カニに目のない俺は、ズワイガニを持って来た見知らぬ女性を部屋に入れた。

春風秋雄

それはピンポーンという音から始まった

ピンポーンと呼び鈴が鳴って、モニターを覗くと、見知らぬ女性が映っていた。

「はい」と返事をすると、

「あたしだよ、峰子。あけて」

峰子?誰だ?

「えーと、どちら様でした?」

「何言ってんのよ!田舎からズワイガニ送ってきたから持ってきたんだよ。重いから、早くあけて!」

ズワイガニ?何かよくわからないけど、ズワイガニは俺の大好物だ。とりあえずドアを開けることにして、ロックを外すと、勢いよく峰子という女が入ってきた。

「とりあえず、カニは冷蔵庫に入れるね。あれ?部屋の模様替えした?」

とか言いながら、勝手に冷蔵庫を開け、カニを入れるスペースを作り、発泡スチロールの保冷ケースからカニを取り出し、冷蔵庫に押し込んでいる。

「冷蔵庫も買い換えたんだね。これくらい大きくないとね。前のは小さかったから、何も入らなかったもんね」

買い換えたのは、この部屋へ来るずっと前だ。ということは、この女とは数年ぶりということか?でも、どう考えても、峰子という女に記憶がない。

保冷のためにケースに入っていた氷を流しに捨て、給湯のお湯をサーと流してから、ケースに蓋をしたところで、初めて峰子という女は振返った。そして、その女は固まった。

「あんた、誰?」

え?今頃そんな展開になるのか?

「俺はここの住民の大和田ですけど」

「住民?うそ?トシ君は?坂本敏明はどこ?」

「いや、わからないです。俺の前にここに住んでいた人ですかね?」

「ここ、203号室だよね?」

「そうです。203号室です」

「あんた、いつここに引っ越してきたの?」

「3ヶ月くらい前ですけど」

峰子という女は黙って下を向き、考え事を始めた。しばらくして口を開いた。

「そうか、あいつ引越したんだ。何も言わずに」

峰子という女の顔は今にも泣き出しそうだった。

「ごめん、悪かった。てっきりトシ君だと思って、入ってしまいました。許して下さい」

「まあ、それはいいんですけど」

と言いながら、俺は冷蔵庫の方に目をやった。つられて峰子という女も振返って冷蔵庫を見た。

「ああ、カニはちゃんと持って帰るから」

「持って帰るんですか?」

そう言うと、峰子という女は俺の顔をじっと見て

「持って帰ったらダメなの?」

「もう保冷用の氷は流しに捨てちゃったし」

「まだ溶けきってないでしょう」

「お湯を流してましたから、もう保冷の役割は果さないかと」

「あんた食べたいの?」

「できたら」

「あれは、うちの親が私のために送ってきたの」

「さっき、そう言ってましたね」

「買ったら高いんだよ」

「知ってます」

「それでも食べたいの?」

「大好物なんです」

峰子という女は、あきれたという顔で俺をみていた。そして、しばらく考えてから聞いてきた。

「お酒はある?」

「ビールとウィスキーなら」


思わぬことで、俺はカニにありついた。カニを食べるのは何年ぶりだろう。テーブルに置かれたカニは見たこともないほどの大きなズワイガニで、料理屋で注文したら何万円するかわからない。峰子さんに聞いたら、地元の市場でも最低2万円はする大きさだと言っていた。カニを食べ慣れている峰子さんは次から次へと身を取り出し、パクパク食べている。俺はカニ専門店の料理屋で出されるような、食べやすいように切ってある物しか食べたことがないので、悪戦苦闘していると、見るに見かねて峰子さんが身をとって皿にのせてくれた。

カニだけでお腹が一杯になったのは初めてだ。それでもまだ少し残っている。

お腹もふくらみ、お酒をウィスキーに切替えたところで、場所を台所のテーブルからテレビが置いてある部屋のソファーに移動した。そして、改めて峰子さんが質問してきた。

「大和田くんは、名前は大和田なにって言うの?」

「サトルって言います。知るの下に日曜日の日と書く智です」

「年はいくつなの?」

「26歳です」

「私の4つ下かあ」

「じゃあ峰子さんは30歳なんですね?」

「女性に対して、そんなズバっと年を言うもんじゃない」

「すみません」

「智くんは、仕事は何をやっているの?」

「早速名前呼びですね」

「だって、大和田って呼びにくいじゃない。それで、仕事は?」

「デザイン会社でWEBデザインの仕事をしています」

「今日はお休み?」

「週休2日制ですから、明日も休みです」

「じゃあ、今日はとことん飲もう!」

それから峰子さんは自分のことを語りだした。

福井県の出身で、専門学校の関係で上京したこと。仕事は美容師で、青山にある美容室で働いていること。この部屋に住んでいたトシ君は2年くらい前に、職場が近いということで、峰子さんの美容室にお客として来たのがきっかけで付き合いだしたらしい。休みが合わないので普段は美容室の近くで峰子さんの仕事が終わってからデートをしていて、この部屋には3~4回しか来たことがなかったとのことだ。3ヶ月くらい前に会ったのが最後で、その後ラインでのやりとりはしていたが、仕事が忙しくてなかなか会えないと言われていて、1週間くらい前から既読にもならなくなったので、カニも届いたことだし部屋に突撃してきたということらしい。

「別れるなら、別れるって、言って欲しかったね。私が悪かったのかな。結婚を匂わすことをチョイチョイ言ってたから」

「でも峰子さんも、それなりの年だし、相手の男も結婚ということを考えてあげないといけないですよね」

「まあ、あいつにとっては、所詮遊びだったんだよ。都合の良い女って感じかな。結婚というのは重たかったんだろうね」

「トシさんって、いくつの人だったんですか?」

「今年28歳かな」

「年下ですか?」

「私、年下が好きなのかな。その前に付き合っていたのも年下だし。なんか、可愛いんだよね。そういえば智くんも年下だね。どう?こんなお姉さんは?」

俺はドキッとした。峰子さんは、髪が長かった頃の真木よう子さん風の美人で、スタイルも良い。ただ、4つ上となると、ちょっと考えてしまう。

「冗談、ジョーダン。そんなに真剣に考えないでよ。こっちが恥ずかしくなるじゃない」

それから峰子さんはグイグイ飲んで、時には笑い、時には泣き、最後はソファーに横になってしまった。

「峰子さん、こんなところで寝たら、風邪ひきますよ」

いくらエアコンが効いているとはいえ、冬のこんな時期だから朝方は冷える。仕方ないので、俺がソファーで寝ることにして、峰子さんを抱きかかえ、ベッドに運んだ。峰子さんをベッドに降ろした瞬間、峰子さんは俺の首に掴まっていた腕を引き寄せ、顔を近づけるとキスをしてきた。俺が驚いていると、唇を離した峰子さんは俺の耳元でささやいた。

「ねえ、しよう」

「え、え、えー?」

「大丈夫。付き合ってとは言わないから、遊びでいいよ。今日はどうしてもしたいんだ」


裸の肩と肩を並べて、俺たちは息を整えていた。

「やっぱり智くんは若いねぇ。元気だわ」

「峰子さん、遊びではなく、俺たち付き合いませんか?」

「責任感じなくていいよ。私が誘ったんだから」

「でも、・・・」

「もういいから。お姉さんはちょっと寝るね」

そう言って、峰子さんは本当にすぐに寝てしまった。


朝、峰子さんの気配で目を覚まし、時計を見るとまだ6時半だった。峰子さんは下着をつけ、ジーンズに足を通すところだった。

「あれ?起こしちゃった?こめんね」

「まだ6時半ですよ」

「8時半までに美容室に入らなければいけないから。これから急いで帰って、シャワーを浴びて出勤でーす」

「今日は仕事だったんですね」

「片づけせずに出るけど、ごめんね」

「そんなのいいですよ。それより、また来てくれますか?」

「あら?お姉さんの体が忘れられなくなった?」

俺は何も言えず、顔を赤くした。

「また来るから、大丈夫だよ」

「連絡先を交換しましょう」

「そんなの必要ないよ。来たいときに来て、ピンポーンって鳴らすから」

峰子さんは、そう言って、バイバイと手を振って出て行った。


それから2週間くらいしてから峰子さんはやってきた。その日は平日の月曜日だった。夜の8時ころ、仕事が終わって、コンビニで弁当を買い、部屋に入ってコートを脱いで吊るしていると、ピンポーンと鳴った。

「すごいタイミングですね。今帰ったばかりなんですよ」

「知ってるよ。マンションに入るのが見えたから追いかけて来たんだもん」

「待ってたんですか?」

「あと30分待って帰ってこなかったら、もう帰ろうと思った」

こんな寒空でいつから待っていたんだろう。

峰子さんはコンビニ弁当を見て、そんなの明日にしなさい。と言って、自分が持って来た袋から鍋の材料を取り出した。

「いやー、寒い日は鍋だねぇ」

峰子さんが用意した材料は鳥鍋だった。峰子さんは鳥肉をつつきながら、美味しそうにビールを飲む。久しく彼女がいなかった俺は、とても幸せな気分を味わった。

ベッドで抱き合ったあと、峰子さんに

「今日は帰っちゃうんですか?」

と聞くと、

「泊まってもいいの?」

「いいですよ。でもまた朝6時半に起きるんですよね?」

「明日は休みだから、智くんの起きる時間に合わせるよ」

「そうか、美容室は火曜休みなんだ。だったら、合鍵渡しますから、俺が帰るまでいてくれていいですよ」

「それは、俺が帰るまでいて下さいという意味かな?」

「そう受け取って頂いて差し支えありません」

「だったら、素直にそう言うこと」

「はい、今後気をつけます」」

そう言って二人は笑った。


翌日、俺が仕事から帰ると、峰子さんは豚のしょうが焼きを作って待っていてくれた。風呂に入り、ベッドに行くと、峰子さんはベッドの棚からコンドームを取り出した。

「これ、今日買ってきたから、ちゃんと着けて」

と言った。俺が驚いていると、

「智くんとの間に子供を作るわけにはいかないから」

と言われた。

その日、峰子さんは泊まらずに帰っていった。

帰り際、「これ返すね」と言って、合鍵を律儀に置いていった。


それから峰子さんは月に1回か2回のペースで、相変わらず突然ピンポーンと鳴らした。月曜の夜来ることが多かったが、たまに土曜日の夕方にくることもあった。何度も連絡先を交換しようと言ったが、頑なに拒んだ。

初めて会ってから1年になろうとした頃、めずらしく峰子さんが俺の予定を聞いてきた。

「来週の月曜日も来て大丈夫?」

「大丈夫だけど、予定を聞くなんてめずらしいですね」

「そろそろズワイガニを送ってくるんだよ。さすがにカニ持ってウロウロはしたくないから」

「本当?また、あのカニが食べられるの?」

「智くんはカニが好きだからねぇ」

「大好きですよ。あの時、ズワイガニに釣られて、知らない人なのにドアを開けたんだから」

「そうか、私はカニで智くんを釣ったのか!」峰子さんは、そう言って大笑いしていた。


翌週、大きなカニを目の前に、俺たちは無言で貪り食った。発する言葉は「うまい!」「美味しい!」「最高!」だけだった。今回は最初から峰子さんが、俺のためにせっせと身をとっては皿に乗せてくれた。

お腹一杯になったところで、俺は聞いた。

「峰子さんの実家は、こうやって毎年カニを送ってくれるの?」

「そうだね。毎年送ってくれるね」

「それで、この時季に実家に帰ると、またカニ食べられるんでしょ?」

「カニがある時季なら、こんな大きなのではないけど、必ず食卓に並ぶね。向こうの市場では、足が1~2本とれているのとか、商品価値が低いのを安く売っているんだよ」

「いいなあ。毎年カニが食べられるなんて幸せだよ」


ベッドの中で俺は腕を伸ばし、終わったばかりのゴムをゴミ箱に捨てていた。隣で峰子さんは裸の肩を揺らして息を切らしている。

「峰子さん、俺たちもう1年続いているんだけど」

「早いね。もう1年か」

「さすがに、もうそろそろ連絡先交換してもいいんじゃない?」

「それはダメ」

「なんで、そんなに頑なに拒むの?」

峰子さんは返事をしない。

「いつも突然来ていたら、俺がいなくて連絡もとれないし、会わずに帰らなければいけないってこともあり得るじゃない」

「今まで3回あった」

「え!あったんだ!そんなこと言ってくれなかったじゃない」

「別に言ことじゃないでしょ。私が来たい時に来ているだけだから」

「もういいじゃない。これだけの付き合いになったんだから、連絡先交換しても」

「智くんは、私より4つも下なの。だから、これから私なんかより若くて智くんにふさわしい女の子が必ず現れるよ」

「俺は峰子さんが好きだよ。いつも会いたいと思っているし、会えない時は電話でもいいから声を聞きたいと思っているよ」

「今はそう思っていても、この先はどうなるかわからないでしょ?私、怖いなの」

「何が怖いの?」

「急に連絡が来なくなるのが。ラインの既読すらつかなくなるのが怖いの。毎日のように連絡しあっていても、明日は連絡がないんじゃないか、電話したらいきなり通じなくなっているんじゃないか、そんなふうに不安を抱えて過ごすのが怖いの。だから、最初から連絡先を交換しなければ、そんな不安はないでしょ」

「俺はそんなことしないよ」

「今はそう思っていても、先のことはわからないでしょ?」

俺は、少し考えてから言った。

「だったら、連絡先を交換しても峰子さんを不安にさせない良い方法があります」

「どんな方法?」

俺は峰子さんの目をじっと見て言った。

「結婚しましょう」

「え!え!結婚?」

「結婚してしまえば、もう不安はないでしょ?」

「あんた、本気?」

「本気です」

「4つも上の、こんなオバサンと結婚してどうするのよ。あんたに何もメリットないでしょ?」

「俺、ずっと考えてたんです。峰子さんと過ごす時間が本当に幸せだなあって。俺は本当に峰子さんに惚れているなあって」

「よくそんな恥ずかしいこと言えるね。うれしいけど」

峰子さんの目が少し潤んできた。

「だって、本心だもん。それに、俺にとっては大きなメリットがあるよ」

「まさか、私と結婚すれば毎年カニが食べられるって考えてない?」

「正解!大好きな峰子さんと毎日一緒にいられて、大好きなカニを毎年食べられるなんて、こんな幸せなことないよ」

峰子さんは「ははは」と笑いながら、俺の首に抱き着いてきた。そして俺の耳元で聞いた。

「本当に私をもらってくれるの?」

「うん、結婚しよう」

峰子さんは黙って頷いた。

「ねえ」

「なに?」

「もう一回しよう」

「もうゴムはしないよ。峰子さんの年を考えたら、子供は早く作った方がいいから」

峰子さんは、俺がイクとき「奥へ、奥へ出して!」と叫んで俺にしがみついた。

「峰子さんの実家に挨拶に行かなければいけないね」

「今は雪もあるし、寒いから、来年の春くらいにしよう」

「ダメだよ。早く行かなければ」

「それは、カニの時季が終わらないうちにということ?」

「もちろんそれもある。それより、峰子さんの気持ちが変わらないうちにということ」

峰子さんは、また俺に抱き着いてキスをした。


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