7 二人の過去
「な、なぜそうなる?」
息を呑み、固まっていたダーナが、戸惑った顔でそう言った。
「なぜも何もあるか。おまえは悪魔だ。人間の敵だろう。
勇者パーティから追放されたとはいえ、俺はおまえの憎むべき敵だ。
一対一で、俺がおまえに敵うわけがねえ。ひと思いに殺してくれ」
「そう思うなら、なぜ私を助けた?」
「行きがかりだ。自分でも何がしたかったんだかわからねえ。盗賊どもを始末した後におまえを殺すこともできたのにな」
追放された衝撃でおかしくなってたのかもな。
後から考えてみれば、「暁の星」の面々は、いかにもそんなことをしそうな連中だったと思うのだが。
ダーナが俺に言った。
「憎くはないのか?」
「は? おまえがか?」
「いや、おまえを利用するだけ利用し、用済みになるなりおまえを追放した勇者たちが、だ」
「……憎くないと言ったら嘘になるな」
俺を追放したことは、まだいいだろう。
これからの勇者としての戦いに、俺は落伍しかけてた。
方法に問題はあるにせよ、俺をパーティから外す判断自体は間違ってない。
だが、絶対に許せないのはペンダントのことだ。
サードリックが土足で踏みにじったあれには、俺の死んだ家族の写真が入っていた。
「俺がガキの頃のことだ」
俺はダーナに語って聞かせる。
俺がいつも通りに外で遊んで家に帰ると、そこには地獄が待っていた。
俺の生まれたサングラム家は、小身ながら貴族の末席にあった。
屋敷にはまずまずの広さがあったのだが、その家中が鮮血に染まっていた。
俺がリビングに駆け込むと、そこには黒いローブを羽織った悪魔がいた。
フードで覆われた顔は、黄色みのある肌と、特徴のない黒い瞳だったことを覚えてる。
サングラム家自体が、同じく黄色寄りの肌と黒髪黒瞳の家系なので、リビングに立っているその男を、幼い俺は一瞬親戚か何かかと錯覚した。
だが、その男が親戚のわけがない。
フードで隠された男の頭からは、フードを貫通して、二本の紫色の光のツノが生えていた。
ツノはダーナのような実体のあるものではなく、魔法で造られたような光のツノだ。
ツノはフードを突き破ってはおらず、フードはそのままに、ただ貫通してるだけだった。
悪魔、というものを見たことがなかった当時の俺でも、目の前にいるのがそれだってことくらいはすぐにわかる。
サングラム家に、悪魔の親戚なんかがいるはずもない。
それに何より――
その悪魔は、家の誇りだった大きな木のテーブルの上に、両親と妹の首を並べて眺めていたのだ。
陶芸家の手になる陶磁器でも鑑賞してるかのように、その悪魔は、苦悶の表情で固まった両親と妹の頭を観察し、微妙に角度を変えていた。
まるで、もっとも見栄えする並べ方を探ってるかのように――いや、実際にあの悪魔は、俺の家族の生首を玩弄物にして、芸術家を気取っていたに違いない。
悪魔は、戸口で立ちすくむ俺を見てにやりと笑った。
――俺が憎ければ、どこまでも追ってくるがいい。そのための力はくれてやる。
そう言って悪魔は、震える俺に近づいた。
悪魔が、俺の頭を鷲掴みにする。
頭の中身を引っ掻き回されるような異様な感覚。
俺が覚えてるのはそこまでだ。
後日、俺の家を襲ったのは悪魔の王――すなわち、魔王らしい、ということが判明した。
いろいろあって家は滅び、俺は路頭に迷うことになった。
シーフではない文字通りの盗賊になって、詐欺やかっぱらいにも手を染めた。
そうしないと、生きていけなかったからだ。
俺の手元に残ったのは、俺の誕生日に撮った、両親と俺と妹、四人が並んだ写真だけだ。
あの写真だけが、俺をかろうじて人生に繋ぎ止めてくれていた。
写真は、あのペンダントのロケットに入れていた。
だが、意識を取り戻した後、あの周辺をいくら探しても、ペンダントは影も形も見当たらなかった。
盗賊どもを蹴散らした後にもう一度探してみたが、やはり、ペンダントも写真も見つからない。
――ここまでするか。
これまで魔王だけに向けられてきた復讐の炎。
俺の心を焼き尽くし、復讐の鬼へと変えたその炎が、俺を裏切った勇者たちにも向くのがはっきりとわかった。
「だけど、もううんざりなんだよ。
さっきは言わなかったけどよ、『ぬすむ☆』は、使うたびに激痛が走るんだ。自分のものじゃないスキルを取り込むのは、心身に異常な負荷をかけるらしい。
魔王も勇者もぶっ殺してやりてえ。
だが、俺の心の根っこは、もう折れちまいそうになってるんだ。
だいたい、復讐したところで何になる?
クソみてえな勇者は世の中には吐いて捨てるほどいるし、悪魔だってそう簡単に滅びはしねえだろう。人を簡単に殺して恥じないような盗賊だってそれ以上に多い。街で暮らしてる人間の中にも、この状況を利用して肥え太ってるような連中が腐るほどいやがる。
このどうしようもねえ世の中そのものが、俺には嫌で嫌でしかたがねえ」
なぜこんなことを、今日会ったばかりの女に話しているのか。
そう思ったが、語りは途中では止まらなかった。
「助けた女に殺される。
間抜けだが、すっきりはする。
俺は、自分の人生を自分では終わりにできねえみたいだ。
両親と妹の無念。魔王や勇者への恨み。
そのことを思うと、死ぬな、復讐を果たせと、俺の中の悪魔が囁くのさ。
俺はそのたびに血反吐を吐きながら重い身体を引きずって戦ってきた。
だが、もう限界だってことなんだろうな。
本当に復讐を果たす気なら、あんたのことを見殺しにするか、助けたとしてもすぐ後に殺してたはずだ。
助ければ殺されるとわかっていて助けたのは、それで殺されるなら俺の中で筋が通る、どこかでそう思ったからだろう。
復讐を果たしたいなら、そんな筋なんざ踏みにじる覚悟がいるってのにな」
疲れ果て、衝撃を受けてさまよっていた時に、死ぬための道筋がつくような状況が目の前にあった。
その瞬間にそう思ったわけではなかったが、今から考えれば、この女を助けること自体が、緩慢な自殺行為だったのだ。
「私に殺されるのならば、自分の意思で死を選んだことにはならない、ということか。持って回った自殺だな」
「なんとでも言え。それとも、もう一度死力を尽くして戦ってみるか?」
「私の命を助けた者と、か? そんなのはごめんだな」
「なんだ、意外に義理堅い奴なんだな」
ダーナは寝台に腰かけ、俺を見る。
「私も昔話をしてやろう。
とある魔族の娘が、こともあろうに人間の男に恋をした。
美しい娘だったそうだよ。人間の男も、たちまちその娘と恋に落ちた。
男は娘を誘って魔王領から逃げ出した」
「まるで吟遊詩人の物語みたいな話だな」
「人間どもの吟遊詩人が何を語るか、私は知らん。
だが、この話の続きを吟遊詩人が酔客相手に語ったなら、袋叩きにされて酒場を追い出されるだろう」
「ハッピーエンドではないってことか」
「むろんだ。現実に、絵に描いたようなハッピーエンドなどあるものか。
娘の駆け落ちに激怒したのが娘の父親だ。
高位魔族だった父親は、あっという間に娘と恋人を見つけ出すと、その二人を拷問の果てに縊り殺してしまった」
「よく見つけられたもんだな」
「猜疑心の強いその魔族は、他人の秘密を嗅ぎ出す嗅覚に優れていたらしい。娘の考えそうなことなど、その男にとってはお見通しだったということなのだろう」
「しかしそれだと、話はそこで終わっちまうんじゃないか?」
「そうなっていたほうが、ある意味ではよかったのかもしれんな」
「どういうことだ?」
「その娘の腹には、新たな命が宿っていたのだ。
父親は、娘の腹からその命を引きずり出し、魔王領へと連れ帰った」
「死んだ母親の腹から……」
「人間はわからんが、魔族の生命力ならばありえることだ」
「どうしてその父親は、娘の子を連れ帰ったんだ? 憎い駆け落ち相手、しかも人間とのあいだにできた子どもだろう? 自分の血を引いてるからか?」
実の娘を縊り殺しておいて、孫は自分の血を引いてるから助けるってのは、いまいち筋が通らないような気がするが。
「魔族は純血主義だ。人間とのあいだに生まれた子など、生まれてすぐに殺される。腹にいるうちに母親ごと殺されることのほうが多いだろうな」
「ならなんで」
「さあな。
残虐で激しやすいその男が、なぜそんなことをしたのかはよくわからん。
発作的に愛娘を殺した後で我に返り、罪滅ぼしのつもりで赤子を引き取ったのかもしれんな。
ほとんど狂人の論理だが、実際その男は、頭に血が上ると何をしでかすかわからん男だった。
そのくせ、怒りが醒めると、自分のしでかしたことに恐れおののくというタイプらしい。
気が強いから暴力を振るうのではなく、自分の気の弱さをごまかすために凶暴になる――そんな、どこにでもいるような小心者だ」
「ひょっとして、そいつは酒に溺れてたんじゃないか?」
人間にも、酒に溺れた挙句、妻に暴力を振るうような男はよく見かける。
酒も、適量ならいいが、酒なしではいられないようになると、本人にも抑えが利かなくなるって話だ。
恐怖を紛らわせるために酒を手放せない勇者パーティのメンバーもたまにいて、そういう連中の中には、酒浸りになってパーティを追い出される奴らもいた。
元が勇者パーティにいるような実力者だけに、酒浸りになった状態で落伍すると、大変な問題を起こすことがあるらしい。
「魔族は酒には強いさ。
だが、その男は魔族の間に流通する魔薬の常用者だったらしいな」
「人間が摂取すると一発で死ぬっていうあれか」
追い詰められた悪魔が魔薬をキメて、いきなりパワーアップしたってことが何度もあった。
あんなものを常用してたなら、精神に異常をきたすのも無理はない。
「そんな父親から逃げ出した娘の気持ちもよくわかる」
「さあ……父親から逃げ出したい一心での駆け落ちだったのか、男とのあいだに本当に愛情があったのかは、今となってはわからんな」
「そうだな」
愛情があった可能性だってある。
それを端から除外したような言い方をしたのはよくなかった。
「引き取られた赤子は、その父親――赤子にとっては祖父のもとで育てられた。
だが、育つに従って、その子どもには不都合な特徴が多いことがわかってきた」
「不都合な特徴? そうか――」
「そうだ。その子どもは『魔人』――魔族と人間の双方の特徴を持つ存在であることが発覚した。
醜聞を恐れた祖父は、その子どもを屋敷の地下牢へと閉じ込めた。
その子どもが地下牢から解放されたのは、祖父が魔王への叛心を疑われ、処刑された後のことだ。
その頃には、その子どもは十分に分別のある歳になっていた」
「まさか、その子どもが……」
「さてな。
ともあれ、忌み嫌われる魔人の子どもが、魔王領でまともに暮らせるはずもない。
だが、貴様ら人間とは違って、魔王軍は実力主義だ。軍で功績を立てさえすれば、あらゆることが不問に付される。
その子どもは、必死で人間を殺したよ。
勇者を何組も退け、そのうちのいく組かは全滅させた」
「魔人ってのがどういうものか知らないけどよ。純粋な魔族より強いもんなのか?」
「いや、魔力では、純粋な魔族のほうが強いに決まってる。
だが、それがゆえに自らの力に驕りやすい魔族の中で、人間の血を引く娘は、常に知恵を回すことを怠らなかった。
人間どものクラスやスキル、魔法を細部に至るまで把握した。
人間の心理的な間隙を突く巧妙な罠を考案した。
魔族にとっては生産しやすいが、人間には対処方法の難しい『瘴気』に目をつけ、ダンジョンに突入する勇者パーティの戦力を大きく削ぐことにも成功した。
状態異常耐性を持つ、基礎ステータスの高い魔物を厳選し、瘴気のために回復が遅れやすくなった勇者パーティを、力づくで圧殺していった」
「たしかに、破滅の塔は殺意の高いダンジョンだなとは思ったぜ」
俺のような器用貧乏がいたことは、ダーナにとって大誤算だったのだろう。
俺が「瘴気結界」なんていう人間が持ってるはずのないスキルを持ってたことで、シルヴィアは仲間の回復に専念できた。
さらに、俺が魔物から盗んだ状態異常攻撃のスキルが、人間の魔法では状態異常にかからないはずの魔物たちを封殺した。
罠に至っては、「罠無効」などという身も蓋もないスキルを持っている。
「罠無効」は、ダンジョンを徘徊する魔物なら、その多くが持ってるメジャーなスキルだ。
魔物がダンジョンの罠にハマっては本末転倒だからな。
だがもちろん、これも人間が持ってるはずのないスキルだった。
ダーナが、ぎりぎりと奥歯を噛み締めて言った。
「その努力も、破滅の塔が攻略されたことで潰えたわけだ。
その立役者が死にたいだと? 冗談も休み休み言ってくれ!」
「……そいつは悪かったな」
謝るのもどうなのかと思ったが、他に言葉が思いつかない。
ダーナは、俺の顔をまじまじと見てから、目をまっすぐに見つめてこう言った。
「キリク。復讐がしたいというのなら……私につく気はないか?」
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