火竜襲来

火竜レッドドラゴン。言わずと知れた、火の魔物の王。鯨並みの巨体で空を飛んで鱗はあらゆる鉄を弾き、子牛くらいなら簡単に持ちされる上に口からは火を吐くとかいう、もはやどこに弱点があるのか分からない魔物だ。


「噂じゃなかったってことかよ……」


教師陣の行動は早かった。片方が生徒達を誘導し、もう一人は残って声を張り上げる。


「皆、姿を隠せ! 人のことにまで気をかけるな。自分が生き残ることだけを考えろ!」


「そう言いつつ自分はこいつらを護るのかよ、校長さん」


生徒をかばう位置に立つ無謀な男に称賛と呆れを投げて俺はシャロンに撤退を促す。しかし、立ち尽くす彼女に動く気配はない。


「おい、逃げるぞ。せっかく命がけで時間稼ごうとしてるのに無駄にする気かよ」


「だめ……」


「あん? 何がだめなんだよ」


思わずドスの聞いた声が出たが、仕方あるまい。人が無駄死にするのを見過ごすのなんてもうごめんなのだ。だが、それでもシャロンは動かない。


「いい加減にしろ! 死ぬ気か、お前!」


「だめです! あそこにフィオナが捕まってる!」


「はぁ?」


慌ててその肩に跳び乗って目をこらせば、確かにその右足に彼女のものらしき姿が見える。人間の視力でよく見つけたな、と感心しつつそんな状況ではないのを思い出す。


「可愛そうだが、諦めろ。今の俺達じゃどうやっても無理だ」


「できません」


そう言い放つ彼女の声は硬い。


「火竜は、よほどのことがない限り人を襲わないんです。それがこのタイミングで来たのは、私達が縄張りに立ち入って怒らせたからかもしれない。もしそうならフィオナは私達のせいで火竜に襲われたことになる」


彼女は自分を「森の子」と呼んだ。きっとあの火竜とも共生していたのだろう。確かに、シャロンの言葉には一理ある。だが。


「ならあんた、正義感と同情に命を投げだす気か?」


「いいえ」


その声が震えていて、俺は思わず横顔をのぞき込んだ。そして、目を見開く。その表情は恐怖と緊張に歪んでいて、それでも目だけは火竜を、フィオナを捉えて離そうとしない。


「こういうのは、義務感って言うんです」


その瞬間の感想は、大馬鹿は本当にいるんだというもの。そして、次に抱いたのは。


「義務、ねえ。なら、俺にも義務があることになるな」


「まさか。貴方はたまたまタイミング悪く目覚めただけじゃないですか」


心底驚いたように言うあたり、それが本心なのが見受けられる。全く、俺が人間なら鼻で笑い飛ばしていたところだ。


「そんなのは建前だよ、建前。俺はただ協力する理由がほしいだけだ。分かったら大人しく加勢させろ」


「そんな。死ぬかもしれないんですよ」


それは俺のセリフのはずだが。思わぬところで意趣返しを食らってしまったが、それならこちらも同じに返すまでだ。


「いいや、こういうのは勝算があるからやってるんだよ」


そうして、作戦を耳打ちする。シャロンは不満そうだったが、そこは黙殺した。逆ができない以上仕方あるまい。




「火竜さん、こっちです!」


校長に注意を向けていた火竜が、ギロリとこちらを向く。シャロンの足の震えが伝わってくるが、それはこちらもなので口には出さない。


「くそ、陽炎で前が見えない……」


威嚇のつもりか、炎が足元に飛ばされる。とはいえ、竜の火だ。普通なら熱気で蒸し焼きだが、こちらにいるのは見習いとはいえ魔女だ。


「『砂漠の夜の雫』。外気温の変化から身を守る魔法です。そして……」


どうも命まで取る気がないらしいのは校長との攻防を見ていれば分かる。とはいえ、先程のような牽制をしてくるあたり、人間の体の限界を知らないのも確からしいが。餌は一人でいい、ということだろうか。


「来るぞ、シャロン」


しびれを切らしたのか、直接襲いに来る火竜。急降下してくる爪から、シャロンは逃れない。


「負けませんよ!」


剣で爪を受け流す。もともと大した勢いもついていなかったのだろう。顔をしかめてはいるが、剣を弾き飛ばされることは避けられたようだ。


「おい、引き際を見誤るなよ」


「分かってます。フィオナを見殺しにはできませんが、無駄死にするつもりもありませんから!」


「ならいい」


そのまま、剣と爪が切り結ぶこと一合、二合。どれだけ加減されていようが、人と竜ではそもそもの格が違うのだろう。シャロンは劣勢どころかただ受け流すだけ。それすら満足にできないような苦しい状況だ。


「つっ……。レモン。まだですか!」


「まだ、もう少しだ。後少しでいけるのに!」


チャンスは一度きり。獣の動体視力で火竜の動きを見極める。失敗は許されない。


だが、その瞬間。火竜の様子が変わる。


「シャロン、受けるな!」


その言葉にとっさに反応したのか、剣のみを残して体をひくシャロン。そのすぐ横を火竜の爪がとんでもない速さで薙ぎ、弾き飛ばされた剣が城壁に突き刺さる。


「今のを受けていたら……」


思わず、といった様子で青ざめて呟く彼女の想像通りだ。手加減が面倒になったらしい火竜の一撃をまともに受ければ、下手なら腕ごとあの剣のようにもぎ取られていたかもしれない。


だが。


「今! ここが好機だ!」


「『兎の後脚』! 跳躍補助です!」


肩を踏みしめて跳び上がる。本来の数倍の距離宙を舞い、火竜の右足に掴まる。ずっと足がいい距離に来るのを待ち続けていたのだ。


「フィオナ! 無事か!」


振り落とされないように爪を鱗に立てて彼女を探す。それらしき髪が鋭い爪の指の間からのぞいていた。

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