海辺の町①

暖かな風が緩やかに吹く木漏れ日の中、くるりと巻いた金色の癖毛の少年が座って絵本を読んでいる。

ペラリペラリとページをめくる少年は嬉しそうに顔を綻ばせ、瞳を輝かせていた。


「おーい」


そんな少年の後ろから声をかけたのはその少年よりも2、3歳程年上に見える紫髪の少女。

少年は振り返り、少女のほうを見た。


「姉ちゃん」

「あんた、まーたその本読んでるの?よく飽きないわねぇ」


姉と言われた少女は呆れた様にため息を吐く。

少年はその言葉に笑って返答する。


「うん、全然。だってすっごく素敵なんだもん」

「ふーん…私はあんまりだったけど」

「ムッ…姉ちゃんがそうでも僕にとってはそうなの!」

「はいはい、悪かったわよ…でも何がそんなに良いのよ?私には調子に乗って油断して失敗しちゃったおバカの話にしか見えないんだけど?」


少年の小さな怒りをひらりとかわしながら、少女は問いかける。

何故そこまで読み耽っているのかを。

少女が目にしただけで優に100回以上はその絵本、特にある一つの物語に集中して読み返していた。

それ故に少女は問いかけたのだった。

何がそこまで少年の心を掴んで離さないのかを。


「違うよ、姉ちゃん。その調子に乗ってしまえるくらい、油断しちゃうくらい強いのが良いんだよ」

「?」

「…僕って弱いよね?体も小さいし、力も強くないし…頭だって良いわけじゃない。いつも姉ちゃん達に助けてもらってばっかりだ」


少年は少し辛そうな表情をしながら、自嘲する。


「……」

「でもね?もし…もしね?僕がこれになれたとしたら、きっと今までの…守られてばっかりの僕じゃない。みんなを守ってあげられる僕になれると思うんだ」


そう言って少年は絵本を持ち上げ、少女に見せる。


「この強い……強い龍になって、みんなを守れるようになりたいんだ」


少年は嬉しそうに笑うのだった。












朝日が照らす森の中、ノアは目覚めた。

体にかかった毛布が上半身を持ち上げる際にゆっくりずれ落ちる。

ノアは顔に片手を当てて、ボソリと呟いた。


「………何だ?今の?」



『決めた、もう迷わない……戦うよ』

『…そうか』


黒龍を倒した日の夜、焚き火の側で泣き腫らした顔でノアは決意した。


団長が死んだ。

ココさんが死んだ。

兄貴が死んだ。

そして、じいちゃんもセパも死んでしまった。


帰らぬ人になってしまった。


何の為に剣を握ったのか?

誰もいなくなってほしくなかったから。

愛する人達の日常を守りたかったから。

その輪の中にずっといたかったから。

その為に剣を握ったはずなのに。


もう、それは叶わない。

二度と戻る事は無い。


だから、これから握る剣は守る為の物じゃない。

ただ、純粋に、アイツらが。

化け物達が。

アッシュ達が許せない。

絶対に許す事は無い。


兄貴は悲しむだろう。

セパは怒るだろう。

じいちゃんは説得しようとするだろう。


だが、それでも決めたのだ。

奴らを殺す為に剣を振るう。

そうすると僕は決めたんだ。


ノアは、すぐ側に座っていたラナンに視線を向ける。


『ラナン』

『何?』

『…協力、まだしてくれる?』

『…もちろんだ』

『…ありがとう』


ラナンはノアに軽く微笑む。

ノアの心にちくりと棘が刺さった。

その棘を抜きたくて、ノアは言葉を重ねる。


『ラナン』

『何?』

『…八つ当たりして、ごめんね』

『……気にしていないさ』

『…うん』


ノアは視線を焚き火に向ける。

火は暗闇の中でたゆたっていた。



岩鉄の村を後にする。

殺された人々の墓は一つにまとめて作った。

できれば個人個人の墓を作ってあげたかったが、時間が無い。

何より、この場に長く留まる事を心と身体が拒否していた。

一刻も早く、立ち去りたかった。

セパとダズの思いに、言葉に、亡骸に足を引かれ、定めた決意が鈍らぬ様に。

殺意を弛ませない為に。

ノアは早足で立ち去った。


(準王の一体は倒した。後は四体…)


歩きながら、ノアは物思いに耽る。

黒龍との戦いは正に死闘だった。

正直こうやって五体満足でいられる事は奇跡としか言いようがない。

身体中を焼き尽くされ、骨を砕かれ、潰されかけた。

ラナンの力が無ければ、物言わぬ屍と化していただろう。

それほどまでに敵は強大だった。

だが、ラナン曰く、黒龍は生命力を大して蓄積していなかったようで、戦闘力でいえば、他の王達はもっと強力だという話しだ。

背筋に緊張が走る。

先の激戦以上の戦いが待っているという事実にノアは拳を固く握りしめた。



山間の道なき道を行く。

吸い込む空気の渇きと冷気が日に日に増していく様に感じる。

吐き出した空気は少し、白んでいた。

草むらを抜けて、視界が開ける。

眼下を見下ろすと見えたのは白色の町並みだった。

沿岸沿いに建てられた漆喰壁の建造物は光によって鮮やかに輝き、海の青とのコントラストによって見るものを引き寄せる風情があった。

だが、それも遠目から見た印象に過ぎない。

坂を下り、町に近づいてくるにつれ、潮の香りに混じって異臭が漂い始めたのがわかった。

そして、もう一つ。

人。

大量の人々が町の側で野宿をしている事に気づく。

恐らくは怪物達に追われて来た難民なのだろう。

そして、船で逃げようと考えたのだろう。

だが、この数ではとてもじゃないが海外までは運びきれない。

ボロ布で体を包み、火にあたる人々を尻目にノアは町中へと足を踏み入れた。


「おい!いつになったら船は出るんだよ!」

「何度も言わせないでくれ!順番があるんだ!先に着いた者から乗せている。だからもう少し待て!」

「嘘つくんじゃねぇ!先着順じゃなくて貴族のボンボン共から先んじて乗せてるんだろうが!平民の俺達はあの化け物共に襲われてのたれ死んでも良いってか?あぁ!?」

「そうよ!私も見たわ!」

「事実無根だ!出鱈目を言うな!」

「んだとテメェ!」


「はぁ、はぁ、はぁ!」

「おい!コラまてガキ!それは俺の飯だ、返せ!」


「はは、どうせ…死ぬ、みんな死ぬんだ」


そこらかしこから声が聞こえてくる。

係船所からは怒号に殴打音。

広場からは走る足音に追う足音。

路地裏からは悲嘆に乾いた笑い声。

悲惨な光景と人が放つ獣臭にノアは思わず顔を顰める。

治安は以前、ノアが訪れた時とは比べ物にならないほど悪い。

土埃が舞う中をノアは歩く。

目的は商人のトムに会うこと。

そして、セパ達の事を伝える事だった。


広場から南の方角に歩き、裏路地を抜けて、階段を降る。

堤防近くにある半円状の屋根の家。

ノアは家に近づくと辺りを確認する。

すると、目的の人物はすぐに見つかった。

家の側の桟橋で船乗り達と話すその後ろ姿に安堵感を覚える。

ノアは大きく声をかけた。


「トムさん!」


声に反応して後ろを振り向いたトムは驚愕の表情をした。


「ノ、ノア!?無事だったのかい!?」

「うん、トムさんこそ」

「そ、そうかい。ハハ!良かったぁ、生きてて良かったよぉ…」

「トムさん…」


慌ててノアの元に走って来たトムは涙目でノアを抱きしめた。

ノアはトムを抱きしめ返す。

すると、ハッとしたようにトムはノアから離れると肩を掴んでまくしたてた。


「そ、そうだ。ノア、聞いてくれ!実はな、生きているのは私だけじゃないんだ!セパや村長さんも生きている。岩鉄の村は知っているね?そこに私達は避難していたんだけど、そこで海を渡って逃げようという話になったんだ。私は船を手に入れる為に一足早くここに着いていたんだけど、今し方やっと交渉が成立して船が用意できるようになったんだ!だから、後はセパ達が来るのを待つだけでみんな一緒に…」

「トムさん」

「ん?なんだい?」

「……ッ」

「ノア?」


トムの腕にノアはそっと手を置いた。

ノアは一瞬、目を伏せて、とても辛く悲しそうな顔をして口を開いた。

岩鉄の村で何があったのかを伝える為に。


話している最中、堤防から海猫の声と波音が遠くに聞こえた。




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