第20話 アーガス 魔石時計
私の名前はアーガス。
商会長の座を引退して趣味の行商を楽しんでいたのだが、ひょんなことから謎の村に迷い込んでしまった。
その村の名前は、『リゾート村』。
大都市だ。
自分で言っていて意味が分からないのだが、とにかく村という名のつく海に囲まれた大都市である。
「まさか魔術師でもなんでもない私が、世界の秘密を知ってしまうとは」
宿を出た私は、宿の少女からたったいま教えてもらったこの世の神秘について唸った。
なんと、世界は東の地ほど朝が早く訪れ、夜もまた早く訪れるそうなのだ。
西の地平の果てに消えたように見える太陽は、実は、ほかの地へ朝を届けているのだという。
この世界中の時刻のズレを、『時差』というらしい。
なぜこんなことを教えてもらったかと言えば、それはアアウィオルとこのリゾート村の位置関係にある。
本来なら馬車で移動するので時差は実感できないが、この村は神の秘宝『転移門』を使用している。
アルテナ聖国では権威を示すためにわずか30mほどしか離れていない場所に1対の転移門を置いているが、リゾート村はアアウィオルの王都から見て遥か南南西の遠海にあるそうなのだ。
そのような長距離を移動するため、時差の影響をモロに受けるらしい。
これを聞いて、私はこの村に来た時に感じた一つの謎が解けた気分だった。
アアウィオルでは夜が始まろうという時間だったのに、この村に来たら昼間だった謎だ。
さて、アアウィオルとリゾート村の時差は『3時間』だ。アアウィオルで言うなら6刻となる。
アアウィオルが昼の12時の時、リゾート村は朝の9時となる計算だ。
そう、3時間、12時、9時――これは新しい時間の読み方である。
少女は説明の中で、リゾート村で使われている時間の使い方を軽く教えてくれたわけだ。私の知らない魔道具を交えて。
「おっと、こうしちゃいられない!」
私はふわふわする気持ちを引き締めた。
この村に日没が訪れるのは、あと4刻ほどしかない。いや、2時間だな。ふっ、50年近く使っていた時刻の読み方を変えるのはなかなか難しいな。
夜は夜で飲食店が活気づくそうだが、品物を売るような店は閉まってしまう。
急げ急げ!
明日も朝から見て回るつもりだが、今日中にどうしても買いたい物があった。
大通りを歩くとあらゆるものに興味が引かれてしまうが、見学したい気持ちをグッと抑え込み、私はその店へ足を進めた。
手には、宿で貰ったこの村の見取り図。
物凄く手触りのいい紙に、この村の建物が簡略化されて描かれているものだ。
大通りやシンボルとなる建物には番号が振られており、その番号をもとにして、裏面にある一覧表で名前を知ることができる仕組みになっている。
その一覧表は半分以上が空白になっており、ワクワクする用途が想像できてしまう。
私の予想を裏付けるように、宿の少女は地図上の1つの建物に番号を振り、裏面に同じ番号と共に店名を記載した。
そう、自分だけの宝の地図を作れというわけである。
何度も誘惑を振り切って、私はやっとその店にたどり着いた。
平民エリアと貴族エリアの間にある緩衝エリアにある店で、平民には少し高く、貴族には少し安いという価格帯らしい。
『ハーウェイ時計店』
それが私の求める『魔石時計』が売っている店の名前だった。
宿の少女が時差やリゾート村の時間の読み方を教えてくれた際に見せてくれたのだが、そのあまりの美しさに、私は一目で魅了されてしまったのだ。
店内に入った私は、今日何度目かわからない衝撃を受けた。
そこに並んでいたのは、魔石時計の数々。
私の手のひらくらいの物から背丈ほどの大型の時計まで数多くあり、それらが絶えず動き続けていた。
私が求める小型の時計は全てガラスのケースに収まっていた。この村ではガラスが非常に上手く使われているのだが、この店の高級感溢れる使用方法と言ったらない。まるで美術品や宝石のような扱いではないか。
「いらっしゃいませ」
そう言って対応してくれたのは、エルフの初老の紳士だった。
エルフは200年ほど生きるので、初老となると私よりも遥かに年上だろう。
「初めまして。商人をやっておりますアーガスと申します」
「ハーウェイです。ようこそおいでくださいました」
私たちは握手を交わすと、さっそく世間話を始めた。
「宿の受付の女性に紹介してもらってきたのですが、いやはや壮観ですね」
「わかりますか。私もこの時計というものがとても好きでして。外から見ると気品な佇まいなのに、中には技術の結晶詰まっている姿はいつまで見ていても飽きません」
「中ですか。いや、お恥ずかしい話ですが、まだ中は見たことがないのです」
「それですと、わかりやすいのはこれですかね」
ハーウェイ殿はそう言って、一つの大きな時計の前に誘った。
それはガラスと思しき透明な素材で作られた時計で、中身の構造が見える仕組みになっていた。
中では金属製の歯車が絶えず動いており、それに連動して時刻を示す長い棒がカチリと少しだけ動いた。
はっきり言って仕組みは全くわからないのだが、私は震えるほど感動していた。
「め、めっちゃくちゃカッコイイですな」
いやホント、すっげぇ!
年甲斐もなく、私は大興奮。
ハーウェイ殿も笑みを浮かべて大きく頷いている。
「小型の時計も仕組みは大きく変わりません。中には特定の時間になると人形が動く仕組みを持つカラクリ時計もありますがね」
「はー……と、失礼。いやはやあまりの美しさでため息が出てしまいますね」
そんな私に、ハーウェイ殿は冷たいお茶を出してくれた。
少し苦みがあるが、暑い中を歩いてきた私の体にスッと吸い込まれ、とてもすっきりした気分になった。
「これはハーブティですか?」
「緑茶というもので、紅茶の葉と同じものなのですが、摘んだ後の処理を変えるとこういったものができるのです。それに少しだけ薬草を混ぜ込んでいます」
「紅茶の葉にそんな利用方法があるのですね。この町……村に来てからは勉強の連続です」
本心からそう思った。
それから少し談笑して、私は時計の紹介をしてもらった。
「小型の魔石時計は、ゴブリンなどから取れる小さな魔石を使って動きます。だいたい、1年ほどで魔石を交換する必要がありますね」
同じ最下級のゴブリンでも強い弱いはあるので、その魔石によって使える期間は変わるらしい。魔道具は魔石が使われることが多いが、ゴブリンの魔石で1年近く動くのは破格と言っていい。
魔石の力が少なくなってくると、時計の動きは早くなったり遅くなったりして、やがて止まってしまうそうだ。
また、魔石を交換すれば普通に動き始めるし、時計が狂った場合も比較的簡単に修正が可能なのだとか。
「おそらく数か月後には多くの方が時計を持っているはずなので、時間の修正は簡単かと思います。もちろん私の下へ持ってきてくだされば、メンテナンスも致します」
「なるほど。たしかに時計が1つだけだと、時間を正確に修正するのは難しいですね」
「はい。面白い話ではありますが、時計というのは1つだけでは役目を真には全うできないのですよ」
ハーウェイ殿はうっとりとして時計を眺める。
私も壁にある大きな時計を見ると、全ての時計が同じ時を刻んでいた。
ハーウェイ殿が時計を愛するのは、やはり長命なエルフだから『時』に対して何かしら思うところがあるのかもしれない。
それから私は、小型の時計を5個買った。
こういう小型の魔石時計を、『懐中時計』というらしい。なるほど、懐にそっと入れておく時計なのだな。
本当は10個くらい買いたかったのだが、この村の買い物は購入制限があるらしいのだ。
しかし、私もそれが正解だと思う。
この村の物品は経済を狂わしかねない。購入を制限するのは良い判断だと思えた。
もちろん、人を雇えばいくらでも抜け道はあるのだが、貴族の領地でそれをやれば、最悪、出禁を食らいかねない。この先、この村での出禁は商人にとって死刑宣告に等しいだろう。
というか、王都が近くにあるし王族経営かもしれない。その場合は、比喩ではなく本当に死刑になりかねない。
なんにせよ、噂はよく集めて、御上を怒らせないように稼ぐ必要があるだろう。
全部で金貨70枚したが、私にとっては極めて満足のいく買い物だった。
3つが、平民向けに売られているシンプルなデザインのもので、各金貨10枚。
1つが、自分用の金貨15枚の物。
1つが、貴族への贈呈用に金貨25枚の物。
貴族へ贈るには少し安いのだが、高すぎる物を贈るほうが嫌煙されることもある。本人が使わないなら使用人に渡すこともできるので、金貨25枚の物を選んだ次第だ。
ちなみに、王都の一般兵士の給料は金貨15枚程度となり、中流家庭となる。
それで夫、妻、子供2人が暮らすと、月にできる貯金は金貨2枚程度。夫婦共働きをしたり、子供が独り立ちすると貯金が捗るようになると言われている。
それはさておき。
時計の説明書も同じだけもらった。
時刻の修正方法や、時刻の読み方と時計にまつわる単語の意味、さらには時差の説明が書かれている。宿の少女から説明は受けたが、あとでじっくり読もう。
「とてもいい買い物ができました」
「どうぞ大切に使ってやってください」
「もちろんです」
私はハーウェイ殿と固い握手を交わして、店を後にした。
各店の店長と番頭は、時計の所持を義務付けよう。うん。
この1泊2日は夢のようなひと時だった。
しかし、同時に強い危機感も覚えた。
王都から馬車でわずか3時間。
そんな場所にこれほどの大都市、いや村ができたとあっては、たとえ購入制限していようとも市場の混乱は必至だ。
例えば、男兵士が婚約者の女性に新品の服をプレゼントしたいと思った時、今までならその需要は王都の服飾職人に向かった。
しかし、これからはこの村の服屋に向くだろう。
値段はたしかにこちらの方が少しだけ高いのだが、仕立てが遥かに良いのだ。
新品の服なんて親子3代で受け継ぐ家庭もあるくらいだから、多少高くても仕立てが良いこちらを選ぶ人は多いだろう。
幸いにして、リゾート村はこのことを善しとしていないようで、ここの技術を学べる施設があるそうだ。
そこはまだ見学できないのだが、村の人から仕入れた情報から考えるに、最先端の技術が学べると思っていいだろう。
なにより、時計職人ですら育成するというのである。
このように新しい種類の職人もたくさん現れると考えると、最終的には確実に王都は発展するはずだ。
問題は最終に向かうまでの繋ぎの期間である。
「さて、どうしたものか」
商人ギルドの長のドーマは、どこまで知っているのだろうか?
これほどの規模の都市だし、普通に考えれば商人ギルドはどっぷり噛んでいるはずだが……これっぽっちもそれらしい話を聞かないだよな。
アーガス商会だけ仲間外れにされてる?
それともアーガス商会内で私だけ仲間外れにされてる?
……いや、さすがに……ないよな?
ドーマ次第では、私があれこれ考えるのも馬鹿らしい。
しかし、万が一ドーマが何も知らなかった場合、困ったことにはならないだろうか。
ドーマですら知らないのなら我がアーガス商会の発展のチャンスではあるが、金のために大勢の商人や職人を路頭に迷わすのはいかんだろう。
王都の経済がおかしなことになれば、それは巡り巡ってアーガス商会をも傾けるだろうから。
王都に戻った私は、すぐに懇意にしてもらっているとある大貴族へアポイントメントを取り、2日経ってからお目通りが叶った。
応接間に通されて待つことしばし。貴族様が来られた。
あれ?
なんかちょっと日焼けしてる?
挨拶もそこそこに、私はお土産の品を取り出した。
「王都圏のことですので、すでにご存じかと思いますが、こちらをお贈りしたく存じます」
貴族用に買った時計を貴族様の前に進呈する。
贈り物用のこの箱も素晴らしく、深みのある色合いの木材をベースに程よい装飾が施された佇まいは、むしろ気品に溢れて見える。
その箱を見た貴族様は、目を見開いた。
「ほう。アーガスよ、リゾート村に行ったな?」
やはり知っておられたか。
まあ、そりゃそうだろう。だって、王都から3時間だし。
領地の検地をする貴族院のトップであるクロウリー閣下が知らないはずがない。
執事がフタを開けて安全を確かめると、閣下の前に戻された。
真っ赤な布で作られた台座の上には、小型の魔石時計が鎮座していた。
金貨10枚のシンプルな物とは違い、金貨25枚のそれは『文字盤』から『針』、外装に至るまで見事な装飾が施されたものだ。
ふふふっ、文字盤も針も説明書を読んで学んだ時計用語だ。
「お、おぉ? これは見事だな。大型の時計があるのは知っていたが、あそこはこんなものもあるのか」
おや、御存じでない?
「そちらは懐中時計というタイプのものです。緩衝エリアの店舗で購入しましたので少し安物になってしまい恐縮ですが、お納めください」
あとで安物を渡されたと思われると心証が悪いので、先に言っておく。
閣下のは自分で購入して、私が贈ったのは部下にでも
「ほう、これはいいな」
閣下は懐中時計を手に取り、目を細めて針の動きを見つめる。
「お前も自身のを買ったのだろう? 見せてみよ」
「はっ、こちらになります」
私はハンカチを敷いて、その上にそっと時計を置いて差し出した。
閣下は私の懐中時計を手に取り、ジッと見つめる。
「ほう、お前のはカッコイイな」
うっ、しまった。閣下はこちらのほうが好みだったか。
私の時計は、文字盤の一部がなく、内部で動く歯車が見えるようになっている。
これは一目見て気に入った。最高にカッコイイ。
いやね、閣下もこちらのほうがいいかと考えなくもなかったが、文字盤が欠けているので、時計を知らない人だととっつきにくいと思ったのだ。
ほら、貴族って縁起を担ぐし、『本来あるものが欠けている』と嫌がりそうだと思って普通のものにしたのだが、失敗したか?
幸いにして、閣下は私の時計を返してくれた。
本当なら差し上げるべきなのだろうが、私にとってはもう生涯の相棒なので、物凄くホッとしてしまった。
「お前は平民エリアの方へ行ったのか?」
「はい。あとは緩衝エリアにも少しばかり。見るものも食べるものも、全てが素晴らしかったです」
「そうか、そちらも凄かったのか」
「わたくしには想像が及ばないのですが、貴族エリアはいかほどなのでしょうか?」
「楽園としか喩えようがない」
ふーむ?
なんだか、クロウリー閣下もよくわかっていないような感じだな。
私が村で仕入れた情報だと、あそこは遠海に浮かぶ都市で、古代文明の流れを汲む民が暮らす地らしい。
英雄結晶の教義により観光地と学び舎を営み、この度、女王陛下の庇護を得て爵位を貰ったという話だった。
「特にウォータースライダーはウチの家族も無限に楽しんでいた」
「ご家族でそれは素敵でございますね。私も村が解放された暁には孫を連れていきたいと思っております」
ウォータースライダーって、平民エリアにもあるでっかいヘビみたいなやつか。
住民が滑っているところを遠目に見たけど、凄いな、貴族なのにあれに挑戦したのか。いや、貴族は魔物討伐に出陣することがあるし、そう考えると私などより度胸が据わっているのは当然かもしれないな。
そうか、なるほど。だから、閣下はほんのり日焼けしているのか。
「平民エリアについて話してほしい」
「もちろんにございます。実はわたくしも閣下にはお話を聞いていただきたく思っておりました」
「ふむ、というと?」
「商人ギルドとの連携にございます。ギルド長のドーマに話を聞いたのですが、村ができたことしか知らなかったようで、ご無礼を承知で上様の意図をお伺いしたく」
「なるほど、王都の職人たち連中を心配したということでいいか?」
「はい。わたくしの認識ですと、あの村はいきなり現れたように思えます。開村はおよそ12日後ということですが、おそらく王都の多くの人間が慌てることになるかと存じます」
これが帝国のような貴族が横暴な国だったら、生意気言うなと殺されてもおかしくないが、アアウィオル貴族は民の話を聞いてくれる方が多い。魔物との闘争の歴史を持つため、貴族も民を舐めないのだろうと私は勝手に考えている。
大貴族であるクロウリー閣下も私の考えをしっかり聞いてくれた。
「お前もそういう認識か」
聞いてくれた結果、なぜか女王陛下や大臣たちの前に連れていかれた。
アポイントメントもなく即行で。しかも、陛下に椅子まで勧められちゃったよ。
というか、女王陛下ってこれほどお美しい方だったのか……。
こんなに近くで見ることは初めてだから知らなかった。緑色の髪とか翡翠のように煌めいているし、肌も御年30とは思えない張りと艶だ。
平伏したあとに許可を貰って顔を見たのだが、もう一度平伏しそうになったほどだ。そのくらい神々しい。
あっ、騎士総長様も日焼けしてる。
ウォータースライダー楽しんだのかなぁ。
「では、リゾート村の開村に向けての対策本会議を始める。3回目である本日からアーガス商会の前会長が参加する。我々の知らない店にも入ったようだ」
え!?
王都圏の村を回って気楽な道楽行商をしていたつもりが、なんだかおかしなことになった。
会議の途中で出されたマロンケーキなるものが超美味かった。
そうか、平民エリアにもあったケーキ屋さんというのは、これが売ってたのかぁ。見逃した!
なお、騎士総長様が私の超カッコイイ時計を物欲しそうに見ていたが、なんとか死守したぞ。みんな金を持ってるんだから、頼むから自分で買ってほしい。
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