第6話 カイル リゾート村
覚悟を決めて転移門を潜った瞬間、私は人生でもそう体験することができない大きな感動を覚えた。
アアウィオルは冬であった。
それがどうだろう。
ギラギラと照りつける太陽に青い空。遠くに見えるのは大海原か。
視覚情報に驚く間もなく、次に感じたのは髪を撫でる心地良い風。
潮風の中に素晴らしい花の香りが混ざり、鼻腔をくすぐる。
そうかと思えば、今度は厚着のせいで汗が出始めた。
環境ががらりと変わり、五感を刺激していたものが一気に変わったのだ。
これこそが転移門の真骨頂なのだろう。
転移門とは、離れた2点間を瞬時に繋げる超技術だ。
私が以前体験した神都にあるものは、教会の権威を示すために神都の大聖堂の中だけで使われていたのだが、それがいかに愚かなことか、私はこの時理解した。
「こ、これは……」「うぉ……」「す、すごい……」
私のあとに続いた騎士やメイドたちも感嘆の声を漏らしている。
そんな私たちに、少し離れた場所にいるキャサグメが両手を広げて、今まで聞いたことのない陽気な声で言った。
「ようこそ! 癒しと学びの楽園・リゾート村へ!!」
「り、リゾート村?」
すまん。
陽気な歓迎をしてもらってアレだけど、心が追いつかないわ。
「わぁー」とか「やっふー」って誰もできない。
そんな我々の反応のせいで、キャサグメは完全に滑った感じになってしまっている。
「あっと、申し訳ありません、閣下、皆様。転移門の前で止まると事故の元なので、どうぞ少しお進みください」
「むっ」
私たちはキャサグメに言われてハッと背後を振り返る。
たしかにこの場に立っていてはまずいだろう。転移門の向こうから来る者は、我々の状況などわからないのだから。
言われた通りに少しその場を開けると、まるでそれを待っていたかのように転移門の向こうから後続がやってくる。
その者らも、私たちと同じように様変わりした環境に呆けては、犬耳メイドや執事に案内されて門の前から退いた。
「キャサグメよ。ここはどこなのだ?」
「ここは南西の遠海にある島ですね」
「遠海だと?」
陸地に魔物が出ることは子供でも知っていることだが、海にも魔物は多く生息している。
近海の魔物も決して侮れるものではないのだが、遠海の魔物は冗談のように巨大になるそうで、遠海へ出ることは自殺に等しい。
いったいどうやって遠海を越えたのだろうか。
いや、それよりも。
「この島は大丈夫なのか?」
「はい。この島に魔物は決して手を出しませんのでご安心ください。ただ、この島から船で20kmほど進めば巨大な魔物がたくさんいるので、貿易港にはあまり向いていませんが」
「ふむ……」
貿易港なんて思いつきもしなかった。
キャサグメは、やっと転移門を潜り終えた我々一行に言った。
「皆様が潜った青い転移門は、こちらに来るためのものです。お帰りは隣にある赤い転移門を使いますので、ご注意ください」
おそらくは交通を円滑にするためなのだろうが、なんとも贅沢な使い方だ。
神都では行き帰りを1対の転移門で行なっていたというのに、ここでは貴族と平民合わせて最低でも4対あると思われる。
4対もあれば大国が作れるかもしれない。それだけ転移門というものの利用価値は高い。
……というか、キャサグメたちの転移門の使い方も、神都の転移門と似た愚行なのではないだろうか? 3対は別のところを繋げた方がいい気がする。
まあそれは置いておこう。
「さて、皆様、ここは高台になっております。あちらが降り口になりますが、まずはどうぞ、展望台までお進みください。私たちの村の全容がご覧いただけます」
キャサグメがそう言うと、すぐにミカンが私の足元に花びらを撒き始めた。
しかし、いつまでもなくならない花びらだな。不思議なアイテムなのだろうか。
私はミカンが作った花びらの道を進み、展望台まで進んだ。
角度的に遠くの海と空しか見えなかった視界が開け、眼下には見事な都市が広がっていた。
「いやいやいや! お前、これは村とは言わんだろう!?」
思わず叫んだ私を誰が咎められようか。
そう、都市である。大都市である。断じて村ではない。
「いえいえ、村ですよ、リゾート村です」
断固として村と言い張るキャサグメは、そのまま説明に入った。
なお、私は海を見たことがあるが、メイドや騎士の中には見たことがない者も多かった。アアウィオルは最北の一部でのみ海と面しているので、王都の人間だとそちらに用がない限りはまず見ることがないのだ。
そういう者は私とキャサグメのやりとりをそっちのけで、海の大きさに感動しているようだった。たしかに、アアウィオルの北方で見られる海よりも青く美しいので、私も彼らの気持ちは理解できた。
さて、キャサグメの説明を受けながら島を見ていく。
リゾート村は大きな2つの島と小さないくつかの島で構成されていた。
片方の大きな島は観光用の島である『観光島』で、我々はいまここにいる。
まずは、その観光島について。
この高台の下で伸びているのは綺麗に舗装された石畳の道で、歩道沿いには色鮮やかな花が咲く花壇が見える。
大通りを挟むように立ち並んでいるのは、漆喰で塗られたこれまた見事な建物で、この高台付近は買い物や飲食を楽しめるらしい。
遠くにある海の近くには貴族や豪商が泊まれる宿泊施設が並び、本日、我々が招待されるのはその中でも最高級のホテルなのだとか。
たしかに遠目に見えるそのホテルは、城と見紛う美しいものであった。
「キャサグメよ。あれはなんだ?」
「あちらはプールランドですね。水遊びをする施設になります。ご覧の通り、ここは暑いですからとても気持ちが良いですよ」
「プールか。それはまた」
南東にある暑い国の王侯貴族は水遊びが好きらしい。
邸宅の庭に石材で囲った穴を作り、その中に専属の魔法使いが水を入れるのだ。たしかそれがプールと呼ばれていたはずだ。
海にしろ川にしろ、水辺は魔物の生息地なので、基本的にプール以外に水遊びをする機会はない。精々、井戸水をかけて遊ぶ程度だろう。
しかしプールねぇ。
楽しいのだろうか?
「あの巨大なヘビのようなものは?」
「あちらはプールを楽しんだ方だけが体験できるものです。どうぞ、これは現地にてお楽しみください」
「こやつめが」
転移門についてろくに説明しなかった件でもわかるかと思うが、キャサグメは、こちらをビックリさせてやろうという子供っぽさが端々に感じられる男だった。
短気な貴族だったらキレてもおかしくない。まあ、空気を吸うがごとくゲロスを石に変えた男にキレられる奴はそういないだろうが。
それから別の方面の説明が始まる。
「こちらの方面は平民や冒険者が主に活動することになる予定です」
そのエリアは、貴族エリアとそこまで変わらず綺麗なものだった。例のプールもあるし、高級そうなホテルも普通にある。目的をもって白い家が整然と並ぶさまは、自己主張が激しすぎる王都の貴族街より美しいかもしれない。
また、この高台と同じような場所がそちら側にも見え、頂上には転移門もあった。平民はそこから出入りするのだろう。
「ううむ、こちらもずいぶん綺麗だな」
「綺麗に作れるのに平民用だからといってみっともなく作るのは、我々のポリシーに反しますので」
「それはまあ、その通りだ」
まとめると、観光島は、貴族エリアと平民エリアに分かれているようだ。
お互いが接する付近は、平民には高く、貴族には安い値段設定の店が集まっているようである。
また、その緩衝地的なエリアには非常に立派な神聖教会が建っていた。神聖教会は創造神を始めとする多くの神々を祀っている教会だ。あとでお祈りに行かねばな。
「それでは次に、もう一つの島について説明いたします」
リゾート村には2つの島があると先ほど説明したが、キャサグメは次にその島が見える位置へ案内した。
その島は観光島と違い、かなり巨大な建物が多く並んでいた。
あれはいったい何階建てだ? 優美さはないが、王宮よりも高いんだが。
「あちらの島は『学園島』です」
「学園島? 王国貴族学院みたいな学び舎が集まっているのか?」
「はい。しかし、貴族平民問ずに門戸を開きます。大体1、2か月ほど学ぶプランを考えていますが、期間については様子を見て調整するつもりです」
「ふむ……何を教えるのだ?」
私は家庭教師と王国貴族学院でしか学んだことがないので、ちょっと想像がつかない。ちなみにアアウィオル王国にはほかに魔法学院もある。
「全てが基礎となりますが、読み書き、計算術、農業、武術、魔法、各種職人の技術といったような人生の役に立つ技術から、美容法や音楽、芸術といった人生を豊かにする技術を教えます」
「ふむ。それは例えば、私がメイドや料理人を派遣すれば、学ばせてくれるのか?」
「もちろんにございます。ただ、学習期間中はこちらでの泊まり込みになりますが。あちらに見える大きな建物には寮も多くありますので、そこで泊まっていただきます」
「ふむ」
なるほど、だから巨大な建物が多くあるのか。
武術や魔法も教えると言ったが、まあキャサグメが言う通り基礎程度だろう。彼らほどの強さを得られるのであれば素晴らしいのだが、自分の首を絞めることはすまい。
しかし、今日連れてきた白騎士から1人くらいお試しで派遣しておくのも良いかもしれない。彼らから基礎を学ぶことで、もしかしたら、ラインハルトさんくらいの強さになるかもしれないしな。
キャサグメは続ける。
「基本的に、我々は移住者をあまり求めておりません。アアウィオルの方々に泊まりに来ていただき、一生の思い出になる娯楽や価値のある学びを提供したいと考えております。もちろん、長期宿泊や何回も来ていただく分には大歓迎ですが」
「ふーむ、なるほど」
そうか、だからこやつは王都の近くに土地を欲したのか。
王都から半日で暖かな海に来られるとなれば、誰もが遊びに来たいと思うだろう。
これは、まず間違いなく流行る。
だが、王都と比べられないだろうか?
王都プークスクス、とか言われたら元王族としてさすがに傷つくぞ。
「……しかし、こんなことなら家族も連れてくれば良かったな」
美しい景色を眺める私の口から思わずそんな独り言が零れ出た。
この大都市や転移門を見て、私はキャサグメたちが迎賓館を襲撃した理由や彼らがそこまで危険ではないということを確信していた。
未だわからないことも多いが、この2点については私の考え通りだろう。
だから家族も連れてきてやれば良かったなんて思ったわけだが、そんな私の呟きが聞こえたのか、キャサグメが首を傾げた。
「それでしたら、お連れしますか?」
「いや、今から私の屋敷に戻ったら日が暮れる。お主らが準備した歓待を中断させて、明日もう一度というわけにもいくまい」
「お気遣い痛み入ります。しかし、王都に戻るだけでしたら一瞬で戻れますよ」
「なに?」
「うちの魔術師は転移門のように別の場所へ瞬時に移動できる魔法を使えますので、王都まで数秒で着くことができます。あとはご家族のご都合次第にございます」
「……」
本物の化け物だな、こいつら。
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