15 主役は遅れてやってくる

 通路に挟まりそうなほど大きな両手棍を持った、ひときわ巨大なトロールが、鼓膜の破れそうな雄叫びを上げた。


 灰白色のぶよぶよした肉に覆われているのは通常のトロールと同じだが、そのサイズはもはや「小人」とは呼べないだろう。

 背の高いエイダを見下ろすほどの巨躯で、頭が洞窟の天井にぶつかりそうだ。

 全身に肉がついているせいで、横幅もかなりでっぷりとしている。その体重は、「暁の星」の全員を合わせたよりも重いかもしれない。


 頭にもぶよぶよした肉が垂れていて、口や鼻といったパーツは肉の中に埋もれていた。


 その肉の隙間から、真っ赤に輝く白目のない目が、身構える「暁の星」のメンバーへと向けられる。


 巨大なトロールは、人間たちを見て笑った――のだろう。

 口元を覆う肉が左右に開いて持ち上げられ、そのあいだから、血肉のこびりついた茶色い歯と、青緑の分厚い舌が外に覗く。


「ボストロールか!?」


 ルシアスが叫んだ。


「おい、長期戦は無謀だぞ!」


 サードリックがそう注意する。


「シルヴィア! 出口まであとどれくらいありそうかい!?」


 エイダがシルヴィアに聞いてくる。


「もうそんなにはないはずです!」


「それなら一気に駆け通す! エイダ、すまないが……」


「わかってるよ! あたしがこいつを食い止める!」


 大剣を構えたエイダがボストロールに迫る。

 ボストロールは、手にした棍を振り回した。

 丸太をそのまま流用したような巨大な棍が、洞穴の天井、壁、地面をめちゃくちゃに砕く。

 エイダはその間合いの一歩手前で止まってそれをかわし、すばやく踏み込んで、ボストロールの腕を浅く斬る。

 ボストロールは痛がって、棍を振り回すのを一旦やめた。


 ボスモンスターは、通常の魔物と比べて、信じられないほどにHPが高い。

 数千、時には数万にも達するという。

 MP切れを起こしかけている今の「暁の星」で、ボスモンスターのHPを削り切るのは不可能だ。


 エイダがボストロールの注意を惹きつけるうちに、ルシアス、サードリック、ディーネが並んで通路を駆けていく。

 サードリックは、罠の探知魔法を使っている。

 だが、ディーネが罠を解除している時間がない。

 その代わりに、アンが魔法で罠を吹き飛ばす。

 残りMPの少ないアンの魔法を罠の除去に使うのはもったいないが、背に腹はかえられない。


「くっ! 前方にトロールの群れ……十体以上いるぞ!」


 ルシアスがそう警告しつつ、トロールに斬りかかる。

 このトロールも「物理見切り」を持っていたが、ルシアスもその対処に慣れてきた。

 エイダもやっていたように、人間なら引っかからないような単純なフェイントを挟むだけで、「物理見切り」は切り崩せる。


 だが、罠対策のために、サードリックとアンのMPはまだ温存しなければならなかった。

 ルシアスとディーネが連携を取り、十数体のトロールをなんとか倒す。


「おいっ! 早くしてくれ! あたしも長くはもたないよ!」


 エイダが叫ぶ。

 エイダは、ボストロールを引き受けつつ、じわじわと後退していた。


「くそっ! またかよ!?」


 通路の奥からさらにトロールが沸いてくるのを見て、サードリックが罵りの言葉を上げた。


 前にはトロールの群れ、後ろにはボストロール。

 そんな状況でなんとか進む「暁の星」は、やがて四つ辻へと行き当たる。


「この四つ辻は……たぶん、行きに通った二つ目の四つ辻です!」


 シルヴィアが声を上げた。


「ふ、二つ目……!? どっちに行けばいい!?」


「右です!」


 この期に及んでも脳内にマップを描けていないルシアスに、シルヴィアが短く答えた。


「ここを曲がれば、もう十数分で出口です!」


「よしっ! みんな、あと少しだ!」


 四つ辻には、ルシアスたちが来た以外の三方から、トロールたちが押し寄せてきていた。

 ボストロールの暴れる音が、トロールたちを呼び集めているのだろう。

 もともと、落とし穴にはまった勇者たちを見失ったトロールたちは、この近辺を徘徊していたはずだ。


「ここは俺が抑える!」


 ルシアスが四つ辻に飛び出した。

 周囲のトロールを引きつけながら、卓越した剣技でトロールたちを押し返し、右側への道を強引に広げる。


 アン、サードリック、ディーネ、シルヴィアが右に折れるが、当然そこにもトロールたちがひしめいていた。


 アンがすかさず手にした杖をかざし、魔法を放つ。


「『ヘイルストーム』!」


 アンの前に生まれた大小無数のひょうが、豪速の砂嵐のようにトロールの群れへと襲いかかる。


 大きな氷塊はトロールの身体をぶよぶよとした肉ごと砕き、小さな氷塊はトロールの肉へと食い込んだ。

 阿鼻叫喚のトロールの群れの中を、サードリック、ディーネ、シルヴィアが駆け抜ける。

 ディーネの援護射撃のもとにアンも群れを抜け、振り返ってルシアスに向かって叫んだ。


「勇者様! 早く!」


「エイダ、もういい! 俺と一緒に抜けるぞ!」


 ルシアスがボストロールの足止めをしていたエイダに声をかける。


「やっとかい!」


 エイダは「スタンクラッシュ」のスキルでボストロールの動きを一瞬止めると、踵を返してルシアスの脇を駆け抜けた。

 ルシアスも、引きつけていたトロールたちから飛びすさり、エイダの後を追って合流する。


 これで、パーティ全員が四つ辻を右に曲がり終えたことになる。

 この後は、ひたすら真っ直ぐに駆け抜けるだけだ。

 途中にひとつ四つ辻があるが、それさえ抜ければ後は一本道になっている。


 もっとも、


 ――グオオオッ!


 後ろからは、ボストロールが巨大な棍を振り回しながら迫ってくる。


 もちろん、角を曲がった先にも、トロールの群れは残っている。

 行きに掃除したはずだが、ルシアスたちがダンジョンをさまようあいだに、魔物が再配置されたのだろう。

 あるいは、どこからともなく「湧いた」のか。


 ボストロールの追撃をかわしつつ前方のトロールを一掃するには、やはり、賢者の魔法を使うしかない。

 ルシアスの勇者魔法は燃費が悪く、ここまでにMPを使い果たしてしまっている。


「アンちゃん、残りのMPは!?」


 サードリックがアンに聞く。


「もう一発しか撃てません!」


 アンが青い顔で申告する。

 MPが尽きかけていることは、その顔色を見るだけでもわかった。


 ルシアスが前に向かって剣を構えながら言った。


「もうすぐだ! アン、前を頼む!」


「これで最後ですよ! 『サンダーボルト』!」


 アンの魔法が血路を拓いた。


 陣形を維持できるギリギリの速度で全員が走る。

 ルシアス、ディーネ、サードリック、アン、シルヴィア。

 最後尾にエイダがつき、ボストロールを警戒しながら、後ろ向きに跳んでついてくる。


 その先に、最後の四つ辻が見えてきた。


「もう少し……!」


 血色の悪いアンの瞳に希望の光が浮かんだ。


 行く先には、まだトロールたちがひしめいている。

 もうアンの魔法にも頼れない。

 後ろから迫るボストロールに押され、エイダが中衛へと近づいてくる。


「矢が……!」


 ディーネが叫び、腰から短剣を抜き放つ。


 前衛が、勇者魔法の残っていないルシアスと矢の尽きたディーネでは、殲滅速度はどうしても落ちる。

 サードリックもアンも、もうMPが残ってない。


 前衛であるルシアス、ディーネと、中衛であるサードリック、アン、シルヴィア、しんがりを務めるエイダの間隔が狭くなる。


 パーティは前にじりじりと進んでいるが、後ろからボストロールが迫ってくるほうが早かった。

 ボスモンスターとして膨大なHPを持つボストロールは、エイダの攻撃を多少喰らおうと、頓着せずにただ前へと迫ってくる。


 エイダはハイファイターの「豪剣」に含まれる各種スキルを駆使してボストロールを押し留めていたが、


「ちぃっ! クールダウンだよっ!」


 一部のスキルは連続では使えない。

 使用後に数秒から数十秒、ものによっては数分以上の冷却期間――クールダウンが必要になる。

 エイダは手持ちのスキルをすべて使いきってしまった。

 スキルがすべてクールダウンに入って、使えるスキルが残ってない。


「くそっ! あと少しだってのに!」


 トロールを押し返しながらルシアスが叫ぶ。


 エイダはボストロールに押し切られ、シルヴィアとぶつかりそうな位置にまで下がってきた。

 迫ってくるボストロールの迫力に、シルヴィアは足がすくみそうになる。


 ディーネはルシアスと並んで前衛でトロールと斬り結んでいるが、トロールの「物理見切り」に苦戦している。

 ルシアスやエイダですら、「物理見切り」を見切るのには時間がかかった。

 もともと弓使いであるディーネが慣れない短剣で戦ったところで、まともに倒せるはずもない。


 アンは、杖を構えて瞑想し、MPを回復しようとしているが、間に合わないのは明らかだった。


 誰の顔にも焦りが浮かんだ――


 一人の男を除いては。


「大丈夫だ! 俺に考えがある!」


 サードリックが突然言った。


「考え!? なんだ!?」


「それは――こうさ! 『グレイシャースピア』!」


 サードリックが魔法を唱えた。


 その手を、アンにかざして。


「なっ……きゃああああっ!」


 いきなり味方から浴びせられた氷の槍が、アンの片足を貫いた。

 氷の槍は周囲の水蒸気を吸ってみるみるうちに成長し、アンの下半身を地面ごと氷で覆い尽くす。


「い、痛い、痛い痛いっ! てめえ、サードリック! 何考えてやがる!」


 アンが、口調すら変えて、サードリックに向かってそう叫ぶ。


「けひゃひゃっ! おめえは案外お人好しだなぁ、アン! MP計算してるのが自分だけだとでも思ったんでちゅかぁぁぁっ!? 俺はこのためにMPをちゃぁぁぁぁんと取っておいたんだよぉぉっ!」


「サードリック!? どういうつもりだ!?」


 ルシアスが、哄笑するサードリックに詰問する。


「どうもこうもあるか!

 こいつは、俺たちの秘密を知っちまった!

 このまま連れ帰れば、事の次第を教団に話すに決まってる!

 だから、ここで死んでもらうんだよ! 囮にもなって一石二鳥だぁっ!」


「サードリックぅぅぅぅぅっ!!!」


 アンが、相手を殺せそうな形相でそう叫ぶ。


 シルヴィアは、突然のことに頭が真っ白になって、つかの間、棒立ちになっていた。


 エイダは、ボストロールを相手にしながら、じわじわと中衛の方に下がってくる。

 今の会話を聞いていたはずだが、その表情にはいささかの動揺もない。


 いや――


(エイダさんは、ボストロールをわざと引きつけて……!)


 シルヴィアはようやく気がついていた。

 エイダは、ボストロールを、あえて中衛近くまで引きつけていたのだ。

 その狙いはもちろん――


「エイダっ! 打ち合わせ通りに行くぜっ!」


「わかってるよ!」


 サードリックの言葉にエイダがうなずく。


 サードリックは、前のトロールたちに向かって魔法を放つ。


「『フォトンレイ』!」


 サードリックの前面から、いく条もの光が放たれた。

 数本の光線が、空間を縦横に駆け巡り、トロールたちをなます切りにする。


 同時に、


「『ランパード』!」


 エイダが、使い果たしたと言っていたはずのスキルを発動する。

 光の城壁がボストロールの前に――いや、アンと他のメンバーのあいだに展開した。


 エイダは、すぐそばにいたシルヴィアの首根っこを掴んだ。


「ほらっ! あんたもぼさぼさしてんじゃないよ!」


「きゃあっ!?」


 事態についていけず呆然としていたシルヴィアを掴み、エイダがサードリックの方へ駆けていく。


 そのあいだに、サードリックがルシアスに詰め寄った。


「ルシアス! 今のうちに脱出だ!」


「し、しかし……」


「アンを生かしておいたら、おまえは勇者の地位を剥奪されるぞ! それが嫌だったらついてこいっ!」


 そう言って前方に駆け出すサードリック。

 ルシアスは、氷で地面に縫い付けられたアンを振り返る。


「ゆ、勇者様! 教団に言いつけたりなんかしませんから……! どうか、わたしを助けてください! 勇者様のためならなんでもします!」


 アンの必死の哀願に、ルシアスはしばらくのあいだためらった。

 だが、


「くっ! お、おまえが悪いんだ! 余計なことを聞かなければ死なずに済んだものを!」


 そう捨て台詞を残して駆け出した。


 ディーネも無言のまま、ルシアスの後に続いて走り出す。

 ちらりとアンを振り返った目には、複雑に入り混じった罪悪感と侮蔑とが浮かんでいた。


「痛いっ! 離してください、エイダさん!」


 エイダに引きずられていたシルヴィアが、抗議の声を上げる。


「うるさいっ! 一人じゃ何ひとつ決められない奴がピーピー言ってんじゃないよ!」


「最初からこのつもりだったんですね!? アンさんを囮にして逃げようと……!」


 エイダが足を止め、シルヴィアの襟首を掴み上げる。

 エイダは、唾がかかるほどに顔を近づけ怒鳴ってくる。


「今さら善人ぶってお説教かい!?

 キリクの奴を見捨てた時点で、てめえだってあたしらと同類――まぎれもない共犯者なんだよ!

 そのうざってえ被害者ヅラを今すぐやめろ!

 アンと一緒に置き去りにされてえのかっ!」


「……っっ!!」


 シルヴィアは硬直した。


(そうだ……わたしだって同類……キリクさんを見捨てた……)


 教団で育ったシルヴィアは、教団の規則を熟知していた。

 キリクを穏便に離脱させるよう説得することもできたはずだ。

 実際にルシアスやサードリックが耳を貸したかどうかはともかくとして、少なくとも、そのために努力する機会はあったのだ。

 回復役であるシルヴィアが反対すれば、ルシアスたちも、渋々ながら離脱手当を払う気になったかもしれない。


 シルヴィアは、襟首を掴むエイダの手を振り払った。


「シルヴィアっ!」


「……どうぞ、お好きにしてください」


 シルヴィアは、自分でも驚くほど冷静にそう言った。


「わたしは、これ以上罪を重ねる気はありません。

 わたしはもう、誰かを見捨てたりなんかしたくない!!」


 きっぱりと言ったシルヴィアに、エイダが一瞬気圧された。


 だが、


「……ああ、そうかい。それならそれでいいや。僧侶はあんた一人ってわけでもないんだし」


 エイダは冷たく言って踵を返し、ルシアスたちを追いかける。

 シルヴィアを置き去りにして合流したエイダに、サードリックが慌てて言う。


「お、おい、エイダ! シルヴィアは……!」


「ふん、あたしの知ったことかい。

 サードリック、シルヴィアにご執心なら、自分の手で助けるんだね」


「ちっ、くそがっ! どいつもこいつも……女なんてもんは、おとなしく俺の前で股ぐらおっぴろげてればいいんだよ!」


「まさか、あたしをその中に含めてるんじゃないだろうね?」


「まさか! てめえみたいな売女に興味はねえ!」


「あたしもあんたなんか趣味じゃないさ。役に立つうちは斬り捨てないでおいてやるよ」


 頑なに後ろを振り返らないルシアスを先頭に、サードリック、ディーネ、エイダが走り去る。

 前から迫るトロールたちを、ルシアスたちはもう相手にしていない。

 剣で牽制し、脇をすり抜け、トロールたちを、取り残されたシルヴィアとアンへの壁として利用する。


 「ランパード」の効果でボストロールは足止めされているが、その効果範囲にアンも巻き込まれていた。

 「ランパード」は敵にのみ効果を発揮するスキルだ。

 それがアンにも効いているということは、エイダはあの時点で、アンのことを既に「敵」とみなしていたということだ。

 その時点ではまだ味方だと思われていたシルヴィアは、光の城壁の範囲内を問題なく動き、下半身を氷漬けにされたアンへと近づいた。


「バカね、あんた」


 アンがシルヴィアに言った。


「氷を解きます」


「間に合うわけないでしょ。

 くっそ。こんなパーティだと知ってれば入ったりしなかったのに……」


 アンとシルヴィアに、ボストロールがゆっくり迫ってくる。

 敵を足止めする光の城壁は、あと16秒で消失する。

 こんな時ばかりは、効果時間をカウントするのも考えものだ。

 自分が死ぬまでの時間を秒単位で把握したところで、恐怖が増えるばかりで意味がない。


「『ディスペル』」


 シルヴィアの魔法で、アンの足を封じていた氷が虚空に消えた。


「ありがと。

 でもね……」


 アンが、シルヴィアに微笑みかける。


 その背後から、棍を握ったボストロールが迫る。

 「ランパード」で動きが緩慢になったもどかしさに、棍で宙をかくようにして迫ってくる。


 アンがシルヴィアを突き飛ばし、ボストロールの前に立ちはだかる。


「アンさ……」


「あんたは……生き延びなさい! 生きて、あのクソ野郎どもを告発しろっっ!! 『ニア・トランスポート』!」


 MPがなかったはずのアンが魔法を唱えた。

 シルヴィアの視界がいきなり飛び、シルヴィアは前にいたトロールの囲みの外にいた。


「MPを偽って申告してるのが自分だけだと思ったか!」


 そう叫んだアンに、ボストロールが横殴りに棍を振り抜いた。

 アンの華奢な身体が撥ね飛んだ。

 アンの身体は、側面の壁にぶつかり、バウンドして地面に転がった。

 それきりアンは、ぴくりとも動かない。


「アン……さん」


 シルヴィアが呆然とつぶやいた。


「い、いやああああああっっ!!」


 悲鳴を上げるシルヴィアに、振り返ったトロールたちが殺到する。


 ――逃げて、あいつらを糾弾しろ。


 アンに託されたチャンスすら、シルヴィアは、何の意味もない悲鳴でふいにした。


 先頭のトロールが、フレイルをシルヴィアに振り下ろす。

 シルヴィアはただ尻餅をついて、迫る鉄球に目をつむる。

 そうすれば脅威が目の前からなくなると信じてるかのように。


 しかし――シルヴィアの身に、フレイルが振り下ろされることはなかった。


 目をつむったまま、いくら待っても何もない。


 シルヴィアが、おそるおそる目を開く。


 目の前に、トロールがいた。


 トロールはフレイルを振り上げたままの姿勢でぐらりと倒れ、シルヴィアのすぐ脇に転がった。


 その後頭部には、赤い棘のようなものが突き刺さっていた。

 その棘は、まだ十分に仕事をしていないと言うかのように小刻みに震え、トロールの後頭部へと潜り込んでいく。

 トロールは倒れたままで数度痙攣し、すぐにぴくりとも動かなくなった。


「赤い、棘……?」


 シルヴィアは呆然とつぶやき、顔を上げる。


 シルヴィアに襲いかかろうとしていた他のトロールたちも、その動きを止めていた。


 いや、止められていた。


 トロールたちの身体は、高波のような形に凍った氷の中に閉じ込められている。


 その背後には、下半身を氷に覆われもがくボストロール。


 その前で、片手をシルヴィアに向けて立っていたのは――



「よう、シルヴィア。おまえも見捨てられたクチか?」



 忘れようにも忘れられない男が、以前よりも深い暗さを滲ませる声でそう言った。

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