第42話 北大西洋航空戦
「敵戦闘機多数! 電探による数の把握は困難なれど、しかし最低でも三〇〇機以上。高度は四〇〇〇メートルから五〇〇〇メートルの間に広く展開。攻撃隊各位は注意されたし」
先行偵察の任にあたる一式艦偵からの報告に、三〇〇人の零戦搭乗員らは気を引き締める。
彼らは出撃前に英米の空母が七隻であること、さらにそれら空母がすべて戦闘機で固めている可能性が高いことを知らされていた。
帝国海軍の空母零戦隊はこれまでブリスベン沖海戦やインド洋海戦で米英の戦闘機隊を散々に打ち負かしてきた。
しかし、それらは圧倒的とも言える数の暴力、もっと言えば袋叩きのような戦闘であり、互角の条件で戦ったわけではなかった。
しかし、今回は違う。
七隻の敵空母に搭載されている戦闘機は少なくとも三〇〇機、多ければ四〇〇機に迫ると見積もられている。
そして、一式艦偵からの報告はそれを裏付けている。
「全機、高度を五五〇〇メートルまで上げろ。それと、今回は目標の指示は行わない。各中隊長の判断に任せる」
指揮管制機からの命令に、各中隊長は胸中で安堵の息を漏らす。
彼我合わせて数百機にものぼる戦闘機。
それらが混交する中でまともな指揮など出来ようはずもない。
それなら現場リーダーの中隊長にフリーハンドを与えて自由に戦わせたほうが効率的だし、変化にも柔軟に対応できる。
おそらく、第一次攻撃隊指揮官もそのように判断したのだろう。
よけいなことをしないこともまた、指揮官の務めだ。
中隊長たちがそのようなことを考えているうちに、正面やや下方にゴマ粒が染み出してくる。
高度の優位は今回も自分たちが確保している。
「『瑞鳳』第二中隊続け!」
部下たちへ指示すると同時に「瑞鳳」第二中隊長の笹井中尉が操縦桿を押し込む。
一二機の零戦が正面下方にある二〇機あまりの編隊に向けて降下を開始する。
「瑞鳳」第二中隊の襲撃機動に気づいたF4Fワイルドキャットが機首を持ち上げ、両翼から六条の火箭を吐き出す。
一方、「瑞鳳」第二中隊の零戦もまた両翼からF4Fのそれを上回る四条の太い火箭を撃ち出した。
本来であれば、帝国海軍戦闘機隊の搭乗員は米戦闘機との正面戦闘を禁じられている。
低伸するブローニング機銃を多数装備する米戦闘機と正面からぶつかれば、たいていの場合負けるのは日本の戦闘機のほうだからだ。
しかし、高度の優位を確保しているのであれば話は違ってくる。
いくらブローニング機銃が優秀でも、重力に逆らって撃ち上げてしまっては逆に撃ち降ろしの二号機銃にはかなわない。
搭乗員の過半が台南空からの異動組で固められている「瑞鳳」第二中隊の術力は帝国海軍空母戦闘機隊の中でも屈指だ。
その正確な射撃によって六機のF4Fが炎と煙の尾を曳き北大西洋の海面へと墜ちていく。
一方、「瑞鳳」第二中隊もまた無事では済まない。
六番機と一〇番機がエンジンに被弾、戦線離脱を余儀なくされる。
しかし、残る一〇機はF4Fと交錯すると同時に速度低下を最小限に抑える見事な旋回を決める。
軽量な機体と金星発動機の太いトルクが相まって、零戦の加速は鋭い。
あっという間にF4Fの背後に肉薄した一〇機の零戦は盛大に二〇ミリ弾を浴びせる。
さらに七機が撃墜され、F4Fの数の優位は雲散霧消する。
数が互角になってしまってはF4Fに勝ち目は無い。
そして、第一次攻撃隊の零戦はその目的がファイタースイープだから相当程度深追いが許されている。
速度性能でも旋回性能でも零戦に及ばないF4Fは、残る急降下性能に一縷の望みを託してダイブに移行する。
しかし、零戦もまた十分な機体強度を確保していることから、従来機に比べて大幅に降下制限速度が向上している。
一〇機の零戦は執拗にF4Fに食らいつき、最後尾の機体から順に二〇ミリ弾を叩き込んでいく。
「瑞鳳」第二中隊の爪と牙から逃れたF4Fは数えるほどでしかなかった。
一方、零戦とF4Fがつくり出す戦いの渦に飛び込むこともなく、上空から様子をうかがっている小隊があった。
岩本一飛曹率いる「瑞鶴」第三中隊第二小隊の四機の零戦だ。
これら四機は空戦域の西側上空に遷移し、乱戦から抜け出してくるF4Fに垂直かと見紛うかのような急降下でその頭上から二〇ミリ弾を叩き込み続けている。
食われたF4Fの多くは被弾損傷したりあるいは機銃弾を撃ち尽くしたりした機体で、母艦への帰投を急ぐあまり周囲への注意が疎かになった搭乗員が駆るものがほとんどだった。
三〇〇機を大きく超えるF4Fがいれば、傷ついた獲物には事欠かない。
岩本小隊はたいして苦労をすることもなく、自分たちの小隊の数を大きく上回るF4Fを次々に食い散らかしていった。
日本の第一次攻撃隊とそれに英米の戦闘機が激突した時点で、日本側は零戦が三〇〇機で、英米側は三七二機のF4Fそれにマートレットを擁していた。
数だけで言えば、英米側が二割以上も優勢だったのだが、しかしふたを開けてみれば零戦隊の圧勝だった。
その理由として、会敵した時点で零戦側が高度の優位を保っていたことが挙げられる。
先行偵察やあるいは空戦指揮にあたる一式艦偵からの手厚い情報支援によって零戦隊は奇襲を食らうこともなく、また劣位での戦闘を強いられることもなかった。
だが、それ以上に日本と英米の明暗を分けたのが搭乗員の技量だった。
英戦闘機隊については問題は無かった。
空軍のエースパイロットを引き抜いたうえで、その彼らに離着艦と航法の訓練を施していたから、腕のほうは保証つきだ。
ドイツ戦闘機との生存競争に打ち勝ってきた彼らの平均技量は、日本のそれと同等かあるいはそれ以上だった。
問題なのは米戦闘機隊のほうだった。
もともと、「ホーネット」と「ワスプ」それに「レンジャー」にはそれぞれ三六機のF4Fが配備されていた。
しかし、英国救援任務のためにその数は一挙に二倍増しとなった。
ただ、いくら人材大国の米国といえども、母艦搭乗員という特殊技能を持った搭乗員を、しかも三空母に合わせて一〇八人も用意することは容易ではない。
実戦経験を持つ熟練はその多くがブリスベン沖海戦で失われており、そのことで配属された者の大多数が訓練で優秀な成績を収めた若年搭乗員だった。
それら若年搭乗員は、本来であれば反撃能力の低い急降下爆撃機や雷撃機の攻撃を担当するはずだった。
実際、三〇〇機にも及ぶ日本の第一次攻撃隊に対して、出撃前に彼らはもっぱら急降下爆撃機かあるいは雷撃機を狙うよう指示されている。
だが、日本の機動部隊はあろうことか三〇〇機にも及ぶ攻撃隊を繰り出しておきながら、しかしそれらは戦爆雷の連合編成ではなく、戦闘機の撃滅に的を絞ったファイタースイープ部隊だったのだ。
このことで、若年搭乗員らは零戦との戦いを強いられることになった。
だが、その若年搭乗員らにとって、フィリピン航空撃滅戦やブリスベン沖海戦それにインド洋海戦で実戦を積み重ねた日本の熟練搭乗員と戦うことはあまりにも荷が重かった。
日本の搭乗員はそのすべてが戦闘機同士の空中戦を戦える技量を有していたのに対し、逆に英米側でそれが可能な者は三〇〇人を大きく割り込んでいた。
つまり、頭数こそ英米側のほうが多かったが、しかし戦える人数は日本側が明らかに優勢だったのだ。
さらに、機体性能の差や情報支援の厚みがそれに輪をかける。
そして、それこそが英米戦闘機隊の敗因でもあった。
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