①不穏な夜――2


 足を止めず、亮は顔だけを美樹に向けて笑った。


「当たり前だろ。じゃなかったら、わざわざ夜になんか誘わねぇよ」

「そう……だよね。わざわざおじいちゃんの目を盗んで出てきた意味がなくなっちゃう」

「……あっ! やっべ、玉木たまきのおっちゃんが歩いてるっ……美樹、ちょっと回り道すんぞ。屈め」

「え⁉ あ、うんっ……」


 草むらと木の影に紛れるようにして四つん這いに進む亮を真似て、美樹も砂利道に手と膝をくっつける。光が漏れないよう片手に提灯を抱え、亮の姿を見失わない速度で進む。ぶにゅ、と恐らく何かの虫を潰したような感触が膝にぶつかった時、声を上げなかったのは自分でも奇跡だと思った。


 やがて木が目立つ林道まで入ったところで、亮が「もういいぞ」と美樹に手を貸して立ち上がらせた。


「田舎でも、やっぱり大人は夜も出歩くんだね……遊ぶところなんてなさそうなのに」

「墓参りだろ。あのおっちゃんの家、俺と二歳違いの子どもがいたんだけど……何ヶ月か前に事故で亡くなってさ。仕事帰りっぽかったし、こんな時間じゃなきゃ行けなかったんじゃねぇかな」

「あ……そうなんだ。それは、辛いだろうね……」

「……また誰にすれ違うかわかんねぇし、ちょっと急ごうぜ。うちの家族はともかく、義孝よしたかじーちゃんにバレたら洒落になんねぇからな」

「……だね」


 気の強い美樹の祖父。彼に叱られる場面を想像するだけで、自然と二人の歩調は速まった。夏特有の蒸し暑さが焦りと相まって、美樹の額や脇にはじわりと汗が滲み出す。


「そういえばまだ亮のお母さん達に挨拶してなかったね。ごめん。着いたのが夕方だったから亮の家に寄れなくて……」

「そんなのいいって。今更だろ」

「明日、ちゃんと亮の家にも行……」

「だからいいってっ‼」


 暗闇を裂くように亮が怒鳴る。自分の後ろを歩く友に対し、今度は振り向てもくれずに。


 突然の友の迫力に、美樹は肩を縮めて俯いた。

 もしかして亮は家族と喧嘩でもしたのだろうか。それで気が治まらず、こうして夜に外へ出ようと思い立ったのかもしれない。


 こんな時にどんな反応をすればいいのか教えてくれない夏の空気は、微かに温度を下げた気がした。重なる虫達の声からはぐれた風が、遠くの草葉を荒らして唸る。


 迷いなく進んでいく亮の後を、美樹は大人しくついていくしかなかった。重苦しい沈黙が流れても、だからこそ、二人の足は止まらない。


 無言が続く田舎道。砂利を踏む音と、鈴虫達の鳴き声が、虚しく鼓膜をすり抜ける。


「……あのさ。美樹」

「え……何? 亮」

「あのさ、俺……」


 深刻な気配を滲ませる亮の声を、美樹は聞いていた。聞こうとした。けれど、叶わなかった。

 提灯のほのかな光が、一匹の蝶の輪郭を美樹に教えてしまったのだ。

 ひらひらと浮かぶ薄っぺらな肢体。透けるような、淡く青い翅。幻想めいたその色形は見る者の興味を容易く惹きつける。


「蝶……蝶だ! 亮! 蝶がいるよ!」

「え? あ、じゃあもう近いぞ! 走れ!」

「うん!」


 先程までの重苦しい空気も忘れ、二人は蝶を追って駆け出した。

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