第21話 ロビン 小さな侵略者ピュー


 僕の名前はロビン。

 少し前まで農家の三男をしていた見習い冒険者だ。


 いま、僕は地獄の修行の真っ最中……っ!


「ひぃっ! ま、マジックバリア!」


 修行の中で身に着けた『マジックバリア』の魔法を展開して、老師が飛ばしてくる球体をガードする。そのうえで崖を登る。


 そう、僕は魔法を覚えていた。

 というか、覚えないと死ぬ。いや、フェニックスポーションのせいで肉体的には死なないんだけど、精神的に死ぬ。


 ある時は修練場を走り、ある時は崖を登る。1日に2時間くらい魔法や強くなるために必要なことを学ぶ座学もあるけど、それは天国だった。

 そんな僕らの地獄サイドの修行には、いつだって体が超重くなる呪いの腕輪と、追いかけてくるゴーレムが寄り添っていた。あとフェニックスポーションも。


 ずっと限界ギリギリで、少し気を抜けば壁に背中から打ちつけられる。レイン様風に言えば、壁ドンだ。


 そして、その都度、瀕死からの超回復をする。

 というか、あれは瀕死ではなく、実はあの瞬間、僕は刹那の死を体験しているのではないかとすら思える。それほどまでに命の炎がシュンとするのだ。

 これまでに僕とレイン様がまき散らした吐血の量は、僕たちの体重を遥かに超え、きっと血を好む魔物ですらドン引きするレベルだと思う。


 あまりに頭がおかしい。


 レイン様が逃げようと誘ってくれたのを断ったのは、間違いだったのかもしれない。そう思わない日はなかった。

 けれど、あの夜の次の朝、レイン様が集合場所にやってきたので、「あれ、この訓練って実は頭おかしいんじゃないかな?」と僕が遅れて気づいた頃には、逃げ出すことができなくなってしまっていた。


 だって、レイン様はあれ以来、逃げようとしないんだもの……っ!


 でも、そのおかげか、頑張っていられる。

 必死に頑張るレイン様がいなかったら、僕はきっと途中で逃げていたと思う。


「ふむ、今日はこのあたりにしておこう」


 や、やっと終わった……っ!


「ろ、ロビン君、生きてますか?」


「……うん」


 そうやってヘトヘトになって修行が終わるけど、修練場を出るころにはフェニックスポーションの効果のおかげで完全に回復しちゃう。


 だから。


「ロビン君、海に行きましょう!」


「うん!」


 海、行かずにはいられない!

 修行のあとのレイン様との遊びが、僕の心を癒してくれていた。

 たぶん、レイン様も同じだと思う。




 そんな日々が12日経過した。

 今日もダンジョン内の修練場に入った僕とレイン様に、老師が言った。


「お主たちの基礎訓練は終わりじゃ。よく頑張ったの」


「「え……」」


 老師が軽く手を振ると、茫然とする僕とレイン様の腕から呪いの腕輪が消え去った。


「「え……」」


 唐突にその瞬間が訪れて、僕たちは理解が追い付かなかった。


 でも、自分の腕を見てやっと老師の言葉の意味を理解すると、レイン様が泣き崩れた。

 僕も涙が溢れる目を解放されたばかりの腕でグシグシと拭った。


「何を泣いておる。修練が次の段階に入るだけじゃ。負荷がないだけで、次も同様に厳しい訓練になる」


「お、おぇええええ……っ!」


 レイン様が吐いた。

 僕ももらいゲロをした。


 老師はパチンと指を鳴らして僕らの粗相を無に還す。

 見ていたいものではないけれど、僕らの気持ちを表した汚物が消えたことで、拒否権すらも汚物とともに消えたように思えた。


「ではまずは、どの程度の動きができるようになったのか見てみるかの」


 老師はそう言ってつま先をトンとした。


「「ひぇ……っ!」」


 すると、老師の隣に現れるゴーレム犬。初めて見るタイプのゴーレムだ。明らかに速そう。


 ゴーレム犬は無駄にクオリティが高く、尻尾をブンブン振りながら修練場を走り回った。案の定、その動きは今までのゴーレムにない敏捷さ。


 老師がふわりと浮かんだのを合図にして、ゴーレム犬が僕らの方に駆けてきた。


「ガルルルルルルルルルル!」


「う、うわぁあああああああ!」


「ひぁああああああああああ!」


 僕らは全力で逃げた。


「なぁっ!?」


「ひぅっ!?」


 修練場がいつもよりも狭い!

 なんで!?


 僕らは慌てて修練場の壁を蹴り、強引に逃げる方向を変えた。

 地面に着地すると同時に再び駆けだすと、一気に景色が流れていく。


 今回は理解できた。

 修練場が狭くなっているんじゃない。

 僕らの走る速度が速すぎるんだ!


「やめじゃ!」


 老師の声で、ゴーレム犬が消えた。


 修練場の中心に戻った僕らに、老師は言った。


「これが第一次成長限界を超えた者の力じゃ」


「す、凄いよ、老師!」


「この力があれば副団長を殴れる……っ!」


 感動する僕と、物騒なことを呟きながら手のひらを見つめるレイン様。


「でも、どうしてこんなに短い時間で強くなれたの?」


 僕が首を傾げると、老師は言った。


「お主らが嵌めていた腕輪は、装着者の力量に応じて体と魂に負荷をかけ続ける。弱き者にはリュック程度、強き者には大岩を背負うような負荷となるわけじゃ」


 僕たちはハッとして顔を見合わせた。

 だからいつまで経っても楽にならなかったのか。


「そんな状態では普通、生活さえままならんが、お主らは修行までした。しかも、体の底から命の炎とも言うべき全力をふり絞り続けての。これで力がつかんわけがない」


 はえー、なるほど?


「じゃあ、僕らはいま、この前見せてもらった『成長概念模型』ってやつの上皿にいるんだよね?」


 僕は砂時計型のガラス模型を思い出した。

 人の成長は通常、砂時計の下部分しか使えない。上に行くには地獄の訓練をする必要があるって老師は言っていた。


「うむ。今のお主らは第一次成長限界を超えて、成長の器を十全に使える体になっている。例えばレイン嬢ちゃん。お主はレベル60だが、アアウィオルの基準では測れん力を有しておる」


「ふぁ!? な、なんてことでしょう……」


 レイン様はわなわなと手を見つめた。


「ちなみにだが、修練を続ければその力はまだまだ成長する。まだお主らは門を開けたばかりだからの、修練あるのみじゃ」


 そう言った老師は、なぜか少しハッとしてから、どこか遠い目をした。

 老師もいっぱい修行してきんだろうな。


「まあ、修行を怠らず、人生を楽しむとよい」


 僕らが頷く様子を見て、老師は話を進めた。


「さて、お主らは力を手に入れたが、その力を操れておらぬ。これからはその力を操れるように訓練していくことになる」


 いま体を動かした僕らは、老師の言葉の意味がよく理解できた。

 凄まじい力を手に入れたけど、まったく力を操れていなかったと思う。


「これからの修練では負荷の腕輪やフェニックスポーションはなしじゃ。あれらは人の感覚を著しく狂わせる。具体的に言えば、負荷の腕輪は身体能力こそ上がるが動体視力の成長が望めん。フェニックスポーションは使い続けると致死の攻撃に鈍感になり、疲労の限界を忘れてしまうのじゃ。あと、痛みを好むようになる者がたまに現れる」


 それはそうかも。

 僕らも今ならまだ平気だけど、長く使ったら、きっと咄嗟の時に『痛いけど我慢すればいい!』くらいに勘違いしちゃうと思う。


 でも、痛いのが好きな人になっちゃうってどういうことだろう? そんな人がいるのかな? いや、そういう変な感覚になっちゃうってことかな?


「それでは、ここからはお主らが求めているスタイルごとに分かれて訓練するぞ。かねてよりどの英雄結晶を信仰するか決めておくように言っておいたが、お主たちはもう決めたかの?」


 英雄を信仰することで、その結晶となった英雄の成長の足跡を辿ることができる。

 たとえば、僕が魔法を割とあっさり使えるようになったのは、魔法の適性が強い『魔天武神 レガ』を信仰していたからという理由が大きい。


「決めたよ」


「私もですぅ」


 修行が始まって割とすぐに、将来的にどの英雄を信仰するか考えておくように言われたので、レイン様に英雄を紹介したパンフレットを読んでもらったんだ。僕は文字が読めないから迷惑を掛けちゃったよ。


 僕らの返事を聞いて、老師は大きく頷く。


「信仰を変えるのならば英雄教会へ行こうかの。ロビン坊は誰を崇める」


「僕は、『小さな侵略者 ピュー』様がいい」


「……ピューか。ふむ、理由を聞いてもいいかの?」


「ピュー様は小さな体の者でも強くなれるって聞いたから。あと、拳を使うから武器代も安く済みそうかなって」


「なるほど。まあ、よかろう」


 手斧を買うためにお金を貯めていた僕だけど、ぶっちゃけ、武器はなんでも良かった。

 でも、拳ひとつで戦うという発想は今までなく、そんなことができるのならそれが一番に思えたんだ。だって、武器代が無料だし!


「レイン嬢ちゃんは?」


「私はこのままレガ様を崇めます。白騎士は魔法を使う人が多いので、このまま続けたいです」


「ふむ、それもいいだろう。まあ、英雄信仰は適時変えていくものじゃ。合っていないと思ったら、変えてもかまわん」


「そうなんですか?」


「英雄信仰とは英雄の後追いに過ぎない。一つの英雄結晶を崇めるだけでは、基本的にその英雄の技術を越えることは難しいのじゃ。ほかの英雄の教えも学び、融合し、自分自身の人生を作らなければならない。だからといって、三日坊主になってしまってはいかんがの」


 なるほど、そういう仕組みなのか。

 要領のいい人はみんなやってるのかな? でも、英雄結晶が集まっているところは少ないし、やろうにもなかなか難しそうだけど。


 というわけで、僕たちはピュー様の英雄結晶のもとへ向かった。

 レイン様には関係ない場所だけど、せっかくなので一緒についてきている。


「あ、あれは……っ!」


 ピュー様の英雄教会に向かう途中、浜辺の近くの道を通った際にレイン様が呟いた。


 そこからは海を挟んだ観光島の浜辺の一部が見えていた。貴族用の浜辺だね。

 その浜辺の波打ち際では、水着姿の男女数名が水のかけあいっこをしていた。

 騒いでいる声はさすがにここまで届かないけど、とても楽しげなのは遠目でもわかった。


 レイン様は体をプルプルさせながら、そんな男女を見つめていた。


「レイン様? 知り合い?」


 僕が聞くと、レイン様はギュッと手を握りしめた。


「私をこの地獄に送りつけた張本人……副団長です! 私がこんなに頑張っているのに、カトリーヌ先輩たちとキャッキャして……っ!」


「あ、うん」


「おのれぇ……っ! 護衛の任務に来ているはずなのに、どうして遊んでいるんですか!?」


 でも、レイン様も遊びの時間には僕と一緒にキャッキャしているけど。たぶん、レイン様の修行もお仕事の内だよね?


「よくわからないけど、大勢で来ているなら交代で遊べる時間とかがあるんじゃないの?」


「……」


 レイン様は俯いてしまった。

 たぶん、思い当たる時間があるのだろう。

 まあ、さすがに浜辺でキャッキャは、一般人の僕でも遊びすぎかと思うけど。


「レイン嬢ちゃんよ。憎しみに囚われてはならんぞ。悔しさを力に変え、正道を進め。それはお主を大きく成長させることだろう」


 老師は大真面目に言い、レイン様は歯を食いしばって何かを耐えた。

 浜辺では相変わらずキャッキャした雰囲気。

 温度差が凄い。


 僕はその温度差に耐え切れず、レイン様の背中を押して歩みを促した。


 そんな事件がありつつ、僕らは一つの教会にやってきた。

 ピュー様の英雄教会だ。


「「「えい! えい! えい!」」」


 英雄教会の塀の中から、可愛らしい女の子の声が聞こえてくる。

 たぶん、修練の声だ。英雄教会はその性質上、武術の道場を併設することがよくあるのだ。


「老師、この声は?」


「妖精たちの声じゃな」


「わっ、妖精! 僕、お話するのは初めてだよ!」


 妖精族はかなり珍しい種族だ。

 背中に羽根を生やしたとても小さい人間で、花や甘い物を愛する種族だと聞く。そのはねで自由に飛び、魔法も得意だとか。


 この村ではお菓子を食べてキャッキャしている姿を見かけるけど、話す機会はなかった。

 レイン様もそうみたいで、僕らはワクワクしながら英雄教会の敷地に入った。


「「「えい! えい! えい!」」」


 そこではたくさんの妖精が、敷地に咲いたお花さんを虐めていた。


「「「えい! えい! えい!」」」


 そんな掛け声とともにパンチを繰り出しては、お花さんの目の前で寸止めしている。

 お花さんは、パンチで起こった風圧で花弁をブルンブルンと揺らす。


「ろ、老師。僕の想像と違うよ!」


「理想と現実は違うものじゃ」


「違いすぎるよ!? お花さんをめっちゃ虐めてるし!」


 僕がそうツッコむと、それに反論する声が上がった。


「聞き捨てならないですぅ!」


 ハッとしてそちらを見ると、緑色の髪をした妖精さんが宙に浮いていた。

 妖精さんは腕組みをして、プンプンとしている。


「あれはお花さんを虐めているんじゃないですぅ。お花さんを鍛えているんですぅ。見なさい。みんながパンチをして適度なストレスを与えているから、ここのお花はとても立派なのですぅ」


 そう言われても、アアウィオルにはない花なので正直なところよくわからない。

 あと、ストレスの度合いはきっと適度じゃない。人なら吐くレベルだよ。


「ごめんなさい」


 とりあえず、謝っておくことにした。逆らっちゃいけない気がするんだ。

 すると、妖精さんは分かればよろしいとばかりに頷いた。


「クーよ。こやつはピューを信仰したいそうじゃ」


 老師が僕を紹介してくれた。

 クーと呼ばれた妖精さんは、ほう、と僕を眺めた。


「ロビン坊。こやつはクー。ピューの大師範をしておる」


「大師範様!?」


 僕がびっくりすると、クー様は「うむぅ!」と大仰に頷いた。

 まるで子供が偉そうにしているみたいで、とても可愛いけど、大師範様なのだから、僕なんて目じゃないほど強いに違いない。


「あの、僕、ロビンです!」


「ロビン君ですね。タンポポ神拳の道は濁流に飲まれた綿毛が芽吹くほどに険しいですぅ。それでもついてくるですか!?」


「タンポポ神拳?」


「返事は、押忍、ですぅ!」


「お、押忍!」


 拒否権がない!?


「じゃあ、さっそく英雄結晶にお祈りするですぅ! ついてくるですぅ! あっちあっち!」


 クー様はそう言うと、僕を案内してくれた。


 教会の中には、英雄結晶が鎮座していた。

 妖精の何十倍も大きな英雄結晶で、たくさんの花々に囲まれている。


「ロビン君はタンポポを見たことがあるですか?」


「はい。僕の家はあまり裕福じゃなかったから、よく食べてたです」


「わおわーお! ロビン君の体はすでにタンポポに侵食されているですぅ。きっとその小指の血肉くらいはタンポポ由来です」


「え、なにそれ怖い」


「きゃはは!」


 妖精さんは陽気というのは有名な話なのだけど、大師範であるクー様も例にもれずとても陽気だった。


「じゃあじゃあ、ロビン君はタンポポの生態を知っているです?」


「綿毛を飛ばして増えるとか、そういうことです?」


「その通りです! あの小さな綿毛が岩をも穿ち、タンポポを生やすです。ピューの教義とは、タンポポのように小さい子がおっきい人を制することにあるです。そして、自分よりも小さい子たちを守るです」


「小さい子がおっきい人を制する……そして、僕より小さな子を守る……僕にそんなことができるのかな?」


「全ての英雄結晶は、己の可能性を信じない子には力を与えないです。ロビン君ならできるです!」


「僕ならできる……が、頑張るぞ! ふんすぅ!」


「その意気です! それじゃあ、英雄結晶の前で跪くですぅ!」


 クー様に言われ、僕は英雄結晶の前で跪いた。


「なんとなくでいいです。ロビン君が巨人にパンチして、パンチした場所から内部に向かって根っこが入り込み、やがて巨人が内部から木っ端みじんになる様子を想像しながら祈るですよ」


「は、はい……じゃなかった、押忍!」


「返事はどっちでもいいです!」


「え」


 僕は言われた通り、山のように大きな巨人にパンチする自分の姿を思い浮かべた。そのイメージは、僕たちが先日核を破壊したジャイアントゴーレムの完全体だ。

 僕の頭の中で、パンチした場所から亀裂が入り、巨人が木っ端みじんになっていく。


 僕も男の子だ。

 そんな自分の姿に憧れたこともあるので、想像は容易だった。


 と、その時、僕の体がブワリと熱くなった。

 英雄信仰が、レガ様からピュー様に変わったのがわかった。


「うむぅ。これでロビン君は我が門下生ですぅ!」


「よろしくです!」


 クー様に迎えられ、僕は頭を下げた。


「それではクーよ。ロビン坊を頼むぞ。基礎はある程度整えた。あとはそちらに任せる」


「任されたです。そっちの子はどうするです?」


「この子はレガ信仰じゃ」


「わおわーお!」


 手をパッと広げて陽気に驚くクー様の反応に、レイン様が青ざめた。

 いったいなにが、わおわーお、なのだろう。


 でも、大丈夫だよ、レイン様。きっとどの修行も頭がおかしいから。


 そういうわけで、僕とレイン様は新たな修行に入るのだった。


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