魔女の本懐

それは、あまりにも一瞬の出来事だった。


「あっ――」


「フィオナ?」


「おい、大丈夫か!」


目の前を行っていたフィオナの体が急に傾いたかと思うと、次の瞬間には視界から消えていた。


「え、何が起こって……」


半ばパニックになりかけのシャロンの頬を軽く叩く。呆然としていた彼女は、やっと我を取り戻したようだった。


「渡り廊下が崩落したんだよ! 老朽化だ。くそっ、こんなことも想定し忘れてなんて、ツインテールキャットの名折れだ」


「そんな。フィオナ、大丈夫ですか?」


そう言って下を覗き込むシャロン。最悪の事態は回避できたようで、返事は返ってきた。


「ええ、生きてるかで言えば大丈夫よ。ただ、せり出したレンガになんとか掴まってはいるけど長く持ちそうにはないわね。もし駄目だったら、グレンの世話はよろしく」


「ちょっ、何でそんなに冷静なんですか! あと、遺言なんて聞きませんからね!」


「けど、実際どうするんだ。俺は猫だし、お前だって腕力に自信はないだろ」


三階の高さから落ちれば、打ちどころ次第では本当に命がない。決して意志をくじきたい訳では無いが、冷静さを欠いているシャロンは一度落ち着かせなければ使い物にならない。もっとも、この場で使い物にならないのは俺も同じだが。


「ええ、分かってます。大丈夫、あと少しだけ持ちこたえてください。決して見放したりしませんから」


そう言ってシャロンは腰のナイフを抜く。魔女の七つ道具の一つで大きなタイガーアイがはめ込まれたナイフを、彼女は手首にあてがった。


「『熱き血潮は力の源。我が手に力を掴ませよ』」


そのまま刃を滑らせれば、血が流れ出る。それを右腕に伝わせて、魔女見習いは呪文を紡ぐ。


「『かばいかばわれ絆をつなぐ、その源よ伝い来い』」


その瞬間、彼女の右腕を伝う血が鮮やかさを増した気がした。魔力を見ることのできる者が見ていたなら、腕に霧のようにまとわりつく魔力が見て取れただろう。


「身体強化『巨人の右腕』です。引き上げますよ!」


そして、そのまま地面に体をつけて崩落地点へ右手を伸ばしたシャロンは、フィオナの手を掴んだ。


「レモン、私が落ちないように支えててください。せーので引っぱります」


「おい、待て。猫の手じゃどうやっても無理――」


「せーの!」


幸い、支えがないシャロンが転落することはなかった。あの動きをするためには手の力だけでフィオナを引き上げなければならないのだから、どれだけの力が生まれたのかが分かるだろう。


フィオナを引き上げたシャロンは、勢い余って尻餅をついて腰をさすっている。呆然とした様子のフィオナは、まだその身に起きたことが信じられないようだ。


「すごい。本当に生きてる……」


「魔法が完成するまで持ちこたえてくれたフィオナのおかげですよ。それにしても、上手く行ってよかったです」


心からの言葉なのだろう。はにかむシャロンにあわててフィオナが首を振る。


「そんな。こっちこそありがとう。あ、腕血が出てるけど」


「そう言えばそうでしたね。止血しておけば大丈夫です」


「魔法でどうにかするわけには行かないの?」


そう言って首を傾げるフィオナ。そう言えば、彼女はこちら側の事情には詳しくないのだったか。


「これは代償ですからね。これ自体が一種の魔法みたいなものなんです。そこに治癒でさらに魔法をかけると、魔法が染み込みすぎて魔力症になっちゃいますから」


「魔力症にも色々あってな。軽いやつなら少しだるいだけだが、重くなると体が壊死したり五感が失われたりして、最後は死ぬ」


「それは、怖いね。でも、治せないにしても水で洗った方がいいわ。悪くなったら危ないし」


「ええ、お気遣いありがとうございます」


フィオナは水筒を取り出して傷口を流し、服のすそを裂いて縛り、もう一枚包帯代わりに上から巻く。鮮やかな手付きは彼女がこの作業に慣れていることを示している。


「おお、綺麗なもんだな」


「しょっちゅう怪我するから、慣れてるの。グレンにやってもらうわけにもいかないし。そう言えば、代償って何?」


「ええと、魔法にも種類があって、代償がいるものといらないものがあるんです。強い魔法には代償が必要で、ハーブだったり血や髪だったり命だったり色々です」


基本的に強い魔法ほど大きい代償を要求してくる。先の話に出ていた魔女の軟膏なんかも、代償の一つだ。


「すごいのになると生きた人間の心臓とか要求してくるから、どうも苦手なんだよ」


「あはは、今に伝わってるからには試した人がいるんでしょうね」


「それはまた……怖い話ね」


そう言って首を振るフィオナ。だが、怖気づいた様子はないから魔女になる決心に変わりはないのだろう。


「ええ。でも、必要な犠牲です。それに、流石に誰かの命を犠牲にするような魔法ならともかく、少し痛いくらいなら安いものですよ」


「そう? 安い、とは思えないけど」


「まさか。友達の危機に魔法を使うなんて、それこそ魔女の本懐です。魔法は、元は人を救う術なんですから」


彼女は誇らしそうに笑っている。魔女の、魔術師の、本懐。その言葉を聞いたのは久しぶりで、前に言った男と彼女が全く同じ表情をしているのが何だかおかしかった。


「だからあまり気に病まないでください。それより、探検を再開しましょう?」


立ち上がったシャロンに、フィオナがそれ以上言葉をかけることはない。


「完全に忘れてたが橋が崩れてるんだったな。いや、端を渡ればぎりぎりいけるか?」


「ああ、左の端の部分が辛うじて残ってますね。でも、これを行くのはなかなか難易度が高そうです」


「っていうか、無理じゃない? 猫の難易度で物を語らないでよ」


そう言われればそうかもしれないが、頑張ればできない範囲でもないと思うのだ。というか、完全に興奮が恐怖に勝っていて、撤退の二字を視野に入れるだけでもやもやとした気分になる。


「何だよ、怖くなったか? これくらいは、ほらっ、と。な、余裕だろ?」


あえて煽りながら渡りきってしまえば、フィオナの闘争心に火がついたようだ。


「冗談。森の人間をなめないでくれる?」


そう言って軽々歩いてきたフィオナは自慢げに胸を張る。


「ええ、フィオナまで渡っちゃったんですか。これは……命綱でも持ってくるべきでしたね」


そう言いつつ、恐る恐るながらもそこそこのスピードで渡ってきたシャロンが合流すれば、北の塔はすぐそこ。緊張と興奮で瞳孔が開いている気がするが、正直周りが暗いので最初からだったかもしれない。


「さあ、行くぞ!」

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