8 虚無への誘い
ダーナは言った。
復讐がしたいなら、私につく気はないか?――と。
「は? おまえにつく? 俺がか?」
俺は思わず、自分の顔を指さして聞き返す。
「そうだ。
どうせ、勇者パーティに加わる道は潰えたのだろう?
ならば、私につくがよい。
煌めきの神からの呪いに期待できなくなった以上、おまえが力を蓄えるには、それがいちばんの近道であろう。いや、他に方法がないと言っていい」
勇者パーティには煌めきの神からの祝福(ダーナは「呪い」と言ったが)がある。
祝福によって、レベルアップが早くなり、条件を満たせば上位職へのクラスチェンジもできるようになる。
勇者に除名された俺には、その恩恵がなくなった。
まあ、レベルはカンストしてるし、マスターシーフは最上位職なので、これ以上のクラスチェンジもないのだが。
魔王率いる魔王軍には、煌めきの神の祝福とは別の、悪魔に力を与える仕組みがあると言われている。
ダンジョンを造り出し、管理する力もその一部だ。
勇者に除名されれば、他のパーティへの加入は絶望的だ。
それでも力を望むのなら、たしかに、魔王軍に「つく」しかないだろう。
「ダーナ。おまえは魔王軍に切られたんじゃなかったのか?」
「切られそうになっている、が正解だ。
たしかに、破滅の塔は落ちた。
だが、勇者どもは私を討ち漏らした。
破滅の塔の核は破壊したようだが、核など私さえ生きていればまた生産できる。
ただ、魔王軍は私の失態を見逃さないだろう」
「じゃあどうしようもないな」
「そうでもない。失態に見合うだけの功績があれば話は別だ。
この場合、破滅の塔を落とした勇者を殺し、その首を手土産にすれば、魔王陛下は私の地位を安堵するだろう」
「俺は、その魔王陛下にも用があるんだがな」
何の罪もない俺の家族を殺した魔王につくというのは、その意味でもありえない。
「暁の星」のメンバーはたしかに憎い。
だが、それ以上に魔王のほうが憎いのだ。
「魔王軍は実力主義だ。
それは、魔王とて例外ではない。
その座にふさわしい実力がなければ、即座に引き摺り下ろされることになる。
その際には、殺されてもまったく文句は言えない。
引き摺り下ろされた魔王を殺した者は次の魔王になるのだから、前魔王への処断を批判できる者などいなくなる。魔王領では魔王こそが法なのだ」
「……おい、その言い分だと、おまえはまさか……」
「そうだ。
キリク。私は今の魔王を
私の目的は、今の魔王を排除し、その座を我がものにすることだ」
きっぱりと言ってのけるダーナに、俺は呆気にとられていた。
「おいおい、大きく出たな。おまえの祖父の仇を取りたいってわけじゃないんだろ?」
「両親を惨殺した祖父の仇を取ってやる義理などない。
ただ、私は気にくわないだけだ。
戦乱と対立を煽る今の魔王のやり方が。
純血主義の高位魔族どもも気に入らない。
かといって、こちらの話を聞きもせずに襲いかかってくる勇者どもは、それ以上に始末が悪い。
だから、私は決めたのだ。
いつか魔王となり、この世界を平らげ、私の気に入らないすべてのものを、この世から根絶やしにしようと。
もし、魔族と人間の世がどうにも救いがたいのだとわかったら、世界ごと滅ぼしてしまってもよい。
自分の都合ばかりを押し付けてくる不条理な世界など、いっそなくなってしまったほうがさっぱりするというものだ」
「そいつは……すげえな」
たしかに、何もかもがなくなってしまえば、これほどさっぱりすることはないだろう。
「キリク。おまえは、自分一人が死んで、それで満足できるのか?
おまえを苦しめ続けた連中は、おまえのことなど気にせず、これから先ものさばり続けることだろう。
それを、許せないとは思わんのか?」
「許せるわけ、ねえだろ」
だから、俺は自分では死ねないのだ。
復讐を成し遂げられず、ただ犬死にしていく自分が許せない。
自分から死を選ぶとなればなおさらだ。
「私は、虚無主義者というわけではない。
魔王となったあかつきには、このくだらん世界を救うための努力はしよう。
だが、それでもどうにもならないとわかったならば、私は世界を虚無に帰す。
いずれ私は死ぬというのに、この世界が変わらず続いていくと思うと気障りでしかたがないからな。
キリク。貴様とて、不条理に蹂躙されたまま死ぬのは不本意だろう。
ならばいっそ、私につくがいい。貴様の復讐に手を貸そう。いや、貴様の手を私に貸してほしい」
ダーナの金色の瞳が、俺の目をじっと覗き込んでくる。
笑いが、こみ上げてきた。
「くっ……くくっ……そう来たか」
俺は笑いを噛み殺して、ダーナの顔を見つめ返す。
「――いいぜ。やろう。
どいつもこいつもクソばかりだ。俺たちの手で綺麗さっぱり片付けてやろうじゃねえか」
キリクがダーナにつくことを決意した時、シルヴィアは街の宿で一人、薄暗いランプの照らす机の前に座っていた。
机の上には、陶器製の何かのカケラがあった。
粉々に砕け散ったそれを、シルヴィアは苦労して元の形に並べていく。
「『レストレーション』」
シルヴィアがつぶやいた。
カケラのいくつかが光を帯びる。
光を帯びたカケラ同士がくっつきあい、その光がつながった。
光が消えると、カケラは元より大きなカケラになっていた。
接いだ跡すら見当たらない。
だが、魔法で復元できたカケラはひと握り。
残りは、シルヴィアの魔力にぴくりと反応しただけで、相互にくっつくには至らなかった。
「……やっぱり、復元魔法は難しいです」
シルヴィアは、いつのまにか額にかいていた汗をぬぐってそう言った。
「小さなカケラからつないでいけば、徐々に全体が見えてきて、復元のイメージが正確になっていくはずです。
このペースでは、いつまでかかるかわかりませんが……」
それに、復元の魔法で直せるのは外側だけだ。
陶器でできたシンプルなデザインのロケットだからこそ、復元魔法も効いている。
「でも、中身のほうまでは……」
机の上には、踏みにじられ破れた、小さな古い写真が載っている。
四人の幸せそうな家族が映った写真は、キリクが折に触れて眺めていたものだ。
写真や絵画、書物といった情報量の多いものは、復元魔法ではどうにもならない。
「キリクさんは、愛おしむというより、何かを誓うためにこの写真を見ていました」
写真に映った四人のうちの一人は、他でもないキリクだろう。
黒髪に黒い瞳の少年が、どこか照れくさがるような顔で、肩に置かれた母親の手を気にしながら、こっちに目を向けている。
「大切なもの、のはずです」
サードリックが踏みにじったペンダントのカケラを、シルヴィアは細かな破片に至るまで拾っていた。
「復元魔法は専門ではないのですが……」
除名されるキリクを救えなかったあの日以来、シルヴィアは毎晩、ペンダントを魔法で復元していた。
復元魔法は、消費MPが多いことで有名だ。
シルヴィアのMPは、僧侶の中でもかなり高い方ではあった。
そのシルヴィアですら、ペンダントの復元は遅々として進まない。
「こんなことをしても、キリクさんが帰ってくることはないというのに……」
こんなのは、ただの自己満足にすぎない。
身勝手きわまりない贖罪だ。
キリクは、自分を見捨てたシルヴィアのことを、恨んでいるに違いない。
いつも世話になっていながら、肝心な時にかばってくれなかったと。
一般に、勇者パーティにおいて、回復役は勇者に次ぐ発言力を持つことが多い。
場合によっては、勇者が回復役の判断に従うこともある。
パーティの先頭を切って突き進む「勇気ある者」に対し、パーティの消耗を管理する観点から冷静で現実的なチェックを行うことが、回復役の第二の役割だと言われている。
教科書通りの話だが、シルヴィアがそれを果たせているとは、お世辞にも言えないだろう。
キリク除名へとまとまりつつあったパーティを止めることができたとすれば、回復役であるシルヴィアをおいて他にない。
もちろん、ルシアスたちは、内気で最年少でもあるシルヴィアが反対できないのをわかった上で、キリクの除名を押し通したのではあるが。
「それでも、反対すべきだったんです」
普段からシルヴィアがパーティの制止役として存在感を発揮していれば、今回の件でも、ルシアスたちを止めることができたはずだ。
弱気をルシアスたちに見透かされ、言いなりになる都合のいい回復役として軽く見られていることくらい、シルヴィアにだってわかっている。
そんなシルヴィアをかばってくれていた当の相手を、シルヴィアは自分の臆病さゆえに見捨ててしまった。
罪悪感で胸が塞ぎ、目に涙が浮かんでくる。
「ごめんなさい……キリクさん」
優秀なシーフであるキリクが、あれで死ぬようなことはないと、シルヴィアは知っていた。
裸のままで魔物に襲われればただでは済まない――サードリックはそううそぶいていたが、キリクの実力の一端を知るシルヴィアは、キリクの生存を確信している。
だからこそ、死にはしないと、自分で自分に言い訳をして、ルシアスたちに逆らうことを諦めた。
しかし、思い返せば思い返すほどに、自分の加担したことの非道さを思い知り、シルヴィアは身を震わせた。
――なんとか、許しを乞うことはできないか。
無理とは知りつつも、シルヴィアはそう思わずにはいられなかった。
「身勝手ですね……。こんなことで許されようなんて。
魔王を倒すために必要だと詰め寄られた時に、どうしてキリクさんも必要だと言えなかったのか……」
怖かったのだ。
サードリックの奸智が。
ルシアスの、人をためらいなく利用する良心のなさが。
エイダの、他人を踏みつけることを喜ぶ感性が。
ディネリンドの、個々の人間へのおそろしいほどの関心のなさが。
正義を奉じるこの勇者パーティ「暁の星」は、ひょっとすると、正義の名の下に他人を虐げてはばからない、人でなしの集団なのではないか。
「こんなことも、魔王を倒せば終わるはず」
どれだけの人間が、その言葉を口にして、教団の、勇者のもたらす理不尽を呑み込んできたのだろう。
世を拗ねたようなキリクこそ、パーティ唯一の良心だったというのに。
シルヴィアは、自分の身の安全のために彼を売ったも同然だ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
涙が溢れ、視界が滲む。
「必ず、魔王を倒します。
だから、許してください。わたしは、あなたを傷つけたことを忘れません……」
それでも、今日もまた、夢枕にキリクは立つだろう。
以前のままの、飄々とした、だけどどこか優しさを帯びた声で、シルヴィアに注意を促すのだ。
瘴気がこの濃度の時は――
このタイプの罠は必ず先に――
前衛が突出した時はバフを切らさずに――
そうして気遣ってもらうだけの資格が自分にはもうないというのに。
キリクの声は、シルヴィアの耳にこびりついて離れなかった。
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