海辺の町③

日が暮れた後、半円状の屋根の家に帰り、ノアとトムは食事を取った。

香草と果実で香り付けし、塩で味付けした鱈。

それを焼いたパンに乗せて頬張る。


言うべき時を逸してしまった。

ノアは後悔していた。

出会った時、すぐに言うべきだった。

自らが怪物達と戦う事を。

だが、トムのあの顔に、表情に、口をつぐんでしまった。

このままでは、勘違いをさせてしまう。

ノアはチラッと目の前で同じ様に食事をするトムを見た。

トムは視線に気づくと首を軽くかしげる。


「どうしたんだい?…もしかして口に合わなかったかい?」

「…ううん、美味しいよトムさん」

「そうかい、それならよかったよぉ。おかわりはあるから沢山お食べ」

「…うん」


トムは優しく微笑んでくれる。

その温かさにノアは甘えてしまう。


覚悟は決めた。

岩鉄の村で2人を失ったあの時に。

もう、やめることは無い。

だけど、もう少し、もう少しだけでいい。

今、この瞬間だけは、知己の情に寄り添わせてもらおう。

そして、明日こそは本心を打ち明けよう。

そう思い、ノアはパンを口にした。



朝になった。

船の上に荷物を乗せていく。

果物樽に水樽に燻製肉、長いオールに索具、次々と小型の帆船に積んでいく。

トムが船乗り達の1人から譲り受けたらしいその船は全体的に古びれており、オーク材の船板は足踏む度にぎしりぎしりと音を立て、岸に繋がれたもやい綱はゆらゆらと揺れていた。

トムとノアに会話は無く、淡々と荷を積んでいく。

重労働であることに加えて、ノア自身が話しを切り出すタイミングを見失っていたからだった。


(昨日、話すって決めたのにな)


ノアはそう思い、自身の優柔不断に自嘲した。


「ふう、これでお終いっと」


最後の荷物である木箱を船に乗せ、手をぱんぱんと叩きながら、トムはふぅと息を吐いた。

トムはぐーっと背を伸ばす。


「んー…これで後は漕いで、風をつかまえにいくだけだね。多分1週間くらいの旅になるとは思うよ」

「…」

「ノア?」

「……トムさん、ちょっといい?」

「何だい?」

「少しだけ、町を見回って来てもいいかな」

「…」


ノアは顔を逸らして言う。

トムはその姿に何かを感じたのか、少し悲しそうな顔をして頷いた。


「1時間後には出るよ」

「…ありがとう」


ノアは立ち上がると逃げる様にその場から立ち去った。

町の中を歩きながら、辺りを見る。

やはり、治安は良くない。

これからもっと難民も増えるだろう。

長く滞在するのは悪手だ。

船を奪い取ろうとする奴らだって出てくる。

だから、今すぐここを立ち去った方がいい。

だから、今すぐトムに言うべきだ。

ノアが共に行かない事を。

怪物達と戦う事を。

だがノアの頭の中では、灯台でのトムの言葉が、表情が反芻し、決断を遅らせていた。

葛藤を繰り返し、歩いているといつの間にか町の入口近くまで来ていた。

難民達の焚き火がちらほらと見える。

肩を寄せ合う者がいる。

1人しゃがみ込んでいる者もいる。

きっと、あの人の家族はもういないのだろうと推察する。

それを遠くから見ながらノアはまた、考える。


もう、会えなくなるかもしれない…

トムさんは

必ず守ると言ったけど

そうすると言ってくれたけど

だけど…

それでも

それでも

トムさんには

僕は、トムさんには

生きてほしい

村のみんなの様になって欲しくない

その為に僕は剣を振るう

奴らを殺す為に戦う

だから、ついていけない


ノアは拳を握った。

葛藤していた靄が晴れる。

自分の気持ちに整理がついた。

ノアは踵を返して、トムの元へ向かおうとする。

その時、ノアはある者を視界の端にとらえた。

それは遥か彼方にある黒い粒。


(何だ?)


ノアは目を凝らして、粒を見つめた。

すると、それがただの点では無く、蠢き、こちらに走り、向かってきている者だということに気付く。

近づくにつれ、点でしか無かった黒は徐々に鮮明になり、四足歩行の黒獣の姿へと変わっていく。

そのシルエットを捉えた時、ノアは全身で悪寒感じた。

そして、直感した。

奴らだと。


「ラナン!」

『ああ、お出ましだな』


ノアの右手に剣が出現する。

剣を握り、中段に構えた。

獣が町に迫る。

難民達も気付き始めた。

獣は難民テントから少し離れた所で止まった。

獣の影が大きく、縦横に伸びる。

影から大量の怪物達、アッシュ達が盛り上がる様に這い出て来た。

そして、そのいくつかが塊となり、町に向かって砲丸の様に発射された。


「な!?」


ノアは驚愕する。

町に向かって放たれた複数の塊は建造物を砕き、粉塵を撒き散らす。

町から悲鳴が聞こえた。

それだけでは無い。

正面からは数多のアッシュ達が難民を襲い始めていた。

難民の体から鮮血が溢れ、倒れる。


「やめろぉ!」


ノアは駆ける。

難民達を襲うアッシュ達を斬り倒す。

アッシュの攻撃をしゃがみ、流し、宙を舞って躱して、次々に撃破していく。


(そこか!)


難民達を救い、アッシュ達の群集を突き抜け、後方にいる獣の元にノアはたどり着いた。

剣の先端を向け、突進する。

砂埃を巻き上げながら行った苛烈なその切先は獣の横腹を貫く……事は無かった。


「何!?」


貫こうと獣に触れようとした瞬間、獣の姿が掻き消えた。

ノアはキョロキョロと辺りを忙しなく探る。

すると、一瞬、視界の隅に蠢く影を見た。

ノアは急いでそちらに体を向ける。

何もいない。

また、同じ様に気配を後方から感じ、振り向く。

だが、やはりいない。

また辺りを見渡そうとノアは視線を左に向けた。

その時、ノアの右僧帽に強烈な痛みが走った。


「ぐあがぁ!」


ノアは悲鳴を上げる。

痛みの正体は背後からノアに噛みついた獣だった。

骨の軋み折れるバキバキミシミシといった音がノアの右耳に嫌に響く。

ノアは獣を振り払おうと剣を左に持ち替え、獣の脳天めがけて突き込んだ。

が、獣はそれをあっさりと身を引いて躱す。


(こいつ…!?)


獣はその身を一瞬、屈めると跳躍した。

そして、目にも止まらぬ疾さで縦横無尽に駆け回る。


「ぐっ、くそっ!」


ノアの肩や腹から血飛沫が上がる。

高速移動する獣がノアに向かって牙や爪で攻撃しているからだ。

なんとか致命傷はさけているが、避けきれなくなるは時間の問題だろう。


「ラナン!何か手は無いのか!速すぎて捕まえてられない!」

『任せろ。剣に力を送る!』


僧帽の怪我を治したノアは右手に剣を持ち変える。

生命力を流し込まれた剣から火が噴き出た。


『黒龍の力だ、薙ぎ払え!』

「うぉおおお!」


ノアは回転し、剣を振るった。

すると、剣の火は渦と成り、炎の竜巻となってノアの周囲を焼き斬った。


「ギャイイ!」


獣は竜巻に巻き込まれ、空中で体を回転させながら無防備に地面に落ちた。

起きあがろうとする獣にノアは急接近し、剣を横に薙いだ。

獣は横に飛び、心臓を狙った剣撃を避けたが、代わりに右前脚が切り飛んだ。


「チィ!」


仕留められなかった事にノアは舌打ちし、もう一度切り込もうと振り返る。

しかし。


「ガァァァ!」

「くっ!」


追撃はできない。

なぜなら、獣がノアに向かってその牙を突き立てようと大口を開けて飛び込んできたからだ。

ノアは剣を盾に牙を防ぐ。

少しの均衡の後、ノアは獣の腹に前蹴りを叩き込んだ。

獣が呻めき、後方に退く。

剣を振るうが獣に避けられ、互いに距離ができた。

ノアは剣を構え直す。


「ゴルルル…」


獣は忌々しげな鳴き声と共に右前脚を再生させる。

右前脚が治ると、獣は両前脚を地面に叩きつけ、全身に力を込めた。

すると、毛が逆立ち、獣の肉体と筋肉が巨大化していく。

瞬く間に体を倍以上に膨れ上がらせた獣はノアに向かって凄まじい勢いで突進して来た。


(まずっ!…)


背筋が凍りつく感覚があったノアはこの攻撃は危険と判断し、回避を試みたが逃げきれず、直撃する。

獣と共に解き放たれた弩が如き勢いで町の方角へすっ飛んでいく。

難民のテント、進路を遮る建物を薙ぎ倒し、石灰の白い煙が吹き上がる。

町の中央近くまで押し込まれた。


「がはぁ…!」


崩れ落ちる瓦礫の中で、ノアは血反吐を吐いた。

獣が雄叫びを上げる。

ノアの上に馬乗りになり、前脚を手の様な形に変化させ、ノアの顔面を殴った。

何発も何十発も。

先の斬撃の恨みを晴らす様に、執拗に痛めつける。

そして、最後の一撃と言わんがばかりに手から爪を引き出し、ノアの心臓に突き刺そうとした。

だが、その爪はノアを貫く事は無かった。

ノアの手がギリギリの所で獣の腕を抑え、攻撃を防いだからである。

互いの腕が力の緊張によって震え、爪の先がノアの服を裂き、胸に引っ掻き傷を作る。


「あ…がぁぁぁあ!」


ノアは叫びながら、獣の腕をずらし、その胸に剣を差し込んだ。

獣は悲鳴をあげて後ずさる。

ノアはよろよろと立ち上がる。

殴られすぎて、意識がはっきりとしていない。


「ゴルルルァ!!」


獣は無防備なノアの横腹に裏拳を叩き込む。

ノアは家を何軒も破壊して吹き飛んだ。

飛ばされた先でノアは胸への一撃が致命傷にならなかった事に気づく。

何故なら獣は更に体を大きく膨らませ、こちらに近づいて来ているのが見えたからだ。

今の攻撃力では獣の防御を貫くことはできない。


「ラナン…もっと力を…まわしてくれ。このままじゃ勝てない」


ノアの言葉にラナンは応える。

ノアに埋め込まれたラナンの血肉が躍動する。

体を覆い、剣を重く、分厚く鋭く変貌させていく。

血肉がノアを黒い戦士に変えていく。

血肉が体を覆い尽くした。

ノアは立ち上がる。

獣とノアは再び、向かいあう。

そこかしこから聞こえる悲鳴、逃げ惑う人々。

だが、2人の前には誰もいない。

一瞬の硬直の後、2頭は駆け出した。

雌雄を決するために。


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