②水を舞う蝶――3


 一度流れてしまうと、あとは溢れていくだけだった。こみ上げてくる涙を止められず、美樹は両手で顔を覆う。


「どうしたって、僕じゃおばあちゃんの代わりにはなれないから、だからっ……」

「はぁ? お前馬っ鹿じゃねーの?」


 慰めでも同情でもなく、亮はただ、呆れた声を美樹に投げた。


 美樹は思わず顔を上げる。はー、と肩の力を抜くように息を吐く亮と目が合った。


「いつ、義孝じーちゃんがお前に『ばーちゃんになれ』っつったんだよ。義孝じーちゃんは、お前には『孫の美樹』しか求めてねーよ」


 彷徨っていた蝶が、水の玉を纏ったまま、空の彼方へと消えていく。あまりにも浮世離れした光景が、美樹の腹の中にどんよりと溜まっていたモヤモヤを吸い上げて、重苦しかった心をスッと軽くした。


「ったく、そうやって不安に思ってること、全部じーちゃんに直接ぶつけろよな。俺にはもう……出来ねぇんだから」


 空を見上げる友の横顔。その静かな表情が、美樹のに大人びて映る。亮の祖父が他界したのは、もう三年も前だ。


「会えなくなってから後悔すんな。ワガママでも何でもいいから、子どもらしく、生きてる内に振り回してやれ。義孝じーちゃんだって、お前が暗い顔でうつむいてばっかいるよりそっちの方が嬉しいに決まってんだから」

「ん……そうする。明日は、おじいちゃんに……いっぱい、いっぱい、遊んでもらうっ」


 水中からまた一匹の蝶が浮かび、美樹の傍をうろつく。臆病な心に寄り添ってくれるかのように。


 十歳の八月は、もう二度と来てくれない。

 今年の夏は、一緒に色んな所へ遊びに行きたいこと。両親の元へ笑顔で帰れるか不安なこと。こうやって、綺麗な夜蝶を見たこと。帰ったら全て祖父に伝えようと、美樹はようやく決心できた。


 美樹の涙が落ち着いた頃、亮が辺りをキョロキョロ見回し出した。


「なぁ。何か聞こえねぇか? 人の声みたいなのが……」

「え? ちょ、ちょっと、怖いこと言わないでよ……僕には何にも聞こえないけど……」

「いや、やっぱ聞こえる。ちょっと見てくるから、お前はここから動くなよ。すぐ戻るから」

「え!? ちょ、待ってよっ、亮っ……!」


 美樹が手を伸ばした時、足が速い亮はすでに闇に溶け込んでいた。


 あんなに胸を高鳴らせていた夜が、途端に居心地の悪い巨大な影に変わる。


 何処までも広がる夜空に、何処までも星が散らばっている。それが自分を見張る無数の目に感じられて、美樹は身震いしながら湖に目を向けた。


 数十匹と住み着いてるのか、ゆっくりした動きのせいで余計に数多く感じるのか、まだまだ蝶の飛来は終わらない。

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