様、マジでやべえ。
ゴブリンだろうが、オークだろうが、オーガだろうが、ブラッディベアだろうが、フォレストパイソンだろうが——もうね、全てがゴミクズのように死んでいく。
しかも、俺たちはメイド様が何をしているのかすらわからない。
ゴブリンのような俺たちでもザコに思える魔物は、とりあえず平原の真ん中くらいまで来ると無条件で死ぬ。
ブラッディベアやフォレストパイソンのような1体でも甚大な被害を出す魔物は、軽く手を振ると死ぬ。
どの魔物も必ず真っ二つになっているようだが、本当に何をしているのかわからない。
そうして死ぬと、いつのまにかその死体は消えてしまう。
そんなことが南北1kmでは済まないほどの広範囲に亘って行われていた。
メイド様が絶対の死を振りまくせいで、最前線は赤い平原に変わってしまっていた。俺たちが立っているあたりの枯草は、未だに一滴の血すら吸っていないのに。
意味が分からない。
なんなんだこれは?
死ぬ直前に見ている夢なのだろうか?
「な、なあ、俺、あの人に剣を向けちゃったんだけど……」
さっき剣を抜いちゃった家臣団の息子が足をガクガクさせて言う。
俺たちはサッと視線をそらした。
「なあ! なあったら! 俺、どうしたらいい!?」
「ちょ、触るのやめてくれますか」
先ほど止めてくれた人ですら、関わりたくない様子。
「いやだ、死にたくない! 俺、この戦いが終わったら結婚するんだよ!」
悲痛な声で言う剣を抜いちゃった人から、俺たちは目をそらし続けた。
あんな戦力、明らかに爵位を貰っているレベルだ。貰ってなくても、王家の懐刀みたいな存在であることはまず間違いない。しかも神剣レベルのとっておきの懐刀だ。
家臣団の息子程度じゃ、同じ天秤に乗ることすらおこがましいだろう。
俺の名前は……ゴン。
俺は兵士になって6回のスタンピードを経験した。
6回目の今回は俺の命日になるはずだった。
でも、フタを開けてみればケガ1つせずに終わった。
というか、俺、今回1匹も魔物倒してないんだけど。それどころか、俺たちの中で武器を構えたのは例の家臣団の息子だけだ。
しばらくすると、俺たちの前にいきなりメイド様が現れた。
剣を抜いちゃった人が尻餅をつく中、メイド様が言うには魔物の解体についてだった。
メイド様がなにかをしたせいで解体する魔物なんて戦場にはほとんどいなかったのだが、気づくと俺たちの背後に夥しい数の魔物の死骸が置かれていた。
魔物の死体なんて見慣れている俺たちですらドン引きする死体の山だった。
……え、あの……量を?
スタンピードが終わるまで増え続ける?
……や、やります!
すぐに取り掛かります!
俺たちはメイド様が葬った魔物たちを解体する作業に従事した。
なお、剣を抜いちゃった人には、特にお咎めなどなかった。きっと平民である俺たちよりも解体作業を頑張ったからだろうな。
そして、その日、ゼリア外壁前や南北の平原地域、これらの全ての戦場でメイド様と同じような存在が降臨なされていたと、俺たちはのちに知ることになる。
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