13 内輪もめ

「う……っ」


 シルヴィアが目を覚ます。

 最初に見えたのは、細かい砂の積もった岩窟の地面だ。

 直前の状況を思い出し、シルヴィアは慌ててはね起きる。


「ここは……」


 周囲を見回す。

 そこは、広大なドーム状の空間だった。

 端から端までは、優に街の一区画はあるだろう。

 地面に積もった細かな砂が、ドームの中央に向かって傾斜して、すり鉢状になっていた。


 シルヴィアは、全身に積もった砂に気づき、身体を揺すって振り落とす。

 僧衣の隙間から砂が入って気持ち悪かったが、そんなことを言っている場合ではない。


「シルヴィア!」


 すり鉢状の砂の真ん中から、ルシアスがそう呼びかけてきた。

 よく見ると、ルシアスの足元からは、巨大な紫色のはさみのようなものが突き出している。

 ルシアスの身長ほどもある「鋏」の根元から、長い触覚が伸びていた。

 その真ん中にある、透明な甲殻に覆われた複眼を、勇者の剣が貫いていた。


「ルシアスさん! まさか、蟻地獄……ですか?」


「ああ! あの落とし穴にはまった後、俺たちは流砂でここに流された。意識があったのは俺だけらしい。襲ってきたヘルアントリオンは俺が倒した。トロールと違って、変なスキルは持ってなかったみたいだな」


 ルシアスがそう事情を説明する。


「みなさんは?」


「これから探す! シルヴィアも探してくれ!」


「わ、わかりました!」


 ルシアスとシルヴィアは、すり鉢状の蟻地獄だった地面から、砂に埋もれた仲間たちを探していく。

 さいわい、すぐに見つかった。

 落下と流砂で意識を失っていたが、シルヴィアが回復魔法をかけると、ほどなくして全員が意識を取り戻した。


 「暁の星」は、ドームの隅に集まって、黙りこくったまま、砂を落とし、おのおのの装備を確かめる。


「みんな、装備はあったか?」


 ルシアスの問いかけに、一同が揃ってうなずいた。

 流砂に呑み込まれ、意識を失ってなお、握った武器を手放さなかったのは、Aランクパーティの面目躍如ではあった。

 だが、いくらなんでもその前が酷すぎた。


「……いい加減、説明してくれませんか、勇者様?

 なぜこのパーティには斥候役がいないんです?

 もともと、Aランクパーティに欠員が生じたって時点で、わたしも疑うべきでしたけど」


 「勇者様」と呼んではいるが、アンの顔にはもはや、ルシアスへの敬意は浮かんでいない。


「う……そ、それは……」


 ルシアスが、顔を逸らして口ごもる。


「おい、アンちゃん。ルシアスがいなかったら、俺たちはこの蟻地獄で全員死んでたんだぜ? そういう言い方はないだろうよ」


「そのことにはもちろん感謝しています。

 ですが、そもそもディーネさんが罠をちゃんと解除できていれば、こんなことにはならなかったはずです。

 せめてマッピングさえしていれば、未踏破の道でも、方向の当たりをつけることができたでしょう」


 二方を埋められた四つ辻から左に折れた後、ルシアスは現れた四つ辻を勘だけで選んで曲がっていた。

 トロールは逃げ道をすべて塞いでいたかもしれない。

 だが、マップがあれば、まだしも敵の薄そうな方向を見定めることができたはずだ。


 ディーネが、壁にもたれて座ったまま、アンを睨んで口を開く。


「アン。Aランクパーティに欠員が生じたのはおかしいって言ったわね?

 でも、あなただって同じでしょう? 優秀な賢者が、所属パーティもなしにフリーでいたことがおかしいじゃない」


「そ、それは……いろいろ事情があったんです」


「こっちにもいろいろ事情があったのよ」


「まさか、それで誤魔化すつもりですか?

 シルヴィアさんの言ってた『キリク』っていうのは誰なんです? このパーティの斥候役だったんじゃないですか?」


 アンの口にした「キリク」の名に、パーティメンバーがぎくりとした。

 アン以外の全員が、シルヴィアをぎろりと睨んでくる。


 エイダが言った。


「こっちの問題に口を挟むんじゃないよ。

 アン、あんたが自分の事情を話すってんならともかく――」


「じゃあ、わたしの事情を話します。話せば、そちらの事情も話してくれるんですね?」


「うぐっ……そ、そんなのは……」


「あなたたちの事情のせいで、わたしが死にかけたのは事実なんです。いえ、まだ生きて帰れるかもわかりません。パーティの現状を話してもらわないことには、今後の協力も致しかねます」


 きっぱりと、アンが言った。


「そ、それは……」


 怒気すらこもったアンの正論に、ルシアスも言葉を詰まらせる。


 そのあいだに、アンは語る。


「わたしが前いたパーティから離れたのは、わたしを巡ってパーティメンバーのあいだにいざこざが起こったからです。

 おまえがいるとパーティがまとまらない。そう前の勇者に言われて、わたしはパーティを離れることになりました。

 それだけです」


「……ようやく尻尾を見せたわね、この性悪女」


 ディーネがアンを睨みつけて言った。


「よくあることじゃないですか。わたしは何も悪いことはしてません。メンバーのそれぞれに気のあるフリをしたかもしれませんが、そうしないとパーティがまとまりそうになかったので」


「どうだか」


「さあ、わたしの事情は話しました。

 今度は勇者様の番です」


「う……」


 アンにじっと見つめられ、ルシアスは気まずげに顔をそらす。


「あくまでもシラを切ると言うのですか。

 それなら……シルヴィアさん」


「えっ、ふぇっ!?」


 いきなり話の矛先を向けられ、少し離れたところで様子を見ていたシルヴィアがうろたえる。


「キリクという人について教えてください」


「言うなよ、シルヴィア」


 ルシアスが言った。


「なぜ言えないのですか? パーティメンバーの入れ替えなんて、程度の差こそあれ、よくあることでしょう。

 おおかた、仲違いして追い出したってところなんでしょうけど。

 離脱手当さえ渡していれば、それ自体は咎められることでもありません」


 アンの言葉に、アン以外の全員がぎくりとした。


 パーティからの離脱は、本人との話し合いによって決めるのが原則だ。

 その際、離脱する側には、それまでの在籍期間に応じた離脱手当を受け取る権利がある。

 そうでないと、次の所属先を決めるまでのあいだ、収入の確保が難しくなるからだ。

 もし話し合いで決着がつかないようなら、煌めきの教団に申し立て、仲裁を仰ぐことができる。


「……その様子だと、ただの離脱ではないということですか?

 まさか、魔物から逃げるために足を切って置き去りにした、とか……」


「そ、そんなことはしていない!」


 ルシアスが慌てて否定する。


「じゃあ、なんなんですか?

 この際、それがいいか悪いかなんて気にしません。

 生き残るために必要な情報を示してほしいだけです」


 強硬に言い張るアンに、ルシアスたちが沈黙する。


 口を開いたのはシルヴィアだった。


「キリクさんは――」


「言うなっ!」


 サードリックが鋭く言った。


 シルヴィアは一瞬震えてから、サードリックを見返して言った。


「なぜ、言ってはいけないのでしょうか?

 キリクさんへの処分に不当なところがないのなら、わたしからアンさんに説明しても、問題はないはずですよね?」


「なっ、おまえ……裏切る気か!?」


「裏切ったのは……わたしたちではありませんか?

 キリクさんを、いきなり除名してパーティから追放したばかりか、身ぐるみまで剥いで、魔物の出る街道筋に置き去りにした」


「な、なんですって!」


 アンが目を見開いた。


「ど、どうしてそのようなことを……。

 穏便に離脱手続きを取れば済むことでは?

 そのキリクという人が、よほど酷いことでもしたんですか?」


「違います。キリクさんは悪くありません。

 ただ、ルシアスさんが、戦力にならないから追放する、と」


「戦力にならないからって……勇者様、シルヴィアさんの話は本当なんですか?」


「う……」


「……本当なんですね。どうしてそのようなことを……」


 アンは、しばし考え、顔を上げた。


「まさか、離脱手当を払いたくなかったから……ですか?」


「そ、そんなわけがないだろう! 除名には正当な理由があった!」


 ルシアスが顔を跳ね上げる。


「今、シルヴィアがそうではないと言ったばかりですよね?

 もし戦力にならなくなったのだとしても、一方的に除名する理由にはなりません。

 本人と話し合って、穏便に離脱してもらうのが教団の規則です」


「だ、だが、魔王を倒す前の、大事の前の小事じゃないか……」


「勇者から除名された人が、その後どんなふうに見られるか、ご存知ですよね?

 よほどの事情がなければ除名などされないのです。逆に言えば、除名されたということは、本人に重大な過失があったことになる。

 他の勇者パーティに入ることは、ほとんど不可能になるでしょう」


「そ、そうなのか?」


「勇者様はご存じでなかったと。

 ……サードリックさんはいかがです?」


「お、俺か!?」


 いきなり話を振られ、サードリックが自分を指差した。


「お、俺は……べつに……」


「知っていた、ということですね。

 だからこそ、装備を奪い、魔物の出る街道筋に放置した。そのまま死ねばいいと思ったのでしょう。

 言っておきますが、たとえ除名される場合でも、そのメンバーの装備まで取り上げる権限は勇者にはありません。もし装備を取り返したい場合には、教団に申し立てをして――」


「っるせえな! んなことはわかってんだよ!」


 突然歯を剥き、サードリックが怒鳴り声を上げた。


「なんで役立たずを追い出すのに、離脱手当なんぞくれてやらなきゃなんねえんだ! アン、てめえを雇うのにどんだけ金がかかったと思ってやがる!」


「わたしがいただいたのは、実力に見合った正当な報酬だと思いますが」


「魔王討伐はなぁ……綺麗事じゃねえんだよ!

 女だと思って甘くしてりゃ調子に乗りやがって……!

 ルシアスにばっかり媚を売って、俺のことは鼻にもひっかけねえ!

 高い金を積んだんだ、股くらい自分から進んで開ってんだよ!!

 若くて見た目のいい女がそうでない奴より高い報酬をもらえてんのは、それも込みだってことだろうが!!」


 やけくそのように叫んだサードリックに、さすがのアンも唖然とした。


「なっ……下劣そうな男だとは思ってましたが、やっぱりそれが本音ですか」


「うるせえ! どうせ前のパーティでもそうやって勇者に取り入ってよろしくやってたんだろうが! 売女が今さら澄ましてんじゃねえぞ!」


「――勇者様! サードリックさんの本音はこれですよ! 勇者様はこれを見過ごそうと言うのですか!?」


「うっ、そ、それは……だけど、実際キリクが役に立ってなかったのも事実だし……」


「本当にそうなんですか!?

 さっきまでの勇者様たちの探索や戦いぶりを見ている限り、とてもそうは思えません!

 たしかにその人は戦力としては微妙だったのかもしれませんが、斥候としては腕の確かな人だったのでしょう!

 すくなくとも、他の人が斥候のことを気にかけずにいられるくらいには!」


 アンの言葉に――シルヴィアは、すこし胸のすく思いがした。


 だが、即座に思い直す。


(そのキリクさんの貢献を知っていながら、わたしはキリクさんを見殺しにするようなことを……)


 なぜ、反対しなかったのか。

 怖かったからだ。

 今のように、ルシアスやサードリックに怒鳴られたりするのが怖かった。


(なぜ、パーティに入ったばかりのアンさんにも言えるようなことを、ずっとパーティにいたわたしが言えなかったのでしょうか……)


 誰かがシルヴィアに意見を求めれば、シルヴィアだって答えただろう。

 だが、誰もシルヴィアの意見を聞こうとしない状況であっても、相手の胸ぐらを掴んで意見を述べ、自分が必要と信じることを押し通すようなことだって必要だったんじゃないか。


 現にアンは、新人でありながら、勇者とその相方を相手に食い下がっている。


 アンに言葉で追い詰められたルシアスが言った。


「う、ううう、うるさい! 俺の判断は絶対だ! 『暁の星』は俺のパーティなんだ! あいつ一人いないくらいなんだっていうんだ! 俺の役に立てないような奴、パーティから追い出されて当然だろうが!」


「そこまでおっしゃるのなら……当然、今の状況からわたしたち全員を生還させてくれるんですよね、勇者様? キリクさんとやらがいなくても、このパーティなら問題はないのでしょう?」


「当たり前だ! 俺は無計画にダンジョンに突っ込んだりはしない!」


 ルシアスの言葉には――さすがにみなが失笑した。


「お、俺は間違ってない!

 俺は正義だ!

 煌めきの神に認められ、最年少で勇者になった、神に選ばれし英雄なんだ!

 今回のことだって、俺に与えられた試練にすぎない!

 そうさ、この苦境を脱し、見事ダンジョンを攻略することで、俺はSランク勇者への道を駆け上るんだ……!」


 何を思ったか、ルシアスが、いきなり剣を抜き放つ。


 アンがびくりと震え、のけぞった。

 斬られると思ったのだろう。


 だが、ルシアスはアンには目もくれず――あるいは露骨に目をそらし、ドームの一方に剣先を向けた。

 剣の先には、岩壁に大きな割れ目があり、奥に向かって洞穴が続いているようだった。


「さあ、あそこから脱出しよう! それとも、ボスモンスターを倒すほうが早いかもしれないな!」


 そう宣言するなり、ルシアスは自分が示した割れ目に向かって歩きだす。


「おい、ちょっと待てよ、ルシアス……っ!」


 慌てて止めようとするサードリック。


 だがルシアスは、剣を握った拳を頭上に突き上げながら、ヤケクソ気味に号令をかける。


「たらたらするなっ! さっさと行くぞ! 煌めきの神の導きは俺とともにある!」


「おまえ、そんな無茶苦茶なっ……!」


「事実、俺たちは助かった!

 あの罠にかかったのも、こうしてみれば天の配剤じゃないか!」


 その言葉に、シルヴィアは思わずエイダを見る。

 シルヴィアがあの罠を踏んだのは、エイダに突き飛ばされたせいだった。

 それが神の意図通りなのだとしたら、煌めきの神はどれほど意地の悪い神なのか。


「うだうだ言ってないで俺についてこい! 置いて行くぞ!」


「ま、待てよ!」


「ちょっと、待ちなって!」


「ルシアス、落ち着いて!」


「ゆ、勇者様!? ああもう、なんだってわたしがこんな目に……!」


 サードリック、エイダ、ディーネ、アンは、独走する勇者を、文句を言いながらも追いかける。

 いや、追いかけざるをえないのだ。

 このダンジョンから脱出するにせよ、ボスモンスターを倒すにせよ、勇者はどうしたって必要だ。

 勇者がこちらの言葉に耳を貸さず、一人で勝手に進んだとしても、他のメンバーはそれについていくしかない。

 もちろん、ルシアスはそれを十分にわかった上で、こんな暴挙に出たのだろうが。


「ああ……どうして、こんなことに……」


 シルヴィアは立ちくらみをこらえながら、疲労で重くなった身体を引きずって、ルシアスたちの後を追いかけた。

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