第65話 陰陽法師はしたたかに退場する
庭からダイレクトエントリーした竜と見えたものは実のところ黒い雷であった。
花蛇は咄嗟に忠子を突き飛ばし、自分は大きく飛び退いて難を逃れる。
「きゃっ!」
忠子はバランスを崩して尻もちをつき、抱っこされていた小福は畳に転がった。まだお札を貼られているから目を回したままだが。
「はいちょっとごめんなさいよ」
物凄くガラの悪い口調が聞こえた。
洒落た直衣に身を包んだちょっと異国風な容貌の青年貴族が、蓬髪の法師の首根っこをひっつかんで縁側から上がり込んできたのだ。
顔立ちこそ整っているが怒り心頭といった面持ちで目は据わり、歯を剥き出して凄む様子はガラの悪い無頼漢そのものだ。
「すまん花蛇、見つかっちまった」
法師は乱暴に引きずられていることなど気にも留めず、悪びれることなくテヘペロと舌を出している。
「
「い、今のは……陰陽道雷系の術、
「カアカア!(おねえさん、無事だね)」
続いて
「た、助かった……」
元々畳に崩れ落ちたままだが、座ったまま腰が抜けるという感覚を初めて味わった。
しかしこの時点で気が抜けたのは忠子だけだ。
まず敏捷度順で花蛇が動く。狙いは忠子の身柄の確保だ。
花蛇の身のこなしも素早かったが、見知らぬ青年の挙動もこれまた物凄かった。
ぬいぐるみでも扱うような気軽さで、大柄と言っていい法師の身を花蛇めがけて放り込んだのだ。
さすがにこれは花蛇にも予想外で完全には避け損ね、体勢を崩す。
その隙を見逃す理知ではなかった。
「文車太夫、こっちへ!」
「う……うんっ!」
もはや猫ちゃんに優しくなどと言っている余裕はない。小福を小脇に抱えて裸足のまま縁側から庭へと飛び降りる。蛇は寄ってこなかった。
「怪我は?」
声も出ず首を振る忠子を背中に庇い、理知も太刀に手をかけた。
「あいてて……花蛇よ、受け止めてくれたっていいじゃねえか。俺とお前の仲だろ」
背中をしたたかに打った痛みに呻きながら訴えても、返ってくるのは絶対零度の眼差しだけだ。
傍から見ていた忠子でさえ竦み上がりそうな目つきなのに、法師は動じた様子もないどころか薄ら笑いさえ浮かべている。
その表情から一瞬ふざけた色が消えた。
「あいつ竜だぜ。文字通り締め上げられちゃ吐く以外ねえよ」
花蛇の視線は道摩から闖入者へと移る。
理知と兼続は館に入ってくるのを確認したが、今、道摩を子供のようにあしらった男は初見だった。
怒りの感情をむき出しにし、周囲を睥睨する態度は傲慢としか言いようがない。
全身に針を刺されるような緊張感が走る。絶対強者に対する防衛本能のようなものが働いているのが分かる。
本当に竜なら有隣目の王を通り越して神だ。
緊張感で強張る花蛇の肩に、道摩の無遠慮な腕が回った。
「さーてと、お嬢ちゃんはそっちの手に戻ったわけだ。……お暇させていただくぜ」
声のトーンが変わる。軽薄で胡散臭い陰陽法師のものから、権力におもねらず市井で逞しく生きる術師のものへと。
退場宣言しながら何気なく片手で結ぶ印の素早さと正確さが、凡百の術師ではないのを物語っていた。
「はぁ?! 待てやコラ、生きて帰れると思うな!」
「おい、道摩!」
「あの雷撃をもう一発やる気っスか?!」
「危ない!」
兼続は障壁を張る印を組み、理知は忠子を腕の中へと抱き込んで体を低くする。
同時に雷撃の竜が屋根を突き破り、盗賊と法師に襲いかかった。
「急急如律令」
鳴り響く轟音の中だというのに、短い咒だけはなぜかはっきりと耳に届いた。
空間が歪んだ感覚があった。
(これ、理知たちとはぐれたときの……!)
あのときと同じように、屋敷が一度大きく鳴動する。
目を離してはいけないと思うのに、思わず目を閉じてしまう。
再び瞼を開けたとき、術師と花蛇の姿はどこにもなかった。
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