第67話 それぞれの愛欲

「にゃあーん……」


竹で編んだケージに入れられた小福は鳴き方も以前の通りで、しばらく遊んでもらえなかったからかしきりに前足を出して構ってもらおうとする。


「それで……何かの霊が、小福ちゃんに取り憑いてたんですよね?」

「ここからは絶対他言無用でお願いするっスよ……」


先日亡くなったとあるやんごとなき方の霊が取り憑いていたという。

皇位を望めなかったが故に早くに出家し、生前は温厚な人格者であったが、事件を受けて中務省が極秘で家宅捜索を行ったところ皮や絹で作られた偽乳が大量に発見されたのだ。


(つまり現代で言うところのシリコンバスト……)


単に貴族ならどんなに高い身分でも晒されるが、皇族となれば決して表沙汰にはできない。


「ぶっちゃけた話っスけど、もうちょっとおっぱい揉んでから死にたかったなって抑圧された心残りがあって……あちこちで覗きをしてたらしく」


物理的にも頭痛がしてきて、忠子はこめかみを押さえた。


「そこへ現れたのがあの陰陽法師……巷じゃ道摩って呼ばれてますけど、あいつで」


『その望み叶え奉る!』


「気がついたら周りに女の子がいっぱい、猫になってるのはすぐ気づかれたそうっス。これ幸いと肉球でモミモミしたり添い寝したりとやりたい放題、人生で最も楽しかったそうっス……」

「はあ……」


何とも言葉がなかった。

帝の血を引きながら出家しなければならなかった無念やストレスは計り知れなかったのかもしれないがふつふつと怒りが煮えたぎる。


(楽しかったって……何それ! 断りもなく女の子の体に触って、挙句言うことが「楽しかった」? ふざけないでよ!)


女を欲望を満たすだけの道具としか見ていない。

対象がどう傷ついても自分が痛くないから関係ない。そもそも勝手に触られたらどういう気持ちになるか想像することさえしないと言うか、相手に人格があるという認識がごっそり抜け落ちていなければできない所業だ。


口惜しいと言うよりひたすらキモい。こっちからも全人格を否定してやりたい。

そんな人間が高貴な生まれだなんて本当に情けなくてやりきれなかった。


(そんな奴のせいで、織子様は……)



あの日から織子は預かり先の尼寺で暮らしている。

尼僧たちの優しい気遣いの甲斐あって、出家だけは思いとどまったそうだ。


徳子さとこがこっそりと、本当に内密にと打ち明けてくれたのだが、織子はここのところ毎夜いやらしい夢にうなされていたという。

色情霊に取り憑かれ淫獣と化した小福が胸を揉んだり、脚の間に潜り込んだりしたのが原因と見て間違いはない。


やっと性の芽吹き始めた時期なのが災いした。


目が覚めても膨らみ始めた乳首が疼く日が続き、夢の内容を思い出すとトロッと股間が濡れてしまう。誰にも言えず思い悩み、塞ぎ込む日が続いた。


『あたし……あたしは、藤原の姫なのに! 徳子叔母様みたいに毅然と清らかでいなければいけないのに、どうしてこんなに淫らなの? こんなんじゃ東宮妃に相応しくない……色狂いの妃として家名に泥を塗っちゃう』


貴族社会には仏教が深く根を下ろしている。

性や愛欲は罪業なのだ。女は愛欲が強い上に、精神が弱くて制御できないから救われないという思想がまかり通るご時世だった。


そんな時期だったから、陰陽寮が怪異予防に訪れたとき誰よりも張り切って掃除をしていたのだ。


『もしかしてあたし、邪気に取り憑かれてた? このあたしが急にこんなになるなんておかしいもんね、そうと分かれば叩き出しましょ!』


しかしその晩の悪戯は今までにも増してしつこく、織子の健気な努力を踏みにじった。

訳の分からないものに体中を舐め回される悪夢に苛まれた。弄られているのは胸なのに、なぜか股の間がザワザワする。


「いっ……いや、いやあっ……やめて、もう……、あ、ああんっ……!」


夢の中で、織子は生まれて初めての絶頂を迎えた。


「ゆ、ゆめ……」


荒い呼吸の中で目を覚まし、死ぬほど恥ずかしくはあったが夢だったと安堵した織子は、次の瞬間絶望のふちへと叩き落とされた。


寝間着がはだけ、薄っすら膨らんできた乳房が露出している。その先端は散々嬲られたように赤く色づいていた。

肉のつかない下半身も露出していて、片手が恥丘を覆い隠している。


恐る恐る手を引いてみると、ぬるりと透明な糸を引いて人差し指と中指が出てきた。

今まで異物を飲み込んでいた柔らかい肉は細かく引き攣り、夢の中で織子が散々貪った快楽の主は自分であると突きつける。


「いっ……いやああああああ!」


眠りながら自慰をしていたという事実は、まだ何も知らない少女には受け入れがたいものだった。


邪気祓いをしたのに症状が遠のくどころか酷くなっている。


『物の怪のせいじゃなくて、あたしだ! あたしは醜くてけがらわしい娘なんだ! 汚い、汚い、汚い! いや! いやあっ!』


勝気だが潔癖な織子の心を壊すには十分すぎる破壊力を持っていた。



織子は明るさと落ち着きを取り戻し、近いうちに飛香舎ひぎょうしゃに戻ってくると聞いた。

小福に色情霊が取り憑いていて、その邪気に当てられたと知れば心の慰めになるだろうか。

誰でも一度は性の目覚めのときに後ろめたさを感じるものだが、織子の経験は強烈で迷惑なものだ。


(あとは織子様次第だ……)


そうとしか思えない自分が、とても歯がゆかった。

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