第70話 井戸から地獄へご招待

数日後、忠子は牛車に揺られていた。

忠子が薬師如来を信仰していると聞きつけた公達が、是非とも我が家が後援する寺へと招いてくれたのだ。


文車太夫ふぐるまたゆう、着きましたよ」

「ここ……ですか?」


着いたのは小ぢんまりとしていて人気のない寺だった。

風葬地である鳥辺野に至る道筋というなかなか鋭い立地のせいかもしれない。


牛車の御簾を上げると、へにょっとしたモブ顔の青年貴族が助け下ろしてくれる。

あまり裕福そうには見えず、着ている物も趣味は悪くないがくたびれていた。


仲立ちをしてくれた明式部あけのしきぶによると、藤原北家に連なる血筋だが最近かなり落ちぶれているそうだ。


それに何より、終始目が泳いでいるのが気になった。

忠子も人と目を合わせるのは苦手だが、ちょっと挙動が不審過ぎる。


「立地があれなのと当家にお金がないせいであまり行き届いてはおりませんが、霊験あらたか由緒は間違いなく、格が高いことでは他の追随を許しません」

「す……素晴らしいですね」


説明してくれる口調も書いたものを読むようだ。


「詳細は直接お坊様から聞かれるのがよろしいかと。ささ、こちらでございます」

「あのう、お堂は向こうでは……?」

「いえいえ、こちらでございます! ささっ、どうぞどうぞ!」


青年貴族は素早く忠子の後ろに回り、本堂とは離れた方へと背中を押していく。

植えられた大樹で夏の日差しが遮られた瞬間だった。


「どうも~、初めましてこんにちは!」

「きゃあああああああ、井戸からイケメンが!」


石造りの四角い井戸のふたを内側から跳ね上げ、えらく軽い感じの青年がキザなポーズを決めて登場したのだ。


ふんわりした眉でちょっと垂れ目の甘いマスク。

一応冠を付けた衣冠スタイルではあるが、掟破りのド派手な取り合わせで、またそれが華やかな顔立ちに似合っている。大袈裟なウインクを決めた後は手元の帳面と忠子を見比べた。

閻魔帳と書いてある。


「ふんふん、伴忠子とものただこちゃん本人に間違いなさそうだねえ」

「どちら様ですか!?」

「どちら様かと問われたら、知らざあ言って聞かせましょう!」


ポケモンか白浪五人男かどちらかにしてもらいたい。ネタの過積載である。


「ボクの名前は小野篁おののたかむら。地獄で閻魔様の補佐官やってまーす。よろしくねん♡」

「ひいいっ、地獄?!」

「そうそう、これからキミを地獄へご招待するよん。生きた人間を連れてくにはここを通るしかなくてさあ。ちょーっと誘い出してもらったんだ」


またもや気取った仕草で後ろを指差すと、忠子をここまで連れてきた藤原モブ顔はそれはもう勢いよく土下座した。


「もも申し訳ございません! 私、藤原高藤ふじわらのたかふじの系譜の者でして! 我が家には参議篁さんぎたかむら所縁ゆかりの者の頼みは決して断るなという家訓があり!」

「藤原高藤様……って、一度死んで閻魔様の前に引き出されたけど、小野篁様のとりなしで生き返ったっていう……?」


助けた本人と、助けられた人物の子孫は完全シンクロの動きで頷いた。


「そうそう、やっぱり知ってたあ?」

「さっ、さささ、さすがは文車太夫、博覧強記でいらっしゃる」

「まあそれはそれとして……どっこいしょっと」


若い見た目にそぐわないおっさんくさいかけ声で井戸から地面へと降り立った篁は恭しく忠子の手を取った。

切れ長の目が妖しく光る。


「一緒に来てもらうよ」

「ちょっ……きゃっ」


有無を言わせず横抱きに抱え上げられ、思わず首にしがみついてしまう。

こういうとき胸についた脂肪の塊が邪魔で不安定なのが恨めしい。抱きつかれた方は上機嫌だが。


「うんうん、至福の膨らみ~。あ、そうそう、藤原何某君」

「は、はいぃ!」

「ひいおじいさんの邸宅だったところの松の木の根元」

「そ、そこに、財産があるのでございますか!?」

「うん、ひいおじいさんが貯め込んでたお金があるよ。じゃあね~」


それだけ言い置くと小野篁は身を翻し、忠子の体重などないかのような軽い足取りで井戸へと向かった。


(え、ちょっとあそこに飛び込む気!?)


「はいはい、しっかり捕まっててねー! とうっ!!」


忠子の予想通り篁は地面を蹴り、視界がフッと暗くなる。


「いやあああああ! 地獄なんていやああああああーっ!」


悲痛な叫びは井戸の底へと消えていったのであった。

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