海辺の町⑤

町中のアッシュ達が灰になっていく。

それと共に人々の悲鳴が途絶える。

人々の間では困惑が広がっていた。

広場に残された人々はどよめき、その視線はノアに向けられていた。


ノアは倒れた獣を見下ろし、剣を振って血をはらう。

荒い呼吸でノアはラナンに尋ねる。


「ラナン、こいつも準王だったの?」

『……ああ、これで残るは3体だ』

「後、3体…」


準王を倒す事ができた安堵感に少し気が緩みかけたが、まだ倒さなければならない相手がいる事をラナンの口から思い出し、ノアは気を張り詰め直す。

その時、石の割れる様な音がノアの耳に届いた。

悪寒がしたノアは音の方角へと振り向く。

視線の先にあったのは獣との戦いの最中、半壊した鐘の塔。

そこから発される異音を生命力で強化されたノアの聴覚はとらえていた。

鐘の塔の下には人がおり、もし落ちれば下敷きにされてしまう。

ノアがそんな想像をした瞬間、予定調和の様に塔が崩れ始めた。

人々から悲鳴が上がった。

ノアは全力で走る。

崩れ落ちていた屋根と鐘を斬り飛ばし、塔の下にいた人を助ける。

パラパラと落ちる石灰の砂粒と煙の中、下敷きになりそうだった男性にノアは手を差し出した。


「大丈夫です…か?」


手を伸ばしたノアは驚き、固まる。

なんとそこにいたのは船で待っているはずのトムだったからである。

ノアは思わず、間の抜けた声が出た。


「…トムさん?」


トムは固まっていた。

ノアと同じように。

だが、ノアに名前を呼ばれた時、口から僅かに声をだした。


「……ひ」


そして、次の瞬間。


「ひぁあああああああ!!ばっ、化け物ぉ!!た、たす、助けてぇ!!」

「ト…ム、さん?」


恐怖で慌てふためき、逃げ出した。

トムの言葉に、ノアの体と思考は停止する。

逃げるトムの背を立ち尽くして見ていると、ノアの頭の左側に何かが当たる。

硬い音を立てて地面に落ちたそれは拳大の石。

ノアが左を向くと、1人の男がこちらに少し離れた場所で、右手で何かを投擲をしたのであろう態勢で立っていた。

男の周りを囲う様に、ノアの前方を囲うように人々が集まって来る。

その手には銛や金槌、槍などが握られていて、ノアに対し、攻撃的な視線を向けていた。


「化け物が…」

「よくもあの人を…」

「ゆるさねぇ…」

「化け物め…」

「殺してやる…」


殺意を孕ませた群衆がにじり寄って来る。

ボロボロと崩れ落ちていく黒い鎧。

足、腕、肩、顔と剥がれ落ちながら、ノアは後ずさる。

ノアは愕然としていた。


「ち、違。僕は…」


この状況に上手く言葉が出てこない。

守ろうとした人々から敵意を向けられているこの事態に動揺し、思考が働かない。

やがて1人がノアの前にやってきて、手に持った斧を振り上げた。


「くたばれ、化け物がぁ!」


呆然とするノアに斧が振り下ろされる。

それはノアの頭に当たり、鮮血を撒き散らす…事は無かった。

斧が当たる直前、何者かが群衆から飛び出てきてノアを真横から抱きしめ、勢いのままに一緒倒れこんだからだ。

呻めきながら、ノアは自分に抱きつく乱入者の姿を確認する。


「君…は…」


乱入者はノアが助けた少女であった。


「な、何だお前は!その化け物の仲間か!?」


斧を持った男は冷や汗をかきながら、少女に問いを投げつける。

少女は町人を睨みつけるとノアの手を取って立ち上がらせた。

そして、そこからノアの手をぎゅっと掴んで、逃げ出した。


「ま、待てぇ!!」


男の怒号が聞こえる。

ノアの手を引く少女が群衆の前に来ると、悲鳴が上がり、人混みは割れる。

呆然と手を引かれていたノアだったが、背後から迫って来る男たちの姿にハッとなり、少女を抱き抱えると一気に跳躍し、建物の屋根を飛び跳ね、一気に町の外まで駆け抜けた。



町から離れた山間の森。

脱出した先でノアはゆっくり少女を下ろす。


「…怪我は無い?」

「はい、大丈夫です」

「よかった…」


ノアは少女に問いかける。

少女はこくりと頷いた。

ノアは安堵したが、その表情は晴れない。

先の出来事が尾を引いていた。


必ず守る。

そう言ってくれたトムからの恐怖の拒絶。


化け物と言った。

守った町人達からの明確な殺意。


切り替えるには余りにも大き過ぎる衝撃だった。

沈鬱な表情を浮かべるノアに少女は心配そうに声をかける。


「…大丈夫ですか?」

「うん、平気だよ。大丈夫。心配しないで…それよりどうしてあんな無茶を?」


ノアは少女に問いかける。

男の振り上げた斧。

その一撃は間違いなく、ノアの頭を砕き、血を吹き出させ、殺す為に振るわれた代物。

そして、周りには同じく殺気だった人々が武器を構え、ノアに視線を釘付けでいた。

人殺しの怪物。

そう人々から認識されたが故の凶行。

そんな中をこの少女は走り、ノアを庇ったのだった。

死を覚悟しなければならないであろう行動をとって、ノアを助けようとしたのだった。


「だって、お兄さんを助けたかったんです」


少女はそんなノアにこう言う。


「お兄さんは私達を守ってくれました。それをあんな風に化け物扱いなんて…あんまりにも酷いです」

「そんな…殺されるかもしれなかったんだよ?」

「私はあなたに救われました。村の時も、町の時も…だから、私はあなたを救いたいと思ったんです。それだけなんです」

「…僕が、怖くないの?あんな姿を、見ても?」

「…確かにびっくりはしましたけど、お兄さんはお兄さんです。それが本当の事です」

「……ッ」


少女の言葉に唇を噛み締める。

否定された。

怯え、慄き、逃げられた。

ノアの心に負ったの傷に少女の言葉が温かく、染み込んでいく。


「…ちょっと、しゃがんでもらってもいいですか?」

「…こう?」


少女の言う通り、ノアはしゃがむ。

すると、少女はノアの頭を撫でてきた。

ゆっくり、優しく、ノアより一回り小さな手のひらで。

ノアは少し、狼狽する。


「え、えっと…何を?」

「私が泣いていた時、こうしてくれましたよね?あの時、嫌な気持ちが柔らかくなって、ホッとして、安心できたんです。だから…」


少女はノアに微笑んだ。


「お兄さんは人です。化け物なんかじゃありません。優しくて強い人です。だから…撫でます」

「だからって…、はっ、ははっ…」


少女の言葉にノアは笑う。

視界が滲む。

上がった口角を跨ぐ様に涙が一つ、また一つと流れていく。

笑い声は徐々に嗚咽へと変わった。

それでも少女は変わらず、ノアを撫でてあげるのだった。




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