第19話 アーガス 道楽行商人
私の名前はアーガス。
王都ではかなり名の知れた商人だ。
一代でそこそこ大きな商会を築き、支店だっていくつも持っている。
自分でも凄く頑張ったと思う。
最近は隠居して各店を子供や信頼できる部下に任せ、かねてから計画していた行商の旅を楽しんでいた。
半ば趣味みたいなものだが、それでも息子たちを呆れさせるくらいの利益を上げている。孫の尊敬する目がたまらんのだ、これが。
本当は世界中で行商の旅をしたいところだが、活動範囲はアアウィオルの王都圏のみ。
白黒騎士団が巡回してくれている王都圏はかなり安全だが、貴族の領地は気づかぬうちに魔物や盗賊が湧いているのでかなり危険なのだ。
たとえばゲロス伯爵の領地なんて、家族と今生の別れをしてから出発しなければならないだろう。これだけ頑張ってきたのに、そんな最後はさすがに嫌だった。安全第一だ。
そんなある日のことだ。
今回の行商も終わり、一度王都に戻ろうと街道を進んでいた私は、急な雨に見舞われた。
幸いにして雨は2刻(※1時間)ほどで止んだものの、雨で街道が悪路に変わったために、夕刻までに王都へ到着するという予定は叶いそうになかった。
「こうなったら仕方ない。ゆっくり行こう」
おそらく、城門が閉まる時間にギリギリ間に合わない。
しかし、完全に日が暮れる前に城門前には着きたい。危険はないとはいえ、街道沿いで野宿するのと城門前で野宿するのでは、安心感が全く違うのだから。
ぬかるんだ道で慎重に馬車を走らせる。
雨は止んだものの雨雲は空を覆い、いつもなら空が茜色に染まる頃には辺りは薄暗くなっていた。
「珍しいこともある。誰もおらんな」
王都への主要街道なので、いつもならこのくらいの時間でも通行人の1人や2人いるはずなのだが。
「おかしい。道を間違えたか? いや、この街道にはもう分かれ道はなかったはずだ……え、怖い」
一人旅は独り言が多くなるものだ。
そんなふうに一人旅の慰めをしつつ進むが、行けども行けども王都は見えない。
「止むを得ん。今日はここで野宿するか。まったくこれじゃあ若いもんに笑われる」
王都近隣の街道で道を間違えたなど、いい笑い者だ。
たしかに街道全体を見れば分岐路はあるが、それらはとうに過ぎてあとは一本道だったのだから。
薄闇の中、私は馬車をゆっくりと止めた。
ランプを持って御者台の下を照らし、ぬかるみを確認してから馬車を降りた。
「ふぅー」
慎重に腰を回し、馬車の旅のコリをほぐしていく。
若い時のようにいきなり体を動かしたら、腰をやってしまうからな。
軽く周りの地形を把握しておこうとランプで周りを照らす私に、ふいに声をかける者が現れた。
「御仁、道に迷ったのか?」
心臓がゾッと冷え込んだ。
私はバッとランプを声の方へ向ける。
そこには不思議な衣装を着た男が立っていた。
腰に巻いた帯に剣を挟んだ謎のスタイルの剣士で、長い髪を頭の後ろで結んでいる。
アアウィオルや近くの国ではまず見ない出で立ちだ。
「あ、あんた、何者だ? 盗賊か?」
「いいや。そこの村の剣士だ。なにやら人が難儀しているようだったのでな。話を聞きに参った」
「村? ……まさかここはコロニャン村なのか?」
私は何かの間違いで来た道を引き返してしまったのかと思った。
しかし、男はそれを否定する。
「いいや、ここはリゾート村だ」
男がそう言うと同時に雲の切れ間から月が現れ、辺りを照らした。
もうそんな時間なのかと驚くよりも早く、別の驚きが目に飛び込んできた。
暗闇の中にかなり立派な塀と門が姿を現したのだ。村と言っていたので、その村のものだろう。
「え? なん、だ……こんな村は知らんぞ」
王都圏に新しい村ができたのなら、私の耳に入らないはずがない。
さすがに旅の間はそういう情報も入りにくいが、王都には半月に一度は帰っているので、ここまで立派な塀がある村を作っているのなら計画段階で耳に入るだろう。
「つい先日にできたばかりだからな」
「つい先日って……」
「まだ道すらも一般には公開されていない村だが、入りたいのなら入るといい。金は取るが宿も貸そう。野宿したいのなら門の前を貸してやる。どうする?」
盗賊……ということはないだろう。
王都圏で盗賊など出たら、即座に白黒騎士団が討伐に乗り出す。運よく逃げおおせる者はいるだろうが、砦など構えられるはずない。
「ちなみに王都は近いのか?」
「馬車で3時間……あー、6刻……鐘1回分程度だ。方向はあっちだな」
そちらに視線を向けると、丘に隠れて王都は見えなかった。
「そんなに近くに……」
おそらく冬場の雨雲で暗かったから、新しくできた道に迷い込んでしまったのだろう。
改めて剣士を見てみる。
見たことがない服装で、我々の感性からすれば少しみすぼらしい印象があるが、よく見れば仕立ては素晴らしい。ただ単に、そういう造りの服なのだろう。
立ち姿一つ見ても相当な手練れと思えるが、一方で帯に差した剣はどうにもパッとしない印象だった。
なんにせよ、宿に泊まれるのならそれに越したことはない。
「それじゃあ、申し訳ないが、宿を取らせてもらえるか?」
「わかった。俺の名はシュゲンだ。ここから先、馬を使う場合はコイツをつけることが義務付けらえている。かまわんか?」
シュゲンと名乗った男は、そう言うと一つのリングを見せてきた。
「それは?」
「これは馬がした糞尿を即座に魔力に変化させる魔道具だ。尻尾につける」
「なんと。では、つけてくれるか?」
許可を得たシュゲンは、愛馬の尻尾の付け根にリングを取り付けた。
馬の糞尿は気まぐれなので直ちに効果は見られない。
それにしても馬糞か。
馬糞は王都でもたびたび問題になっており、歴史的にも何度か法改正されたことがある。特に夏場は馬糞に青蠅が大量発生するため、現在の法律では4月から10月の間は、王都に馬を乗り入れる際に少額だが通行税が上乗せされる。
その通行税で、路上の馬糞の掃除をする者が雇われるというわけだ。
それを考えると、地味だけどいい魔道具だな……。
「おっと、そうだ。私はアーガスだ。王都圏で行商をしている。よろしく」
「ああ、よろしく。では、ついてきてくれ」
私はシュゲンの後に続いて馬車で門の中に入った。
「んん?」
だが、門の中には何もない。
やけに立派な石畳みの道が続くばかりだ。
塀だけを先に作ったのか?
しかし、それは魔境の近くに村を作る際に行われる手法だ。王都圏の魔境は南にあるので、東北寄りのこの辺りではあまり関係ない。木柵くらいなら作るかもしれないが、普通は家から作られるものだ。
「こっちだ」
途中でシュゲンは石畳を曲がった。
その先にあるものを見て、私は目を見開いた。
「ま、まさか……まさかまさか! 転移門か!?」
かつて大きな商いで行ったアルテナ聖国の神都で見た転移門がそこにあった。
いや、あそこで見たものよりも大きく、大型の馬車すらも入れるだろう。
「そっちの赤い門は帰り用だ。馬車で突っ込むとケガするぞ。行きは青いほうから入る」
シュゲンはそう説明して、水面のような青い膜を張る門の中へ入っていった。
私は一瞬迷ったが、湧き上がる好奇心に負けて、青い門へと馬車を潜らせた。
その瞬間の感動を、私は死ぬまで忘れないだろう。
まず真っ先に体験したのは、目を突き刺すような光。
室内に入ったのか、と一瞬思うが、それが勘違いだとすぐに気づく。
なぜか転移門の先はまだ昼間だったのだ。
遅れて感じたのは、むわりとした暑さ。
アアウィオルは冬なのに、ここはまるで真夏のように暑い。
戸惑いの中で眩んだ目が慣れてくると、そこには楽園というほかない光景が広がっていた。
青い空と白い雲、そしてどこまでも続く大海原。
それらが世界の彼方で交わっている。
視線を手前に引けば、そこには大都市が広がっていた。
町は大きくなれば、暗い、汚い、乱雑といった部分が必ず出てくる。
しかし、この都市はどうだろうか。
一つ一つの建物は清潔感が溢れ、まるで最初から完成系が思い描かれていたかのような美しい街並みだった。
今なら先ほどの魔道具の意味がわかる。
こんな美しい町に馬糞をまき散らすのは、借りた金を踏み倒すのに匹敵する大罪だ。
感動で震える私に、シュゲンが言った。
「ようこそ。リゾート村へ」
「全然、村じゃないよな!?」
「俺もそう思うが、ここは村だ。そうなっている」
私は夢を見ているのだろうか?
いやいやいや、私は夢を見ているのだろうか!?
「なんだ、このふかふかなベッドは!?」
え、もしかして、貴族の泊まる宿に特別待遇かなにかで案内されたのか?
ベッドとかポヨンポヨンだぞ。
しかし、事前の説明を聞いた限りでは、ここは平民エリアで間違いない。
というか、前払いで払った金も王都の中級の宿よりも若干高い程度で、常識の範囲内だった。
「いや、しかし、たしかに高級宿ではないのかもしれない」
ベッドこそ素晴らしいものだが、部屋自体は広くない。王都の高級宿だと、無駄にこの4倍は広い。
なにより飾り気が少ない。甘い香りがする花が刺さった花瓶があるだけだ。貴族を迎えるには、これでは寂しいだろう。
「いや、だがしかし……」
飾り気はないが、水の魔石を使った小さな水飲み場と、物を冷やせる箱型の魔道具があった。飲料可能という文字が書かれているので水を飲んでみれば、すっきりとしてかなり美味い。
さらに、なんと大衆宿なのに個室にトイレがあった。
初めて見る腰掛けるタイプのトイレで、使い方の説明が壁に貼ってあった。文字と絵で表され、文字が読めない人にもわかりやすい。
この部屋で特に素晴らしいのは、白いカーテンの先にある小さなベランダだ。
木組みに布を張った独特な様式の椅子に座ってみると、そこからは白い砂浜と宝石のように美しい海が見えるのである。
波の音が心地よく、この音を聞いて眠ったらどんな夢が見られるのだろうか。
「やっぱり本当は高級宿なのか?」
商人なので、やっぱりそこに行きつく。
私だったら王都の高級宿よりもこの宿を選ぶし。
そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。
急いで開けてみると、そこにはシュゲンが立っていた。
「どうだ。気に入ったか?」
私は居住まいを正した。
もうただの村人に接するような言葉遣いはできない。
「ええ、とても気に入りました」
「それはよかった。宿の受付に言えば村の案内図をもらえる。いろいろと話を聞いてみるといい」
「わかりました」
「それと申し訳ないが、まだ正式に開いている村ではないのでな、アーガス殿の滞在期間は明日の昼前の11時までだ。短くて悪いが楽しんでもらえたら嬉しい」
おそらく時刻を表しているのだと思うが、聞きなれない時間の表現に、私は慌てて話を止めた。
「すみません。11時というのはいつでしょうか」
「おっと、そうだった。む、この部屋には時計がないのか」
シュゲン殿は少し考え、私についてくるように言った。
そうして向かったのは、宿のカウンターだった。
「シュゲン様、いかがなさいましたか?」
カウンターの娘が言う。
様付けということは、この人物は偉いのだろうか。それとも高級店にありがちな誰にでも敬称をつけるのか。
「この御仁に村のパンフレットを。あと、時計の読み方を教えてやってくれるか?」
「かしこまりました」
宿の娘と話をつけてくれたようで、シュゲン殿は私に向き直った。
「それでは申し訳ないが、あとは彼女から話を聞いて欲しい」
「承知しました。何から何までありがとうございます」
「なに、気にするな。では楽しんでくれ」
「はい。ぜひ楽しませていただきます」
シュゲンはそう言って去っていった。
ぶっきらぼうな口調だったが、距離感もほどよく、なかなか気持ちのいい男だった。
それにしてもリゾート村か。
これほどワクワクしているのはいつぶりだろうか。
場合によっては、いや、まず間違いなく道楽行商人なんてやってられないかもしれないぞ。
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