海辺の町②
「そ……んな」
「本当なんだよ、トムさん。岩鉄の村は奴らに襲われて……生き残れたのは僕だけ、なんだ」
「あ、あぁ…」
話しを聞いたトムがわなわなと震えて、糸が切れた人形の様に地面にへたり込む。
ノアはその姿を沈鬱な表情で見下ろした。
しばらくして、トムがふらふらと立ち上がる。
ノアは心配になりながら話しかけた。
「トムさん…」
「すまない、ノア。ちょっとだけ…1人にさせてくれないかい?」
「え?でも、今のこの町は…」
「お願いだ…」
「…」
「頼むよ…少しの間でいいから」
「…………うん」
「ありがとう、ノア」
そう言うと、トムはふらつきながら町の中へ消えていった。
こんな治安の中、1人で行かせるのをノアは憂慮したが、トムの切実な頼みにしぶしぶ頷き、トムはノアから離れて行った。
ノアの頭の中に声が響く。
『かなり堪えた様だな』
「うん…」
『自暴自棄にならないといいが…』
「………そうだね」
ノアは頷き、視線を辺り一面にぐるりと走らせた。
水平線に煌めく水面。
堤防の先に止まる海猫。
船の側でロープとオールを持って準備をしている船員達。
その側に群がる不安に駆られ、怯える人々。
そして、その向こう側にある人影を見つけた。
(あれは?)
ノアはその人影に向かって歩きだす。
近づくとその人影が見覚えのある人物だという事に気づいた。
声をかけようとすると、人影はふらつき、その場に倒れ込もうとした。
「危ない!」
ノアは咄嗟に腕を伸ばした。
ギリギリ、地面に頭をぶつける前に体をキャッチする。
そして、顔を覗き込んだ。
「この子は…」
それは少女だった。
数日前、岩鉄の村でアッシュ達に襲われたところをノアが助けた少女であった。
少女は浅い呼吸をしており、目は力無く閉じられ、顔色も非常に悪い。
抱える腕から伝わる体温もノアに比べて明らかに低かった。
『だいぶ弱っている様だな』
「病気?」
『いや、栄養失調…生命力が不足している状態だな』
「どうにかできる?」
『もちろんだ。手を額に置いてやれ』
ノアはラナンの言う通り、少女の額に手を乗せる。
すると、手から穏やかで温かな光と熱が漏れ出し、少女の体に吸収されていく。
光が吸い込まれる中、少女の顔には赤みが差し、乱れていた呼吸も元通りになった。
『…よし、もう大丈夫だろう』
ラナンの言葉にノアはスッと手を離す。
少女は小さく呻き声を上げると、ゆっくりと目を開けた。
「…うっ」
「気がついた?」
「……あなたは」
少女を起こし、その場に座らせる。
ノアは優しく、声をかけた。
「大丈夫?痛いところは無い?」
「は、はい。平気です」
「そうか、良かった」
ノアはホッと息を吐く。
少女は困惑した表情を浮かべ、そしてすぐにハッとした。
「あ、あの…あなたは、もしかして、村で私を助けてくれた…」
「うん、そうだよ」
「!…やっぱり」
少女は立ち上がるとノアに向かって頭を下げた。
「あの時は、ありがとうございました」
「いいよ、お礼なんて。無事でいてくれて良かったよ…ところで、随分衰弱していたみたいだけど」
「…ここに逃げて来てから、何も口に出来なかったんです。だから、お腹が空いて力が入らなくて、さっき急に視界が暗くなって…ってあれ?」
少女はお腹をおさえて、驚いた顔をした。
「お腹、空いてない。なんで?」
「ああ、それは………えと、あれだ。僕の知り合いの商人さんから貰った薬を使ったんだ」
「薬ですか?」
「うん、栄養失調には効果覿面な薬さ。その様子だと良くなったみたいだね」
『苦しい嘘だな』
(うるさいよ)
「そんな物を私に…ありがとうございます」
「いや、気にしないで。ただ、放って置けなかっただけだから」
ノアは近くに腰を下ろすと、ぽんぽんとすぐ隣の床を叩いて少女をそばに座る様に促す。
少女はノアの隣りに座ると、ノアの顔を横目で何度か、ちらりちらりと見た後、呟く様に聞いた。
「あの、すみません」
「ん?」
「その、村は…村はどうなったんですか?」
「…ごめん、君と僕以外は誰も」
「そう…ですか。そうですよね。わかってました」
「…助けてあげられなくて、ごめん」
「いいんです。今日まで、そうじゃないかと…思っていましたから」
そう言うと少女は俯き、唇を震わせた。
前髪がかかった頬からは一筋の涙が流れていた。
ノアは少女の頭を優しく撫でる。
その涙が止まるまで。
※
少女が泣き止み、少し話した後、2人は別れた。
少女はお礼に何かできる事はないかとノアに聞いたがノアはそれを断り、それどころか自身の持っている食糧を少女に押し付けた。
少女は驚愕し、それは余りに申し訳ないとノアに言ったが、ノアは頑なだった。
生命力を通常の人間の何倍、何十倍と吸収したノアの体は飢えとは無縁になりつつある。
だから、ノアは自分が助けることができた目の前の少女が少しでも生きていける様に、食糧をあげてしまおうと考えたのだった。
それはノアにとって、救えなかった人々に対する、ある種の贖罪だったかもしれない。
何度も言い合った後、少女は根負けして食糧を受け取り、次に生きて会えたらお礼をするという形で引き下がった。
別れる時、少女は何度も頭を下げていた。
少女を見送ったノアはトムを探そうと歩き出した。
(今の…落ち込んだトムさんの行きそうな場所といえば…)
ノアは過去に思いを巡らす。
それはゴフェル村でトムがココと喧嘩をして家から追い出された時、トムは村を一望できる高い場所、教会の側に逃げていた。
(この町を一望できる場所は?)
ノアは辺りを見回して、ある物に目をつけた。
視線の先にあったのは町の外れの海崖の上に立つ灯台だった。
ノアは階段を登り、そこへ向かって歩く。
辺りは夕暮れ時になっていた。
灯台にたどり着くと、下層の塀に肘をついて黄昏ているトムを見つけた。
ノアはトムの後ろからそっと声をかける。
「トムさん」
「…」
トムは振り返る事なく、黙ったままだった。
しばしの沈黙の後、トムが語り出した。
「ココと出会ったのは、この町だった」
「…」
「今でこそ恰幅が良くなっちゃったけど、昔の彼女は痩せていてね。食堂で働く彼女を船乗り達はいつも口説いていた」
「当時、新米商人だった僕はゴフェル村を離れてこの町に住んでいた。そして、彼女の働く食堂を使っていて、彼女が船乗り達をあしらうのを目にしていたよ」
「ある日、いつもの様にご飯を食べに来ると何やら様子がおかしくってさ。覗いてみると酔っ払いの船乗りが彼女に迫っていた」
「彼女はいつもの如くふったが、癪に触ったのか船乗りは怒ってさ。彼女に殴りかかろうとしたんだ」
「だから僕は慌てて彼を止めようとしたんだけど、机に足を引っ掛けちゃって、よろけながら彼女と彼の間にわりこんじゃってさ。その時、ちょうど彼が振り上げた拳が僕の顔面にドーンっと入って…痛かったなぁアレは」
そう言ってトムは苦笑する。
苦い過去を噛み締める様に。
「知り合いの船乗り達が酔っ払いを取り押さえて騒ぎが収まった後、彼女は僕の手当をしてくれた。申し訳なさそうな顔で何度も謝りながらさ。…食堂でも彼女と良く話す様になったのはそれがきっかけだったね」
「彼女と付き合いだしたのはそこから一年後だった。告白したのは僕からでさ。びっくりした顔をしていたのをよく覚えているよ。いやぁ…はいと返事を貰った時は嬉しかったなぁ」
「付き合い出してからは仕事にも意欲が出て来てさ。毎日きりきり働いて、勉強して、休みの日は彼女と一瞬に出かけて、語り合って、笑い合って…時々喧嘩もして。
そうして僕たちは同じ時を重ねていった。
そうした日々を僕たちは重ねていきたいと思い合った」
「付き合いだして3年くらいたって仕事もなれてきた時に僕はプロポーズをした。そして、2人でゴフェル村にやってきた。辺境の生まれ故郷に帰ると言った時は反対されないか心配だったけど彼女は了承してくれた。全く、懐が広い、優しい人だよねぇ、ホントに」
「村で暮らして…互いに歳を取り、今になった。……そして、奴らがやって来た」
トムは拳を握り込む。
「2人で夜の森の中を必死で逃げた。震えで竦みそうになる体を動かして。生き残りたくって。でも…後ろから…槍みたい物が飛んで来て……それで」
トムは沈黙する。
俯き、ふるふると震える。
一文字に絞められた口は、歯を噛み締めた証だった。
「………彼女は最後に生きている人達の事を案じていたよ。必ず生き延びて…って、でも」
トムはノアの方へと振り返る。
苦しげによせられた眉、目は潤んでいた。
「……ノア、誰か、他の村の人には会ったかい」
「…」
「…そうかい」
ノアは力無く首を振った。
トムは顔を横に逸らし、日が沈む水平線を見た。
「僕たち2人だけになっちゃったねぇ…」
「…」
「…ノア」
トムはゆっくりとノアに近づき、肩に手を置いた。
「…君だけは、君だけは必ず、守ってみせるよ」
「…トムさん」
そう言ってトムはノアを抱きしめた。
ノアは口から出そうになった言葉を飲み込み、トムを抱きしめ返したのだった。
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