③弔いの花――2


 これ以上は聞いてはいけない。目の前の不気味な笑顔に、頭の中の警告灯が赤く点滅する。なのに、身体は竦み、動こうとしない。


「その子の遺体はすぐに見つかったんだけど、それから数日もの間、村では立て続けに恐ろしいことが起こったのよ」


「お、恐ろしいこと……?」


「そう。村に住む子どもの何人かが、道端で、血にまみれた無惨な姿で発見されたの。不自然に、まるで喰い千切られたみたいに、身体の一部を失って……それだけじゃない。湖で亡くなったはずの子を見かけた、なんて言い出す人も出てきたの。その子は確かに亡くなっていて、とっくに埋葬もされたはずなのに」


 木々の隙間で風が喚く。


 蝶が舞うと、月夜の下で、水が弾けた。


「ここには水の神様が──水神様が住んでいるでしょ? だから、住処を汚された水神様が、怒ってその子どもの魂を鬼に変えた。そして鬼にされてしまったその子は、夜な夜な無差別に人を喰い歩く化け物になった……皆、そう信じるようになったの」


 美樹の脳内に、祖父からの忠告が蘇る。

 湖に住み、村を守ってくれる水神様。もしその湖を汚すようなことがあれば、水神様の怒りを買い、鬼にされてしまう。


「ふふ……本当は、少し違うんだけどねぇ」


 小さな唇が、一瞬だけ妖しく歪み、また笑った。


「本当は無差別じゃないの。不自然に死んでいたのは、犯人と親しくしていた子どもばかりだもの」

「え……犯人って何の……?」

「決まってるでしょ? 鬼になってしまった子をこの湖に突き落とした犯人。皆は“足を滑らせた不運な事故”だと思ってるけど、私だけは知ってるの。本当のこと」


 そよ風に煽られた湖面が震える。

 蝶は一瞬だけ怯んだが、再び空を目指す。翅が落とす水滴は、真下の湖に吸われて溶けた。


「犯人はね、その子に片想いをしていたの。でも素っ気なく振られちゃって、悔しさと恥ずかしさでいっぱいになってしまって……好きだった子を突き落としたの。そんなことしたってどうにもならないのに……馬鹿みたいよねぇ?」


 少女が笑みを消した途端、美樹は一瞬で鳥肌が立ち、悪寒に襲われた。雲が月を飲み込んだような、何処かに殺意が宿ったような、そんな気配がしたからだ。


 立ち上がってから、少女はやっと美樹から視線を離した。浮かび上がったばかりの蝶を、小枝並みの細い指で示す。


「この蝶達は、鬼に食べられちゃった子ども達の魂なんじゃないかな。自分達を巻き込んだ二人の子どもの罪を、こうして誰かに伝えようとしてるんじゃないかなぁ……」


 華奢な手がくるりと方向を変え、美樹へと伸びてくる。不安定にはためく、血を吸い込んだかのような真っ赤な袖。

 草履に引っ掛けた足が近付いてくる。ああ、ちゃんと足がある。でもその足も、朝日を知らないかの如く、白い。


「ねぇ、あなたも……湖の底、見てみたくない?」


 最後の一匹が、全身を完全にさらけ出し、月光を浴びて飛んでいく。


 少女の手が届くよりも早く、美樹は後ろから腕を引っ張られていた。その拍子に腰が上がる。


 眼前まで迫っていた手が遠ざかる。


「おい、走るぞ! 急げ!」


 美樹を引っ張って叫んでいたのは亮だった。


「亮!? え、いつの間に……じゃなくて、今まで何処にっ……!」

「いいから! 早くしろっ!」


 勢い強く走る亮に、自然と美樹の足も続いた。力を抜かないよう一歩ずつに注意を向け、湖から離れていく。


 一度だけ、美樹は少女の方を振り向いた。

 橙色の淡い光に照らされる、小さな姿。遠くなっていく彼女は、こちらを見つめ、今にも泣き出しそうに顔を歪めていた。目を逸らす直前、紅い唇が微かに動いていたような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る