10年ぶりに会った初恋の娘の窮地を俺は放って置けなかった

春風秋雄

10年ぶりに会った初恋の娘は既に結婚していた。

高校の時の同級生、明日香と10年ぶりに再会したのは半年前だった。

俺は県外の大学へ進学し、そのまま県外で就職した。前々から地元への転勤を希望していたが、やっとそれが叶い、今年の4月から地元へ戻ってきていた。明日香と再会したのは地元に戻って2ヶ月ほど経った時だった。休みの日にハンバーガーショップで注文待ちをしていると、俺の後に並んだのが明日香だった。

「あれ?ひょっとして河野(こうの)くん?」

後を振返ると、高校の時のままの明日香がいた。

「え?明日香ちゃん?」

明日香の笑顔を見て、高校時代の思いが蘇って俺はドキッとした。

本当はテイクアウトにするつもりだったが、明日香と一緒にテーブルにつき、しばらく近況報告をし合った。

明日香は結婚していた。結婚して2年になるらしい。28歳なのだから当然だろう。子供はまだだということだ。結婚相手は一人っ子らしく、今は義両親とは別居して二人でマンションを借りて暮らしているが、いずれは旦那の実家に入り義両親と同居する予定になっているとのことだ。ただ、姑との関係は良くなく、同居は不安だと愚痴をこぼしていた。

「河野君は結婚してないの?」

「俺は独身。この2年彼女もいないよ」

「そうか、こっちで良い人がみつかるといいね」

明日香は社交辞令のようにそう言った。

別れ際に、今度仲の良かったメンバーを集めてプチ同窓会をしようと言われ、連絡先を交換した。


明日香は俺の初恋の相手だった。高校1年の時に隣の席になり、結構仲良く話ができる関係だった。1年、2年と同じクラスだったが、3年の時にクラスが分かれた。卒業の時に告白しようと思っていたが、同じバスケ部の奴が3年になって同じクラスになった明日香に惚れてしまって、卒業式に告白すると宣言したので、俺はタイミングを逃した。でも、それは言い訳だったかもしれない。俺は県外の大学へ進学が決まっており、明日香は地元で就職することになっていた。離れ離れになるのに告白してどうなるのだという気持ちが働いた。いや、それすらも自分に言い聞かせるための綺麗ごとの口実だ。本当は告白する勇気がなかっただけだ。告白して「ごめんなさい」と言われるのが怖かっただけだった。


明日香と会って半年くらいした頃、同級生から電話があった。

「和也!岡本君って人から電話!」

お袋の声で、俺は家の電話に向かう。家電を使うなんて久しぶりだ。

「おー!和也!こっちに帰ってたんだって!帰ってきたなら連絡くれよ」

岡本は同じバスケ部の、例の卒業式の日に明日香に告白した奴だ。結果は見事にふられたらしい。

「こっち帰ってきたばかりで、色々忙しかったんだよ。落ち着いたらみんなに連絡しようと思っていたんだ」

「とりあえず、今度飲みにいこうぜ!携帯の番号教えてくれよ」

そう言われて俺たちは携帯の番号を交換した。

じゃあ、こんど飲み会をセッティングするからと電話を切ろうとする岡本に俺は何気なく言った。

「そういえば、半年くらい前に明日香に会ったよ」

それを聞いて岡本はしばらく沈黙した。

こいつ、まだ惚れてたのかな。まずいこと言ったかなと思ったとき、岡本が口を開いた。

「明日香ちゃん、今大変らしいよ」

「大変って、何が?」


岡本の話を要約すると、姑との関係が悪化し、姑があんな嫁とは離婚しろと旦那に迫ったらしい。普通なら明日香を守るべき旦那は母親には頭が上がらないらしく、嫁と母親との間で板ばさみになった旦那は、ついに明日香を見限って、実家に帰ったまま明日香のところへ戻って来なかったらしい。旦那は家を出て一週間くらいしてからLINEを送ってきて、離婚届を送付するので書名捺印して返送しろ、そしてマンションは3ヵ月後に解約するので、それまでに転居先を探せと言ってきたということだ。それ以来旦那には一切連絡はつかず、LINEも既読にならず、実家に行っても家に入れてくれないということだ。明日香は専業主婦で収入はなく、母子家庭で育ったので頼れるのは母親だけだが、その母親も明日香が働くようになってすぐに再婚し、再婚相手は高齢で年金暮らしのため、相談したが力になれないと言われたらしい。


「それ岡本が明日香から直接聞いたのか?」

「いや、うちのお袋のパート仲間が明日香ちゃんのお母さんと友達らしく、間接的に聞いた話だけどね」


岡本との電話を切ったあと、俺はしばらく考えた。他人事に首を突っ込んでどうするんだ、俺には関係ないことだと自分に言い聞かせようとしたがダメだった。居ても立ってもいられず、俺はスマホを取り出し、明日香に電話した。しばらくコールしたあと明日香が電話に出た。

「河野君?」

「久しぶり。ちっとも連絡くれないじゃない」

「ごめん。ちょっと色々あって」

「それで、明日の昼間ちょっと会えないかな」

「え?明日?明日は平日だよ」

「うん、明日は俺休みだから、昼間の2時に駅前のルミエールっていう喫茶店でどう?」

「大丈夫だけど、どうしたの?」

「それは会ってから話すよ」

俺は強引に約束をとりつけた。そのあと、会社の部下に連絡をして、明日は所用で午後から抜けるので、仕事の段取りを変更する旨を伝えた。


翌日、喫茶店で待っていると、明日香は2時ちょうどに現われた。

俺は、岡本の名前は出さず、ある人から聞いたと前置きして、昨日聞いた話が本当か確認した。明日香は俺にまでその話が流れていることに困惑していたが、事実だと認めた。

「それで、これからどうするつもりなの?」

「どうするって言われても、どうしていいのか判らない」

「旦那さんに未練はある?」

「未練かあ。あると言ったらあるし、ないと言ったらないかな。もともと結婚にあこがれていて、勢いで結婚したようなものだから、本当に好きだったのかどうか、今になってみるとよくわからないんだ」

「じゃあ、聞き方を変えるけど、相手が何と言っても離婚しないという強い気持ちがあるのか、条件次第では離婚してもいいと思っているのか、そのへんはどうなの?」

「どうなんだろうね。今は何も考えられないって感じ。とりあえず、住むところと生活をどうしようって心配が先立って」

「そうかあ。とりあえず、法律的なことを伝えておくね」

「そういえば、河野君って、法学部だったね」

「うん、一応法律のことは一通り勉強しているよ。それで、日本の法律では、基本的に両者の合意がない限り離婚は認められないんだ」

「そうなの?」

「ただし、相手方が不倫などの不貞行為をしたとか、暴力を振るうなどの、婚姻を継続できない事由があるときは裁判で離婚が認められることになっている」

「私はそんなことはしてないよ」

「わかっているよ。だから、明日香ちゃんの場合、旦那さんが一方的に離婚だと言っても、明日香ちゃんが嫌だと言えば離婚は認められないんだ」

「でも、離婚が認められないからといって、旦那を家に引き戻すことはできないでしょ?」

「もちろん、それは出来ない。でも、婚姻が続いている以上は、収入が多い方が少ない方を養う義務があるんだ。これを婚姻費用分担と言うんだ」

「それは別居していても、生活費はもらえるということ?」

「そう。旦那さんの年収はいくらくらい?」

「600万円くらい」

「だったら、月額10万円くらいは旦那からもらう権利があるよ。だから、明日香ちゃんの場合、まずは調停を起し、婚姻費用を請求することが先決ということ」

「調停なんて、どうやればいいのかわからないよ」

「婚姻費用の請求に関する調停は、それほど難しいことではないので、俺が手続きの仕方をアドバイスすれば簡単にできるよ。それより、そのあと離婚に関することについても調停に持ち込むかどうかだね。それによっては弁護士に依頼した方が良い場合がある」

「離婚に関する調停って?」

「両者の合意による協議離婚の場合、離婚に関する条件を決めることができるんだ。例えば財産分与といわれる財産の分配などもそうだけど、極端な話、5年間分の生活費として600万円を支払うなら離婚してもいいよとかね」

「そんなことできるの?」

「あくまでも相手が合意すればだけどね。そういった交渉をするには弁護士に依頼した方がいいということ」

「つまり、離婚せずに生活費だけもらうなら自分で調停を起こせばいいけど、離婚まで視野に入れるなら弁護士に依頼した方がいいということだね」

「そういうこと。だから、最初に聞いたように、明日香ちゃん自身が離婚をどう考えているかによるんだ」

「はっきり言って、あの姑とはもう関わりたくない。同居するくらいなら離婚したいと思っている。でも弁護士に依頼するとなるとお金がかかるよね。私お金がないから無理だよ」

「それは心配いらない。とりあえずは俺が立て替えるから、旦那さんから支払われるお金から少しずつ返してくれればいいから」

そう説明すると、明日香は決心した。喫茶店に来た時は生気のない顔をしていたが、少し元気になったようだ。

俺は午前中の仕事の合間に、大学時代の友人で弁護士になっている奴に電話していた。そいつは県外にいるので、代理人になってもらうには不都合なので、県内にいる弁護士に知り合いはいないかと尋ねたら、会合で仲良くなった弁護士が俺の地元にいるとのことで、紹介してもらうことになった。俺は明日香の決心が変わらないうちに、その場で紹介された弁護士に電話をした。友人から話は聞いているとのことで、早速今から事務所に来てくれというので、明日香と事務所へ向かった。


弁護士に依頼してからの展開は速かった。婚姻費用請求の調停を申し立て、裁判所から相手方へ通知が行った直後に、先方の代理人弁護士から、離婚条件に関する提案がきた。何度か交渉を重ね、結局「引越しに伴う費用」と「財産分与」に加え「3年分の生活費」の合計450万円を一括で支払うという条件になった。その条件で明日香も了承した。明日香に法律上の離婚責任がない以上、離婚を拒めば先方は法律で決められた婚姻費用を払い続けなければならない。別居が5年続いた場合は婚姻の破綻状態とみなされ、離婚事由とされることがあるが、それでも5年間は生活費を払い続けなければならない。だったら現時点で3年分の生活費を支払って離婚した方が良いと判断したのだろう。

とにかく先方は早く離婚したがっていたので、ひょっとしたら次の嫁さん候補を見つけていたのかもしれない。


明日香の引越しの日、俺は岡本を誘って手伝いに行った。引越し業者を頼んでいるので、俺たちがやることはほとんどなかったが、それでも明日香の指示でダンボールを運んだり、空いたダンボールを畳んだりと、少しは働いた。1LDKの部屋の引越しはことのほか早く片付いた。あとは衣類などのダンボールの中身をタンスにしまう程度で、それは明日香自身が少しずつやると言っている。せっかくだから引越し祝いの夕餉にしようということになり、近くのスーパーに買い出しに行き、3人で鍋をつつくことにした。しばらく飲み食いしたところで、ビールがなくなったので、俺と岡本でコンビニまで買いにいくことにした。


コンビニに向かう途中で、岡本が神妙に話し出した。

「なあ、和也」

「なんだい?」

「俺、お前に言ってないことがあるんだ」

「なんだよ、改まって」

「高校の卒業式の時に、俺、明日香ちゃんに告白しただろ」

「ああ、みごとに振られたって言ってたな」

「うん、その時の明日香ちゃんの返事は、『私には他に好きな人がいるので、ごめんなさい』っていう返事だったんだ」

「好きな人?」

「うん、それで、誰なんだ?って聞くと、河野和也君ですって、真っ直ぐな目で言うんだ」

「え?俺なの?」

「そう。お前。・・・ 俺、お前が明日香ちゃんのこと好きだってこと、薄々感づいていたから、ものすごく悔しくって、そのことをお前には言いたくなかったんだ」

「うん」

「俺って、卑怯な男だよな。お前の気持ち知っていたのに」

「そんなことないよ。俺がお前の立場でも言わなかったかもしれない。そもそも、お前のあとに俺が告白していれば何も問題なかったんだから」

「でも、お前は、俺が振られたと聞いたから、告白しづらくなったんじゃないのか?」

「そうか、俺は怖気づいたのか」

「今回の明日香ちゃんに対するお前の行動力見ていたら、俺は適わないなと思ったよ。10年も経っちまったけど、ごめんな」

「謝ることじゃないよ」

「ということで、10年間の罪滅ぼしに、俺はこれで帰るから、あとはお二人さんでよろしくやって」

「おい!岡本!帰るのかよ?」

岡本は「じゃあね」と手を振って帰ってしまった。


コンビニでビールを買い、ひとりで明日香の部屋に戻ると、明日香が

「あれ?岡本君は?」

と聞くので、用事が出来て帰ったというと、「そうなんだ」と言ったきり、それほど気にしてないようだった。

それから二人で高校時代の思い出話で花をさかせ、ふと時計を見ると、いつのまにか11時になっていた。さすがに女性の部屋にこんな遅くまでいたらまずいと思い、

「もうこんな時間だ。そろそろ帰るわ」

と言って玄関に向かい、靴を履いていると、後から右腕の袖をつかまれた。振返ると明日香が今にも泣きそうな顔をしている。

「河野君、今回は本当にありがとう。感謝している」

俺がウンと頷くと、明日香は続いて

「私、私ずっと前から」

と言い出したので、俺はその先の言葉を遮るように口を開いた。ここからは俺が先に言わなければならない。

「俺、高校時代から、明日香ちゃんが好きだった。明日香ちゃんが困っているという話を聞いて居ても立ってもいられなかった。俺は、今も明日香ちゃんが、どうしようもなく好きなんだと、その時自覚したよ。色んなことが落ち着いてからでいいから、俺とのこと真剣に考えてくれないかな。俺、いつまでも待っているから」

「待つ必要なんかない。私の返事は決まっているから。私もずっと好きだった」

俺はたまらず、明日香を抱きしめキスをした。


引越しに合わせて新しく買ったばかりのベッドの上で、二人は深く交わった。まさか新品のベッドの一夜目を二人で使うことになるとは思わなかった。裸の肩をくっつけながら明日香が言った。

「あのハンバーガーショップで河野君と会ったときに、ひょっとしたら心の中で離婚しようと思ったのかもしれない。あれから義母(おかあ)さんに対して平気で反抗してたもの」

「でも、あの時、俺に対して、こっちで良い人がみつかるといいねって言ってたよ」

すると、明日香は俺の顔を覗き込み、

「良い人、見つかったでしょ?」

と、自分を指差しながら言った。

俺は素直に頷いて、明日香の唇に優しくキスをした。

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