岩窟にて

「…ぅん」


雨の音が聞こえる。

ノアはゆっくりと目を覚ます。

瞼を開けた先にはでこぼことした岩肌の天井が見えた。


「ここは…」


一体、ここは何処だろう?

目線を軽く動かし、周りを見る。

どうやら岸壁に開いた小さな穴にいるらしい。

そこで自分は仰向けに、腹の上に布をかけて眠っていたようだった。

何故、ここにいるのだろう?

ノアは寝ぼけた頭でぼんやりと考える。

記憶を遡り、自分の行動を思い出す。

兄との訓練、行商人達の帰還、幼馴染の夫婦喧嘩、荷物整理、夕食、そして…燃える村と化け物。


「!!」


ノアは勢いよく起き上がる。

だが体に鋭い痛みが走り、蹲ってしまう。

痛みに呻いていると、穴の入り口近くから声が掛かった。


「ああ、起きたのか」


ノアは声の方へと振り向く。

そこには自分よりも年上の女が皮袋を片手に立っていた。

ただし……

その風貌はただの人と呼ぶには余りにも違っていた。

病的なまでに白い肌、クセのあるアッシュグレーの髪は中間から毛先に向けて燻るような赤みを帯びていた。

両目の虹彩は朱の混ざった琥珀色、耳は鋭く尖っていて、その肢体を包む衣服は煤切れた黒いドレスの様なもの。裾から出た紅色の粒子が風に吹かれ、チリチリと舞っていた。

ノアの身体をジロジロどみながら、女はノアに話しかける。


「ふぅん…1週間、目を覚さなかったから駄目かと思っていたが…どうやら上手くいったらしいな」

「あなたは…」

「私は……そうだな、簡単に言えば」


女は目線を下に向け顎に手をやり、少し摩りながら考えた後、ノアに向かって返答した。


「お前の村を焼いた奴らの同類だよ」

「……は?」

「覚えていないのか?お前の村を襲った者達がいただろう?あれだよ」

「あい…つらの…仲間?」


突然の告白にノアの頭は真っ白になり、思考が止まる。

数秒後、ようやく回り始めたノアの頭の中は怒りで満たされた。

女を睨みつけ、掴みかかるべく立ち上がろうとしたが、身体に思う様に力が入らずへたりこんでしまった。


「うっ…」

「おい、無茶をするな。まだ寝ていろ」

「黙れ、化け物!よくも、よくもみんなを!…ぐっ!」

「はぁ…」


女は溜息を吐くとノアに近寄り、ノアの服を捲りあげた。


「な!何す「見ろ」はぁ!?」

「腹を見てみろ」


女の突然の奇行に困惑するノアだったが、女の言う通り自身の腹部に目をやる。

すると、そこには…


「な…何だ、これ?」


人間のものではない黒色の血肉が、腹で脈動していた。


「お前を見つけた時、お前死ぬ寸前だった。だから助けるために私の血肉で傷口を塞いだ」

「は…?」

「適合するかどうかは賭けだったがな。上手くいった様で安心したぞ」


女はそう言うと服を掴んでいた手を離す。

ノアはさらに困惑した。

体に血肉?この女は何を言っているのかと。

お前は自分の村を襲った化け物ではないのか?

なのに何故、こんなことをしたのかと。


「…僕を助けた?お前が!?」

「そうだ」

「何で…そんなことを?」

「約束したからだ。覚えてないのか?」

「約束?」

「力をやると言っただろう?奴らを倒す力をな」

「………!」

「思い出した様だな」


女の言葉に、ノアは暗闇の中で聞いた声を思い出した。

あの声の主が目の前にいるこの女だというのか。

ノアは動揺する。

それと同時に疑問が湧き上がってきた。

ノアは女に問いかける。


「あの時の声、お前がそうだったのか?」

「そうだ」

「何で…奴らと仲間じゃ無いのか?」

「同類といっただけで仲間とはいっていないだろ?人間達が争う様に、私たちも同じなだけだ」

「信用出来るか!そんな言葉!」

「だが、私がお前を助けたのは紛れもない事実だ」

「…ッ」

「その事実だけで一応、話を聞く価値はあるんじゃないか?」

「………目的は何だ?」

「目的?」

「惚けるな。何かしらの理由があるから僕を助けたんだろう?それを教えろ」

「ふむ」


ノアの問いかけに女は立ち上がり、背を向けて少し歩く。


「私の目的は…奴らを倒す事だ」


ノアの方に振り向き、石の上にゆっくり腰を下ろした女は語る。


「始めは私だけの力で何とかしようと試みた。だが…私は敗走した。奴らの力は私よりも遥かに強大だった。単独での勝利は無理だと悟った私は協力者を探そうと決めた」


そうして見つけたのが…そういってノアの方を女は指差す。


「お前だ」

「…」

「死にかけたお前を見つけた時、お前は悲しみでもなく恐怖でもなく、ただただ怒りだけを込めた顔をしていた。こんな奴は初めてだと思った。コイツとならやれるかもしれないと…そう思った。だから助けた。それが理由だよ」

「…」

「納得いかないか?」

「…何で僕だけなんだ?どうしてもっと多くの…他に助けてくれそうな奴を探さなかったんだ?たった一人の味方を得た所で何も変わらないだろう」

「私は化け物だぞ?普通の人間で手を貸してくれる奴なんていないし、同類にとっても裏切り者だ。だから、特殊な事情持ちの奴が必要だったのさ」

「…」

「それと人数に関しては大した問題じゃない。

それを補う策ならちゃんとあるさ。私にとって重要なのは数じゃなくて目的意識があるか、なんだよ」


女の言葉にノアは黙り込み、考える。

とりあえずの筋は通っている様に思う。

歪な方法ながら、助けてもらった事もまた事実だ。

裏切り者というのが本当なら、コイツは奴らの敵であるのだろう。

だが、まだ気掛かりな事がある。

ノアはそれを聞くべく話を続ける。


「奴らの目的は何なんだ?」

「……人間を殺し尽くす事…だよ」

「な!?」

「私はそれを止めたい。だからお前に協力してほしいんだ」


そう言って女は立ち上がり、ノアの元まで歩くと同じ目線になる様にしゃがんだ。


「私は奴らを倒す術を持っている。だが、私1人ではダメだったんだ。私がお前に力を貸す様に、お前も私に力を貸して欲しいんだ」

「…」

「悪い話じゃないと思うが…どうだ?」


ノアは再び、考える。

目の前のこの女の言う事がどれだけ信用できるのか、判断材料は傷の治療してくれた事だけ。

目的がある事は間違いない。

だが、それが本当なのか、それとも嘘をついているのか。

こちらには全く分からない。


「(だけど…)」


ノアは目を閉じ、下を向いてふぅー…っと息を吐く。


「…お前の事は信用できない」

「…」

「だけど、僕には力が必要だ。奴らを…殺せる力が」


ノアは顔を上げ、真っ直ぐ女を見据えた。


「…協力する。だから僕に力を貸せ」

「…!」


ノアの言葉に少し目を見開いた女は微笑み、ノアに右手を差し出した。


「ラナンキュラス…ラナンと呼んでくれ」

「…ノアだ」


ノアはラナンの手を握り、握手をした。


「そうか…ノア。これからよろしく頼む」


握手が終わると、ラナンは持っていた皮袋から木の実と干し肉をいくつか取り出し、ノアにわたしてきた。


「さて…まず、初めにやる事は…体力をつける事だな。それ」

「…ありがとう」


出来上がった協力関係。

そこに不安と戸惑いと疑念を感じながら、ノアはリンゴを齧るのだった。



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