第3話 カイル ショートケーキ


 私の名はカイル・クロウリー。


 今代女王陛下の弟にして、クロウリー公爵家の当主だ。

 領地は持っておらず、代わりに貴族院という役所の長をしている。


 私は王子だったのに、国王にならなかったのかって?

 いや、家督は男を継ぐものというのは、お隣の帝国的な考え方だ。


 農民も商人も傭兵団も、そして王侯貴族も。

 このアアウィオル王国において、家督や組織を継ぐ者に男である必要はないし、女である必要もまたない。求められるのは資質だけだ。

 英雄結晶を崇めて努力ができるなら、男女差はさほどないからな。


 おっと。

 それはいいとして、私のことだ。


 先ほど貴族院のトップをやっていると言ったが。

 貴族院とは、貴族の名簿を作ったり、領地の境界石を打ち込んだり、授爵式の段取りを行なったりと、そういった貴族にまつわることを管理する行政機関である。


 領地運営も面白そうだとは思うが、姉上のそばで働けるので、私としてはこのポジションを気に入っていた。


 そんなところに勤めているわけで、新しく爵位を得た者が現れたら少しばかり仕事が増える。

 そう、キャサグメとその一味だ。


 晩餐会の日、私は姉上の盾になって死ぬ覚悟をしたが、幸い、こうしてまだ生きている。

 マジで怖かったよ。


 そのあとはもう、蜂の巣をつついたような大騒ぎだったね。まあ、当然ではあるけど。


 まず、キャサグメたちが大広間を出ると、大きな魔法が使われたんだ。

 範囲回復魔法の類だと宮廷魔術師長は言っていたが、倒れた近衛騎士はもちろんのこと、ゲロスに突き飛ばされて手首を挫いたガディアス侯爵の奥方や、気を失っていた貴族たちが全回復したのさ。


 見たことないね、あんな大魔法。


 いらんことに石に変えられたゲロスも復活してしまったが、奥方を突き飛ばされたガディアス侯爵にぶっ飛ばされていたので、良しとしよう。

 凄まじい恐怖を体験したあとだったので、あれはなんともほっこりする光景だったな。


 そのあとはすぐに王国会議に突入だよ。

 普通なら年明けから開かれるんだけど、そうも言っていられないからね。


 否定的な意見が上がる中、案外、肯定的な意見のほうが多かった。

 というか、底知れぬ連中だし、用心深い貴族はあの会議すら盗み聞きされている可能性を考えていたのだろう。

 ゲロスとかギャーギャー騒いでいたけど、あいつは始まったこの激動に飲み込まれて消えるような気がする。


 そんな中、会議の休憩中に私は姉上に内密に呼び出されたのさ。

 自慢じゃないが、私は幼少期の頃から姉上の一番の子分だからね。その信頼はこの国できっと最も厚いはずだ。ちなみに旦那のラインハルトさんは5番目くらいの子分だ。


「カイル。ちょっとキャサグメたちの領地を決めてこい」


「引っ叩いていい!?」


「やつらの情報がなさすぎる。下手な貴族を接触させたくないのだ。わかるな、カイル。私はお前のことを信頼しているのだ」


「あ、姉上!」


 私は姉上の一番の子分だ。物心ついた頃にはそうなっていた。

 だから、姉上も私を頼りにしているのだ。

 やれやれ、まったく仕方がないな。


「喧嘩はするなよ」


「ああ。私のせいで姉上の心証まで悪くはできないからね」


「うむ、さすがだ。偉いぞ」


「姉上!」


 私が褒められて喜んでいると、ラインハルトさんが姉上の前に立った。

 なんだよ。姉上と話してるんだから、ちょっと退いてくれよ。


 というわけで、私は徹夜で準備して領地の境界石を打ち込みに行くことになった。

 祝福の月で休暇を楽しむ部下たちを道ずれにしてな!




「クロウリー公爵閣下。ご挨拶が遅れたこと誠に申し訳ありません。改めまして、キャサグメと申します」


「わーい、待て待てぇ!」


「わんわん!」


 私の前で、キャサグメが片膝をついて挨拶する。

 その近くでは、幼女と犬がチョウチョを追いかけていた。幼女は私の娘と同じ8歳くらいだろうか。迎賓館でも名前らしい単語を言っていたし、おそらく名前はミカンだと思う。


 ほかにも、迎賓館で見た面子が宿の周りで思い思いに散っており、頭を下げているのはキャサグメだけという。むしろ、宿屋の亭主と道行く人のほうが畏まっている有様だ。


 キャサグメの部下たちは迎賓館でも同じようにしていたが、どうやら人や建物を見ているらしい。


 それにしたって、ここまで敬われないのも珍しい。

 新体験過ぎてどう対処していいのかわからない。


 これがゲロス伯爵なら一瞬にして怒鳴りつけられるのだろうが、私には無理だ。やつのあれも一種の才能なのだろうな。


「おい、貴様ら!」


 代わりに私についてきた文官が怒鳴った。

 こいつは迎賓館にいなかったので、公爵である私の前でふらふらしている一般人に怒っているつもりなのだろう。まあ、それは尋常ならざる化け物なわけだが。


 私は胃のあたりがキュッと締まる想いがした。


「し、しばし待て」


 私はすぐに文官を連れてその場から少し離れた。


「お前の気持ちはわからんでもないが、私は出発前に言ったよな? なにがあっても声を荒げないって」


 そう、私は出発前に護衛と文官たちに、ちゃんと言った。

 今から会う者にはなにがあっても逆らうな、と。

 もういっそ護衛に武器を所持させなかろうかと思ったくらいだ。こいつらに対して武装とか意味ないし。


「え、は、はい。……え? もしや、あそこの者らも同行者なのですか?」


「そうだ」


「え? ということは、あの態度を注意せずに進めるのですか?」


 文官はきょとんした顔で言う。

 殴りてぇ。


 しかし、この文官はあの時の光景を見ていないので無理はない。彼の中で、アアウィオルの行政院は最強なのだろう。しかも私とか公爵だし、いまの彼は最強度もマシマシだ。


「そうだ。いいな、エンシェントドラゴンを相手にしていると思え。声を荒げるな、不快そうな顔もするな。お前は粛々と仕事をしろ」


 生きる災害と言われる大魔獣を引き合いに出して、私は文官に注意した。

 文官は、よくわかっていなさそうな顔で、「はっ」と返事した。


「頼むよ、ホント」


 先が思いやられる……っ。




 キャサグメが貰う領地は、王都から北東へ馬で4刻(※2時間)ほどの場所だ。


 道中に道はなく、畑と草原が広がっている。

 現在は冬なので草は枯れ、そんな道なき道を全員が馬に乗って移動した。私も貴族の務めとして魔物討伐に行くことがあるので、馬の移動は慣れたものだ。


 馬で4刻と言ったが、これから作る街道次第ではもう少し掛かるようになるだろう。立地的におそらくは馬車で6刻(※3時間)程度になろうか。


 畑エリアを越えて草原エリアに入り、やがて森が見えてきた。

 私たちはその辺りで下馬した。


「キャサグメよ。陛下から賜る土地はこの辺りになるが、問題ないか」


「はい。とても素晴らしい土地です」


 キャサグメが嬉しそうに返事をする。どうやら気に入ったようだ。


「うむ。では、迎賓館と同程度の領地を与えるが、領地としてはあまり広くないぞ。問題ないか?」


「滅相もありません、ありがたき幸せにございます」


「森は必要か?」


「いえ、森は必要ありません」


「ふむ……」


 森がいらないというのもおかしな話だ。

 薪に建材に、いろいろと必要になると思うが……。

 まあいらないというのならその通りにするか。


 私はすぐに文官たちに命じて、検地を開始させた。


「クロウリー閣下。あちらにお茶の席をご用意いたしました」


 すると、いつの間にかティーテーブルセットが用意されていた。


 どこにこんな荷物を、と考えたところで、例の事件の際に執事風の男が何もない空間から地図の束を出したのを思い出した。


「物をどこかから取り出す魔法か?」


 ここまでの道中、キャサグメとは結構話せているので、思い切って聞いてみた。


「はい。収納の魔法にございます。修行すれば誰でも使える技術ですね。大容量を入れるには相応に厳しい修行になりますが」


「ほう、そうなのか」


 え、凄く教えてほしいんだけど。


 私が席につくと、犬耳のメイドが紅茶を淹れる。

 お茶を淹れる所作は宮仕えのメイドよりも見事なものであったが、私の目はすぐに別のものへくぎ付けとなった。


「これは?」


「そちらはイチゴのショートケーキになります」


「ケーキ? これがか。珍しいな」


 私も元王族なので、ケーキくらい言えばすぐに用意されるが、普段食べているものと見た目からして全然違う。我々が食べるケーキはパンの親戚みたいなものなのだ。


 それに対して、なんだろう、この白いの。雪? イチゴはわかるが。


 私の執事が少し心配そうにしているが、特に何も言わない。

 執事には一切の無礼を働くなと厳命しているからな。上位貴族が毒見をさせるのは無礼ではないが、私はそれもしなくていいとあらかじめ言っておいた。


 私はここにきて、その命令を撤回したかった。

 ちょっと食べるのが怖くなってきた。

「まずはわたくしめが」と言ってほしい。だが、言ってくれない。私が厳命したから。


 とりあえず、私は飲みなれた紅茶の方から貰うことにした。


「ほう、これは……」


 美味い。

 口の中に残るえぐみが一切感じられない。

 この犬耳メイド、できるな。


「お口に合いませんでしたか?」


「いや、野外で飲める味ではないと思ってな。いい味だ」


 どこのダンジョン産だろう。

 ここら辺だと紅茶はダンジョンでしか手に入らないが、それとも栽培が可能な東方と取引があるのか?


「お褒めに与り光栄にございます」


「ふむ」


 そうなると、このケーキも気になる。


 …………

 ……


 いや、考えてみれば毒殺なんて迂遠なことしないか。

 仮になんらかの理由で毒殺すること自体が必要なら、こいつらであれば、私の頬をむんずと掴んで口へ毒液を直に流し込むことだってできるのだし。……なにそれ、こっわ。


 私は自分の想像を追い払うようにケーキに向き合った。


 そこでふと気づく。

 キャサグメの仲間たちが別の場所で地面に布を敷いて座っているのだが、彼らも同じケーキを食べているのだ。幼女は頬に白いものをつけて満面の笑顔だ。


 ふむ、ちゃんとしたもののようだな。


 こう見えて私もアアウィオルの公爵だ。

 怯えているなどとは思われたくない。

 なので、平静を装って、皿に添えられたはしを手に取った。


「む、これはまた見事な箸だな」


 箸は多くの国で使われている食器だ。

 どんなに貧しかろうとも枝を削れば得られるため、民が使う箸を見れば豊かさや技術力がわかると言われている。


 それを踏まえたうえで、この箸は非常に見事だった。


 深みのある黒地の中に舞い散る花々が鮮やかに描かれており、なんとも気品に溢れている。手触りも滑らかで心地よく、自分用に欲しいくらいの逸品だ。


 私はその黒い箸で、真っ白なケーキをすくってみた。


 ほとんど抵抗がないほど柔らかな感触に、私はハッとした。

 ……これはもしや、空に浮かぶ雲を使っているのかもしれん。


 そんな予想を立てながら、動き出した勢いのままにケーキを口に運ぶ。

 その瞬間、口の中に甘い嵐が巻きおこった。


「っ!」


 な、なんという美味か。


 叫びそうになるのを堪えた私は凄いと思う。


 私は一度紅茶を口に含む。

 むっ、口内を支配していた甘さが一気に中和したな。


 舌がリセットされ、次なる一口で、また口内が感動的な味わいで満たされる。

 とはいえ、覚悟を決めていたのでさすがに先ほどのような衝撃はなく、私はじっくりと味を楽しんだ。


 ……うん、雪でも雲でもないな。


「なるほど、この白いものは牛の乳ではないか?」


「ご明察にございます」


「アアウィオルでは食べられないものだが、見目も美しく味も素晴らしい。見事である」


「お気に召しましたら、お土産にご用意いたします」


「ほう、用意できるか」


「3つでよろしいでしょうか」


「うむ」


 3つ、つまり私と私の家族の分だ。


 私は思いがけずに家族へのいいお土産ができたと思い、ホクホクした。




 特に暴力的なことも起こらず、検地は問題なく終わった。

 キャサグメの護衛かと思っていた数人がその場に残り、キャサグメと犬耳メイドと執事が王都へ帰還する。明日、貴族院でいくつか処理があるからだ。


 私は、約束通りキャサグメからショートケーキを貰って屋敷へと帰った。

 帰ってきちゃったけど、たぶんまだ王国会議をしていると思うので、少し休んだらまた登城することになる。激しく辛い。


 家に帰り、私はさっそくメイドにお茶を淹れさせ、家族とともにショートケーキを食べた。


「「もむぅ!?」」


 今年8つになる娘が目を大きく見開き、その22年後の姿をした私の妻がやはり同じような顔で驚いた。


「とっても美味しゅうございますね。あなた、これはどこで頂いてきたのですか?」


「え。あ、ああ、ちょっとした伝手ができてな」


 私は言葉を濁した。

 妻は体調を崩して晩餐会に出席しなかったのだが、キャサグメたちの蛮行はすでに聞いている。というか、私が話した。

 ならば、余計な心配をさせても仕方がない。


「それは良い出会いをいたしましたね」


「……そうだな」


 すまん。それをくれたのはアアウィオルの貴族界を絶賛震撼させている連中なのだ。ついでに、これからまた仕事に行くのもそいつらの所為な。


「気に入ったのなら、機会があればまた貰ってこよう」


 そう言った私は、キャサグメとその仲間たちを思い出す。


 なにが狙いかさっぱりわからない連中だが、いまは様子を見るしかあるまい。




「は? なぜお前はその菓子を妾の下へ持ってこなかったのだ」


 姉上に凄く怒られた。

 姉上が食べたいというわけではなく、やつらのことを知るヒントになるし、至極真っ当な怒りであった。


「とりあえず、凄く美味しかったよ」


 そう言ったら、引っ叩かれた。


 こうして私とキャサグメの出会いは終わり、しばらく関わることはないだろうと考えていたのだが、1週間後にまた私はやつらと会うことになる。

 完成した村への招待状が届いたことによって。


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