第76話 思い出の茉莉花茶をお持ちしたら閻魔王の様子がおかしい

「おお、聞いてくださったか! して、手応えはどうであった?」

「明日は別の物語をお話するお約束をいたしました」

「でかしたぞ!」


報告に行くと泰山王は忠子の手を取らんばかりに喜んだ。

その輝きたるや余りの眩しさにクラクラする。


「おるふぇうすの冥界下りをお話したのだったな。して、明日は何を語るのじゃ?」

「冥王ハーデスがペルセポネを攫って王妃にする神話です」

「略奪婚か。人気のある題材じゃな」


(お詳しい)


「泰山王もたくさん読まれましたもんネ」

「篁様、どうしてここにいらっしゃるんです?」


なぜかついてきた篁は忠子の心を見透かしたように笑っている。

そして泰山王は微かに頬を染めている。

慕う相手と趣味を共有したくて読んだのだろう。篁はそれと知ってちょっと揶揄っているのだ。


「そりゃあ、泰山王とボクとで立てた計画だからねん。中間報告として経緯を聞くのは当然でしょ~」


今は泰山王の私室に通してもらっているが、外では冥府の役人が忙しそうに働いている気配がしている。

対して篁はのんびりモードだ。


(この人もしかして不真面目なんじゃ……)


有能な人材として名を残してはいるが、この人がもっとキリキリ働けば閻魔王はもう少し仕事が減るんじゃなかろうか。


「忠子よ、言いたいことは何となく分かるぞ」


泰山王も重々しく頷いているが、この調子だと指摘したことがあるのだろう。そして今に至る。


「計画は続行じゃ。しばらく頼むぞ」




 * * *




地獄というのは不思議なところだ。

時間の概念はない。だから忠子がいくら地獄に留まっても、現世で時間は経たない。

しかし刑罰には一日ごとのサイクルが決まっているものがあるので、現世と同じく日の出と日の入りがある。


忠子もその時間帯に合わせて暮らした。

朝は泰山王に謁見し、本日閻魔王に語る予定の話をする。

午後の休憩時間に閻魔王に謁見し、物語を語る。

そして終業時間になれば再び泰山庁へ戻って、本日の顛末を報告する。


「その衣裳では重たかろう。お前の仕事着を用意した」


泰山王の気配りで、官女の着物までもらってしまった。建物と同じで古代中国風の衣裳だ。

柔らかい着物の上に背子はいしというベストを着て、フレアースカートのような裳を重ねる。

帯はお腹でリボン結びにして可愛らしい印象だ。


(十二単も憧れだったけど、これもいいよね。日本だと奈良時代ぐらいかな)


裳裾を引いているからそこまで動きやすいわけではないが、正絹の袿を何枚も重ねるのよりずっと軽い。


肩も軽いが、心も軽かった。


「こんにちは、門番さん」

「おや、忠子殿。もうそんな時間かい」

「はい。お取次ぎをお願いいたします」


閻魔庁でも顔を覚えられたし、泰山庁では鬼の役人や獄卒と雑談も交わすようになった。

初めて来たときは見ただけで卒倒しそうな恐ろしさだったが、顔なじみになればむやみに怖がる必要もない存在だった。


いつものお小姓鬼に先導されてお邪魔するのは、初めて会った謁見室ではない。


「閻魔王様、失礼いたします」

「うむ、苦しゅうない」


奥の部屋へと通されると小さな丸テーブルの上に茶器の用意がしてあり、閻魔王が椅子に腰を下ろしている。


仕事一筋、食事も必要ないとしなかった閻魔王が、話を聞くために手を休めるどころかお茶の時間を取るようになったのである。


休憩モードでやや衣を寛げた閻魔王は、忠子の姿を見て難しい顔をした。

別に怒っているわけではなく、他の面持ちを作る表情筋が死滅しているのだと今なら分かる。


「その装束は?」

「泰山王様からの賜りものでございます」

「そうか」


短い一言ではあったが、その後に(センスがいいからそうだと思った)という心の声が聞こえた気がした。


「閻魔王様へは贈り物を預かってまいりました」


直接物を渡すことは非礼に当たるので、お小姓を通じて洒落た小箱を献上した。


「これは?」

茉莉花茶ジャスミンティーでございます。閻魔王様にお茶をご馳走になったとお話したところ、是非召し上がっていただきたいと」

「…………」


地獄のような――実際地獄なのだが――沈黙が流れた。


(あ、あれ?)



『かつて現世へ視察に赴いたとき、閻魔王は茉莉花を大層気に入っていらしたのじゃ。我にも匂い袋を買い与えてくださるほどにのう。あの日のことは今までで一番大切なものじゃ。きっとこれからも……』



泰山王からそう言われて持たされたのに、なぜか親戚一同が死に絶えた哲学者のように陰鬱な形相で黙り込んでしまった。


細く開いた窓から風が入り込み、ふたを開けられた小箱からふんわりと茉莉花の香りが漂う。それなのに押し潰されそうなほど空気が重い。

閻魔王の眉間の皺が深くなった。


(何かがおかしい)


「あ、あのっ! 差し出がましいかとは存じますが……」

「……発言を許す」

「はい……閻魔王様は、お心を悩ませていることがあるのでは?」

「ふむ。なぜそう思う」


困った。根拠がない。


「……女の勘です」

「ほほう?」


(ひいいっ!)


閻魔王の背後から威圧感のオーラが噴き上がった。

ズゴゴゴゴ……と地獄の石臼のような擬音すら見える気がする。


「ご、ご内密に! ご内密にお願いしたいのですが! た、泰山王様は視察に行ったときの思い出のお茶だとおっしゃってたので! それはそれは楽しそうに!」

「楽しそうに、だと……?」

「はい。茉莉花の香り袋を見せてくださいました! 宝物だと!!」


赤い瞳が見開かれる。


「あんな安物をか? 香りなどとうに飛んでしまっているだろう」

「あの日のことはご一緒した思い出ごと、全部がひとつ残らず宝物だと、大切にしていらっしゃいま……ひいいっ?!」


ガタン!


閻魔王が唐突に立ち上がり、あまりの迫力に忠子は腰を抜かす。


「楽しかったと、泰山王はそう言ったのだな?」

「は、はい! 確かに!」


「香りが消えても匂い袋を大切に持っているというのは、間違いないな」

「はい! 閻魔王様が買い与えてくださったものだと、お袖の中から取り出して見せてくださいましたっ! 今でも肌身離さずお持ちのご様子ですっ!」


「思い出すべてが宝だと言った。嘘偽りはなかろうな?」

「もももちろんでございますううう! 閻魔王様の前で嘘をつけるような度胸などございませえええええんっ!」


「忠子よ、今日の語りは取りやめとする! 篁、篁はあるか!」

「はいはい、御前に」


ほぼノータイムで姿を現す。一体どこに控えていたのか。やっぱりこの人仕事していないのかもしれない。


「後は任せるぞ。余はこれより泰山庁へ出向く」

「かしこまりました」


突然の発言にお小姓は慌てて走り出した。

十王が余所の王へ面会など大事だ。向こうだって予定も準備もある。


「ど、どういうことなの……」


忠子がポカンとし、皆が狼狽えて右往左往する中、篁だけが訳知り顔だ。


「忠子ちゃん、行っておいでよ。ボクは残念ながら見にいけないけど、きっと素敵な事件の目撃者になれるよん」



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次回クライマックスです。


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