魔法学校グラステル

「おい、大丈夫かフィオナ」


遠目に見えた通り竜の右足に囚われていた彼女には、特にこれといった外傷は見当たらなかった。とりあえず安心してその身を揺するが、どうやら意識を失っているらしく目覚める気配はない。


「参ったな。早くしないと。あの手を使うか? いや、でも流石にそれは……」


ためらい、決意を固める。そこにそれほど時間はかからなかった。


「ああもう、後で恨むなよ!」


一閃。


「痛……。何、何が起きてるの」


猫の爪がフィオナの頬を引き裂き、薄くとはいえ切れたそこから血が飛び散る。目は覚ましたようだが、後で何を言われるやら。


「あんた、火竜にさらわれたんだ。ここはその竜の足の上。早く地上に戻らないと――」


「火竜! 今火竜って言ったわね!」


俺の言葉を遮って、もはや半ば叫ぶようにフィオナが聞き返す。


「ああそうだよ。下にいるシャロンと校長さんの命が危ない。早く降りないと……」


こちらも大声で返せば、俺達が騒がしいのにやっと火竜が気づいたようだった。その首がこちらを向く……いや、俺達が今いる足の方が動いているのか。だが、そんな危機的状況にあるのを忘れるくらい、フィオナの次の行動はあり得ないものだった。


「グレン! 聞いてグレン!」


跳んだのだ。火竜の頭に向かって。人間にあるまじき跳躍力を見せた彼女はなんとか掴まって、そのまま言葉を続ける。


「ねえグレン、この人たちは悪人じゃない。まだ話したいことがある人もいるの。だから、私とこのツインテールキャットを地上に戻して!」


何をしている、と叫びそうになった口はただ開いたままできっと間抜け面だろう。


「ありがとう、グレン」


何せ、グレンと呼ばれた火竜が彼女の言葉に従うようにそっと地面に降り立ったのだ。


「知能が高く人の言葉も解するとは聞いていましたが……。まさかここまでとは」


何があったか聞こえていたらしいシャロンが、呆然として呟く。無理もない。明らかに意思の疎通が成り立っていただけではなく、あの口ぶりではまるで家族か友人かなにかだ。


「紹介を忘れてた。彼はグレン。私の家族で、一緒に森に住んでる」


当たり前のように言い放つフィオナ。そして、それを肯定するように低く唸る火竜……いや、グレン。避難していた人達が集まってくる間も、俺達は口を開けてただ一人と一匹を見つめるだけだった。


「グレンは、ずっと昔から森に住んでる火竜で私の家族。私が帰ってこないから心配になって来てみたら、知らない人に囲まれてたから悪い人に拐われたんだと勘違いしたみたい」


そう語るフィオナの頬からはまだ血が流れている。


「でも私はまだここにいる気だったから喧嘩になっちゃって。私が騙されてるんだと思ったグレンは私を気絶させて連れ帰ることにしたみたい」


申し訳ない、と言いたげに頭を低くして唸る火竜には先程までの覇気の欠片もない。


「だから、彼は悪い竜じゃないの。それだけは信じて。それと、迷惑をかけてごめんなさい」


そう言って深々と頭を下げるフィオナ。自然と場の人間の視線は校長へ向く。


「私は別に構わんよ。幸い怪我人も出なかったわけだし、どちらかに非があったわけでもない。むしろ我々が意見を求めるべきは――」


シャロン。


「最も活躍し、被害を被り、ことの発端にもなった彼女の意見が我々の総意ではないかね」


急に注目されて、慣れていないのか彼女の耳が赤くなる。


「えっと、私は別に気にしてないですし、その……」


次の瞬間、彼女はフィオナに駆け寄り抱きしめていた。


「私は皆と仲良くしたいです!」


ヒュウ、と口笛を吹けば校長さんにたしなめられた。


「では、互いに今後もできる限り仲良くやる、ということでいいだろうか」


「そのことなんだけれど」


話を締めに入る校長を、遮るようにおずおずとフィオナの手が上がった。


「私も、魔法を学びたい」


その言葉に含まれるのは、緊張とためらいと、それ以上の憧れ。ふむ、と校長があごをなでる。


「まあ構うまい。歓迎するよ、十一人目の新入生」


「ありがとう……!」


今度はフィオナがシャロンを抱きしめる。どこからともなく拍手が湧き上がって一同に広がっていった。俺もニャアニャア鳴いて参加する。


「では、改めて」


咳払いとともに、全員の注目が校長に集まる。彼は一同を一通り見渡して再び前を見据えた。


「我々は記念すべきこの日に冥犬を退け、火竜と意思を通じ、森に住むものを新たに仲間に加えた。今日の良き日と昨日の努力、明日の栄光に感謝して魔法学校グラステルの開校を宣言する!」


わっと歓声が湧いて、そこからはお祭り騒ぎだった。自分のことのように喜びが湧き上がってくるのを感じながら、今日一日で随分絆されたものだも苦笑する。ささやかなご馳走のご相伴に預かりながら、俺はもみくちゃにされているはずの彼女を探していた。


「お、いたいた。少しいいか」


そう言ってシャロンを喧騒から外れたところに連れ出す。このままなし崩しでもバレない気もするが、ものにはけじめというものがある。


「なあシャロン。使い魔、募集してないか」


多分今日で二番目くらいには真剣な顔だったはずだ。


「使い魔、ですか。貴方を?」


「ああ。だめか?」


魔女の相棒であり、魔力のサブタンクであり、杖の代わりにもなるのが使い魔だ。基本的には小動物がなるものだが、俺達のような魔物を使い魔にできるならそれが理想だと言われている。


「いえ、よろしくお願いします!」


そして、使い魔側も魔女なり魔法使いなりの庇護が得られる。だが、才能はありそうとはいえ見習い魔女。むしろこちらが護る勢いでないとだめだろう。


「それにしても、俺自身に驚いてるぜ」


誰かの支配下なんてまっぴら、なるとしても一流でないと、なんて思っていた昔が嘘のようだ。




そして、素朴なパーティーに戻った俺達はフィオナを質問攻めにしたり逆にされたりしながら日が沈んでいくのを見ていた。ボロボロの城に少ない生徒、心もとない食事。魔法学校のスタートとしてこれほど不安な日もそうないだろう。


「まあでも、とりあえず今日を笑って締められるんだから上出来か」


そんなふうに独りごちて、俺は改めて学校の面々と挨拶を交わす。


「シャロンの使い魔のレモンだ。これからよろしくな」

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