第75話 シェヘラザードになって閻魔様にギリシャ神話を語ります

そういうわけで改めて、篁の案内で閻魔庁へと移動する。


(やっぱり宮殿に何となく個性って出るんだなあ)


泰山王のところと規模や壮大さ、造り自体は変わらないが、多少雰囲気が違う。

彫刻などの装飾で爽やかな華やぎがあった泰山庁と違い、こちらは質実剛健だ。


「忠子ちゃん、お待たせ~」


しばらく待たされた後で、執務室へ通される。


「ひっ……」

「うわわっ、忠子ちゃんしっかり!」


本当に気が遠くなった。

棒のように硬直し、真後ろにぶっ倒れそうになって篁に支えられる。


威圧感は泰山王の比ではない。


(私と会うために、威厳レベルを落としてくださっていたんだ……まあ、この方が容赦なさすぎるのもある、けど……)


閻魔王はまだ遠い。

やはり体育館レベルに広い執務室の扉を潜ったばかりで、部屋の奥の執務机は25mプールより先にある。眼鏡をかけてもたいした視力ではないから、はっきり見えるわけでもない。


それでも、半端ない威圧感と鉄面皮は分かった。ついでにやっぱりイケメンなのも。


「忠子ちゃん、引き返してもいいんだよ?」

「……」

「ボクだって閻魔王様が心配だから泰山王のお願いを引き受けたんだけどぉ~、生身の人間には酷な役目なんだからネ」


篁はチャラ男だが、心底心配してくれている。

返事をしなければと思うのだが、舌が凍り付いたように動かない。


(この部屋は嘘をつくことができないんだ)


だけど……


『よろしく頼むぞ』


泰山王の無理矢理作った笑顔が目に浮かぶ。

人間が神に対して持っていい感情ではないが、健気だとすら思ってしまう。

恋愛感情? それともそう見えるほど深い友情? どちらなのかは判然としないが、泰山王が閻魔王を心から案じているのだけは確かだ。


(その気持ち、お手伝いしたい)


そう思えば気力が湧いてきて、唇が動いた。


「大丈夫です」


外出着で良かった。藤原の令息の案内で初めてのお寺にお参りするのだからときちんとした格好をしてきたわけだから、ギリ失礼には当たらないだろう。


衣の裾を引いて閻魔王の前まで歩み出てひれ伏す。


「面を上げよ」


(……っ!)


静かな声だがプレッシャーが半端ない。

言葉は泰山王と同じだが、泰山王は楽にしろとか緊張するなと意味合いでかけた言葉だが、閻魔王の一言からはさっさと用件を済ませろという圧が詰まっていた。


顔を上げて前を見る。変わらず直視はできなかったが。


(やっぱりイケメンなんだ、ここは乙女ゲー時空なのか……)


顎のしっかりとした男性的な顔立ちに、威厳が漂う力強い太眉。

その下の目は気難しげに細められ、血のように赤い。

大きめの口は厳めしく引き結ばれ、眉間と目の下に微かな皺が刻まれて近寄りがたさがマックスだ。


「篁、下がれ」


喋ると白い牙が覗いた。


(いやああああああ、一人にしないでええええええ!)


冷や汗たらたらで心中大絶叫するが、時間を無駄にしない有能な補佐官は一礼して速やかに下がってしまった。


「泰山王お気に入りの語り女と聞いたが、余には必要ない。すぐ帰るがよい。篁に送らせる」


本当だ、仕事のこと以外頭にない。

今は一応忠子の方を見据えているが、手にした筆を下ろす様子もない。


取り付く島もないとは正にこのことだが、こちらも引き下がるわけにいかないのである。


「そっ……そういうわけにはまいりませんっ! 私は泰山王様のお役目を果たさなければなりませんっ」


泰山王の気持ちもだが、叶えてもらいたい願もある。

当然図書館のことだ。己の悲願のためにも退くわけにはいかないのだ。


「遠い異国で、毒蛇に噛まれて死んだ妻を取り戻すため冥府へ下ったオルフェウスの物語を閻魔王様にお聞かせするまでは帰れません!」

「ありふれた話だ。イザナギとてやってのけている」

「いいえ! オルフェウスは生きた人間の身でありながら、自分の力だけで単身冥府へ下ったのです!」


一ミリも動きそうになかった片方の眉がピクリと動いた。


(真面目で堅物、秩序を重んじるならどうしてそんなルール違反が許されたのかって疑問と義憤を抱いたはず! ついでにラブストーリーだというのも示唆した!)


なろう系だったら結末までタイトルに盛り込まないと見向きもされないが、この相手に対しては全部言ってしまっては駄目だ。


「そのようなことが許される国があるのか。冥府の番人は何をしていた」

「冥界にはケルベロスという鵺のような三つ首の番犬がいます。ですがオルフェウスは竪琴の名手でした。妻のエウリュディケを想う音色に心を動かされて大人しくなってしまうのです」


「馬鹿な。だがその国の冥界にも三途の川のような難所があるであろう」

「大河があって、カローンという渡し守もいます。言葉の通じないケルベロスすら音色のみで説き伏せたオルフェウスです。愛しい人を想う歌を聞いたカローンがどうして無慈悲になれますか?」


いつの間にか、筆は置かれていた。


「獄卒たちもか」

「そうです」



こうして質問に答えているうちに物語は進み、冥王ハーデスとの謁見に至る頃には閻魔王もすっかり聞き入っていた。


「……結局、オルフェウスとやらもイザナギのように振り向いてしまったのか……なんと愚かな」


おしまいまで聞き終えた閻魔王は背もたれに身を預けた。鉄面皮は崩れないが、姿勢をちょっと崩すことには成功した。


「オルフェウスが最後に見たエウリュディケは生前のままの美しい姿でした。二人は愛し合ったまま引き裂かれてしまったのです。イザナギ、イザナミのように憎み合う結末にはなりませんでした。悲しみと引き換えに永遠の愛で結ばれたのです」


「愛しているのに抱きしめられもしないなら、いっそ敵対した方が楽なのではないのか……」


(わあ、結構ナイーブなんだ。それに好きな人には触れたいタイプ?)


表情は変わらず動かないが、眉間を揉み解す指先の繊細な仕草からは豊かな感受性が伺われた。


(でなきゃ恋愛小説を嗜んだりしないか)


例え会えなくなっても強靭な心で愛を貫く鋼メンタルではない。

側にいられないやり切れなさに苦しみ、いっそ憎めたらと心身をすり減らす。


「さあ……ペルセポネのように攫われてきたのに深く愛され、幸せになった方もいます。愛の形はそれぞれで、他人には分かりません」

「ペルセポネ? 確か冥王の妃ではなかったか? ハーデスはペルセポネを攫ってきて無理矢理妻にしたのか?」


(よし! 食いついた!)


登場人物の名前を憶えられているなら、かなり興味を惹けているに違いない。


ティーンズラブもBLも、ハーレクインロマンスに至るまで恋愛小説で略奪婚は一大ジャンルだ。

つまり恋愛ものを好む層には刺さるシチュなのである。閻魔王も例外ではなかった。


「ハーデスとやらは陰気で堅物、女性が心を開くような要素は何一つなかろう。そんな冥王が愛を勝ち取ることができるとは皆目思えぬが」


変わらない淡々とした口調の下に、ほんの少し自信なさげな気配が隠されているのを忠子は敏感にかぎ取った。

愛を勝ち取るなんて言い回しもだいぶロマンチストでなければ出てこない。


(興味を持ってもらえるように、ハーデス様はわざと閻魔王様に似せて語ったからね!)


「はい、ですが……」


忠子は精一杯気取った仕草で、唇の前に人差し指をかざした。


「続きは、また明日」


閻魔王の深紅の目が僅かに見開かれた。


物語の最高峰のひとつ、千夜一夜物語で語り部となった乙女シェヘラザードが使った言い回しである。


妻の不貞をきっかけに女性不信になり、処女ばかりを召し出し一夜を過ごしたら翌朝には処刑するということを繰り返した愚王。

その蛮行を止めるため乗り込んだ語り部の娘が、今日を永らえるために告げた言葉。


「明日の物語は、もっと面白うございます」

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