幕間①

「ハァハァハァ…!」


降りしきる雨の中を1人の少女が走っていた。

ぬかるんだ地面に時折、足を取られながら、息を切らして懸命に暗い森の中を走っていた。

ボロボロのリネンの服、手首足首には途中からちぎれた縄が巻きついていて、その下からは摩擦によって傷つき、出血した肌が見え隠れしていた。


「待てぇ!」


森の中に野太い声が響く。

2人の男が少女の後を追って来る。

片方は顔に大きな傷跡があり、もう一方は短髪に顎髭を生やしていた。

追いつかれまいと懸命に逃げる少女だったが、体力の限界が来たのだろう。

走りは小走りに、歩きに、ふらふらとした足取りに変化していった。

状況は更に少女に追い討ちをかける。

少女が懸命に逃げた先は断崖であった。

足元から小さな石が真下に落ちていくのが見えた。


「そ…ん、な」

「へ、へへ、もう逃げられねぇぞ」

「手こずらせやがってガキが…覚悟はできてんだろうなぁ」


絶望とはこの事を言うのだろう。

少女が振り向いた先には男たちがすぐそこまで来ていて、傷跡の男は下卑た笑みを浮かべ、顎髭の男は指をゴキゴキと鳴らし、額に血管を走らせていた。

少女は震えて、立ち尽くす。

男達の手が少女に迫る。

あまりの恐怖に少女はぐっと目を閉じた。

その時。

少女の体が宙に舞った。

否、正確には宙に落ちた。

足元が崩れ、そのまま少女は落下したのだ。

浮遊を感じる体と遠のいていく男達。

一瞬のうちに状況を理解した少女は悲鳴をあげ、数秒後にその声は途絶えた。


「あーあー、勿体ねぇ」

「くそっ、勝手に落ちんじゃねぇよ」


男達は崖下を覗き込みながら、遺憾そうな態度をとる。

傷跡の男が顎髭の男の顔を見て言う。


「どうする?一応、下まで見にいくか?」

「いや、いい。どうせ死んでんだろう」


質問された顎髭男はそう答えると踵を返し、来た道を戻り始めた。

傷跡男も後に続く。

顎髭男は歩きながら語る。


「それに、あの下には行かねぇ方がいい」

「あ?何でだ?」

「何でって、お前。知らねえのか?」

「知らん」


傷跡男のあっけらかんとした物言いにため息をつく顎髭男。

馬鹿にした様な視線を向けながら説明する。


「帰らずの森、だよ。絶対入っちゃならねぇ場所だ。あの崖下がそうなんだよ。普段からここらの道、使ってんだろうが。知っとけ馬鹿」

「へへ、わりぃわりぃ。でも、なんだその帰らずの森ってのは?」

「…入ったら最後、2度と生きては帰れねぇと言われてる一体を崖に囲まれた森の事だ。実際、俺の知り合いが3年前、仲間を何十人かつれて調査にむかったが、誰も帰っちゃこなかった。似た様な話が他にも幾つもある」

「うへ〜…気味が悪りぃ」

「だろ?噂じゃ、大昔にあった国のお宝が森のどこかに隠されていて、消えちまった連中はそれを守ってる国の亡霊に呪い殺されたって話らしいが………まあ、とにかく、あの場所にゃ近づくな。死にたくねぇだろ?」


男達は雨の中を歩き、自分たちが乗っていた幌馬車まで戻ってきた。

男の仲間と合流し、詳細を伝えるといささか残念そうな表情を浮かべたが、しばらくすると切りかえて馬車を移動させ始めた。

大きな荷台、被せられた布の隙間からは幾人もの人影が両手足を縛られ、縮こまっていた。


馬車は進む。

1人の少女など最初からいなかった様に。

水溜りを蹄が踏み、飛沫が辺りに飛んでいった。



折れた梢、曲がった手足。

浅い呼吸に歪んだ視界。

崖下で少女は這いつくばっていた。

木の枝が緩衝材となったのだろう。

即死は免れたが、大怪我である事に変わりはない。

動く事などできそうも無かった。

雨の冷たさが少女の体力を蝕んでいく。

だんだんと体の感覚がなくなっていく。

意識は朦朧とし始めていた。

瞼が重い。

何日も寝ていなかった日の様にゆっくりと下されていく。


(ああ…私はここで…)


少女は理解した。

誰もいない森の中。

ひとりぼっちで死ぬ事を。

涙と共に少女は瞳を閉じる。

泣き声は雨音にかき消された。


時は過ぎる。

雨は止み、雲が流れ、星が瞬き始めた頃。

動かなくなった少女の元に何者かが近づいて来る。

それは少女の前に立つと少女をじっと見つめた。

ゆっくりと腰を下ろすと少女に向かって手を伸ばす。

手が触れそうになった瞬間、少女がうわ言を吐いた。

手がぴくりと止まる。

少女はまだ、生きていた。

静止した手はしばらくの後、再び動き始め、少女の頭に乗せられた。

手から温かな光が溢れる。

少女の体に入り込んでいく。

木漏れの月光が、2人を照らしていた。





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