ヘル・ハウンド

冥犬ヘル・ハウンド……!」


その言葉に緊張が走る。校長が伝達の魔法を飛ばして物見台にのぼり、シャロンは武器とやらを取りに城内へと走っていった。残されたのは、俺の他にはいまいち状況が理解できていないフィオナのみだ。


「ねえ、さっきから言ってる冥犬って何なの」


「簡単に言えばでかい犬だ。お前が噛まれたやつだよ」


「ああ、あれ……。随分警戒してるみたいだけど、強いの?」


強いどころか旅人の天敵だよ、とは言えない。士気を削ぐのが得策でない以上、何と言葉を選んだものか。


「強い、か。いや、あいつらは純粋に力もあるが問題はそこじゃない。賢いんだよ」


「賢い……」


「ああ。群れるし、指揮系統もしっかりしてるし、使えるやつは魔法も使う。作戦らしきものを立てて実行することもできるらしい」


無力な人類が得た武器が知恵だ。それを、元から力のある犬が得ればどうなるかなど火を見るよりも明らかだろう。


「だが、人間ほどの知恵があるわけでもないし、どういうわけかやたらと凶暴だ。だから、協調どころか話し合いもできない。魔物は魔物でも妖精に近い俺達とは、ある意味対極の存在だな」


「それは面倒ね」


「ああ。まあ、あちらさんの倍の戦士がいれば防衛戦で負けはまずないんだが……」


数はいるが見習い魔術師ばかりだし、防衛戦をするには設備が心もとない。最悪一人逃げ出す準備も必要だろう。


そんなことを考えているうちに帰ってきていたらしいシャロンの後ろには、生徒らしい影が見える。面倒事になりそうな気配に、俺達は物陰に隠れた。物見台から降りてきた校長は教師らしき男と二、三言交わして生徒たちを見る。


「皆聞いていると思うが、冥犬が現れた! 数は五、位置はここから北東に三百。ゆっくりと距離を詰めてきている。恐らく斥候だろう。返せば次は大群が押し寄せてくる。一匹たりとも逃すわけにはいかん!」


おう、と気合の入った声が上がる。校長は下がり、代わって教師の男が前に立った。


「姿を見て逃げられては意味がないので、半数は城内に隠れていてください。残り半数は隠蔽の魔法をかけて前庭内の障害物に隠れて待機。まとめて誘い込み、挟み撃ちで一気に方をつけます」


「まあ、妥当っちゃ妥当か」


気づかれないよう小声でつぶやく。少なくとも、体力の足りない見習い魔術師に長期戦は無謀だろうから。




「あ、ここにいたんですか。危ないですよ?」


俺達の居場所を発見して隠れに来たらしいシャロンが眉を下げる。その腰に下げられたのは両刃の長剣だ。


「いや、俺は一緒に戦うつもりだったから……ってか、その剣は何なんだよ」


「え? 普通に戦う用ですけど」


こう、と空の手で剣を振るう仕草をするシャロン。他に何かあるのか、とでも言い出しそうな雰囲気だ。まあ、杖の代わりと言われても困るのだが。


「お、おう。最近の魔女は魔法だけじゃないのか」


「それは、ええ。両方使えたほうが強いじゃないですか」


それ以上俺が何か言う気がないのを察したのか、彼女は魔女見習いにしては手慣れた手付きで俺とフィオナに隠蔽の魔法をかけていく。腹ばいになって息を殺す彼女に習って、俺達も同じ姿勢をとった。


そのまま、風に吹かれるまま待つこと少し。とすとすと、軽い足音が近づいてくる。横を見れば、二人とも体をこわばらせ、唇をかみしめて息を止めている。幸い足音は立ち止まることもなく、前を横切っていった。


そして、さらに少しの時間が流れて。


「今だ!」


城の方からの声が聞こえた。


「いきますよ!」


シャロンが跳ね起きて駆け出す。俺も直ぐ後に続いた。


既に、城の前では打ち合いが始まっている。戦力は拮抗か若干こちらが押され気味だ。だが、俺達が来たのに気づいたのだろう。一際大きな犬が大きく吠えて、内一匹が踵を返して走り出した。


「逃がすな!」


振り下ろされる剣にも、後を追う魔法にも足を止めることなく、必死で風のように外へと走りゆく冥犬。だが、必死なのはこちらも同じ。


「レモン!」


「分かってる!」


跳躍。そのまま背に跳び乗り、首筋にかじりつく。固い毛と分厚い皮に阻まれ、それでもその奥に牙が刺さる感触があった。そのまま、今度は顔に爪を立てる。たまらず、その口から一つ悲鳴が漏れた。


ここで振り落とすべきか、無視して走るべきか。それをためらってしまったのだろう。だが、それが遅い。後ろから追いついてきたシャロンが、後ろ足を斬りつける。たまらず倒れたところで俺が飛び退き、そのまま長剣がとどめを刺した。


「助かりました、レモン」


「気にすんな。てか、本当に武器を扱えるんだな」


形だけかと思ったら、案外動きもしっかりしている。正直驚きだった。


「ありがとうございます。でも、今はまだやることが残ってますから」


そうだ。あと四匹。引き返してみれば、残るのはボスらしき犬のみだった。だが、魔法を使えるタイプのようで、身体強化されたのか刃が通らないらしい。教師陣はと言えば、怪我をした生徒の保護と治療に手を取られているようだ。


「ちょっとまずいか?」


残っているのはシャロンを含めて五人。目を狙ったり、魔法で対抗しようとしたりしてはいるものの、体をかわされたり詠唱を妨害されたりで中々上手く行かないらしい。


「ねえ、レモン」


ボスから視線はそらさぬまま、シャロンがこちらに話しかける。


「作戦があるんですけど」


「作戦?」


その言葉にうなずいて、彼女は説明をし始めた。


「随分単純だな」


「だめでしょうか」


「いや……」


簡単で単純だが、悪くない。そう伝えて、俺はそっとシャロンの足元から離れた。そっと距離を取りながら、彼女の動きを観察する。


「『炎はすべてを焼き尽くす』」


詠唱の一行目。魔法に集中しだすと、基本的に外部からの情報が遮断される。だから、格好の的となるのだが。


「『我が障害を塵へ返せ』」


ボスが跳んだ。シャロンの首筋めがけて牙が食らいつこうとする。しかし、その直前に彼女は目を見開いた。


「そこですね!」


そのまま振り抜いた剣は、しかしとっさに口を閉じたボスの牙に阻まれる。弾かれて落ちる剣。だが、まだこちらには手が残っている。


「今です、レモン!」


全力で振り抜かれた剣に流石にたじろいだのか、態勢を立て直すのが遅れたボス。その死角から飛び出してきた俺の爪が、耳を、次いで目を引き裂いた。


「やっちまえ!」


その言葉に我に返った生徒達が一斉攻撃を仕掛ける。応戦するボスだが、片側の視覚と聴覚が奪われてはままならない。やがてその動きは止まり、後に残ったのは五人の生徒と五つの死体だけだった。


「魔法を使うフリ、か。案外頭脳派なんだな」


はにかむシャロンは安堵の息を吐く。しかし。


「何だ、あれ……」


そう言ったのは誰だったか。空を埋め尽くす暗赤色の巨体、ギョロリとこちらを見据える金色の目、チリチリと風を焦がすのは口から漏れる炎だ。


火竜レッドドラゴンじゃねえか……」


自分の口から出たはずのつぶやきが、どこまでも遠くに聞こえた。

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