第29話 姿見とピケット

「姿見とピケット」


 ある晩、夜のように黒いクリケット・カラアリ・ピケットは散歩に出かけていました。空気は冷たく、月は明るい夜でした。

(夜の散歩もそう簡単にできないぞ)

 寒さにブルブル身を震わせて、それでも夜の散歩をピケットは楽しんでおりました。なんといっても月があんまり明るいので、ピケットの胸のうちも明るく温かくなるのでした。

「おや、あれはなんだろう」

 見ると道の端の方に、黒い布で隠された大きなものが立っていることに気づきました。今夜の月があんまりに明るいので、黒い布の繊維がきらきらと輝いていなければ気づかなかったでしょう。

「でもこの道は昼間だって何度も通っているのに、いま気づくなんておかしいなあ」

 ピケットは黒い布をするすると引きずりおろしました。音もたてず落ちた布のむこうには大きな姿見が一つ立っておりました。しかしその姿見には何も映っておらず、ただただ月明りを反射するだけでした。

「何だろうこの鏡は、おかしな鏡だなあ」

 鏡を叩こうとして、彼は自分の体がおかしなことになっていることに気づきました。全身が鏡のように周りの景色を映しているのです。ピケットは驚きでひっくり返り、そのまま頭を打って寝込んでしまいました。

 次の日、彼の周りには多くのクリケットたちが集まっておりました。

「こいつはいったい誰だろう。全身がまるで鏡みたいだ」

「どこもかしこもつるんとしているな。エガアイの仲間じゃないか」

「違うよ、エガアイはこんな体してないよ」

 パッと目を覚ました彼に、周りのクリケットは一斉に後ずさりしました。彼はあたりを見回すうち、その中にカラアリ・ポポッコがいるのを見つけました。

「ああっポポッコ! 君ならどうしたらいいかわかるだろう」

「君は誰だい? 僕は君みたいなやつは知らないなあ」

「そんな……僕は、僕は……」

 けれどもそれ以上言葉が出てきませんでした。彼はもう自分の名前もわからなくなってしまったのです。

「でも僕は、君は、僕の……僕の、なんだったろうか……」

 彼はもう、何もわからなくなってしまいました。ぐるぐると回る頭の中にはもう何も浮かびません。

 すると彼の手をとるものがありました。それは先程のカラアリでした。

「おちついて、静かに。君は僕にとっての誰かだったのかい?」

 つるつると光る鏡のような彼にカラアリの姿が写ります。カラアリはその姿の先を見通すようにじっとその彼の姿を見つめました。

 どのくらいたったでしょう。クリケットたちが見守る中、カラアリは口を開きました。

「ピケット……君はピケットだね。そうだろう」

「ポポッコ!」

 そのとき、鏡のようになってしまっていたピケットの体にひびが入りパリンと割れました。中から出てきたピケットはポポッコに抱き着きます。周りにいたクリケットたちもわあっと歓声をあげました。

「君ってばどうしてこんなことになっちゃったんだい」

「わからない。昨日の晩に姿見をここで見つけて……」

 けれども姿見はどこにもありませんでした。ピケットが引きずりおろした黒い布ごとどこかに消え去ってしまったのでした。

 ピケットはあんまり怖い思いをしたので、しばらくは夜の散歩に出なくなってしまいました。


おわり

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