第64話 妻になれとか理不尽です
「あなたは……何者なんですか?! どうして私を攫ったの?」
結局、両方まとめて質問することにした。
「何者……か」
ぼそりと呟いて自嘲気味に笑いの呼気を漏らし、体ごと忠子に向き直った花蛇はやはり息を飲むような妖しい美しさがあった。
「まずお前を連れてきたのは金目当てでも政治がらみでもない。だから売り飛ばしたりはしないから安心しろ」
「それは……どういう?」
「妻にするためだ。言わせるな」
「ぅをえあ?!」
思わず声が裏返ってしまった。
(乙女ゲーで百回……は、多すぎだけど黄金パターンのひとつ! 悪人だけど顔はいい! スチル画像並の破壊力!!)
花蛇は静かに忠子を見つめ続けている。
その美貌を縁取るのは古びてはいるがかつての栄華を偲ばせる趣味の良い館と庭園だ。そして荒れ果てているからこそ花蛇の生きてきた世間の過酷さや孤独な心象風景を演出するようにも思えた。
潜む蛇は一匹ずつが冷酷に振る舞わなければならなくなった原因の心の傷の象徴なのだろうか。
これがモニターの前ならコントローラーを握りしめ珍妙な奇声を上げて萌え転がっていたところだが、リアルとなると話は別だ。冷静になってしまう。
「……何人目の?」
花蛇は不快感を僅かな眉間の皺で示す。彼は傷つくとこういう顔をするのだ。
罪悪感で怯みそうになるが忠子も引けない。
「だ、だ、だって、そうでしょう?! よく知りもしないのにっ、わ、私、自分が一目惚れされるような女の子だなんて、自惚れていませんっ! それに、いきなり攫ってきて妻になれとかっ、女と見れば気軽に誘拐してくる人と思われたって、仕方ないですよ?!」
「生い立ちや身分については調べた。よく知らないと言うが葵祭で会っている」
「子供たちが連れ去られるかどうかっててんやわんやの瀬戸際で、特に話もしなかったのに、何が分かるんですか?」
「人間の本性は、自分の身に危険が降りかかったときに出る」
ドキリと心臓が大きな音を立てたのは、それが真理を突いていると直観したからかもしれない。
「隠れていれば安全だったのに飛び出してきた。自分の子でもなければ仕事でもないのにだ」
「そ、それは……連れ去られたら、検挙は困難だし、白妙さん……ご家族だって悲しむし……っ、売られた子供って悲惨なんでしょう?!」
「自分も攫われて売り飛ばされ、その悲惨な人生を歩むことになってもか? みすみす目の前で連れ去られても女のお前なら仕方がないと誰も責めない。人間はまず自分の身の安全を確保するものだ。時には誰かを盾にしてでも保身に走る」
「うっ……」
あの後こってりと
『君の義侠心は立派だけどね、暴力に対応できない女の子が持ってていいものじゃないからね?!』
あのときばかりは普段ネチネチしている理知もこめかみに怒りマークを浮かべて滔々とまくし立てたのだ。
「攫われたと知っても冷静だ。……こんな状況、大の男でもまともに話ができる者はそう多くない。今殺されるか、いつ殺されるか、次の瞬間に怒り出して首を絞められるかもしれない、賊の機嫌を損ねないようにしなければ……そういう卑屈な目をする奴が大半だ」
「……だって、あの館に誘い込むために小福ちゃんを使ったんでしょう? そんな手間をかけてまで攫った人間を、ちょっとしたことでキレて殺すような、分別のない人には見えません」
「そういうところが冷静だと言うんだ。他にも警戒すべきはいくらでもあるのに」
「……」
花蛇の手が動き、袖の中へと消える。
忠子が見ている前で、青年は何気ない仕草で片肌を脱いで見せた。
「……っ!」
(遠山の金さん!)
わざと斜め上のツッコミを入れて、叫び声を上げそうになるのを堪えた。
そうでもしなければ正気を保つのは難しかった。
晒された二の腕と背中は鱗で覆われていたのだ。
花蛇は半身になって二の腕の側面から背中を忠子に晒し、肩越しに視線を投げている。
鱗は
半透明の鱗の下に人の肌の色が薄っすらと透けて見えていた。
蛇は冷血動物だが、温かい血の通う蛇の肌だった。
「よく耐えた。耐えてくれた。悲鳴を上げたらその命はなかったぞ」
再び震え始め両手で口元を覆い、驚愕に目を見開く様子を見て花蛇の美しい顔貌に嗜虐的な笑みが浮かんだ。
「あなた……あなたは、蛇の
「自分のことは知らない。妖なのか、
ある程度の距離は置いていた花蛇が近づいてくる。
後ずさりたかったが足が動かない。まさに蛇に睨まれた蛙状態だった。
「……っ、今、までも……こうして、女の人を攫って……恐がったら、殺して……?」
「攫ったのはお前が初めてだ」
殺した方は否定しないのが恐ろしい。
「半端者の妖に随分と親切にしていた。お前のような分け隔てのない女なら、俺のことも受け入れてくれる……きっとずっと探していた」
静かな声に熱がこもる。
顎に指がかかり仰向かされる。
食べたそうな目というのはこういうのを言うのだと、嫌と言うほど思い知らされた。
確かにある種の愛めいたものは感じるが、同時に忠子が怯えるのを心から楽しんでいる。
「可愛い文車……」
親指の腹が唇を撫でる。
顔がゆっくりと近づいてくる。
ねこま御前にキスされそうになったときは全力で拒否できたが、今は金縛りに遭ったようでまったく動けなかった。視線を逸らすことすら叶わない。
(やだ! 理知、理知! やだよう……!)
「笑顔は女の最高の化粧というのは嘘だな。やはり怯え震えているときが女は一番可愛い……」
陶酔しきったイケメンドアップの迫力に耐え切れず目を閉じる。
唇が皮膚を吸い上げる息遣いと甘い音が聞こえる。
しかし直接ではなく、忠子の唇に当てた自分の親指に口づけている。
もう忠子は何もできないというのに、その時を引き延ばして嬲っている。
口惜しいのか怖いのか分からない涙が頬を伝い落ちた、そのとき。
「何さらしてくれとんじゃ、ゴルァあああああ!!!!」
館を揺るがす大音声とともに、黒い竜がダイレクトアタックをかましてきたのだ。
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