第71話 作家の行先は例外なく地獄

「ぃゃぁぁぁぁああああああ!」


落下している。

学生の頃に好奇心で乗った絶叫マシンと同じ感覚だ。


「大丈夫だってば、ちょっと耳が痛いなあ」


耳元で叫ばれている篁はさすがに苦笑しているが、忠子は喉が痛いし生きた心地がしない。涙も出てきた。


「はい着いた、無事だよん」


浮遊感がなくなる頃にはすっかり酸欠で頭がくらくらしていた。

ゆっくりと目を開けると、涙でぼやける視界にはイケメンのドアップ。普段なら委縮するところだが、今はそれどころではない。


「歩ける? それともこのまま抱っこしていこうか?」


ニヤニヤ笑いに怒りがこみ上げて、精一杯毅然と睨みつけてやる。


「あ……歩きます!」

「んー、いいねいいね! 大人しそうなのに結構気が強いのって、かなり好み」


そっと下ろしてもらうと一瞬ふらついたが、気を引き締めて背筋を伸ばす。


見渡す限り荒涼とした大地だ。

赤い霧でもかかっているように視界全体が染まっている。

大地はひび割れ、ところどころに立ち枯れた大木が見え、蛇の舌のような火の手まで上がっていた。


正に地獄の一丁目。


「それじゃあ……あれは冥界とこの世を行き来するのに使ったっていう、『小野篁冥土通いの井戸』……?」


ということはあそこは六道珍皇寺か。後世では観光名所になっている。


「そういうこと。やっぱり知ってた?」


上機嫌で頷く篁の背後には巨大な中国風の建物がある。

あれが世に言う閻魔庁だろうか。


(ということは……私、死んだの? こんなに簡単に?!)


足がガタガタ震えて歯の根も合わない。

人は最期にこの世の思い出を走馬灯のように思い出すと言うが、色々な人の顔が浮かんでくる。

両親、徳子さとこ、飛香舎の同僚たち、そして―――


理知たかちか!)


ちょっと皮肉気な、いつもの微笑みで脳裏に浮かんでくる。

最後に会ったとき、どんな会話を交わしたかすら覚えていない。


図書館だって頓挫してしまうだろう。あんな趣味的な事業、誰かが後を継いでくれるとは思えない。


(忘れてた……この時代、人って私の感覚より本当に簡単に死ぬんだよね……)


前世の死に様は覚えていない。

目の前が真っ暗になるというのはこのことだと実感した。


「私、私……、これで死んでしまうんですか……?」


絶望に叩き落とされ、白蝋のごときという表現すら手ぬるいほど青ざめた忠子に、篁も慌てて手を振る。


「あっあっ、大丈夫だよ! まずこれは約束、必ず生きたまま戻してあげるからネ! だから安心して」


気がつけば篁の頭が随分と高い位置にあった。

長身だから小柄な忠子とは身長差があるのはもちろんだが、いつの間にかへたり込んでしまっていた。


自分で歩くと啖呵を切ったものの、今度は立てそうにない。

篁が片手を宙に伸ばすと、どこからかカラスが飛来した。

二言三言、忠子の分からない言葉で呟くとすぐにまた飛び去っていく。


「車の手配をしたよ。まあ初めから用意はしてたんだ。そういうわけですぐに来るからちょっと待ってて」


篁の言う通り、ものの数分と経たないうちに立派な牛車がやって来た。

しかし牛もついていなければ先導の牛飼い童もいない自動運転だ。しかも空から降りてきた。

とどめに車輪の中央には巨大な顔がついている。


「ひいいっ、妖怪朧車!」

「いいぇえええ~、混同されがちですがぁああ、わたくしは火車でございますぅぅぅ……。本日はお客様の送迎を仰せつかりましたぁぁぁ~……ようこそ地獄へぇえええ……」


生気のない弱々しい声で自己紹介され、車が少し揺れる。お辞儀したのかもしれない。

忠子も慌てて頭を下げた。


「あ、どうもご丁寧に。伴忠子とものただこと申します。道中どうぞよろしくお願いします」


さっき最大級の衝撃で神経は使い果たしてしまった。割ともう何があっても驚かない気がする。


「さ、乗って。乗り心地は牛車よりずっといいよ」


大きな車に二人で向かい合わせに乗り込むと、小さな揺れの後で浮遊感がやってきた。感覚としてはエレベーターに近い。


(飛んでるのかも……)


「さて、到着までちょっとあるから事情を説明するね」

「そうでした、有無を言わさず連れてこられたんでした」

「ボクが現世に留まれるのは三分間だから。ゴメンね」


地獄は光の国なのだろうか。


「実際君は死んだら地獄落ちは確定してるんだよね。物語の罪で」


忠子の顔から再び血の気が引いた。

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