第9話 影衆メイド アリーシャとスライムさん


 私の名前は、アンナと申します。


 ある時はメイド、ある時は行商人、ある時は冒険者――しかして、その正体はアアウィオル王国のエリート隠密集団・影衆の一員なのです。


 今回の私の任務はクロウリー閣下のメイドです。


「あーっ、この前のメイドのお姉ちゃんだ! こにちは!」


「ひ、ひぅ……。ハじめまして、ごキげんヨウ!」


 私の天敵である幼女が、私の正体を一発で見破りました。

 私は長いスカートの中で足をガクガクさせながら、ニコリと微笑みました。声が裏返ってしまいましたが、上手く笑えているでしょうか。


 こんなふうにして、私の任務が始まりました。

 不安しかありません!



 シャドウカーテンの先にあったキャサグメ一味の村は、なんと転移門で繋がった島でした!

 任務で諸国を巡った私ですが、これほど美しい場所は初めて見ました。


「ふわぁ、綺麗……」


 若い女性の白騎士さんも目をキラキラさせています。

 この方はたしかレインさんと言ったでしょうか。

 きっと私もこんな顔をしていることでしょう。


「……ハッ!」


 同時にハッとさせられました。


『ワクワクプレミアムチケット・2名様用』。


 調査物として執事長に取られちゃった……っ!


 あのチケットの特典は、1週間この大都市にある全ての宿泊施設に泊まれ、多くの施設を無料で使えるというもの。

 村の宿で1週間ってアホですか、プークスクス、と笑っていた過去の私を殴りたい!

 高台から見下ろした町並みの綺麗さから、ホテルの豪華さは王都の高級宿に匹敵……いえ、凌駕するかもしれませんよ!


 その考えは当たり、我々が泊まったホテルは、それはそれはすんごかったんです!


 王都の高級宿?

 比べようもない……っ!


 メイドである私たちへの食事ですら、今まで食べたことがないほどの大御馳走。

 海鮮鍋とかウマウマなのです!

 ポン酢という神の調味料が最高なのです!


「ちょっと、あんたエビ4本目でしょ!?」


「んちゅーっ! エビみそ、うまぁ!」


 バカがですぅ!

 もう戦争は始まってるんですよ!


 ととっ、そうじゃありません。

 例のチケットについてでした。


 この村にはこんな美味しい物があるわけですが、クロウリー閣下のお部屋など展望のお風呂があり、さらに高価なお酒や南国のフルーツが飲み放題食べ放題なんですよ!?


 そして、私たちが体験したエステ!

 めっちゃ気持ち良かったうえに、そうして仕上がった私たちはもうピッカピカ!

 紳士の中の紳士であるクロウリー閣下が、奥様や私たちを見て言葉を失うほどです。そりゃ、夜にアリーシャ様をメイドに預けますよ。


 そんなエステが、このホテルではなんと無料……っ!

 しかも、ホテルのエステは、実は簡易版なのだそうです。

 美容の館スパランドという場所があり、そこにはこの世の全てがあるそうです。


 そんなホテルやスパランドを1週間も使いたい放題のワクワクプレミアムチケットの価値は、もしかしなくても莫大なものだったはずです。


 執事長、どうにかして返して貰えないでしょうか!?


 そんな私の苦悶を慰めてくれたのは、プールです!


「きゃっふーい!」


「あははははっ、きーもちーい!」


 これは遊びではありません!

 女王陛下から命じられた任務なのです!


 メイドと騎士が半数ずつ交代でプールを体験し、調査をしなければなりません。

 公爵ご一家だけでは気づけない点もあるでしょうから、我々が調査しているわけです。

 さすが女王陛下、リゾート村を見ずにこの任務をご命じになられるとは、慧眼であらせられます!


「ちょっとメアリー!」


「なんですか。いや、違います。今の私はアンナです!」


「どっちでもいいわよ!」


 どっちでも良くないですよ!?

 任務中のメンバーの名前を間違えるとか、影衆失格ですよ!?


「私、あそこのトロピカルかき氷っていうのが怪しいと思うの! 今日は無料なんだって!」


「それはいけません! すぐに行きましょう!」


 ふっはー、超楽しい!


 と、そんなふうにこの任務の昼は心休まりません。


 でも、夜になって宿に帰ると、どうしても思い出してしまいます。

 ワクワクプレミアムチケット……っ!


「ちょっとどうしたの? シャーリーも楽しみなさいよ!」


「アンナだってつってんです!」


 同僚のメイドが言います。

 王宮から来ているメイドは大半が私の同僚の影衆で、このメイドもそうです。


 同僚はすっかり任務を忘れて、従者用の浴場を堪能しています。しょうもないやつです。


 まったく人の気も知らないで。

 しかし、影衆は仲間であっても任務で知り得たことは教えられません。チケットのことも教えられないのです。もし共有が必要ならば、それは頭領である執事長が話します。


「……そ、そうね! ちょっと気を張りすぎちゃったかも」


 私はバシャバシャと顔にお湯をかけ、気を取り直しました。


 ここの石鹼は凄いのです!

 髪も肌もピッカピカになっちゃいますぅーっ!


「……ちょっとこの2日で美人になりすぎたわね」


 風呂から上がると、脱衣所の綺麗な鏡の前に立った同僚が言いました。

 普段ならアホかと鼻で笑うところですが、私もそう思っています。


 昨日のエステやこの浴場を堪能したわけですが。

 これ、ヤバいかもしれません。


 影衆は隠密です。

 人の目を引くような美人になったら、仕事に支障があります。

 その場、その組織に合った印象でなければなりません。冒険者なら野性味を出し、商人なら人懐っこさや商売っ気を演出するわけです。


 それを念頭に、鏡に映った私を見てみましょう。


 なにこの美人。

 キラッキラです。


「怒られるかもしれないわ」


 同僚の言葉に、その場にいた影衆メイドがしゅんとしました。

 誰に怒られるかというと、執事長です。あのジジイはマジで怖いんです。


「ま、まあ、やっちまったものはしかたないでしょ! なっ!」


 他の同僚が無理やりテンションを上げたので、私たちは、「だな!」と笑い合いました。なるようにしかなりません!




 2泊3日ですっかり楽しみつくした私たち影衆は、最後の重大任務が始まりました。

 敵情調査。すなわち買い物です!


 でも、多くの者がお金を持ってきていません。

 だって、村に来るつもりでしたし。影衆メイドは体のどこかに緊急用のお金を忍ばせていますが、普通のメイドはそんなことしません。


 そこで、なんと、クロウリー閣下がみんなにお小遣いをくれました!


 クロウリー閣下はよくそんなにお金を持ってきましたね、と考えたところで、一度お屋敷に戻ったことを思い出しました。きっとその時に用意したのでしょう。


「諸君らには金貨12枚で買い物をしてきてもらう。内、金貨2枚分は自分用に使ってよい。ほかの購入物はあとで調査用として提出するように。使いきれなかった場合はしっかりと返すんだぞ。また、購入明細は忘れずに貰ってこい」


 リゾート村はなにせ広いですから、クロウリー閣下だけでは回りきれるはずもありません。なので、こうしてメイドや騎士たちに手分けさせるわけですね。


 これだけ遊んで、さらに金貨2枚もお小遣いを貰えるなんてウマウマです!

 この任務のメンバーに選ばれた時は絶望したものですが、蓋を開けてみればホッとしていたメンバーこそざまぁですね。今からやつらの悔しがる顔を想像してニヤニヤが止まりません。たーのしーい!


 いや、ここに来るまでは本当に危険な任務と考えられていたわけで、この金貨2枚は特別手当みたいなものなのかもしれませんね。なんにせよ、やっふーい!


 ……はい。私は奥様のお買い物に付き添うメンバーに選ばれました。

 貴族用のお店で、金貨2枚でどれほどのものが買えるのでしょうか。


 ぬぅ、自由行動で安い店の方へ行ったやつらが羨ましいです。


 案の定、奥様が入られたお店は高そう!

 そこは美容品店だったのですが、もう店内の香りからして高級です。入店するだけで金貨1枚支払うなんてないですよね?


 あれ?

 でも、この髪用液体石鹸は金貨1枚ですね?

 いまなら買えちゃいます……。


 この2日ですっかりこれの虜になってしまった私です。

 思わず手を伸ばしますが……我慢……っ!


 まだです。

 影衆たるもの、耐え忍んでその時を待つのです!


 ここでちょっとリゾート村のお店について説明しましょう。

 どうやらリゾート村では、購入制限をしているようでした。1つのお店で買えるのは1人5品まで。セット品などはそのかぎりではありませんが、原則5品です。

 これはなんと、公爵であるクロウリー閣下でも例外ではありませんでした。


 転売防止やアアウィオルの職人の保護が目的ですかね?

 案外、キャサグメ様はアアウィオル王国に気を遣っているのでしょうか?

 うーん、ますますわからない人物ですね。


「5品だけだと、とても迷っちゃいますね?」


「左様ですね、奥様。真剣になってしまいます」


「そうね。でも、楽しいわ」


 買い物をする奥様が、アリーシャ様専属メイドのクラリスさんへニコニコしながら言いました。

 大量に買えないから逆に楽しいと。そういう考えもあるんですね。


 なお、クロウリー閣下は、キャサグメ様やアリーシャ様、ミカン嬢と試供品で遊んでいます。女の買い物に飽きているようですね。これだから男は。

 あ、でも、あの『肉球プニプニ』とかいう頭をマッサージする商品、凄く興味深いです。アリーシャ様が「うまままま」ってなっています。


 そんなこんなで奥様のお買い物は続き、やがて、貴族エリアと平民エリアの境にある緩衝エリアに入りました。


 そこは貴族エリアよりも幾分か安くなっており、下級貴族やある程度成功した平民を想定していそうです。

 お小遣いを貰ったメイドたちはここで提出用の物を買い、自分用のは平民エリアまで足を運んで買っているようでした。


 奥様の付き添いの私はおそらく平民エリアまではいけませんから、ここが戦場です!


 奥様は当然の如く、美容品店に足を運びます。

 貴族エリアとどう違うのか気になるところですからね。


 私はこのお店で力を全開放することにしました。


 貴族様用の物よりも劣りそうですが、十分に綺麗な瓶に入った髪用液体石鹸や化粧水を買います。


 ふぉおお……迷っちゃう!

 5品制限というか、そもそも金貨2枚だとこの店では5品目がギリギリです。


 あれこれ悩んで購入しました。

 満足!


 あとは執事長に取り上げられないことを祈りましょう。

 クロウリー閣下のご温情と執事長の命令は関係ありませんからね。あのジジイの命令は絶対なのです。




 美容品店を出てもお買い物は続きました。

 そんな中、ふいに私の天敵のミカン嬢が一軒の店舗を指さしました。


「アリーシャちゃん! 見て見て、スライム屋さんだよ!」


「スライム屋さん?」


 コテンと首を傾げるアリーシャ様マジ天使。

 私たちも疑問符を浮かべつつ、そのお店を眺めました。


 看板には色とりどりの丸が描かれており、その横にはたしかに『スライム屋さん』という店名が書かれていました。どうやら、『さん』までが店名らしいです。


「わぁ、なにが売ってるのです?」


 子供が好きそうな絵の看板だったからか、アリーシャさまが期待の籠った声で問います。


「スライムさんだよ! 入ってみよう!」


 ミカン嬢はそう言うと、アリーシャさまの手を引いてお店の中に入っていきました。


「スライム屋さん、こにちはー!」とミカン嬢の元気な声を聞きながら、私やクロウリー閣下たちも急いで続きました。


「っっっ!?」


 驚愕です!

 そこには色とりどりのスライムたちが棚に乗っていたのです!


 私は即座に暗器へ手を伸ばそうとしましたが、それよりも先に店主が言いました。


「危険はないから武器を出さないでね」


 普通の音色の声ですが、私も騎士も、冷や汗を流します。まるで体全体を巨人の手で掴まれているような圧迫感が襲ってきたのです。

 懐からゆっくり手を出すと、その圧迫感はすぐに遠ざかっていきました。


 忘れてました。この村はキャサグメ一味の村でした!

 やっぱりヤバすぎます!


 というか、私はこの声の持ち主を知っていました。

 私に『ワクワクプレミアムチケット』という業を背負わせた張本人である青髪の少年だったのです! 忘れていた記憶がブワリと蘇り、悲しい気持ちになってきます。


「いらっしゃい、お嬢さん」


 店主が微笑みかけると、アリーシャ様はミカン嬢の後ろに隠れてしまいました。

 ミカン嬢はそんなアリーシャ様の手を握って微笑みかけ、自分の隣へ誘導します。


「ご、ごきげんよう。アリーシャ・クロウリーです」


 人見知りのアリーシャ様が勇気を振り絞った様子でご挨拶します。可愛い。


「アリーシャちゃんか。よろしくね。僕はこのスライム屋さんの店主をしています」


 クロウリー閣下を前にしてもこの余裕。

 やはりこの村の住人は頭がおかしいです。


 クロウリー閣下も慣れてしまったのか、特に彼の態度に驚くこともなく問いました。


「ここはスライムが売っているのか?」


「はい、閣下」


「ふむ。それはまた……なんのために? あー、なんのために買うのだ?」


 スライム屋さんからすれば金儲けであることは明白なので、閣下は買い手のメリットがなんなのか質問しました。


 この世には『テイム』という魔物を使役する技があります。

 しかし、スライムは基本的に弱く、使役するメリットがないのです。


「買う方の理由は様々でしょうね。愛玩として、友人として、冒険の相棒として、育成の楽しみとして、パッと思いつくのはこんなところでしょうか」


「ふむ」


 全然わからん。

 たぶん、私と閣下の気持ちは一致したと思います。


「あっ、この子、アリーシャちゃんの髪とおんなじ色!」


 と、ミカン嬢が棚の上から青いスライムを1匹取りました。奇しくも、スライム屋の店主と同じ髪の色でもありますね。まあ青髪はそこまで珍しくはありませんけど。


 スライムは直径20cm程度の球体を少し潰したような感じで、とてもモチモチしてそうです。

 ミカン嬢は、それをアリーシャ様に抱っこさせました。


 非常に大人しく無害と言われていますが、スライムは魔物。

 私も騎士も、閣下も、全員が息を呑みました。


 アリーシャ様が目を白黒させている間に、ミカン嬢はもう一匹持ち上げ、それは自分でモチモチとしました。彼女の髪と同じ明るいオレンジ色のスライムですね。


「モチモチでしょ?」


「は、はい。モチモチです。それに冷たくて気持ちいいです」


 アリーシャ様はスライムをモチモチして、ニコパと笑いました。

 すると、スライムはプルンと震えます。


「あっ、スライムさんが喜んでるよ」


「そうなのです?」


「うん!」


 モチモチ、プルプル。

 モチモチ、プルプル。


「わぁ……!」


 あっ、これ買う流れだ。

 私は直感しました。


 そうして、その直感は当たり、アリーシャ様は閣下へ上目遣いでおねだりしました。


「お父様、この子、飼いたいです」


「うむ、良かろう」


 甘いです……っ!

 かつてアアウィオルの貴公子と言われた閣下もすっかり親です。


 とはいえ、アリーシャ様はこの旅で何もおねだりしていないので、親としてもなにか買ってあげたいと思うのは当然かもしれないです。まあ、さすがにスライムはどうかと思いますが。


「まいどあり。それじゃあ、初めてのお客さんだからね、ひとつおとぎ話をしてあげようかな」


 ニコニコしながらそう言った店主に、アリーシャ様はコテンと首を傾げました。

 店主は語ります。


「アリーシャちゃん、スライムはどこから来ると思う?」


「……わからないです」


「スライムはね、お空からやってくるんだ」


「お空からです?」


「そうだよ。お空にはスライムの国があるんだ。そこにはたくさんのスライムがいて、楽しく暮らしているのさ」


 アリーシャ様がほえーとしながらその話に聞き入ります。ミカン嬢もふんふんと首を上下させています。そうやってお話を聞きながら、腕の中ではスライムをモチモチしています。


「ではなぜ、スライムが地上に降りてくるかというとね。スライムはこの地上に勉強に来ているんだよ」


「お勉強にです?」


「そうだよ。立派なスライムになるために勉強をするのさ。僕のお店はそんなスライムたちを人と引き合わせて、いろいろなことを学べるように橋渡しをしているんだ。これから君は、その子と共に成長していくことだろう。君が素敵な女の子に育てば、そのスライムもまた素敵なスライムに成長していく。優しい心で接して、その子を素敵なスライムにしてあげてね」


 そう言って微笑む店主に、アリーシャ様はよくわかっていないような顔で、コクンと頷きました。


「アリーシャちゃん、大丈夫! スライムさんは可愛いからね!」


「はい」


 その後、スライムさんの飼い方を教えてもらいました。


 水をあげとけば死なないらしいです。植物より簡単!

 けれど、酷いことをすると夜逃げしてしまうとのことです。アリーシャ様はそんなことしないでしょうが、意地悪な人は世の中にいるものですから、もし買う人がほかにもいるのなら、そこそこ起こるように思えますね。


 こうして、アリーシャ様はスライムさんを飼うことになったのです。


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